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2016-11-14 積まれた本(3)

読み終わった本は、しまわずにいったん机の上に置いておいて、感想文を書いたら棚に戻す。

ことにしているのですが、わたしはいつまで経っても感想文を書かない。だから机の上にどんどん本は積み上げられて、二列になってなお一冊も減らず、もういいかげん机の上をすっきりさせたい衝動に駆られた、まさにこの時に、ずらっとコメントで済ませてしまうことにします。

の3回目。

 『神様ゲーム麻耶雄嵩

神様ゲーム (講談社文庫)

神様ゲーム (講談社文庫)

楽しく読めるけれど、準備された結末に感激できない!でもその結末に作品の意義があることもまた理解できるので、困ってしまうなー。

ただでは終わらないところが麻耶雄嵩の良さなのでしょう。


 『ニーベルンゲンの歌』 訳:石川栄作

ニーベルンゲンの歌 前編 (ちくま文庫)

ニーベルンゲンの歌 前編 (ちくま文庫)

ニーベルンゲンの歌 後編 (ちくま文庫)

ニーベルンゲンの歌 後編 (ちくま文庫)

ドイツの一大英雄叙事詩

漢文の読み下し文のような、一詩節が四行でできている構成で、とっても読みやすい。四行を一節として、その連なりでできた物語をこんなに楽しく読めることが発見でした。


 『哲学者密室笠井潔

哲学者の密室〈上〉 (光文社文庫)

哲学者の密室〈上〉 (光文社文庫)

哲学者の密室〈下〉 (光文社文庫)

哲学者の密室〈下〉 (光文社文庫)

同じ作者の作品を読む場合、どうしたって前に読んだ作品と同等かそれ以上の楽しさを期待するものですが、前に読んだ『バイバイエンジェル』が良すぎたので、やはり超えることはなかったという感想になってしまうのが、心苦しい限りです。この作品も大変おもしろかったのに。

ただそのこととは別に。

作中の登場人物が過ごしたそれぞれの時間の中で、わたしハンナの死の前の2週間が、誰のどの時間よりも濃密で哲学的であるように感じたので、その2週間の記述がなかったのが残念でした。笠井潔の筆で読みたかった。


 『ルーツアレックスヘイリー 訳:安岡章太郎松田

ルーツ 1 (現代教養文庫 971)

ルーツ 1 (現代教養文庫 971)

著者の先祖をさかのぼって辿って、6代前のクンタ・キンテから始まる一家系の歴史をつづった作品

故郷アフリカガンビアの村から白人に連れ去られたクンタ・キンテと、彼の曾孫にあたる、闘鶏師となったトムの話を中心に、アメリカ黒人奴隷として生きることを強いられた人々の姿が書かれています。


 『長距離走者の孤独アラン・シリトー 訳:丸谷才一河野一郎

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

7編収録の短編集。

社会規範権威による犠牲が、ありとあらゆるところにあるのだということを知ることができます。どの作品主人公もおよそ賢明な人とは思えないけれど、この世界は彼らのような人たちで満ちていて、わたしたちはそれぞれに、彼らの一部を有しているのだろうと思えました。



積まれた本がなくなりました。よかった。


2016-11-11 積まれた本(2)

読み終わった本は、しまわずにいったん机の上に置いておいて、感想文を書いたら棚に戻す。

ことにしているのですが、わたしはいつまで経っても感想文を書かない。だから机の上にどんどん本は積み上げられて、二列になってなお一冊も減らず、もういいかげん机の上をすっきりさせたい衝動に駆られた、まさにこの時に、ずらっとコメントで済ませてしまうことにします。

の2回目。

 『麦ふみクーツェ』いしいしんじ

麦ふみクーツェ (新潮文庫)

麦ふみクーツェ (新潮文庫)

とってもいい小説でした。小説ポロポロ泣いたのはひさしぶりだなー。

好きな人に今年読んだ中で一冊おすすめするとしたら迷わず、これ。好きじゃない人には別の作品を考えます。


 『ジュリアス・シーザーシェイクスピア 訳:福田恆存

ジュリアス・シーザー (新潮文庫)

ジュリアス・シーザー (新潮文庫)

舞台では、シーザー亡き後の、ブルータスから続くアントニーの演説の場面が見所でしょうか。たやすく煽動されてしまう市民の姿は、いつの時代のどこの国の民にも示唆を与えてくれるものと思います。

シェイクスピア作品は何を読んでも楽しめますが、本作は政治劇というわかりやすい内容だからか、いくつか読んだシェイクスピア作品の中でも、わたしはかなり好きです。


 『アトポス島田荘司

アトポス (講談社文庫)

アトポス (講談社文庫)

971ページの長編の、御手洗潔の登場シーンを楽しみに待ちわびていたのですが、それがあまりに遅くて、出てきたときにはもう読み疲れていました。遅いよ、御手洗っ!

