書評:インターネットは誰のものか(谷脇康彦)

インターネットは誰のものか 崩れ始めたネット世界の秩序

「著者からのコメント」
グーグル、YouTubeスカイプ。ここ10年で急速に普及したインターネットを利用したサービスは、多彩で身近になりました。しかし、ネット上を大量のデータが流れるようになるにつれ、ネット混雑が急速に進んでいます。ネット混雑が進むと、みんなの通信を処理し切れなくなって、「ブロードバンド化のせいで通信速度が遅くなる」という皮肉なことも起こりかねません。
それでは、ネット混雑解消のためのコストを誰が負担すれば公平なのか?インターネットはこれまでどおり自由に利用できるのか?本著ではインターネットの仕組み、ネット混雑が起きている原因、ネット混雑が進んだ場合の最悪のシナリオ、そしてそれに対する処方箋について、技術の知識がなくても理解しやすいように解説しました。
インターネットの最前線「ネットワークの中立性」を巡る議論の入門書として、ビジネスマン、学生の皆さんをはじめ、広くインターネット利用者の方々にお読みいただき、一緒にこの問題を考えてみてほしいと思います。インターネットはみんなのものなのですから。

このコメントにほとんどが集約されている。谷脇さん渾身の力作であり、上記の通り、ネット中立性について知りたいと思う人にとって、今のところ本書を上回る解説書はない(ちなみに谷脇さんはこの分野を扱う総務省料金サービス課事業政策課というど真ん中に在籍する人である)。

ただしそれゆえに一点だけ、私なりに考えるところがあった。もちろん異論というわけではなく、誰かが後に続いて欲しいという思いを込めて、である(お前が頑張れ、と言われかねないのだが)。

ネット中立性とはつまるところ、誰がインターネットをビジネス面で支えていくのか、そのためにインターネットで生まれた富をどう再分配するのか、という話である。対立しているのは、インフラを支える下位層(通信キャリアやISP)とアプリケーションを提供する上位層(コンテンツ・サービス事業者)。後者のハデな動きに対して、前者が儲からない(どころか真っ赤)という背景だ。

たとえばアメリカでは、AT&T(通信キャリア)がGoogleに対して「お前、儲けすぎじゃね?誰のおかげでビジネスしてると思ってるわけ?少しショバ代寄こせよ」と言えば、Googleも「誰のおかげ?それはこっちのセリフだぜ」と応酬し、じゃあ四の五の言わないで政治・行政の場で決着つけようぜ、という話になっている。日本でも、ISPが「あんたトラフィック流しすぎ」と言えば、対するGyaoも「それが何か?」といなしている状態だ。

こうした問題を知るためには、インターネット全体のビジネスの仕組みを知らなければならない。しかしIP通信をはじめとした技術的な構造を知る人でも、主要なプレイヤーでどのようにお金が回っているのかを知る人は、案外少ない。本書はそのあたりをかいつまんで整理している。そればかりか、解決のための処方箋のさわりくらいまでを、平易な文章で解説してくれている。素晴らしいことだ。

では私なりに考えるところとは一体どこか。それは、本書で示された処方箋が「制度設計」に依っている部分が大きいところだ。大げさにいえば、ここに違和感がある。

確かに制度設計は重要だ。その理由は二つある。一つはインターネットがもはやインフラと化しつつあるという事実。もう一つはネット中立性が「産業全体の再分配の話」だからだ。どちらの問題も、行政による介入と制度化がそろそろ必要な段階である。少なくとも何らかのガイドラインくらいは示すことが必要だろう。

しかし、解決策は何も制度設計だけではない。というより、制度設計にできることは限られている、と私は思う。インターネットの場合、プレイヤーが自由な解釈でどんどん実装できるため、制度化が無意味になる傾向があるからだ。前述のように上位・下位ときれいに分かれていればいいのだが、実際はすでにどちらにも括れないオーバーレイサービスの事業者も登場している。またたとえば下位層と一口に言ってもLayer2なのかLayer3なのか、あるいは日本にはLayer2.5という奇妙な存在(=フレッツ)もある。

通常、制度化というのは酸いも甘いも出尽くした後、つまり成熟期を迎えてから行うものだ。それは、制度化の前提となる市場環境や産業構造が安定してからでないと、規制の対象を絞れないからである。早熟の段階での制度化は、よほど市民生活や経済活動に直接的な悪影響がある場合が中心だ。翻ってインターネットは、成熟どころか今後急激に変化する可能性がある。実際、NGNだのNTT再編だの電波行政だのIPv4アドレス枯渇だので、現状の平穏はすぐに吹っ飛んでしまう不安定さだ。

ではどうすればいいのか。極めて無責任に放言できる立場からすれば、現状のスキームで再分配を検討するよりも、「通信産業全体の再デザイン」という大きな問題を、ロードマップ込みで解くべきだと思う。そしてその上で「やるべきことを粛々と進める」べきだろう。インフラの整備・維持という目的で行政が関わるのであれば、それくらい大きな問題設定でなければ意味がない。もちろんそこに妖怪が巣くうのは百も承知だが、妖怪退治は行政にしかできないのだから。

とはいえそんなことが一朝一夕にまとまるわけがないのは自明だ。そこで、大きな問題を解きつつ、解けるまでの間は、再分配のルールを考えるよりもインターネットの市場規模を拡張する方向に産業を走らせるべきだと思う。再分配構造が歪だったとしても、全体のパイが増えれば、いくら中立性問題があろうと、どこかで利益を享受する機会は増えるからである(もちろんそのときにあこぎな利益確保に走る者が出たらそれはきちんと叩くべきだ)。

その意味で、本書にある下記の指摘は案外重要だと思っている。

総務省の調査によると、日本の映像、音楽、テキストなどのメディア・コンテンツ市場の規模は11兆円を超えています。ところが、このうちネットワーク経由で配信されているものは、7000億円程度しかありません。全体の一割にも満たない水準です。

この10%(一割)という数字を、20%、30%と増やしていくだけで、インターネットの市場規模は格段に大きくなる。そして市場拡大が順調に進めば、それを実現する際に必要なインフラやハードウェアの整備も同じく進むだろう。このように「本来インターネットが持っている潜在規模」にできるだけ近づけるような施策こそ必要なのではないか。

本書ではその施策を「認証や決済機能の強化」とまとめている。確かにそれは重要だが、おそらくそれだけではあるまい。たとえば知財の取扱いにしてもそうだし、バックボーンの帯域確保も含めたネットワーク・アーキテクチャの問題でもすべきことは山積している。それこそjoost的なサービスを推進することだってできよう。こうしたところをもっと深掘りすることが、より現実的な「ネット中立性問題の一時的な回避」につながるのではないか。

これは、必ずしも谷脇さんのような行政マンだけの仕事ではない。むしろ民間事業者がどこまでハラを括って取り組めるのかが問われる領域である。とすると、実は行政から民間へボールが投げられた状態にあるのかもしれない。というわけで、冒頭の谷脇さんのコメントにある「インターネットはみんなのものなのですから」というメッセージは、サラッと書かれているものの、案外重いのである。