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2012-12-05 押井守、『エヴァンゲリオン』と庵野秀明について語る このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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押井守と言えば、『攻殻機動隊』や『機動警察パトレイバー』などで世界的にも有名な映画監督です。その押井さんが現在公開中の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の大ヒットぶりを見て、「エヴァとはこういう作品である」と独自の視点で鋭く考察した文章が話題になっていました。


 『ヱヴァQ』と言われて「オバQ」の間違いじゃないかと思いました。いきなりどうでもいい話ですが、なんでもかんでも短縮するのはやめて欲しいものです。


 前号で「公開中の作品については何も言わないのが仁義」てなことを書きましたが、もはや恒例行事と化した観の『エヴァ』ではあるし、相変わらず盛況のようではあるし、私ごときが何を言おうが書こうが1ミリの影響もあるでなし。編集部に請われるままに書くことにしました。


 あらかじめ言っておきますが、僕は『エヴァ』に関しては、シリーズを何本かと、最初の映画版(「春エヴァ」?)以外は全く見ていません。見ていませんが、おそらくは『エヴァ』という作品について、もっとも適切に語り得る人間のひとりであろうと自負しております。


 ひと言で言って、『エヴァ』という作品は、まるで明治期の自然主義文学の如き私小説的内実を、メタフィクションから脱構築まで、なんでもありの形式で成立させた奇怪な複合物であります。


 キャラクターの周辺に関してはパンツ降ろしっぱなしで、監督である庵野現実のまんま。島崎藤村田山花袋もかくやのダダ漏れ状態です。一方で表現文体はと見れば、異化効果どころかラフ原レイアウトもあり、セルまでひっくり返す徹底ぶりで、正直言って劇場でみたときは仰天しました。


 ワタシでもここまではヤらなかった。


 「庵野はけっしてバカではない」どころか、その表現に関する自己批評のありようから察するに、アニメという表現形式への自意識の持ちようは、これは見事なものだと感心した記憶があります。その一方で、物語に関してはまるで無頓着。まさにステロタイプオンパレードで、いつかどこかで見たもののコピーの連発。キャラクターが口にする台詞のあれもこれも、決め処は全て私生活におけるあれこれの垂れ流し。


 かくも奇怪な作品がなぜ成立するかといえば――要するに表現すべき内実、庵野という人間に固有のモチーフ存在しないからであって、それ以上でもそれ以下でありません。


 「テーマがないことがバレちゃった」という宮さん(編集者注:宮崎駿監督)の物言いは、その限りおいて全面的に正しいことになります。テーマも固有のモチーフも何もないけど、映画も映像表現も大好きで、制作意欲は人並み外れて強烈だとすれば、演出すべきはディテールのみであり、その拠って立つところはステロタイプだろうが定番だろうがなんでもオッケイ。人物描写に関しても同様で、まるでアムロの如きシンジ君の自閉症ぶりや、父親たるゲンドウとの確執など、感情移入するほどのものでもなし、そもそも監督自身がカケラも信じちゃおりません。


 演出能力は抜群だからその気になるでしょうが、騙されたいと思って見るぶんには十二分に機能しても、表現を成立させるための方便に過ぎないから結末を引き伸ばすだけで、落とし所が想定されていないことは明らかですから、これはドラマと呼ぶべきものではありません。SF的な意味での設定は複雑に凝らしてあるものの、世界観曖昧であり――テーマがないのだから曖昧でしかあり得ない――世界観なしに映画は成立しないから、その内実の無さを文字通り「補完」すべく、作品の作品内における再構築を繰り返すことで、映画としての無内容に代替させる。


 『エヴァ』という作品がいくらでも継続できる――永遠に終結させられない、それがほとんど唯一の理由でもあります。


 まあ、こう言ってしまえばそれで終わりであり、だからこそ継続して見る意欲を失ったわけなんですけど。なにしろ、その映画の構造が判明した段階で鑑賞するという行為が完結してしまう性分なので。いまさらドラマにもさしたる興味はないとすれば――その通りなのですが――いつも言っているように、あとは巧いか下手かの差があるだけで、そのことに(観客としては)特に価値観も持たないので。 (「ニコニコニュース」より)


というわけで、押井守監督が「エヴァ」について独自の観点から分析した文章が話題になっているようですが、その内容を要約すると「映像表現的には素晴らしいが中身が無い」という、結構辛辣な意見になっていました。身も蓋も無い見解ではあるものの、まあだいたい合ってる(笑)。尚、押井監督は以前から「エヴァ」や庵野秀明氏について時々話題にすることがあり、雑誌の対談でも以下のように述べています。


「僕は庵野と決して仲がいいわけじゃないし、宮さん(宮崎駿)とも仲良くないんだけど(笑)、でもあの二人は間違いなく一種共感する構造があるんだよ。たぶん宮さんは、どこかで庵野を可愛い奴だと思ってるよね。宮さんが『エヴァ』を観たのかどうかは知らないけど、もし観たとすれば驚異だよ。それこそ、あの人が他人の作品を観ることなんてまず有り得ないんだからさ」


「僕は『エヴァ』って映画しか観てないんだけど、『春エヴァ』を観た時、庵野っていうのはバカじゃなかったんだって、頭が良かったんだって。同時に、思いのほか真面目な奴だったんだって気が付いてさ。それはびっくりした。てっきりバカだと思ってたから。そういう意味でも、庵野と宮さんは似てると思う。根っこのところにはとてつもなく真面目な何かがある。よく言えば真摯であるというか。僕はあまりそういうの好きじゃないんだけどさ(笑)」


「ただ、庵野と宮さんの最大の違いは何かって言ったら、宮さんは自分が”実感の世界”に生きているっていう自信があるんだよね。僕に言わせれば根拠の無い自信なんだけどさ(笑)。でも庵野はね、”実感の世界”に生きてないっていう自覚があると思うんだよ。そこは僕に似てるんだよね」


「同時に、そうでありたくないっていう思いも庵野にはあるんだよ。僕はそれでかまわないっていう思いがどこかにある。”実感の世界”に生きようが生きまいが関係ないんだっていうさ。そこが僕と庵野の違いじゃないかな。一見すると一方はイデオロギーでゴリゴリで、もう一方はオタクの塊でっていうさ。でも実は根っこは一緒なんであって」


「自分がやってることに対して自覚的であるっていうことに関しては、『エヴァ』を1本観ればすぐに分かるよ。でも、これからそういうことを忘れてさ、正義を語りたいとかね、少年の冒険を語りたいと、そういった類の情熱が庵野の中に根強く燻ってることも確かだよね。だから宮さんに惹かれるんだよ。僕からすると、それがあいつの不幸だ。間違いなく」 (「宮崎駿の世界 クリエイターズ・ファイル」より)

「宮崎駿とも庵野秀明ともあまり仲が良くない」などと言ってる押井さんですが、以前は毎年夏になると信州にある宮崎さんの山小屋へ三人で集まり、合宿みたいなことをしていたのだそうです(鈴木敏夫や他のスタッフも参加)。そこで映画の企画を話し合ううちに、『耳をすませば』や『コクリコ坂』が生まれたんだとか。まあ、普段は滅多に会わないし会話もしないそうですが、実際は親交が深いようですね(^.^)


※追記

エヴァQ』関連の記事をいろいろ書いてみました。よろしければご覧くださいませ。

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