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2007-06-10 「幻想」の効用

[]「幻想」の効用

なんか、つながってきた。

私は、「『本当は』人は全ての瞬間にベストを尽くしている」という意見に賛成なので、「本当は、こうなりたかったのに」の「本当」は、本当でなく「ありもしない仮定」となってしまいます。

http://d.hatena.ne.jp/u_1roh/20070601/1180715130#c1181240672

これは先日のエントリ 「好きを貫く」ために必要なのは「能力」よりも「ビジョン」とか「戦 - カタチづくり で貰ったコメントの一節。すぐに返答が出来ず、このコメントがしばらく頭をぐるぐると回っていた。

で、これが昨日書いたエントリ。

先行するのは「生き方」であり、「本当の自分」というのは「生き方」が発されたことの事後的効果として生じる幻想である。

先行するのは「行動」であり、「意思」は幻想である - カタチづくり

これに対しては別の方から次のコメントを頂いた。

ただ、世の中を成り立たせるためにはおとぎ話(幻想)も一定の役割があるというのも事実です。常識と言われる概念は、客観的かつ冷徹な事実ではなく、共同体を維持するためのお約束の塊みたいなものですから。

http://d.hatena.ne.jp/u_1roh/20070609/1181395802#c1181472348

つながってきた、ような気がする。

そう、「『本当は』人は全ての瞬間にベストを尽くしている」。だから、「本当は、こうなりたかったのに」の「本当」は「幻想」に過ぎない。

でも、人は幻想を信じる生き物だ、と思う。「俺はまだベストを尽くせていない」という幻想を信じる。「自分はもっとやれたはずだ」という幻想を信じる。だから明日はもっと良くしようという力が湧いてくる。だから未来を作れる。過去の幻想を未来の現実に昇華できる。

幻想と現実は相補的な関係なんじゃないか。幻想と現実がブートストラップして歴史が紡がれるんじゃないか。幻想と現実という2本の糸をより合わせるようにして人は生きているんじゃないのかな。

だから、「幻想でいいじゃない、信じれば」って思った。

ぽせぽせ 2007/06/10 21:31 すごく興味深い思索で感心します。自分自身、最近あまり内面を掘り下げるようなことをしていなかったので、とても刺激になりました。
ところで私も「『本当は』人は全ての瞬間にベストを尽くしている」というコメントを拝見してすぐに意図が読めなかったのですが、ライプニッツのモナド論と似ているということに気づきました。世の中は全体として一番ましな状態であるというような説で、その部分を予定調和説と言います。

ぽせぽせ 2007/06/10 21:34
> 「幻想でいいじゃない、信じれば」って思った
応援歌とかの類の流行歌の世界観ですね。世の中で俗に見えるものでも、先人の試行錯誤の集大成なんだと気付かされます。

matsumotomatsumoto 2007/06/11 00:52 なんか最近のエントリは心に響く。
すばらしいですね。

>「本当の自分」というのは...幻想である。
→うっ、そうだったのか。

あとちょっと前のラッキョウを丸ごとかじる話とかね。
これからも心に響く話、期待してます。

u_1rohu_1roh 2007/06/11 10:11 コメントどうもです。恐縮です。ただグダグダと書き連ねていることが心に響くだなんて、恐縮極まりない。
モナド論、Wikipediaで調べてみましたが、さっぱり分かりませんでした(^^; やっぱり哲学は難しい。精進精進。
# なにやらPVが20000を超えたようで m(_ _)m。まあキリ番なんてたまたま指を10本持っている人類(哺乳類)の幻想に過ぎないわけですが。

FujiwoFujiwo 2007/06/11 16:43 >でも、人は幻想を信じる生き物だ、と思う。「俺はまだベストを尽くせていない」という幻想を信じる。「自分はもっとやれたはずだ」という幻想を信じる。だから明日はもっと良くしようという力が湧いてくる。だから未来を作れる。過去の幻想を未来の現実に昇華できる。

同意します。

でも、「俺もお前もベストを尽くしてきた、ということを何の疑いもなく素直に信じられる」ということが未来を創ることだって、有って良いと思いません?

