組織論というほどのものでもないけれど

数年前から、仕事以外に必要に迫られてあれこれとやっていることがある。
具体的になんだというのは避けるが、必要さ半分とボランティア半分か。

その組織は1年ごと、長くても数年単位で担当なりメンバーが変わっていくので、メンバーの大半が新人な状態が常だ。そうなるとその集まりや会議の運営は一部のベテランやコアな活動が出来る特殊なメンバーが担っていくことになる。

その結果どうなるか…

その会議は一部のコアメンバーとそれ以外のメンバーに二極化し、コアメンバー以外には「誰が何について議論しているのかさっぱり解らない」状態に陥ってしまう。それでも運営が回っていくのは、基本的には前例の踏襲だけでも、危機的状況に陥ることがないからだ。
これが会社の経営とかってんなら円熟期に向かっていくのか、凋落してくのか…みたいなことになるんだろうが、この手の組織(だからどういうのかは聞かない)の場合は、先細りこそすれ、消えてなくなることは稀だ。

そんな組織も、昨年末にちょっとした危機が訪れた。
一部メンバーの退会だ。
簡単に言ってしまえば、この組織にコミットし続けていくことに意義を見出せなくなったということのようだ。

僕は「あぁ、こうやって終わっていくんだな」と思った。
恐らくは組織を立ち上げた時には、高尚な…というと嫌味だが、それなりに高い理想を持っていたのは容易に想像がつく。しかしそうした理想も、年数を経て、メンバーが入れ替わっていくに従い、次第に忘れられていったんだろう。
最初に、定期的に入れ替わるようなことを書いたが、もちろん、ン十年(もしくは十数年)もいるベテランもいて、彼にしたらそうした高い理想も「当然のこと」だし、「知っていて当たり前」のことだ。

「そんなこと、言わなくても判るだろう?」

いやいや、言わなきゃ判らないよ。

二年ほど前だったか、当時組織を卒業した人が、当初の理念が失われたことを嘆くメールを投下した。残念ながらそれは痛烈なパンチにもならず、少なくとも僕個人からのいらぬ反論メールを呼び込んだだけだった。
「そんな理想があったなんて、初めて知りました」とストレートに書いたかどうか、既に記憶にない。

組織や会議の意義や目的を確認しないまま参加し続けてきた新しいメンバーの責任もある。
だが本当にそれだけか?
「当たり前」や面倒くささを理由に、説明を怠って来たベテランメンバーにも責任はないのか?

ここ二年ほどで導いた結論の一つが…

「"いつも通り"は組織硬直化の合図」

ってところか。


完全にとっちらかった。