熱狂のるつぼ
2009.01.24
韓国はパラレルワールド
いやほんとSFでも読んでるような気持ちになってきますね。すべてレイバーネット:韓国の労働運動から。
でもでも支配者にとって必ずしも必要でない単一民族幻想、日本だって簡単に移民を大量に流れ込ませた上で平気で「多民族国家ゆえに素晴らしい日本」へと鞍替え(よくない意味で)できちゃうだろうし「虚偽情報」を流すわたしは逮捕されちゃうしそのうち、ロシアみたいに暗殺だってされちゃう(まあ、そこまでいかずに野垂れ死ぬか)しそのうち、あるいは暴動が頻発しちゃったり日本国憲法の第一条が書き換えられちゃったり王様が暗殺されちゃったりだってしちゃうはずですよねという気分になってはこないか私はなってくるよ!これは被害妄想というよりむしろ加害妄想であってむしろそんな気持ちにならない理由がなくて困っているのが今の私ですおはよういやまさかでもでもやるよーというわけでわたしは韓国現代情勢はもうひとつの未来として読みます
予測できない...憲法第1条を書き直す市民革命
ユ・ヨンジュ記者 www.yyjoo.net / 2008年06月06日8時47分
1. 10を控えて大韓民国すべての政治勢力が緊張モードに突入した。結果の予測は難しい。予測より大衆の流れに、大衆と共に『告示撤回』の小さな取っ手に執拗に執着することが重要な時だ。
活動家たちは道路で何を考えているのだろうか。何人かの活動家と会ってみる。今日(6月5日)午前は、人権運動サランバンのパク・レグン活動家と会った。人権映画祭活動にパク・レジョン烈士20周年行事準備で疲れたようすが歴然だ。
「今週は人権映画祭のためにあまり行けなかった.. 31日、徹夜で放水を受けながら現場にいた。放水を受け、本当に低体温現象になった」。
強硬鎮圧が一番強烈な日だった..
「双方とも強硬だった。押し入ったら、大統領府と警察はとにかく防がなければならない.. これまで、大統領府前まで行ったことは何度かあったが、こんなに多くの人員が夜を明かし、目前で座り込みをしたのは初めてだった。1日午前 4時頃、彼らが攻め込んだ時も約5千人、それほど多くがそこにいたのだから」。
4.19の時も、6月抗争の時も、大統領府近辺にこれほど多くの人が集まったことはなかった。韓米FTA反対デモの時、社会団体活動家が大小のデモをしたが、やはりこれほどの群衆は集まらなかった。
「警察としては、大統領府さえ防げればという状況だった。実定法の話になると困るのだが、すでに集示法上の限度をはるかに越えていた。不法かどうかという話ではない」。
市民革命が起きている
今大衆は主権者が自分の席を探すという、文字通り『民主共和国』の要求を掲げて行動しているが..
「実定法違反かどうかを越えて、すでに抵抗権が発動されている。不法行為があったから鎮圧だというのでなく、国民が立ち上がって国家と社会、そして憲法を正しく立て直そうとする抵抗行動、直接行動をしていると解釈することが正しいのではないか」。
市民革命だと読めるということだろうか。ブルジョア民主主義革命なら87年に、あるいは近現代史のある時点ですでに形成されたと見られるが、今の大衆のキャンドルデモを市民革命と規定できるのだろうか。
「仮設をたててみれば.. 今、市民革命は進行形だ。革命でも運動でも、どこが最後かわからない状況だが、仮定で見れば1年、2年、3年続くかもしれないが、明らかに初期段階に入るのではないかと思う。体制崩壊を断言することはできないが、その可能性はかなりある。代議民主主義で票を投じ、ひとまず選んだらその結果を承服するべきだが、そして不満があっても4年、5年後にまた票を投じて審判しなければならないが、今、大衆行動は代議民主主義を否定しているということだ」。
多少積極的な判断だ。断定するにはさまざまな考慮点が多いのではないか..
