アートブックフェア
先日、THE TOKYO ART BOOK FAIRというのに行ってきた。予算がないので何も買うまいと思っていたのに、写真と印刷が奇麗で前から欲しいと思っていた『CHAMBER of CURIOSITIES』(上田義彦、赤々舎)が少し安く出ていたので、我慢できず買ってしまった。サンプル用に使われてた本だったので、ダメ元でもっと値切ればよかったかな……なんて。
もともとあまり時間がなかったから、ざっと会場を散歩した程度だったし、英語が苦手なので表紙に日本語がない本はスルーしてたら、あっという間に見終わった。アートブックフェア、初めて行ったけど、ほとんど洋書売り場みだいたったな。なんかいびつな感じがした。日本語ってそんなにカッコ悪い?
嘉瑞工房twitterクイズ
絶滅寸前の活版印刷だけど、最近関連本の出版が続いている。そんななか、欧文の活版印刷で有名な嘉瑞工房の高岡昌生さんによる欧文書体「twitterクイズ」が始まった。
新装版『欧文活字』(高岡重蔵、烏有書林)についている栞(昌生氏が活版印刷)で使用した欧文活字の書体を、嘉瑞工房HPの書体見本帳の中から推理し、その書体を選んだ理由も答える、という難問だ。「正解の方へは当社(嘉瑞工房)の活字ポストカードをプレゼント」とのこと。応募方法とヒントはこちら→嘉瑞工房twitterもしくは嘉瑞工房News。締め切りは7月7日。
また、7日から御茶ノ水の美篶堂で嘉瑞工房フェアが始まるとのこと。
そういえば、今週木曜からは東京国際ブックフェアも始まる。アップルストア銀座では小林章さんのセミナー、それに参院選もある。忙しい週末になりそうだ。
『欧文活字』
風の歌を聴きながら
長らく戴きっぱなしで不義理をしていたので、本の紹介を。
東瀬戸サダエ著『風の歌を聴きながら』は、以前紹介した『シナプスの笑い』のラグーナ出版が昨年11月に出版した単行本で、45年前に統合失調症を発症し、22年間にわたる病棟生活をおくった著者の「自伝的随想、短歌集」だ。
本の帯には、
統合失調症は私の財産/人生とは最後まで生きぬくこと
発病して45年。いまや古希を迎えた著者が、22年間の病棟生活や、ともに生きた人々の姿を温かな視線でたどる。生の根源から生まれた情感豊かな短歌を織り交ぜ、生きる希望をこころにともすメッセージ。
とある。精神病院での生活やそこで出会った人々との交流を描いているのだが、もちろん楽しいエピソードばかりではない。統合失調症に対する周囲の偏見、それを隠そうとする一部の親類など、他人事として読むぶんには思わず憤りを感じるような話もあったが、いざ自分が当事者(その親類)の立場であったら、どう接することができるだろうかと、色々考えさせられた。
いくつか、印象に残った短歌を紹介してみる。
わが病二十六歳に始まりぬ手首の傷も固く締まりぬ
兄たちの命けずりし銭金をわれは賜はりけふを生き継ぐ
いたつきの姉のつめを切り揃ゆ曲れる指は労働のあと
割れるなき病院食器あらひつつ瀬戸物茶碗に食べたきものを
わが周り二重三重に施錠さる鍵持つナースしやばへの番人
重きもの負ひて行くごといにしえの人の言ひたるごとくありしも
そして、著者の家族の手記の中で引用されていた歌。
わが生の夫なき子なき何をししあかき生理も終わりに近し
ただし、この本には悲しみばかりが詰まっているわけではない。随所にカラッと乾いた明るさ、状況を笑い飛ばすユーモアがあるのは、鹿児島という南国の土地柄かもしれない。いつも最後の最後にたくましく立ち上がってくる楽観性に救われる。あとがきで「病気からいろんなことを学びました。長い入院中、まず明るい人の所に人が集まります。そして笑いが絶えません。」と語る著者は、本文の最後にこう書いている。
人生の終焉が近づくにつれ、こんな人生でよかったのか?と思うことがある。いつも結論は、最後まで生きぬいてみないとわからない、ということだ。
人生とは最後まで生きぬくこと。
安吾忌2010
今年も安吾忌に出席し,終電が終わったあとお開きになったので,とりあえず御茶ノ水の事務所に。暇なので更新してみる。
例によって安吾忌の詳細については坂口安吾デジタルミュージアムかさいとうさんのブログでどうぞ。
今年のゲストは桐生出身のフラメンコダンサーの方とギタリストだった。生でフラメンコを見たのは初めてだったけど,とてもよかった。動きと旋律にちょっとイスラムの雰囲気も感じたけど,実際影響あったのかな? 私にとっては,フラメンコギターが抜群によかった。見入ってしまった。あんなの弾けたら楽しいだろうな。
安吾カルトクイズでは,新体社版(昭和22年)の『吹雪物語』を入手。会場には『吹雪〜』の初版(昭和13年)も展示されていて,組版を見比べてみようと冒頭のページをめくってみると,初版で「一九三×年のことである。」の伏せ字部分が,新体社版では「一九三三年のことである。」となっていた。再版にあたって安吾本人が伏せ字部分を補筆したためだと思われる。これについてけやき書店の佐古田さんと,登場人物のモデルとされている矢田津世子が昭和19年に亡くなっているので,最初はあったなんらかの差し障りがなくなったのかも,なんてことを話した。
二次会で松之山商工会の高橋主計さんと話したときに,以前松之山に行ったとき(松之山探訪の巻)都会だと感じた信号機(安吾忌2007)が,実は小学生に信号というものを理解させるための,いってみれば教材用のものだったことを教えていただいた。たしかに信号機というシステムを若いうちに理解することは重要だ。私の母なんか信号機の存在自体に気づかず,今でも平気で赤信号を,それも自動車で渡ってしまうことがあってヒヤヒヤする。
さて,朝まで何をしよう。もう仕事はしたくないし,寝るにも布団はないし。会社のHPでも更新するか。作りかけの新しいスタイルシート(深夜バージョン用)でも完成させようかな。