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2009-09-10

「今」という時を共有する役割においてテレビは生き残るよみたいな


こないだ 8 月 11 日の夜 8 時から日テレ系でアニメ映画「時をかける少女」が放映されました。同じ細田守監督の「サマーウォーズ」が日テレ絡みの映画というのもあって実現したものと思われます。「時かけ」は地上派では過去 2 回ほど放映されましたが、そのときはいずれもフジ系の土曜 9 時枠でした。


DVD だと見ないがテレビだと見る

ぼくはこの映画を DVD で購入して持ってます。あと HDD になかなかイイ画質で録画してもいます。

世界観、映像の質感、声優の息づかい、音楽の挿入されっぷり、印象に残った数々のセリフ(ラストの「未来で待ってる」「うん、行く。走って行く」は今こうして書き写してるだけでも泣きそう)など、いい映画だよね、という余韻が今でもたっぷり残ってます。SF におけるタイムマシンパラドックス的な矛盾点がまったく気にならない、という頭脳構造上の欠陥が逆にいい作用をもたらしたのかも知れません。

ただ、十分ハマってるはずなんですけど、いざ手元に置いてしまうと、これがあらためて見ようという気にまったくならない。

少なくとも 2 時間という短からぬ時間が奪われることに足踏みしてしまう。どこか億劫。「どのみちいつでも見られるから」なんて安心した気持ちもあって、まるで「観光名所が近所にあっても行く気にならない」みたいなあるある話ともつながってきます。

と、そんなふうに、手元にあってもまったく見る気にならなかったのに、今回はいざ「この日の夜 8 時からテレビ放映されますよ!」というふうに日程を告知された瞬間、「あ、見なきゃ!」という気持ちにすぐになったんです。

今、ここのときにだけ放映される。その瞬間を逃しちゃいけない、と思いました。


渡辺浩弐「テレビが生き残る道」

TV ゲーム業界の最古参で「ファミ通」みたいなところでもよくものを書いててテレ東系「大竹まことのただいま! PC ランド」(89年〜92年放送)でもおなじみの作家・渡辺浩弐が、「テレビが生き残る道」と題した短文を 7 月 31 日付で「WEB SPA!」で書いてました。

その内容はまるで自分の気持ちとシンクロするようなものでした。

「テレビが生き残る道」

・ニコニコで生放送をすると、ほとんど告知をしていなくてもすぐに 1000 人くらいの人が集まってきてくれる。ところがその映像をその後アップしても、1 週間くらい置いといても数百人しか来なかったりする。

それで同時性というものの価値を再発見している。これだけたくさんのコンテンツが満ち溢れていると、何かを選び取るきっかけにはモチベーションが必要となるのだ。

本質的にかけがえのないことはもしかしたらこの世に一つしかないかもしれない。「今」という時だ。となると、ネットでいつでもどんなものでも見られるようになっても、テレビ放送はその、今を共有するという役割だけで残るような気がする。

テレビはスポーツが強いとかニュースは必要だとかいうのとは違う話である。

本質的にかけがえのないこと。満ち溢れたコンテンツの中から選び取るきっかけとして必要なモチベーション。それは「今」という時だ、と。

「時かけ」という映画そのものではなく、「時かけ」というアニメ映画が日本全国で視聴されている「今」という時をこそ共有したかった。見逃せばもう次はないかも知れない。いくら手元にソフトがあっていつでも自由に見ることができようとも、「テレビで放映されている」そのこと自体が視聴のモチベーションになってしまった。

この渡辺浩弐の一文を後から読んで自分の気持ちにあらためて気付かされたんです。

なんだか「時かけ」のキーワードのひとつである「Time waits for no one」=「歳月人を待たず」とも微妙にシンクロしてる話のような気がします(気のせいかも知れません)。内容云々ではなく、根本的なテレビ放送それ自体の仕組みが、テレビの生き残りに有効だ、ということを渡辺浩弐は言っています。


「今」を共有したい

いわゆる「テレビ」や「ラジオ」はメディアとして下降線を辿っているらしい

それに関連したことなのでしょう、今秋の改編でテレ朝の深夜番組が変な感じで終わっちゃいそうなのとか、もうものすごく理不尽な気持ちに駆られます。

仮に今のいわゆる「テレビ」が廃れちゃったとする。残念すぎる。ただ、そのぶんの揺り戻しとして、今度はニコニコ動画の生放送がめちゃくちゃ増強されていくのかも知れない。YouTube がリアルタイム的な機能を拡充させるかも知れない。

あるいは既存の BS、CS 放送、あるいは AM 、FM ラジオ、Podcast、その他あらゆる映像・音声などの配信が、web・非web 関わらず、それぞれの活路を見出して残り続けるはず。楽観的かも知れないけど、そこにコンテンツがあるかぎり消滅しないと思ってます。

危ういらしい地上波テレビを取り巻く環境についても、地デジ開始のいっぽうインフラ整備に関する懸念はつきまとってますが、メーカーレベルでは我らがジャスコをつかさどるイオンが「アナログテレビ向けの地上デジタルチューナーを 4,980 円で発売!」という動きを見せるなど、ほんのり目途がついてきたようです。

政治動向やらが絡まりっぱなしのテレビ業界の昔ながらのあり方、番組の質、収益構造。他さまざまの問題点が今のままでいいとは到底思えません。でも少なくとも「テレビ的なもの」は、必ず残り続けるはず。

お笑いや音楽、スポーツ、舞台などのライブ会場で味わえる一体感のバーチャルな再現というのが、こういう映像音声メディアの娯楽としての最大の利点、かつ原点だと思うんです。家の中にいながらにして得られるこのお手頃感。

だいたいですよ、誰も彼もが彼氏彼女と一緒にですよ、映画館でポップコーンつつけるわけじゃないし、スポーツ観戦に一喜一憂しながらキャーキャー抱き合えるわけじゃないし、部屋で DVD 見ながらベタベタできるわけじゃないんですよ…!

個人的な感慨ですが、録画しといたテレビ番組を暇なときに見ていると、「世界中で今これを見てるのは自分だけなんだよな…」と思って、猛烈な寂しさに襲われることがよくあります。「今」を共有してないからです。

そのポッカリ空いた心の隙間の穴埋めをしてくれるのに最適なのが、これまでどおりの「テレビ」放送に他ならないんですよね。生放送にしろ収録にしろ、何百万人の人たちがいっせいに同じ番組を見ている。そう考えるだけでもものすごくホッとするのです。ちょっと頭がおかしいのかも知れません。

原初的に求めているのは街頭テレビの賑わいで、黎明期のセピアな光景はすっかり昭和史って感じですが、国際的なイベントのたびに街角に設置されるパブリックビューイングは現在も効力を発揮してる。みんなで画面を見ながらの大盛り上がりのプチ祭。しかし日常的には人はそう集まれない。

だからこそ、大勢の人たちが目の前のモニターやスピーカーと対面しては「今」を共有しようと求めているんです。ぼくもそんなことを思って日々画面を眺めてます。

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