いくつかのストーリーが並んで進行するのですが、そのすべてに読みごたえがあるのは島田荘司の得意技。しかし、ひとつ作品でこんなに密なストーリーを読ませてもらって満腹感たっぷりなのにそれでも、石岡君がいないとやっぱり物足りないと思ってしまうのは、すでに島田荘司ファンなのでしょう。


 『暗闇坂の人喰いの木』島田荘司

暗闇坂の人喰いの木 (講談社文庫)

暗闇坂の人喰いの木 (講談社文庫)

死体が、三角屋根に跨った姿勢だったことの原因が解明されたときにはのけぞりましたけれども、そんなことある!?などと、島田荘司を読むなら思ってはいけません。書いてあるのだからあるのです。

作中に出てくるスコットランドの旅の場面が好きです。


 『結婚式のメンバー』カーソン・マッカラーズ 訳:村上春樹

村上柴田翻訳堂より。

12歳の少女の話で、わたしはこんな気持ちになったことないなーと、違う星の女の子の話みたいに読みました。あの頃のわたしは、何も見てなかったな、と思う。まあ今もですけど。


 『マクベスシェイクスピア 訳:福田恆存

マクベス (新潮文庫)

マクベス (新潮文庫)

「女の産み落とした者のなかには、マクベスを倒す者はいない。」という預言に惑わされて犯行を重ねるマクベスですが、恐れていたマクダフに「このマクダフは月たらずで母の胎内からひきずりだされた男だぞ」と言われて、殺されてしまうお話。かわいそうにね。

ジョジョの奇妙な冒険』で、弟ボインゴの預言を信じて爆発しちゃったオインゴ兄ちゃんみたい。


 『トリツカレ男』いしいしんじ

トリツカレ男 (新潮文庫)

トリツカレ男 (新潮文庫)

何かに夢中になるとそればかりにかかりっきりになってしまって、そのトリツカレ方が尋常じゃない彼が、ついにトリツカレルものが何であるかを予想できなかったのは、若さを失ったゆえであるような気がして、非常に残念でございます。はぁー。

小品ですが、やっぱりいい話。



積まれた本(3)へ続く。


2016-11-10 積まれた本(1)

読み終わった本は、しまわずにいったん机の上に置いておいて、感想文を書いたら棚に戻す。

ことにしているのですが、わたしはいつまで経っても感想文を書かない。だから机の上にどんどん本は積み上げられて、二列になってなお一冊も減らず、もういいかげん机の上をすっきりさせたい衝動に駆られた、まさにこの時に、ずらっとコメントで済ませてしまうことにします。

 『死の家の記録ドストエフスキー 訳:工藤精一郎

死の家の記録 (新潮文庫)

死の家の記録 (新潮文庫)

著者が体験した獄中生活の記録。すぐれた作家にはすぐれた観察眼があるものだと思うけれど、その証左のような作品。口を結んで対象をじっと見つめれば、これだけのことが誰にでもわかる、というものではない。

死の家の記録」というタイトルはまさにここが「死の家」であることを言い当てているけれど、同時に「生」があることも含んでいると思うことができます。

読む前は、作品の中でたくさんの人間死ぬことを想像したけれど、読み終えたあとのわたしは、たくさんの人の生きた姿だけを覚えています。


 『ハックルベリ・フィンの冒険マーク・トウェイン 訳:大久保

すごい小説です。ともかく本当にすごい小説です。読まずに死ななくてよかった。わたしが読んだ中では『怒りの葡萄』とならぶアメリカ文学の傑作。


 『生ける屍の死』山口雅也

生ける屍の死 (創元推理文庫)

生ける屍の死 (創元推理文庫)

読んだことがあるのをすっかり忘れていた作品です。読み進めても内容もちっとも思い出せなかったのに(死人が生き返るというテーマさえもよみがえられなかった)、「スマイリー霊園」という名称だけ記憶に引っかかったために、以前読んでいたことが判明しました。いったいどんな読み方をしたものか。

死人が次々に甦る世界で、殺されたのにやはり甦ってしまった青年が、死んでいることがバレないようにしながら、自分を殺した犯人探偵する、というミステリー作品

死人の気持ちになって考えてみることが事件解決の糸口になる、というところがミソですね。


 『八十日間世界一周ジュール・ヴェルヌ 訳:鈴木啓二

八十日間世界一周 (岩波文庫)

八十日間世界一周 (岩波文庫)

今年の3月骨折して入院したのですが、入院中に読むのに最適な本でした。主人公が魅力的だし、わくわくできるし、世界を巡れるし、そもそも大金賭けてるからドキドキだし、最後は「地球が味方」で気持ちいいのです。読書好きな入院患者わたしからの超オススメ。もちろん入院してなくてもオススメですけれどね。


