川はどっちに流れている?

僕は福耳コラムが大好きでよく読んでいる。このエントリも面白いので興味のある人は全文をどうぞ。

製造業企業の方、それも理系の男性技術者の人って、これは企業規模とあまり関係なく、一般的傾向として「デスバレーを川上から技術で越えようと」されますでしょ。でも、みんながそれをするからそもそもそのみんながいる場所が「デスバレー」に事後的になるんじゃない?「デスバレーを川下から文化(つまり技術用途、技術の目的)から越える」アプローチ」について、いろいろ考えたいですが、技術開発論はたくさん論じられているが、文化開発論ってないよね。

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070621/1182405258

このエントリの本題ではなくて、ちょっとした表現に引っかかった。「川上」とか「川下」という表現が使われてるけど、あれ?川ってどっちに流れてるんだっけ?

多分ここでの使われ方は、供給側が川上、一般消費者が川下、ってことでしょう。供給側から一般消費者に向かって製品がドンブラコと流れていく川がある、というわけだ。

しかしだ、なぜかソフトウェア開発では川の流れは反転するよね。上流工程といえば要求分析や仕様検討、下流工程といえばプログラミングだ。上流に顧客、下流に技術がいる構図となる。顧客から技術に向かって要求・要件がドンブラコ、ってわけ。

で、どっちにもデスバレーがある。ニーズとシーズの間に溝がある。どうしてだろう。

やっぱ、川の流れをどちらか一方向に決めた時点で、なんかマズイんじゃないか、って気がするよ。最近になって僕が抱いているイメージは、川じゃない。ニーズとシーズの間の「どこか」に水がこんこんと湧き出る泉があって、ニーズ側とシーズ側が協力してその泉を探し当てないといけないと思うのだ。
つまり、上流はニーズとシーズの間。ニーズとシーズのインターフェイス。探求すべきは、インターフェイスなのだ。


※ 実はコラムを読んだ時点では「デスバレー」という言葉を知らなかったので、ググってみた。
デスバレー | 日経 xTECH(クロステック)