「大衆がキャンドルを持って大韓民国の国家体制そのものに抵抗している。資本主義で社会主義に進むのではないとしても、国家が、民主主義政治体制を受け入れない(耐え難い)行動が続いているのではないか」。
もっと踏み込もう。これまでの階級闘争の過程で十分見てきたように大衆行動が深刻な水準まで激化しても、結果は概して制度政治に収斂されたりした。
「そうだ。たとえば6月抗争の成果は、自由主義政治勢力が戦いとった。彼らは労働者の闘争を分離して排除した。ところが今、大衆行動が革命的性格を持つことになれば、今その政治的成果を持っていく政党はない。民主党? だめだろう。誰も認めないだろう。今回の補欠選結果のように漁夫の利でも得ることはあるだろう。民主労働党や進歩新党も準備ができていない。どの政党もこの闘争の成果を吸収し、政治的基盤にできない状況だ。では新しい政党が出てくるのかというと、それもまだわからない」。
どうなるだろうか。
「少し萌芽が見られるのではないか。市民自治権力のようなものが作られる過程を踏んだ後、革命的な状況が生じることがあるかもしれない。自由民主主義体制を越える新しいものか、資本主義体制の発展の中間地点か... 中間地点かもしれないが、どこに飛んでいくのか断定は難しいということだが..」
話がまた出てくる。新しい国民政党ないし民主党とは違う次元の政党の出現と収斂の可能性が大きいようだが。
「もちろんそうなるかもしれない。社会主義的な方向には行かないとしても韓こ、国のブルジョア民主主義体制を強固にする質的な民主主義革命に進めないだろうか。既存の政治勢力が否定され、新しい政治勢力が登場するかもしれないし。もちろん大衆が満足するかどうかはわからない」。
憲法第1条を歌うアイロニー.. 直接民主主義の要求で発展している
今大衆は憲法第1条の歌を歌う。本当に楽しく感動的に歌う。二律背反だ。憲法第1条は、現在の権力を掌握したブルジョア政治権力が存立の根拠にする。ブルジョア政治権力は、憲法第1条に基づいて存在する。ところが、大衆が憲法第1条を歌い、そのブルジョア政治権力を糾弾する。このアイロニーをどう見ればいいのか。
「憲法第1条.. それにしても人権活動家は明日(6日)から憲法第1条路上講座も準備しているのだが.. その通りだ。支配勢力の専有物のように支配イデオロギーが集約されているのが憲法第1条だ。200年前、フランス革命の時の1791年憲法がそうだった。1789年憲法を否定して出てきた。ところが1791年憲法は代表を通して国民の主権が行使されると規定されている(三権分立に立脚した立憲君主政)。1793年の憲法は、直接民主主義と人民主権的だったが施行できずに廃棄された。今大衆が語る憲法第1条は、例えばフランスの1791年憲法を越えようとするものと比喩できる。市民が私が主体だ、私が主権者だと言って、人民主権を語っているのではないか」。
国民主権に対して代理主義と直接民主主義次元で区分してみるという、では憲法第1条の再解釈ないしアップグレードという話だが..
