ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

リミット解除してしまえ

で、私の話。

基本働くのは嫌いじゃないというか、社会の一員として居る事は案外好きみたいで、めんどいめんどい言いながらも割とずっと何かしらの仕事はやってきた。といってもここ20年ちかくは、子育てをメインにとか、個人事業と両立とかもあって、扶養範囲を超えないように調整しながら。
でも、そんな調整をめんどいと感じるようになった。ので、もう扶養外れちゃお!と、自分にかけていたリミットを解除する決意をした。今すぐにフルタイムってことはないけど、とりあえず、現状週20時間で稼働しているものを、週30時間まで増やすことにした。
もちろん、まだまだ子供のことで時間をとられることは多いし(少なくとも中受はあるし)、ハーブのお仕事も辞めるつもりはなく、融通をきかせてもらいながらの週30時間になるから、なかなか大変ではあるかな?とも思う。でも、個人事業をはじめて12年、フルやらパートやらいろいろあるけど、やっぱり働きながらも個人事業をしている素敵な方々はたくさんいて、見てたら「両方がんばっちゃっても別にいいのでは?」とも思えるようになった。
個人事業に集中したい気持ちがなくなったわけではない、のだけれど。毎度毎度食品を扱うデリケートさに神経を尖らせ、次々出てくる厄介な法制度に振り回され、時々ちょっと面倒なお客様に絡まれ、とかしていたら、(もちろんそんなマイナス要素を軽く乗り超えるくらいのプラスが返ってくる、すごく楽しい仕事ではあるというのは大前提としても)これ一本に集中したらちょっと心がしんどくなる時がくるだろな、というのは正直思う。「いつか法人化」とか「いつかは店を持つ」とか、以前は結構本気で計画を立てていたのだけれど、こちらの方面の人脈が広がっていくにつれ、マジで経営者の皆さんってすごいハート強いんだなと年々思うようにもなった(これには、良い意味もすごくあるけど、悪い意味も多少ある)。私は個人的に商売をすることや、人にものを売ったりすることはできるけれど、経営者になることに対しては、覚悟ができないかもしれないなぁと。まあ、現実の落としどころが見えてきたのかもしれない。
まあそんなこんな、たんにポジティブな要素だけでなくネガティブな要素もあるけど、改めて自分を理解した結果、今までは、子育て:個人事業:お勤めを、6:3:1くらいでやってきたものを、今年度は5:2:3くらいの割合に持っていって、さらにQが中学生になる来年度からは、3:2:5くらいに切り替えてもいいのかな。と今は思っている(こうして数字にしてみて気付いたけど、個人事業の割合が激減するわけではないんだな)。まあ、いつまで続くかわからないけれど、とりあえず必要とされている間は今の会社に何かしら貢献できたらいいなと。

そんな感じ。まあ、がんばってみましょう。

最高学年

Pは中3、Qは小6。ともにそれぞれの学校で最高学年となりました。
まあ、順当にいけば3年後にも同じようなことを言うわけですが。

Pは中2の終わりに突然運動部に入部して、「もっと早くからやっておけばよかった。なんでもっと強く運動部に入れって薦めてくれなかったの」などとものすごく勝手なことを言いながら部活マンとなっている。とりあえず今年度も成績順の選抜クラスには残留したけど(毎年入れ替えがある)、部活との両立は大丈夫なのかというのは少し不安。
とはいえせっかく高校受験を回避できる立場にいるのだから、まあ思う存分青春してくれればいいよ…と思っている。

Qは心配だった子とはクラスが離れ、幼稚園の年少からずっと仲良しだったNちゃんとは一緒のクラスになり、ついでに「1年生から5年生までずっと同じクラスだったのはOくんだけだから、どうせなら6年間同じクラスがいいな」などと言っていたOくんとも同じクラス。(あんまり男子のこと話さないので珍しい)
正直、前のエントリーに書いた事件については全く解決していないどころか、後から後からいろんな話が出てきて、はっきり言って泥沼化しているのだが…まあ割とQはスルー力が高めで厄介そうな人からは自然と離れるみたいなところがある子(昔からのことで、幼稚園の先生にも同じようなこと言われた)なので、無くしたもののことは一旦忘れて最後の一年を楽しくやってほしい。