 『ゴリオ爺さんバルザック 訳:平岡篤頼

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

たいへんに不憫なゴリオ爺さんお話です。でもそれも、第三者から見れば不憫というだけで、お爺さんにとってはそうじゃない、というところがまた不憫なのですけれど。

夫婦が仲良くするより、親子が仲良くするより、兄弟姉妹の仲が悪くないということのほうが、家族にとっては重要かもしれないと、ぼんやり思いました。


 『変身』カフカ 訳:高橋義孝

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

グレーゴル・ザムザが変身する虫は、作中の記述からわたしは巨大なゴキブリを想定したのだけれど、ひとたびそう思ってしまうともうホラー映画より怖くて、心臓が縮む思いで読みました。

ただ、すばらしい小説だということもよくわかりました。


 『にんじんジュール・ルナール 訳:高野優

にんじん、とあだ名されている男の子の話なのですが、ずいぶん酷い話で、わたし少年の成長してゆく物語想像していたから、口があんぐり開いてしまいました。

つまるところ、にんじん虐待されているのです。ただ、にんじんは「虐待されている」という認識ではなく、「お母さんに嫌われている」というような意識でいるので、嫌われていることに対する不満や怒りはあっても、虐待されていることに対するそれではないのです。だから鈍感なわたしは、「え。これ、いったいどういうはなし?」と、母親にんじんに対する虐待を、何かの冗談か、物語伏線かと思ったくらいでした。殴られたりするわけではないけれど、ずいぶん、ひどい。


 『白夜行東野圭吾

白夜行 (集英社文庫)

白夜行 (集英社文庫)

旦那さんがおもしろいって言うから読んだのに。最悪です。わたし時間をかえせー。

こんなに長い話を書いて、そこかしこに思わせぶりな謎を振りまいておいて、解答を「白い影」の一言で片付けようとしてるのがみえみえなのだ。すべての真相を明らかにせよ。

というわけで、さすがのリーダビティでございましたけれども、知りたかったことは知らされず、明らかにされると思っていたことは、ひとつ提示されずに終わってしまいました。犯人の口がすべてを語るのを楽しみにしてたのにっ!読むんじゃなかったです。あーあ。



積まれた本(2)へ続く。


2016-10-17 インドに行く前に

 『ラーマーヤナインド古典物語 河田清史


半年前に読んで、内容もなにももう覚えていないので、読んだという記録だけ。


ラーマーヤナ―インド古典物語 (上) (レグルス文庫 (1))

ラーマーヤナ―インド古典物語 (上) (レグルス文庫 (1))

ラーマーヤナ―インド古典物語 (下) (レグルス文庫 (2))

ラーマーヤナ―インド古典物語 (下) (レグルス文庫 (2))


古典物語だといわれてしまうと、中身も相当に難しいものをわたし想像してしまうのですが、「少年少女にしたしみやすく読みやすいように、詩を散文にして、童話風な物語りとしたのが、この本」と著者がおっしゃるとおり、本書は大変読みやすかったです。読みやすくしなかった場合にはいったいどのような作品なのかということはすこし気になるけれど、本書で十分と思うことにします。


インドに行くことがあったら、行く前には必ずもう一度読みます。行かなくても、また読むこともあるでしょう。


2016-09-27 頭上には空があり、足元には大地がある

 『怒りの葡萄ジョン・スタインベック 訳:黒原敏行

本当にすごくいい小説でした。


1930年代大恐慌時代アメリカ舞台に、土地を追われた小作人一家13人が仕事を求めてトラックひとつで旅をします。西へ、西へ。


現実貧困自分たちを押しつぶそうとしているとき土地や家や仲間や家族食べ物だけでなく、わずかな希望をも根こそぎ奪い取ろうとしているとき、やはりそれらを守ることはできず失ってしまうもののほうが多いけれど、それでもわずかに残っているものの、どうにか譲り渡さずにいるものの気高さが胸に迫ります。


わたしたちの頭上には空があり、わたしたちの足元には大地がある。わたしたちはその間で生まれ、育ち、最後は土に還る。シャボン玉のように空中でプワンと生まれてパチンと消えるのではないし、星のように空の向こうでいつもキラキラ輝いているのでもない。だからこそおそらく人間は欲と傲慢さを身につけたけれど、パチンと消えるのではないから歴史を紡ぐことのでき、手の届かないところで光り続けるのではないから強さと弱さを持つことになった。


空と大地の間で生きるということは、それらを思う存分発揮することだと、この一家物語を読んだら、そう思いました。


本当にいい小説でした。読むのと読まないのとでは、人生違っただろうなと思います。感佩。


2016-09-07 グレードアップ

 『地下室の手記ドストエフスキー 訳:江川卓


地下室の手記 (新潮文庫)

地下室の手記 (新潮文庫)


以前は八等官の役人だったけれど、親戚の遺言で6千ルーブリが手に入ったのを機に、さっさと辞表を出して引き篭もって、現在40歳になっている男が、地下室で綴った手記。


しちめんどくさいことがいっぱい書いてあって、わかりそうでいまいちよくわからなくて、ややこやしくて、でもその中に、びっくりするほどとてもよく理解できることがある。その「とてもよく理解できる」ときの段違いの動揺が忘れられない。だから、しちめんどくても、むつかしくても、ややこやしくても、でもやっぱりもっかい読もうと思う。そういう小説です。ドストエフスキー作品はどれもそうですけれどね。