「主権を無視して主権者の意を拒否する傲慢な権力に鉄槌を加えようとしているのが今の大衆の要求だ。大衆は指導部も認めない。どんな政治的権威も認めない。だから無政府的な要素も議論されているが、いずれにせよ憲法1条を再構成している。憲法第1条の再構成の欲求と指向、現在としては韓国ブルジョア政党はこの欲求と指向を受容できないもようだ。さらに進めば大衆によって政党勢力すべてが否定されるほかはないのではないか」。
ブルジョア政党に対する反対は明白だ。今まで姜基甲議員以外に演壇で発言権を得た政治家はない。
「だからさらに無定形だ。方向もなく合意も成し遂げられない... 現場に行けば、さまざまな話がすべて出てくる。李明博政権の政策すべてに反対する。発足して100日にしかならないが、『独裁打倒』スローガンが自然に登場する。ところが政権を変えて独裁を打倒することは、街頭デモだけでできるものではないが、そこまでは表現されない。6.10を経て、この指向をどう作って行くかがカギだろうが..」
今運動圏は無条件大衆の中に入らなければならない
昨日(4日)の夜の市庁前キャンドル集会の風景は妙だった。対策会議が72時間デモを控えた日に集会を率いた。9時頃解散をしたが『アゴラ』の旗と共に市民は光化門の前にまた集まって遅くまでデモをした。前日(3日)も同じだった。対策会議でも運動圏でも、指導や統制などとは無関係に大衆は動く。
「拒否感が序盤よりはちょっと少ないようなことはあったが、とにかく確認されたのは既存の運動勢力は広場に集まった市民を指導することもできないという事実だ。対策会議の活動家も考えてこの部分をどう引っ張っていくか準備をしているけれど.. ところでよく見ると運動団体が一週間、1か月議論して決めることを市民はインターネットで一日二日で決めてしまう。運動団体が街頭でデモをするのと違って、向こう見ずにそのままやってしまう。恐れることもなく、躍動的だ。即席で討論して、行動に移す」。
「私が見てもそうだ。これまで私が考えてきた仮説と考え、運動圏の感性や組織方式と今の大衆行動の現実は、あまりにも似つかわしくない。大衆と運動組織が過度に距離が遠くなっている。方法はない。無条件に市民の中に入らなければならない。そうでなければ信頼もされず、大衆から孤立する。中央集中式、民主集中制的組織方式の限界があらわれるのではないか。それぞれの個人が主体になり、小規模な集りを作り、ネットワークして、オン-オフを行き来するような運動でなければ、今後の運動はできないという感じだ」。
大衆と運動圏、運動圏と大衆の距離が遠のいたり隔離されるのは大衆や運動圏も望まないことでしょう..
「今までの運動状況が過去の方式から脱皮できなかったことと、こうした人々が2000年代を生きていくITに習熟した人々を指導することは難しいのではないか。運動圏に不信が積み重なったのは、金大中ね盧武鉉政権を経て、政権を取って見せた姿が結局自分の利益のためと映ったことにある。それと比べ、大衆は純粋だ。純粋な市民とそうでない運動圏という対応があるようだ。頭が痛いことだ」。
運動圏がなぜこんな身分になってしまったのだろうか。
「人々は自由に意思表明をしたいが、運動圏は訓戒と指導をする存在として近寄ってくる。民主労総の産別委員長が演壇に上がった時、あの冷たい反応が何だけか。大衆は思いがけないプラカードを作って集会に参加し、よどみなく言いたいことを言う。この大衆の躍動的な進出を、運動社会は謙虚な姿勢で学ぶべきではないだろうか」。
暴力-非暴力.. 不服従.. 公権力無力化させる大衆行動の力
少し非暴力の話をしよう。キャンドルデモの白眉が非暴力だ。不法を越える非暴力、主権者としての非暴力が公権力を無力化させる。警察が市民に対して不法だと放送すると、お前たちが不法だと叫び、道路に停めた警察の車両に不法駐車ステッカーを貼る。カマボコツアー風刺に見られるように、大衆の非暴力行動の前に公権力が戯画化されるという言葉も出てくる。