さて私もちょっと考えなければね、今年度のこと。

事件です

PとQ合わせて計9年間となる小学校生活も残り1年となったところでひとつ事件が起きたので、記録として書いておこうと思って書いておくのだ。

ある日、帰りの会でQは、自分の持ち物が一つなくなっていることに気が付いた。いつも机のわきにかけている手提げで、ランドセルに入りきらない色々なものが入っていた。実用的ではないオシャレ文房具や、色鉛筆やイラスト用のペンセット(今のところ、将来の夢は絵師らしい)、読みかけの(買ったばかりの)文庫本など、正直あまり学校に持っていく必要のないものばかり入っていたのが微妙ではあるが、ちょっと大事なものも入ってた。

同じ時に、仲良しのNちゃんもロッカーに入っていたはずの上着がなくなっていると気が付いた。それ自体そんな安いもんじゃないだろうし、これまたポケットにちょっと大事なものが入ってた。

二人とも先生に話して、最初はどこかに紛れているだろうとか、どこかに置き忘れたのではないかということで、一旦クラス解散してから探したけれど、どうにも見つからず。QとNちゃんが帰った後も、学年の先生総出で学校中探してくださったそうだけど、見つからなかった。

こうなるとやっぱり、意図的に誰かが隠したとか盗んだということを疑わなければならない。次の日、担任の先生がクラス全員に紙を配り、何か知っていることはないか、ちょっとしたことでも気が付いたことはないか、あったら書いてほしいという作戦をとった(昔懐かしい、目をつぶって心当たりのある人は手を挙げるという方式ではないんだなーと妙に感心した)。

数の子が、Aちゃんのことを書いた。ロッカーのあたりでごそごそ何かやっていたのを見た、とか、帰る時一人だけすごい大荷物で帰っていたのを見た、とかそんな感じ。さらに言うと、被害にあったNちゃんも「何度もAちゃんにものを盗られてる、絶対あの子がやった」と言ってるらしく。

実はNちゃんとAちゃんは、なんでか知らないけど低学年の頃からずっと折り合いが悪いのは割と周囲でも有名なのもあって、ちょっと「あるなあ」と思わされるところ、ある。

ただ、QはAちゃんともそんなに仲が悪くない。むしろ家も近くてよく一緒に遊んでいた。ただ「今日はAちゃんと遊ぶからNちゃんと遊べないんだ…」などと二人が一緒にならないよう気を遣っていたりして(これも低学年の頃から)、だけど今年度、5年生になって3人とも同じクラスに揃って、時々NちゃんとAちゃんと遊ぶ、なんて言って出かけることもあったので、みんな大人になったんだなあとちょっと感慨深く思ったりしていたのだけれど。

とにかくネタが上がったので、先生はAちゃんと個人面談をした。何か知らないかというような聞き方をしたが、「自分が疑われているのが悲しい」というばかりで埒があかず。先生はAちゃんのお母さんにも話をしたが、「なんでうちの子がそんなことを疑われなきゃいけないの!」とプンスカされてしまって終わりでした…と…

そんな顛末を電話で聞いて、結局解決せず申し訳ないと先生から大変あやまられたが、先生が悪いわけじゃないからどうにもね。ただ、Aちゃん自身が犯行を認めていないにも関わらず先生が敢えてその名前を出したということは、ある程度、先生も黒だと思っているのではないかなと思う。(うっすらとした疑いの段階くらいで名前を出したら、それは結構大きなトラブルの種になるでしょう)「ちょっとそういうトラブルが前にもあった」「人間関係の危ういところがある子で」と、言葉を選んではいたけどね。

Nちゃんとは親子ともども仲良くしてもらっているのでお母さんとちょっと話をしたけど、もう絶対来年同じクラスにしないでほしい!と憤慨してて(先生に言ったかわからないけど、間違いなく言う感じの勢い)、だけどうちはなんか、そこまで言えないんだよなあ。