この作品を読んで思ったことを、どうやって言ったらいいのか。いや、そもそも、わたしが感じたことはいったいなんなのか。この作品を通してわたしなりに捕らえることのできた解答がたしかにここにあるのに、この解答の姿かたちをどう説明したらいいのかがわからない、とムヤムヤしていましたが、訳者解説を読んだら明瞭になりました。それ!まさにそれ!と。「それ」であるからこそ、また読みたいのであって、もし「それ」でなければ、読んだってしかたない。


というわけで、わたし言葉にできなかった感想は、解説によって明瞭にされ、しかも全体的にうるとらグレードアップ文章提示されておりましたので、わたし自分感想文を書く気を失いました。アーメン


ちなみに「それ」が何であるかは、これから読む人のためのお楽しみです。言いたいけど。


2016-08-26 連絡通路

 『スティル・ライフ池澤夏樹

再読です。

スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)

冒頭が印象的な小説です。そしてたぶん、誰が読んだって冒頭が印象的な小説なのではないでしょうか。この作品を好きな読者なら、みんなそう思いますよね、きっと。

表題作の「スティル・ライフ」は80頁ほどの小さな短編で、センセーショナルな内容を含むわけでもなく、どちらかといえばひっそりとしたお話なのに、の割には広く読まれてファンも多いように感じていたので、なんだろうな、と思っていたら、芥川賞作品なのですね。それで合点がゆきました。この作品についてなんの情報もなく本屋さんに行って、なんとなく手にしたのが「スティル・ライフ」だったという人の積み重なりでこんなに広く読まれるものなのだろうかと、ずっと不思議だったのです。


前回感想文を書いたときにも引用しましたが、印象的な冒頭をいまいちど。


この世界きみのため存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。

世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。

きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄命の世界想像してみることができる。きみの意識は二つの世界境界の上にいる。

大事なのは山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界呼応調和をはかることだ。

たとえば、星を見るとかして。

つの世界呼応調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。

水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。

星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。

星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。(p9-p10)



初めて読んだときは、外の世界自分世界うまいぐあいに繋げることができない苦しさがあった頃(つまりは若かった頃)で、だから「なるほど」と思ったんです。そう考えればいいのか、そうして回りを見渡してみればいいのか、と。

でも月日が経って今読んでみて思うのは、わたしにはもう連絡がついたんだな、と。外の世界と内の世界との間に連絡通路があるな、と。そしてその連絡通路わたし場合結婚」だったな、と。

星やせせらぎやセミ時雨と比べると、結婚というのはなんだかロマンのない単語ですけれども、でも星を見るより、せせらぎに耳を澄ますより、セミ時雨を浴びるようにして真夏の道を歩くより、強力な連絡をつけてくれます。紙を一枚提出しただけなのに不思議なものです。

何もしなくても連絡がついているので、毎日を過ごすのはこの小説が教えてくれた通り、ずっと楽になりました。そして、何もしていないからなのか、外の世界も、自分世界も、どう繋げたらよいかからなかった頃とは、違うものになっているような気もします。以前はどっちも頑ななものだったように思うけれど、あの頃に比べると今は、外も内も、ほんわり柔くなったかもしれません。


ちなみに、上のような冒頭で始まる小説ですから、まだ読んだことのない読者は、さぞ清澄で端正な物語想像されると思いますが、そしてその通りなのですが、しかし本作品の主要部は「株で金を稼ぐ話」です。株で金を稼ぐのに、清澄で端正な小説なのです。

株で金を稼ぐ話を書いているのに清澄で端正であることが失われないのは、内と外とをつなぐ作者の連絡通路清澄で端正だからなのだろうという気がします。


2016-08-03 読んだきっかけは三月、読まないきっかけは三章。

 『三月は深き紅の淵を』恩田陸


三月は深き紅の淵を (講談社文庫)

三月は深き紅の淵を (講談社文庫)

三月に読んだのです。三月は〜ってタイトルから。何か意味が込められているなら、その月に読めば理解しやすいかなと思って。でも三月に読もうが、八月に読もうが、十五月に読もうが、得られる感想はさほど変わらなかったと思います。小説とはたいていそういうものなんですけど。


これは『三月は深き紅の淵を』という小説をめぐるお話です。あるはずなのに、どんなに探しても見つからない、『三月は深き紅の淵を』という一冊の本行方を突き止めようとするところから物語はスタートして、2章、3章、4章と、それぞれ語り手が変わりながら『三月は深き紅の淵を』を追いかけていきます。


本が好き人間にとって、「謎の本の正体を追いかける」というのは、どうせたいしたことない結果が待っているんだ、と心に保険をかけてはみるものの、どこかでわくわくするじゃないですか。どんな本だろう、本当にあるのかな、ないのかな、見つかった途端がっかりするパターンかもしれないけど「おおっ!」となったらいいな、と思って読むじゃないですか。