「他の国なら、ここまでくればスーパーを略奪して車両に放火する。市民意識が高いのかどうなのか、とにかく良いことなのだが、一方では非暴力がとても硬直しているように思ったりもする。インターネットカフェや現場の話を聞いてみると、口実を与えるのは止めようという論理が最も多いが、非暴力に対する哲学的な認識のようなものは確認されない。だが非暴力の力は明らかに確認できる。この渦中で火炎瓶を投げれば、彼らは鎮圧の名分を持つことになるだろう。このように、非暴力が硬直的に区分できるものではない。暴力と非暴力の区分そのものがあい昧だ。たとえば、不法行為=暴力が成立しないのと同じだ。不法がすなわち暴力ではない。実定法とは支配勢力が統治力の手段として確保するが、実定法に閉じ込められると、人権も放棄しなければならない」。
どこまでが暴力でどこまでが非暴力なのか。今までは抵抗する大衆の自衛手段として非暴力と暴力を区分して理解してきたようだが。
「どこまでが暴力か非暴力かは、状況によって違うだろうが、非暴力だけを強調する方向に行くだけではない。警察バスの扉を壊すことがなぜ暴力なのか。それは暴力でない。ところが今、市民は警察の車の扉を壊すのはだめだと言いながら、警察の車をロープで引っぱることには力を注いで歓呼する。暴力と非暴力を間違って分けると、いざという時には平和なキャンドル集会と不法な街頭デモと二分する認識がありえるが、幸い平和集会を主張する人々が街頭デモに自然に合流し、この区分が無力化した。使い道のない暴力・非暴力議論を忘れさせる程、大衆行動が高揚しているということだ。非暴力を固定不変で、硬直した概念として受け入れないでほしい。大衆はすでにその段階を越えた」。
集示法.. 街に出ると大衆は集示法も無用の長物にしてしまう。
「集会デモの自由はそれ自体が階級的で民主的だ。たとえば言論出版の自由はブルジョアが緊要だと思ったが、さらにそのようにすることができない人々が集会デモを選択してきた。数で押し通し、発展してきた。わが国での集会デモの自由は、集会デモをいかに合法的にできるようにするかが制定の趣旨で、今までその骨組みが維持されてきた。そして次第に改悪と後退の道を辿ってきた。夜間集会を不法と見なそうとしているが、大衆は自らの力で越えた。オ・チョンス警察総長が街頭デモの不法は厳しく処断すると話したが、大衆は無視してしまった。集会デモの自由は人を集めてデモをしながら出発するが、今は抵抗権発動の準備段階を踏む時点だ。6月抗争も不法だったが、今誰がそれを不法だと言うだろうか」。
大衆自ら国家権力そのものに不服従する雰囲気を演出しているということか。
「警察庁長官が不法デモ者を拘束するというと、警察庁のホームページに集まってダウンさせてしまった。ハンナラ党、機動隊をハッキングして嘲弄した。道路で警官が押してくればそのまま逃げずに。私を捕まえろと言ってカマボコに乗ってしまった。バスツアー風刺はすごい。不服従直接行動が公権力を滑稽にする、そんな生き生きとした姿を見せたのではないか」。
また変わるオルタナティブ・メディアの概念、市民自治権力の構成を悩め
国家の監視統制が強化されて、特にインターネット空間で表現の自由を制約する流れが大きくなるという恐れがある。大衆行動はこれも簡単にやりすごす感じだ。
「朝鮮、中央、東亜日報が韓国社会の議題と談論を独占、主導してきたが、今回相当破壊された。明らかに既存の言論とは違う形態のメディアが出現している。人々が直接自分の意志を自由に表現し、現場でデジカメと携帯電話のメールを飛ばし、個人がデモの状況を中継したりもするという驚くべき光景が広がっている。何か一つ問題を提起して、政府がとんでもない答えをすると、執拗に追跡して明らかにしてしまう。放送通信委とチェ・シジュンの動きを見れば、言論掌握のための政府の考えがわかる。諸々の名目をつけて言論掌握の試みは放棄しないだろう。だが侮れない」
これまでのオルタナティブ・メディアは、インターネット言論そのものを指していたが、今回のキャンドル・デモの現場でインターネット言論とはまた違う次元のオルタナティブ・メディアが登場しているという評価だ。