Qは、Aちゃんが疑われているとはどうやら気付いていないらしく「誰か知らんがマジで犯人許さん!」と言いながらも、普通にAちゃんの話なんかもしてくる。気付いてないなら、そのほうが幸せかもしれないのよね。あくまで疑いでしかないし。

あと、Aちゃんのほうはお母さんとは全然仲良くもないけど、弟くんとは会ったら普通に挨拶したり話をしたりするから(これは彼のコミュ能力の高さによるもの)、私も無下にできないところがある。

こういった状況から考えるに、仮にQのものもAちゃんに盗られたのだとしたら、それはおそらくQがAちゃんよりもNちゃんと仲良しなところを見られ、要は嫉妬みたいな感情でやられたのではないかと思うし。もしかしたら何か疎外感を感じさせるようなことがあったのかもしれない。だからといってそれはQが悪いということではないし、Aちゃんの前でNちゃんと仲良くするなっていうのも違うし、NちゃんにAちゃんと仲良くしてほしいというのも違うしな。あーでもなー、もやもやー!

って思ってるところに、担任の異動が発表されて、この学校の最後の最後にこんなことが起きてしまって本当先生かわいそうと思った。これまたPのときも5~6年で担任ではないけど学年主任だったからさ…

未解決でオチもない話ですが(もしかしたらここから何か展開はあるかもしれないけど、まあ…ないだろうなー)。何か書かなきゃ気が済まないので書き残しておく。

なにがどこでどーなって

なんかもう、50歳を目前にしてマジで就職するかもしれんという状況が来ている。

就職については今までも何度も書いていて、そこに対する憧れがまずあったし、それと同時に「でも今更ムリなんでしょ」という諦めの気持ちがブレーキをかけていた部分もあり。でも今やってるパートのお仕事は、職種ライターでやっぱり書くのがとにかく好きで楽しい自分を再確認してしまったし、成長中の会社でとても刺激があるのもいいし(若いころだったら逆にしんどかったかもしれないけど、今は「どうせどんなに長く勤めてもせいぜい10年くらいでしょ」と先が見えているのもあって成長を単純に楽しめるのかもしれない)、何しろ今まで書き手という仕事をする人がいなかったので会社がとても重宝してくれているし。正直、私程度の文章力の人間なんて世の中にはたくさんいると思うけど、たぶん私も小説を書いていたころだったらこの仕事に興味を示さなかっただろう、というかこんな業界にニーズがあることを知らなかった。だから、今というところにも意味を見出している。

「いつからフルタイムで働けるの?」と何度も聞かれ、本心ではもう今から働いてもいいんだけど一応下の子が小学校を卒業するまであと一年待ってください~~というスタンスで。もうでもだいぶグラングランにそっちにぐらついている。

もちろん個人事業のほうをやめようと思っているわけではないのだけれど、これまたこの春…いや、今年の頭くらいからかな、ちょっと「そういう流れ」を感じている。つまり、同業だったり同業ではないものの似通った感じの個人事業主さんや起業家さんが、仕事や店を畳んでいるのを立て続けに見ているのだ。不景気の折からなのかと思ったりしたけれど、どうやらそうとも限らず、何か新しい世界に急にぽーんと飛び込んじゃっている感じ。そういう流れに影響されるというわけではない(つもりだ)けれど、自分の周りだけなのか、何か節目のときって大きなうねりを感じたりする。これまでの人生でも節目節目でそういうのを感じて、波に乗ってみたり、波を見たりしていた。

まあ、副業をやる以上たぶん正社員で働くというのは難しそうなので、契約社員くらいの扱いになると思うんだけど、それでも扶養から外れて働くのは少なくとも15年以上ぶりになる。正直、何万の壁とか考えるのを面倒だったから働き方を変えられなかっただけなんだけど、、だからこそ、この壁を超えるのには結構気合が必要なんよ、今更。