そう思って読んでいたのですが、わたしは第3章で、読む気が失せました。なんだってこんな酷い話を書くかな。


そのまま最後まで読んだのですが、もうどうでもいいやという気持ちになっていたので、結局『三月は深き紅の淵を』はなんだったのか、よくわからないままに物語は終わってしまいました。どなたか読んだら教えてください。


2016-05-19 自画像

 『人間失格太宰治


人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))

人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))


以前にも一度ならず読んだことのある作品感想文が、検索しても出てこなかったのには意外な気がしましたが、今ここに感想文を書こうとして、さもありなん、と納得しています。以前のわたしも同じ困難を抱えたのでしょう。


ひとりの男が堕落していく様子が、本人の手記として綴られています。この堕落を、さてわたしはどう思うのか、というところで行き詰ってしまうのです。可哀想だと思うのか、自業自得だと思うのか、親が悪い気もします、女が悪い気もします、友に恵まれなかった気もするし、周りの大人醜悪だったようにも思います。精一杯生きようとした男のようにも見えるし、自分では何ひとつ努力しなかった男のようにも思えます。この主人公をどう見るか、この主人公がどう見えるか、というのはそのまま、わたしがどれほど人間を欺いて生きているかの問いでもあるように思えて、言葉に窮してしまうのです。


主人公の葉蔵は、互いに欺きあっていながら傷つきもせず「清く明るく朗らかに」生きている「人間」を恐れています。あまりに恐れているために葉蔵もまた、周りの人間を欺いて生きています。人間への恐れから逃れに逃れて逃れられずに堕落してしまう男に「わたしは何を思うか」ということを考えると、生きることへのポジティブな意欲が奪われていきますので、やめてしまうのです。考えたってしかたない、と。そうしてやめてしまうことが、人間を欺きながら生きていくことへの肯定だとしても。


ただ拙いながらもわたし社会的な目で葉蔵の生涯を見たとき、家がお金持ちだったことが彼にとっては不運だったなと思います。東京高等学校合格して上京したときに、最初寮生活を始めるのですが、団体生活に馴染めないために、上野にある父親の広い別荘に移り住むのです。監視する人がいないので、学校さぼり気味になり、知り合った学生からは酒と煙草淫売婦質屋左翼思想を教えられ、いよいよ遊びほうけていた折りに、父親がその別荘を売り払うことを決めてしまうのです。その家にいれば仕送り以外にも一切が、近所の店からツケでもらえていたのが、急に月々の定額の仕送りだけで間に合わせなければいけなくなって、葉蔵はたちまち「金に困る」のです。酒と煙草淫売婦質屋左翼思想に溺れていた学生が金に困ったら、ろくなことにならないのはわかりきっています。わたしはここが、彼の人生分岐点だったように思います。葉蔵の内面がどれほど周りと隔絶していたとしても、葉蔵がどれほど人間を恐れていようとも、「金」という物質的な価値の扱い方次第で、社会との隔絶は避けられたかもしれないし、金とはそういうものではなかろうかと思います。


けれど、葉蔵の「恥の多い生涯」は、つまるところ「金」が原因だったと言ってしまうことは、哀しすぎる感じがします。


余談ですが、amazarashiというロックバンドの歌に「無題」というタイトルの歌があります。歌詞の中に「誰もが目を背けるような人の浅ましい本性の絵」が出てくるのですが、わたしは「誰もが目を背けるような絵」なんてあるかなぁ、と思っていました。

人間失格』の作中で、葉蔵が自画像を描くくだりがあるのですが「自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上がりました」とあります。これのことか、と思いました。「誰もが目を背けるような人の浅ましい本性の絵」は、たぶん「自画像」だ、と。


2016-05-10 友達はよくわかっている

 『完璧な病室』小川洋子

完璧な病室 (中公文庫)

完璧な病室 (中公文庫)

以前にも書いたことがあると思うのですが、わたしは「女性作家が書いた女性主人公小説」が、たいがい苦手です。「なんだこれ、きらいだな」と思うことが多いので、あまり手にとりません。でもたまーに読むのです。読まず嫌いはよくないかなと思って。


この本は、わたし友達わたし旦那サマにプレゼントしてくれた本です。わたしに一冊、旦那サマに一冊、それぞれに彼女がいいと思った本を選んでプレゼントしてくれました。わたし彼女からもらった本はずいぶん前に読んだのですが、こちらの本は、旦那サマが読んだあとそのまま本棚にしまってあって。数年経ってわたしも読んでみよー、っと手にしたわけです。