「さらに準備して、国家の監視統制と日常的に戦える代案的なメディア創出を準備しなければならない。ネチズンがアゴラを非難して離れればダウムもなくなるという選択の岐路に立つほかはない。ダウム・アゴラの変質や閉鎖に備えて空間を確保して作る課題も必要でないだろうか。進歩ネットでは難しいようだし、進歩運動陣営がそういうことを悩むべきなのだが.. このネットワーク秩序ができれば言論だけでなく、その後の市民自治権力を作る構想も可能ではないだろうか」。
人権活動家はやはりキャンドルデモの現場で緑のチョッキを着て人権侵害監視活動をした。大衆の呼応も大きいようだ。
「活動家に力量があれば、人権侵害監視活動だけでなくデモ隊の中に入って、私たちの話もしたいのだが、現実的にはこれまでもしてきた人権侵害監視活動に留まっていて、ちょっと苦しい。だが初めて街頭に出た大衆からははるかに遠かったが、現場で人権活動家が警察暴力に抗議するのを見て、信頼もして、反応も良い。小さなカード一枚を配ったら、大切にして自分を守ってくれるお守りのように思う。そのゴマ粒のような物を読んで、すぐに賢くなった。現場で吸収する知識は、本当にものすごく早い。1万枚を準備したが、すでに5千枚程度がなくなった。明日からは人を集めて、集会や憲法第1条路上特講もして、ちょっと私たちの話をしてみるつもりだ」。
記事をまとめながら、約220年前にフランスで書かれた1793年憲法を検索してみた。第1条、第28条、第35条が眼につく。大韓民国の権力と主権、その憲法第1 条を書き直す戦い、結果の断定は禁物だ。
第1条. 社会の目的は共同の幸福にある。政府は人間にそれらの自然で消滅できない権利の享有を保障するために設立される。
第28条. 人民は常に自身の憲法を再検討して改正し、変化させる権利を持つ。ある世代が未来の世代を自分たちの法で拘束できない。
蔚山労働ニュース www.nodongnews.or.kr / 2008年12月10日14時57分
労働者に労働権があれば、使用者には労働権に対抗する権利の経営権がある? 教員労組が労働権を打ち出せば、学生には授業権がある? 自分の町に障害者学校や実業界学校が立てられれば住民には反対する権利がある?
12月9日午後7時、全教組蔚山支部教育館で開かれた世界人権宣言60周年記念特講で人権研究所「チャン」のリュ・ウンスク活動家は「人権という言語が間違って使われている」と話し始めた。
「労働権と、いわゆる経営権を同じ『人権』と見ることはできない。学生にあるのは授業権ではなく教育権だ。障害者学校に反対する住民の権利というのは、実際には『家の価格死守権』のようなものだ」。
リュ・ウンスク活動家は「人間の権利という言語で私益を包んではいけない」とし「人権を侵害する外部の敵に対する抵抗の言語で人権を守る闘争の正当性として『人権』という言語を奪われてはならない」と強調した。
世界人権宣言は、1948年12月10日に作られた。年数で60年、還暦だ。「人間なら誰もが人間扱いを受ける権利がある」というこの宣言で市民権を追求した「近代」と区別される「現代」が始まった。
世界人権宣言は「抵抗権」を最も強調した前文と大原則、自由と平等権、これらの権利を実現する条件で構成されている。
自由権は、市民が享受する権利と政治的権利だ。ここには人身の自由と権力を監視して批判し、直接政治に参加する権利が含まれる。思想・良心の自由、表現の自由、集会・結社の自由がこの範疇に入る。
平等権は、経済・社会・文化的な権利だ。経済的な権利には、労働権と団結権、団体行動権が含まれる。労働によってのみ生計を維持できる資本主義社会において、労働権はつまり生存権だ。市民の政治的権利と同じように、労働者にも使用者を監視して批判する権利が与えられなければならない。労働者の団結権と団体行動権がここで出てくる。ただ個人の人権だけを保障していた以前とは違い、ここで始めて社会的弱者である労働者の集団的権利が認められた。
社会的権利には、恩恵の授与ではなく、社会に対して扶養を要求する権利である社会保障権と、社会構成員として社会生活のために必要な最低限の内容を無償で学ぶ権利の教育権が含まれる。リュ・ウンスク活動家は「韓国には教育権がない」とし「学生は公教育の仮面をかぶった私教育市場の消費者としてのみ存在する」と話した。