私は、そうして真に自分を信じられるところから未来が語れれば (仮定)、それは、「自然体でやりたいことをやる=未来に向かってベストを尽くす」ということですから、(そちらも) 素晴らしいと思います。

FujiwoFujiwo 2007/06/11 17:43 「今此処」という考え方があるそうです。人生は「今此処」を生きるものだ、という考え方だそうです。過去や未来の幻想に捉われることなく、現実を生きる、ということだと思います。

私は、この「今此処」という考え方は、けして夢を持って未来を作ることを否定するものではなく寧ろ逆なのではないか、と想像しております。

u_1rohu_1roh 2007/06/11 18:37 > でも、「俺もお前もベストを尽くしてきた、ということを何の疑いもなく素直に信じられる」ということが未来を創ることだって、有って良いと思いません?

はい、そうですね!強く同意します。
うまくいえませんが、両方の考え方が同等に重要な気がします。相補的だと思います。

ぽせぽせ 2007/06/12 00:31 ちょっと面白いことに気付きました。私のコメントが引用されている部分で「お約束」がキーワードとしてリンクされているのですが、そこから関連事項として「予定調和」がたどれるようになっています。

予定調和説はあまりにも抽象的で分かりにくいのですが、ライプニッツが微積分の確立にも関わっているように、実は物理学的世界観とも関係しています。そのため哲学ではなく物理的な面から説明してみます。

唯物論を突き詰めた考え方で、「ラプラスの魔」はご存知でしょうか?アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って量子力学を批判しましたが、そのアインシュタインが想定している決定論的世界観を突き詰めたものです。ある瞬間の宇宙の全粒子の状態を把握すれば、その後の状態(=宇宙の歴史)はすべて計算できるというような世界観です。

決定論的世界観はかなり恐ろしいもので、未来(=運命)は決まっているということから厭世観をもたらします。世界史にも出てきた宗教改革のカルヴァンの予定説は、決定論的世界観に基づいた上で「神」を持ち出して厭世観を払拭しようとしたものです。ですが哲学的・宗教的な意味付けを持ち出さなくても、決定論的世界観は量子力学の不確定性原理により否定されています。

不確定性原理は、ある瞬間の粒子の位置と運動を正確に観測することはできないということです。これは観測精度の問題だと誤解されやすいのですが、実際にはそうではありません。観測するまで何も決まったものはなく、粒子の振る舞いは確率的にしか予測できないという原理です。観測した瞬間に状態が決定されることは「波動関数の収束」と呼ばれていて、この考え方自体は「コペンハーゲン解釈」と呼ばれています。なぜそうなのかは誰もわかりませんが、実験結果と矛盾しないため、標準的な理論だとされています。

それで予定調和説ですが、これは決定論的世界観です。同一の初期状態が与えられれば、誰が計算しても同じようにその後の運動状態(=宇宙の歴史)は導かれます。何億年ものシミュレーションをしても、完全に同一の歴史が展開されます。つまり初期状態と運動の法則さえ決まれば、それが宇宙のすべてということです。Aという観察者(=モナド)とBという観察者に初期状態と運動の法則を与えれば、それ以後AとBに何の関わりがなくても、AとBが観測する宇宙は同じ歴史をたどります。この場合の初期状態を神が与えたとするのが予定調和説で、初期状態の定義以外はAとBが干渉する余地がないことから、「モナドに窓がない」という表現がなされます。そこから唯心論の哲学が展開されるわけです。これを踏まえてモナド論を読めば、何か新しいことが見えてくるかもしれません。