旦那サマへのプレゼントで正解だと思いました。ちっとも好きになれなかった。わたし友達わたしのことをよくわかっている。さすがです。


2016-05-09 ポツポツと降り出す雨を待っている

 『車輪の下ヘルマン・ヘッセ 訳:高橋健二

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

太陽がいつも雲のうしろに隠れているような小説です。のびやかでないし、生き生きとしていないし、押し寄せるエネルギーもないし、登場人物の足元にくっきりとした影も見当たらない。たまに光が差すと、それは月の明かりです。

でも太陽はいつも雲のうしろにあるということがわかる小説でもあります。

嵐のような強いインパクトはないけれど、降らないと思っていた雨が急にポツポツと降り出してきたときの、かすかな鼓動の速まりがあります。それは物語最初からあります。逆の言い方をすれば、雨が降り出すのを読者は心のどこかで待ちながら読むことになるのだろうと思います。鼓動が戻るときわたしたちが描いていた未来は取り戻せないところに行ってしまっています。太陽がようやく顔を出すのはそれからです。

いじわるな物語だと思うのと同時に、美しい小説だと思わないわけにもいきません。主人公のハンスは幸運子供ではありませんが、神に愛された子供であったのだろうと思うからです。

神に愛された子供であったハンスを、作者は大人にすることができなかったんだと思う。


2015-12-12 選ばれなくて正解

 『天帝のはしたなき果実古野まほろ

朝の読書習慣2015の15

天帝のはしたなき果実 (幻冬舎文庫)

天帝のはしたなき果実 (幻冬舎文庫)

「これダメかも」と声に出してうんざりしたのは26項目だったと思います。そしたらこの本の持ち主が、「じゃあいいよ、読まなくて」って言うんです。いつもはわたしが嫌がっても読ませたがるので、なんだか様子がおかしいな、怒らせたのかなと思って、「でもまだ事件が起きてないから、もう少し読んでみる」と言うと、「いや、ほんとにいいって。その本は読む人をかなり選ぶから」と。

その言葉が聞き捨てならなかったわたし

いやいや、選んでいるのはわたしで、この本に選ばれたり選ばれなかったりされる覚えはないぞ、と。


というわけで最後まで読みました。事件が始まってしまえば、「ダメかも」なところもさほど気にならずに読むことができました。

かと言って、気に入るところがあったわけでもなく。いや、ひとつだけあったのだけど、こんなに濃密な作品を読んでひとつだけ、じゃあねえ。やっぱりわたしはこの本に選ばれなかったのだと思うことにします。

選ばれないほうが、ありがたいです。

ちなみにひとつだけ、読んでよかったと思ったのは、またしても「首を切った理由」でした。わたしは首を切りたいのかな。。。。いえいえいえいえいえ!!思ったことありません!!


でもこれで、uub推薦「三大首切り探偵小説」ができました。


笠井潔の『バイバイエンジェル』は、ただひたすらに醜い首が切られ、

森博嗣の『数奇にして模型』は、ただひたすらに欲しい首が切られ、

古野まほろの『天帝のはしたなき果実』は、ただひたすらに切り離したい首が切られました。


2015-11-10 天秤は神様には傾けられない

 『鉄鼠の檻京極夏彦

朝の読書習慣2015の14

文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫)

文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫)

たくさんの登場人物を把握するのが苦手です。本を読んでいれば、そういうことも訓練されていくのかと思いきや、わたしはいっこうに改善されない。この作品でいえば、京極堂と榎木津の区別はつくけれど、関口君と今川君はつかない。鳥口君と関口もつかない。今川君と鳥口君はなんとなくわかるけれど、鳥口君ではない人が今川君かな、みたいな感覚から、それは関口君かもしれないのです。

主要な登場人物でこの有様だから、やたらめったら出てくる坊主にいたっては、てんでわからない。了稔、泰全、常信、祐賢、覚丹、慈行、などなど、どのお坊さんも明確なキャラクターを与えられて登場するのだけれど、区別できない。殺されたのがどのお坊さんだったかもわからない。あれ、この人さっき死んでなかったっけ、などと。

何人かのお坊さんが殺されます。殺され方が特徴的なので、犯行動機についても様々な憶測がなされます。でも誰を犯人だと仮定しても、また、どんな動機を推測してみても、それらは整合性がとれず不自然で、事件解決はなかなか前に進みません。役に立たない刑事たちと、思慮分別のある脇役たちとで真相に近づこうとしますが、そこはやはり、主人公に解いてもらうしかありません。京極堂の出番とあいなるわけです。

なかなか前に進んでいかない分、長編になっています。登場人物は正確に把握できませんでしたが、とてもおもしろく読めました。把握していたら3倍は楽しくなっただろうと思うと勿体ないです。ところで、そんないい加減な把握しかできないわたしにとっても、榎木津の存在感は抜群でした。彼だけは、わかります。誰にだって、わかります。榎木津すごい。