文化的権利には、自分が属する社会の伝統と自分のアイデンティティを知って暮していく権利が入る。
世界人権宣言29条は、人権を持つ者が守るべき人間の義務を扱っている。リュ・ウンスク活動家はこの大きな課題で、法秩序をよく守る義務ではなく、抑圧される人々の側に立って共に戦う義務、同僚の人間と連帯する義務を強調した。
1948年当時と今の人権の地形はどう変わったのだろうか? リュ・ウンスク活動家は、国家権力が市民と結ぶ関係から、超国籍企業が無力な多数の個人と結ぶ関係へと人権の地形が変化したと指摘し、見知らぬ土地で無権利状態に処する移住民の権利に特に注目すべきだと話した。(イ・ジョンホ記者)
韓国:[移住労働者の声を聞け](5)韓国政府・韓国社会変わらなければ暮せない
「多文化という言葉がなくなれば」
[移住労働者の声を聞け](5)韓国政府・韓国社会変わらなければ暮せない
移住労働者運動後援会 migrants@jinbo.net / 2009年01月12日14時47分
移住民流入による不可避な韓国の変化
117万の移住民、72万の移住労働者が住む韓国は、国連が定めた多民族国家だ。わずか10-20年前まで『多文化談論』は単一民族国家という強力な『虚構的共同体』に割り込む余地はなく、私たちとは遠い外国の話だった。だが今、結婚移住女性の家族を訪問するテレビ番組や、道でよく出会う移住民を通して、われわれは移住民と日常を分けあっていることを簡単に確認できる。また来年796億ウォンの予算が投入される多文化社会統合プログラムと、大統領の口に上がった『移住労働者の労働組合』は、政府次元でも移住の問題が拒否できない流れで、主要な問題として位置を占めていることを確認できる。
数百億を注ぎ込み、政府が進めている多文化プログラムによる移住民の統合と各種の言論が見せる移住民への温情主義的な態度は、韓国社会の態度に多くの変化があったことを示す。だが4回の連続寄稿でわかるように、韓国政府、韓国社会の変化は劣悪な移住民の暮し改善する過程ではなく、新自由主義世界化が産んだ弊害を埋め合わせる方向で彼らの人生を再構成する過程だったと言える。
今、この20数年間に形成された移住民への韓国政府、韓国社会の認識を調べ、誰も排除されたり差別されない共存の社会のために何が必要なのか、移住労働者の声に耳を傾けて聞く時だ。
最初の寄稿文「移住労働者として暮すのはとても荷が重い」で確認できるように、移住労働者の人生は経済的にも社会文化的にも、これ以上退く所がない。
移住労組、移住共同行動、外労協が共同で発表した「2008雇用許可制実態報告」によれば、一日平均11時間の労働をして受ける賃金は残業、特別勤務をすべて合わせもせいぜい109万ウォンに過ぎない。それだけでなく移住労働者たちは宿泊費控除、手当て不払い、常習的賃金不払い、ウォンレート下落、物価上昇などで深刻な生活苦にある。泣きっ面にハチで、韓国を強打している世界経済の危機は、移住労働者の雇用そのものを威嚇している状況だ(最低限の生活費と本国の家族に送る金を除けば残る金はなく、韓国を離れることもできないとある移住労働者は言う)。
こうした最悪の状況で、政府が強力に進めている野蛮な摘発追放が移住労働者の人権を深刻に侵害していることは、言うまでもなく広く知られている(二回目の寄稿「移住労働者と韓国を病気にかからせる野蛮な強制摘発」参考)。さらに大きな問題は、移住労働者を人種差別的に『犯罪集団』や『雇用略奪集団』と罵倒する傾向が社会的に広がっている事実だ。李明博政権が発表した「非専門外国労働者政策改善法案」がその代表的な事例だ。政府は未登録移住労働者の犯罪問題を強力な摘発の根拠として提示したが、実際の犯罪率は韓国人の1/4程度で、政府の主張には根拠がないことを示す。
さらに憂慮されるのは、各種ポータルサイトのカフェを中心に組織されている反外国人団体だ。彼らはごく少数の凶悪犯罪を浮上させ、社会不安と経済危機による大衆の怨恨を移住労働者に否定的に収斂させようとしている。また移住労働者集会の査察、マスコミの報道用の反移住労働者集会開催、未登録移住労働者申告など、出入国管理所の『情報部員』役をして、反人権的摘発追放強化と退行的な民族主義を助長している。