まあ、まだわからないけどね。いざ子供が小学校卒業したら、やっぱり要らんと言われるかもしれないし。私も何がどこでどうなるか、まだまだ分からないし。

ただ、就職しても個人事業を続けられるように、無駄は切り捨てて、仕事をきちんと整えないといけない。あと1年は、そこんとこ整理する(と同時にQさんの中学受験にひたすら向き合う)時間なのかなと思いながら、色々整理していこうと決意した。

切り捨てたるわぁ!(急に荒ぶる)

コロナインフル中学受験その他

2月は頭からバタバタと。
私立中のPさんは入試がらみ(高校の推薦入試、中学入試、高校入試と立て続け)でほとんどお休みで勝手に友だちの家行ったりディズニー行ったり、私は元同居人たちとの新年会もあり、家族イベントでは実家がらみの新年会(なのか?)があったり母が泊まりに来たり、でQさんは英検3級2度目の挑戦で1次合格、からの塾の三者面談でいよいよ1年後に迫った中学受験について真剣に考え始める……と軽快に予定をこなしていたところ、PさんQさんそれぞれ発熱。これは、と思って一緒に発熱外来に連れて行き検査をすると、かかりつけ医「面白いことになったよ…Pくんはコロナ、QちゃんはインフルB型ね」って、面白くないんですけど…。その後行った薬局でも「えっ、お兄ちゃんがコロナで妹ちゃんがインフル…?そ、それはそれは…」と憐れまれて帰ってきた。私や夫に感染しても困るし彼らが相互に感染してもさらに困るので、みんな隔離生活。リモートで仕事をしながら毎食毎食部屋に食事を届け、東で甘いものを要求されては届け、西で水分を要求されては届け、その都度体温チェックし、薬を飲んだかと確認をし、帰ってきた食器などは入念に消毒し…みたいな1週間を過ごす。まあ14歳と10歳だからこのくらいで済んだわけで、これが5歳と1歳だったらもうとんでもなく大変なことになっていたし私への感染もおそらく不可避なので、今で良かったのだ…と思うことにする…

ということで、今に至る。

発熱外来のときにPとQと3人で個室に隔離されてそこで結構長いこと待たされたので、なんだかいろいろ話をしたのだが、Pはなんだかんだいって「東大受けたい」と思っている様子。というか、今から本気出せば自分も東大目指せるんじゃないか?と。中学受験のときに、結局本気で勉強したのは2か月だけだったことを「4年生から本気で勉強してたら御三家とか狙えたんじゃ?」などと言ってたのが、たぶん今も引っかかっているのだろう。そんな悔いを残したのが、吉と出るのか凶とでるのか。わからんね。一応通っている学校は中堅の下のほうだけど、数年に一人くらいは東大に行く子がいるので、トップ層にいればチャンスはあるかもね。ただ、母は別に東大に行けなんて思ってないよ。ただただ、両親と同じような学部学科を選ばないで欲しいと思っているよ…

さて、Qさんのほうは英検3級の2次がんばろうぜという段階だが、1月の首都模試の偏差値は国語55算数44で、2科49。中受界ではかなり下の層だけど、あれだけ勉強してないことを考えれば、思ったよりも良いくらい。志望校判定は、第一志望(Pの学校)30~40%、第2志望80%、第3志望(私の推し)30~80%。本人は第2志望に入れれば十分と思っており、現時点で80%出ちゃってるとモチベ上がらないので、特待合格したらMacBook買ったるわと豪語してお尻に火をつけたものの、「絶対特待とる!」と口では言いながらやっぱり勉強には身が入らない日々。

巷の中受界隈を見ていると、みんなすごく勉強して高みを目指しているので、これでいいのか?と思わないわけでもないし、焦らないこともないのだが、Pを見ていたら「まあ、これでいいのかも」という気持ちはある。ほどほどに勉強して入れる、気に入った学校に入れたらいい。6年間楽しく過ごしながら行きたい方向を探して、それに合った大学に行くなりなんなり、その先のことは自分で考えてくれれば、それでいいよ。