さて、少し別のことを書きます。


物語の中で、ある昔の事件真相が明らかにされるシーンがあります。当時13歳だった彼女手紙を預かったのです。手紙を渡した同級生の友人は、彼女を信頼していました。彼女なら勝手に読んだり、他人に渡したりはしないと。ところが彼女は、託されたその手紙宛名書きを見て、ある予感を抱きます。宛名は、手紙を託した同級生の兄の名前でした。実の兄への手紙が、兄さんでも、兄様でも、兄上でもなく、名前で書かれてある。彼女手紙を開封し、読んでしまいます。


それは結果的に、とても悲惨事件へとつながってしまいます。


彼女は13年前の真相を語りました。わたしは真実が語られることについて彼女の潔さを認めましたが、と同時に、彼女は自らの罪をそれほど責められるべき罪とは考えていないかもしれないとも思いました。彼女の罪と、兄妹の罪は、彼女にとっては天秤の右左で釣り合っているのかもしれないと。なぜなら、自分さえ口を閉ざしてしまえば永遠に誰にも知られることのない罪を、本当に残酷で醜いと思っていたならば、どうして告白する必要があるでしょうか。そんな勇気を人はたやすく手にいれることができるでしょうか。彼女が明かしたかった真相は、彼女の罪ではなく、兄妹の罪だったのではないか。そんなふうにも思えました。


わたしが彼女なら、兄妹の受けた報いは仕方なかったように感じるかもしれません。わたしが手紙を託した妹だったなら、彼女のしたことはきっと許さないでしょう。


天秤の右左に罪を乗せても、傾けるのはたぶんいつも人間ですね。



2015-10-13 本は読後感より読中感

 『スロウハイツの神様辻村深月


朝の読書習慣2015の13

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)


人気急上昇中の脚本家と、中高生に絶大な人気を誇る小説家と、その小説家を世に売り出した敏腕編集者と、映画監督の卵と、漫画家の卵と、画家の卵と、どこからともなく現れた美少女

の七人が、ひとつ屋根「スロウハイツ」で交わす物語

映画監督の卵が作品を認められたり、画家の卵がなんだかダメそうな男に熱をあげて出て行ったり、漫画家の卵が投稿作品をちっとも認められなかったり、脚本家恋人らしき人物ができたりと、ありていに言ってしまえば夢と恋愛に関する個々のエピソードの集まりで物語はできているのだけれど、それらはなくてもいいのではないかと思えるくらい別の話がメインです。


小説家チヨダ・コーキといいます。彼のファンを名乗る人物がインターネット自殺志願者を募り「チヨダ・コーキの小説の真似をして」、「殺し合い」の集団自殺を行い、参加者15名が全員死亡した、というのが10年前の事件事件後、チヨダ・コーキは小説が書けなくなり、何も食べられない、眠ることもできない、抜け殻のような生活を過ごすことになりました。

その頃の千代田光輝は死にたかった。

そんなときにある少女の投書が新聞掲載されます。「わたしはチヨダ・コーキの熱心なファンですが、生きているし、人を殺そうとも考えませんでした」と。「チヨダ・コーキの小説は決して人を殺したりはしない」と。事件直後から新聞社毎日届けられた128通にもなる手紙は、一心チヨダ・コーキの小説自分を救ってくれたことを訴えていました。

千代田光輝は少女に会いたい、と強く願います。そして見つけ出す、その、物語です。


映画監督の卵が作品を認められたり、画家の卵がなんだかダメそうな男に熱をあげて出て行ったり、漫画家の卵が投稿作品をちっとも認められなかったり、脚本家恋人らしき人物ができたりという夢と恋愛に関する個々のエピソードの集まり、は、その物語とはなんの関係もないし、さらには、彼らがひとつ屋根の下で暮らす必然性もあまり見つかりません。お風呂トイレが共同だという設定なのに、誰も一度もお風呂トイレで出くわすシーンがないことに違和感を覚えてしまうのは、そのシーンがないから、というだけではなくて、そもそも「ひとつ屋根の下暮らしている空気」が感じられないからかもしれません。たとえば、自室にいても廊下を誰かが歩く音が聞こえてきたり、住人の誰かが部屋に帰ってきた気配に気がついたり、元気がないな、とか、様子がおかしいな、とか、生活上の癖とか、嗜好とか、食べ方とか、座り方とか、そういう「誰にも何も言わないようなことだけれど、一緒に暮らしているとわかってしまう」というのがなくて。あったのかもしれないけれど、伝わってこなくて。


もうひとつ


わたしが感じた別の大きな違和感は、新聞に投書を続けた少女が、チヨダ・コーキの小説と出会ったときの話です。


新しい学校でできた友達に、少女は何一つとして自分の話ができなかった。笑ってあたりさわりのない話をすることにも疲れてしまい、徐々に一人で過ごすことが多くなっていった。

その時になって、ほとんど初めて、図書館を使ったのだ。それまでは望むものは全部母が買ってくれていたから、本を借りたことなんかなかった。少女が通った祖母の家近くの図書館には、ビデオDVDの貸し出しサービスもあって、ヘッドフォンをつけてそれらを観られるスペースもあった。無差別に本を読み、映画を観て、少女の頭はスポンジが水を吸収するような速さでそれらを飲み込んでいった。作者の名前ジャンルにこだわらず、ただただ夢中でそうするうち、ある時、気付いたのだ。