政府により追放の対象と烙印を押された未登録移住労働者とは対照的に、結婚移住女性は社会統合のための多文化教育などの友好的な観点で政府の支援を受けているかのように見えることもある。だが私たちが四回目の寄稿「結婚移住女性の生と労働」で見たように、結婚移住女性の状況はたいへんだ。政府と言論を通じて流行のように広まった『多文化談論』の実体は、結婚移住女性にお母さん/嫁/夫人というアイデンティティ、つまり新自由主義が解体した家族の空白を埋め合わせる役割をきれいに包むことでしかなかった。政府が施行する多文化教育は、キムチ漬け、手工芸などの『韓国文化』を維持/補完することに焦点が合わされ、『他の文化』への配慮や理解はみつからない。
結婚移住女性の社会保障制度も『韓国国籍の子女の有無』を恩恵条件にするなど、多文化と似た政策的な文脈上にある。52.9%(2005)の結婚移住女性は、最低生計費にも達しない窮乏した家計のために移住労働者として韓国社会で暮しているが、作業場での国籍と性別の二重の差別も、韓国社会で結婚移住女性として暮すことがいかに難しいかを実感させる。
移住民への李明博政権の果てしない攻撃
今まで見てきたように、韓国における移住民は、人間としての当然の権利を持つ主体というよりは、政府と資本の政策と利害関係によって排除されたり抱き込まれる客体として認識されてきた。移住民への法/制度を大幅に改悪している李明博政権の政策はこのような傾向をさらに深めている。
「不法滞留者がのさばってはいけない」という業務引継ぎ委員会の時の李明博大統領の発言は「非専門外国労働者政策改善法案」で『350人規模の合同摘発班』として具体化され、磨石のウサギ狩式の大規模な反人権的合同摘発で実行されている。出入国管理法と雇用許可制の改悪も、韓国での移住民の暮らしを縛っている。
政府が移住労働者の権利を完全に保障すると自慢した雇用許可制は、三回目の寄稿文「雇用許可制と違わない」を見ればわかるように、奴隷許可制と呼ぶべきだ。さらには契約期間を1年単位から3年単位に延ばし(たとえば、悪徳事業主に会った時に我慢する期間が1年から3年に延びる)、期間延長の権限が相変らず雇い主に帰属し、移住労働者の従属をさらに強化する法改正を予定している。出入国管理法改悪案は『入管公務員の名義で緊急保護書を発給』する規定が追加され、これまで不法に行われていた『令状ない緊急保護』に免罪符を与える。また、不要な生体情報収集、恣意的判断による強制退去などの毒素条項を大挙含んでいる。このような事例が総合され、李明博大統領が大統領選挙の公約として提示した『外国人労働者保護および多文化家庭支援』は強力な摘発追放と恩着せ的な対策として批判されている実情だ。
危機を越えて連帯へ! 共存の社会のために変化が必要だ
統計資料によれば、2020年には外国人の割合は5%、国際結婚移民者の子女が子供全体の20%を占めるという分析がある。想像が難しいが、たった十数年後の韓国社会の姿だ。さらに多くの移住民と共存するには現在の韓国政府の管理、統制、同化中心の移住民政策と韓国社会に残る人種差別的なイデオロギーが変わらなければならない。警察のイスラム青年差別で2005年フランスで起きたデモや白濠主義者(有色人種の移民に反対する白人たち) の中東嫌悪が引き起こしたオーストラリアの暴力事態は、もはや対岸の火事ではない。
12月18日は国連が決めた世界移住民の日だ。12月14日、民主労総ソウル本部では、『2008世界移住民の日を迎えての連帯の広場』が開かれた。この日移住民は韓国で移住民として暮すことが自分にとってどんな意味があるのかを話し、互いに出身国の歌と踊りを誇り、彼らの文化を他の国家の友と共有する本当の『多文化』を見せた。連帯の広場で会った未登録移住労働者J氏の言葉は、移住労働者の現状と今後の韓国政府、韓国社会が進む道を知らせる。