長々と書いてすみませんでした。私としては予定調和説が正しいかどうかはあまり興味がなくて、その世界観から導かれる考え方が、何かのヒントになればそれで良いと考えています。何かの参考になれば幸いです。

u_1rohu_1roh 2007/06/12 10:19 ラプラスの魔とか不確定性原理はこの程度↓の知識なら、まあなんとか、って感じです。
http://d.hatena.ne.jp/u_1roh/20070127
http://d.hatena.ne.jp/u_1roh/20070204

コメントだけ読むと予定調和とラプラスの魔は似ているように感じますが、ニュアンスは違いそうですね。ラプラスの魔は差分法によるシミュレーションっぽいのに対して、予定調和はポテンシャルエネルギー最小の解を収束演算で解くイメージ?

ぽせぽせ 2007/06/12 13:10 うわ!釈迦に説法でしたね。お恥ずかしい。。。イメージ的にはそういう感じで良いと思います。

それにしても関連分野が怖いほどシンクロしていますね。次の一手に期待しています。

ぽせぽせ 2007/06/12 13:15 ちなみに量子力学などをベースにモナド論を再構築した理論を日本人物理学者が発表しています(「唯心論物理学の誕生」で検索すると本がでてきます)。ただ、これは観測問題に対する解釈の理論で、新しい法則の予言ではありません。小沢の不等式のような知的興奮は味わえないかもしれないので、お勧めというわけではないですが、モナド論を非決定論に組み替えている部分は、興味があれば面白いかもしれません。

FujiwoFujiwo 2007/06/13 15:26 私としては予定調和説はとりません。
# なので、私の「『本当は』人は全ての瞬間にベストを尽くしている」の意図は、予定調和説とは無関係です。

私の「今此処で自然体でやりたいことをやる=未来に向かってベストを尽くす」という考え方は子供の頃に両親との関係からそう思い到ったものですが、最近、(あくまでも想像に過ぎませんけれど) どちらかというと仏教の考え方に近いものかも知れないと仏教の本を読んで思うことがあります。

ぽせぽせ 2007/06/14 01:13 私が突っ走って申し訳ありません。Fujiwoさんの思想が予定調和説と同じだと考えているわけではないです。私がどう感じたのかを書いてみます。

Fujiwoさんの思想を拝見して「寝たり遊んだりサボったりしている瞬間もベスト?」と疑問に思いました。ひょっとすると無意識に「生きている」ことを前提に考えているのが違うのではないかと思い、「死」も含めた「すべての瞬間」に推測を広げました。生死も超越すると生物・無生物の壁も消滅するので、宇宙全体に拡張できそうです。そうなると「今の宇宙の姿は最善である」という予定調和説に似ているのではないかという結論を得ました。

この私の推測はデタラメなんだと思います。補正するためもう少し詳しくお話を伺えれば幸いです。仏教に近いということですが、「唯識」「縁起説」あたりが関係ありそうな気がします。

FujiwoFujiwo 2007/06/14 07:22 >「寝たり遊んだりサボったりしている瞬間もベスト?」
勿論そうです。「サボっている」というのは、「見方の問題」で「在り方の問題」ではないと考えています。

余り関係ありませんが、先日禅の本を読みました。経を唱えたり座禅したり滝に打たれたりすることが仏教の修行だと考えているかも知れないがそれは間違いで、「毎日労働し、食べ、排泄し、眠る」それこそが禅だと書いてありました。
# 禅のことはよく判りませんけれど。

FujiwoFujiwo 2007/06/14 07:46 「人は何時死ぬか判らないが、何時死んでも問題ないので、死ぬことを恐れる必要もない」という心境の人がいると聞きます。想像に過ぎませんが、「未来や過去に捉われることなく自然体で今を生きる=ベストな生き方」と考えているような気がします。「生きた結果が重要なのでなく、生きるプロセスが重要」のような。

# (本人にとって)「生きた結果」なんてものはないのかも知れません。レンズや鏡で作られる虚像のようなもので。

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