文庫でも、ノベルスでも、ハードカバーでも、ある作家のものを読んだ後に、心に深い影響が残ること。ただ感動することもあれば、泣きたいほど切ない気持ちになることもある。考えさせられ、悩み続けることもある。それがハッピーエンドか、アンハッピーエンドかどうかすら関係なく、読後感がめちゃくちゃいい。

それに気付いてからは、その作家名前をきちんと覚えて、その人の本を追いかけようと思った。それがチヨダ・コーキだった。


この何行かは、わたしにとっては大きな違和感でした。


図書館無差別に選んだ本の数冊が、同じ小説家作品である可能性は、はたしてどれくらいなのだろうか。この文章からは、少なくとも3冊は読んでいることになると思うけれど、図書館無差別に選んだ本のうちの3冊が、同じ作家のものだったという偶然は起こるだろうか。でもまあそれは起こったのだとして。起こったのでしょう。「ただ感動することもあれば、泣きたいほど切ない気持ちになることもある。考えさせられ、悩み続けることもある。」なるほどそういう本はあるでしょう。しかしある作家のすべての作品感想が「読後感がめちゃくちゃいい」なんてことは、はたしてあるのだろうか。でもまあ、それもあったのだとします。あったのでしょう。でもわたしは腑に落ちないのです。いろんな作家のいろんな本を夢中で読み続ける少女の最大の感想が「読後感がめちゃくちゃいい」ということに。少女はたくさんの本を読んでいます。無差別に選んだ本の数冊が同じ作家作品になるくらいたくさんの本を読んでいます。それほどたくさんの本を読んだ少女と本との最高の出会いが「読後感がめちゃくちゃいい」ということに、わたしは違和感、というよりはもう、反発を覚えるのです。たくさんの本を読んだら「自分気持ちを代弁してくれていることに驚いた」り、「あまりの文章の美しさに鳥肌が立った」り、「主人公の悲しみに喉をつまらせた」り、「発狂するほどの興奮を覚えた」り、いくつものさまざまな経験があるはずです。そういう読書を通しての「経験」が「読後感がめちゃくちゃいい」という感想に取って代わられるとは、どうしても思えなくて。


共同生活違和感と、そうした反発が、わたしにとって作品全体を「作り物めいた」風にしてしまったので、千代田光輝が死にたかった話も、彼のために128通の手紙を書いた少女もやはり死にたかったという話も、誰かが作った話としてしか読むことができませんでした。


でもそんな、ほとんど言いがかりみたいな文句をつけなくてもいいじゃないか。とは思うんですけどね。



2015-08-22 舞姫より、雁

 『雁』森鴎外

朝の読書習慣2015の12

雁 (新潮文庫)

雁 (新潮文庫)


読んだあとに時間が経ち過ぎてしまって、感想文が一行しか思いつかなかったのでもう一度読み直しました。もう一度読み直したら、一回目よりもさらにおもしろかったので、読み直してよかったです。


時代明治13年。大学生岡田と、高利貸しの妾になったお玉との静かな出会いが、岡田と同じ下宿屋に住む友人「僕」の回想形式で綴られます。


なんてことはない話なのです。岡田が通る散歩の道で、少し寂しい感じのする家の格子戸を開けて入っていく女と目が合い、そのときはそれだけで忘れてしまったけれど、次また同じ家の前を通ったときにふと思い出して目を向けると、女の顔が窓にあって、岡田を見て微笑んでいるのが見えた。以来、岡田がその家の前を通るときに、女の顔を見ないことはない。岡田はとうとう、女は自分の通るのを気をつけて待つようになったのだと判断した。そしてある日、窓の前を通るときに帽を脱いで礼をした。寂しい微笑みの顔は、華やかな笑顔になった。それから岡田はきまって、窓のお玉に礼をして通るようになった。


この小説は、お玉を想うようになった岡田の話、というよりもむしろ岡田を想うようになったお玉の話、といったほうが当たっていると思います。それまでが取り立てて自己主張のなかったお玉が、岡田を知って、だんだんに、ひとり生きていく強さのようなものを備えていくのがわかります。恋をして夢中になっているというだけではなく、本来の明るさを取り戻していくような、そういう様子が描かれているようにわたしには見えました。ただ残念なことには、このふたりはなにも展開しないのです。岡田がお玉を助けるような場面があるのですが、外面的にはそこがふたりいちばんの接近で、それ以外はなにも起きないのです。最後まで岡田は、お玉の前を礼儀正しく通り過ぎるだけでした。


展開してほしかった。という惜しさが強く印象に残るのは、名作の所以ですね。


高校で『舞姫』を読まされたとき森鴎外が嫌いになったけれど、でも「森鴎外が好きだって言えたらちょっとかっこいいかも」と思っている人にオススメです。