「私は1995年に家族の生計のために金を稼ぐために韓国に来ました。韓国の人がいやがるところで一日に14-15時間働いても1か月の給料は120-130万ウォンにしかならず、作業場で韓国の人々からの差別は激しいが、故郷の家族に金を送らなければならず、不法でも働くしかありません。苦しくて結婚もできなかったが、青春を送った韓国が好きで、よく助けてくれ韓国の人々が好きです。それで長く暮してきました。韓国の社長たちは働いて怪我をしても補償せず、闘争をさせますが、移住労働者を必要としています。ところが政府はなぜ移住労働者を摘発して保護所に閉じこめ、非人間的にするのかわかりません。政府は韓国の未登録の仲間たちを合法化しなければなりません。そして『多文化』とよく言いますが、それは外国人が韓国での生活が苦しくて出てくる言葉のようです。『多文化』という言葉がなくなるといいですね。」
ミネルバの逮捕で深まる不信
「インターネット検閲統制が激しくなる」とあちこちから憂慮の声
チェ・イニ記者 flyhigh@jinbo.net / 2009年01月09日16時02分
検察が「ミネルバ」と指定したあるネチズンを逮捕して拘束令状を請求したことに、市民社会が反発している。
ソウル中央地検麻薬・組織犯罪捜査部は「公益を害する目的でインターネットに虚偽の事実を流布した」とし、1月7日、パク某氏をミネルバと指定、逮捕して9日午前、拘束令状を請求した。
進歩ネットワークセンターは1月9日に発表した論評で「逮捕されたネチズンが本当にミネルバかどうかは重要ではなく、検察の政治的意図は政府に批判的なインターネット掲示物を萎縮させようとすること」と断言した。
ミネルバに適用された疑惑の「虚偽事実流布」(電気通信基本法第47条)は昨年 5月、「狂牛病怪談」の捜査と似ている。進歩ネットワークセンターは「これまで政府と捜査当局は、批判的なインターネット掲示物に大々的な捜査をしてきたし、逮捕や拘束、刑事処罰を覚悟しなければ政府を批判できないのが今日の現実」と批判した。
またミネルバの逮捕の過程で、ミネルバの実名とIPアドレスが捜査機関に伝えられたのは重大な人権侵害とし「利用者の個人情報を恣意的に捜査機関に提供することは憲法で保障されたプライバシー権と通信の秘密の自由を侵害するもので、インターネット時代の新種の検閲方式」と指摘した。
「『虚偽事実の流布』は李明博政権がやった」
民主労総も「ミネルバと推定される人物の検挙は表現の自由も拘束する李明博政権の世論統制政策」と一蹴した。
民主労総は1月9日、論評で「個人が自身の意見を表現したことで、基準も明確ではない『虚偽事実』と断定し、処罰するのは国民の声を阻止する法の乱用だ。つまらない世論統制工事のミネルバ捜査と21世紀マッコリ保安法の『サイバー侮辱罪』制定を中断しろ」と要求した。
人権運動サランバンは多くのネチズンがミネルバの釈放を主張している現象を上げて「信頼できる経済情報に市民の関心は高く、政府と言論が発表する情報への深い不信を反映している」と指摘した。
また「むしろ政治的・経済的利益のために経済情報を密室で独占し、市民に虚偽情報をまき散らした政治権力と官僚集団の責任を問わなければならない。政府は経済危機で引き起こされた現在の状況に責任を取る姿勢を見せろ」と主張した。
- 172 http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090124/1232743732
- 85 http://002.shanbara.jp/news/html/20090118142226/
- 45 http://d.hatena.ne.jp/shibuyan730/20090125/1232879162
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- 32 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4SKPB_jaUS298US299&q=人種論争
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