雑多にいろいろ思う

1月1日、先のエントリーを上げた後に能登地震があった。宮城県にいたけど、それなりに揺れた。今はとりあえず、自分にもできることをやろうとしている。
1月6日、高校の同窓会があった。なんかまあ、調子には乗った。高校時代というのは、周りが超絶頭の良い人たちばかりだったので、自分がアホでいてよいという気楽さがあったのだった。30年前の気持ちに戻って、思う存分アホになってきた。皆には相変わらずギャーギャーうるせえ女だと思われていたかもしれんが、私はとても心のデトックスになった。そうか、こういうのが足りなかったんだ。誰か私をアホにさせてくれ。
1月8日、Qが初めての首都模試。一度見てみたかった赤坂にある憧れの女子校が会場だったので楽しみにして行った(私が)。アクセス、ロケーション、設備、雰囲気、どれも素敵、なのだが、、素敵すぎてなんかうちの子には合わないな、と引いてしまった。Pのときも高輪にある某男子校に同じ印象を抱いたし、昨年度の入試で炎上してた某新生校も訪れる機会があって、まあそこは炎上のこともあったしうちの子が通うところじゃないなと思ったのだが、もしかしたら港区全般が苦手なの?
1月9日には子供らも学校始まり、松本人志の活動休止について考える。一回り年下くらいの私たちの世代は、物心ついたときから彼がテレビに出ていたわけではないので、別に神格化はしていない。でも、上り詰めるさまをリアルタイムで見てきた。それはもう面白いとか面白くないとかの次元を超えて、見ていて気持ちいい快進撃だったし、何かを成し遂げたい若者であった私たちにとっては夢でもあったのではないかと思う。ただ思い切り昭和の型だ。彼の作詞した「チキンライス」を思い出す。たぶん本人も書いてる通り「今の子供」には理解されない世界。この曲の中で「七面鳥もってこい これが七面鳥か 思ってたよりでかいな」というフレーズが彼の本質であるといつも思う。貧乏から這い上がり、成り上がって、調子にのって七面鳥もってこいなんて言ったけど、七面鳥の何たるかも知らんし本当はそんなもの求めてないのだろう。その果てにある、「女の子つれてこい これが文春砲か 思ってたよりでかいな」ってかんじ?しらんけど。
1月某日、Pの中学校で修学旅行説明会。またアメリカ。私なんかもう20年くらい国外に出てないのに…まあ特段海外に行きたいという願望もないけれど…
1月15日、Pが14歳になった。「えっ、お兄ちゃんあと4年で成人じゃん」などというQさん、驚くところそこじゃない気がする。本人は「14歳から現行犯逮捕されるからね」などという。とりあえずそれなりに元気でそれなりに楽しく過ごして逮捕されないでいてくれればいいよ、と思う。

2024年をどう生きるか

2024年が来た。毎年思うけど隔世の感。
1年前に掲げた抱負についてのアンサーは、
①ひとり旅絶対する⇒うーん?旅ってほどのことはできてないなあ…
②ライブに行く⇒H ZETTRIO岡崎体育 行った!
③会いたい人に会う⇒10点満点中4点ぐらいの成果
2023年について覚えておかねばならぬのは、一言でいうと実は体調がずっと悪かったなぁ…ということ。
更年期もある、コロナもインフルも罹った。一週間くらい水下痢が続くような症状も3回ほどあった。たぶん、コロナ後遺症みたいな感じがしばらく続いてたし。まあ、割とボロボロ。なので掲げていた抱負を叶えるよりも、普通の生活をとりあえずこなしていくので精一杯だった。
今年はそこんとこ、解決したい。つまり健康でありたい。49歳になる年の最初に願うことは、健康である。ある意味正しそう。
2023年、それ以外にもいろいろありまして、何かこう、自分のペースで動けることがほとんどなかったというのも反省点というか、後悔点というか。渦中にいるときはそう思っていなかったのだけれど、周りの事情に振り回され続けていた一年だったなぁ、と今になって思う。
そこらへん踏まえて2024年の抱負。
ハーブティーで健康と美を体現する
②自分の時間を大事にする
③今年こそひとり旅する
②去年よりライブに行く
③去年よりもっと会いたい人に会う
ちゅーわけで、がんばろ~