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2009-05-05

[]消滅つつある日本のCAD開発史

「ググッて見つからないものは存在しないと同じ」

そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

かつて日本の自動車メーカーは、各社が独自のCADを内製していた。ふとしたきっかけで、これらインハウスCADの歴史を調べようとしたのだけれど、これがさっぱり見つからないのだ。少なくともインターネット上では、これらインハウスCADは「存在していない」。

海外CADはソフトウェア会社によって開発されているのでその会社の沿革を見れば割と簡単に歴史を知ることが出来る。しかし自動車メーカーのインハウスCADは、各自動車メーカーの内部でプロジェクトが立ち上がり、内部で使用され、内部でひっそりと姿を消している感じだ。その歴史は決してネット上に出てくることがない。この事実に僕は軽いショックを覚えた。

インハウスCADを調べようと思ったきっかけは、この記事。

日本の半導体産業はどこで負け組みに転じたのか。

結論から言うと、半導体設計支援ソフトの開発で負けた時に、もう勝敗は決していたのだろうと思う。


当初、日本の半導体メーカーはどの会社も、半導体開発のためのソフトを自前で開発していた。これをある時期から大半をアメリカ製に頼るようになった。何でもかんでも自前がいいというつもりは無いが、なぜここで負けたのか、という点には、反省すべき点が山ほどある。この戦いで勝てないのに、他人のふんどしよろしく購入したツールで勝負しようなどと考えたのが甘すぎたんじゃないのか。

日本の半導体産業はどこで負け組みに転じたのか - しんたろサンの日記

これは自動車業界の内製CADの状況とそっくり同じといっていいと思う。今のところ日本の自動車業界は負け組みではないけれど、CADに関しては完全に海外製に席巻されている。(この大不況で、自動車業界全体が負け組みの様相ではあるけれど)

トヨタ自動車が内製の「統合CAD」を捨てて CATIA と Pro/ENGINEER に移行すると発表したのが2002年。ちなみに僕が新卒で3次元CADの世界に飛び込んだのが2001年だ。当時、各自動車メーカーのCADの選定に関して盛んに議論されていた記憶がある。

どうして日本のインハウスCADは海外製に駆逐されてしまったのか。僕はこの答えに興味がある。そして、この答えを探るにはある程度は歴史を紐解く必要があるだろうと思っている。なのに、その歴史がネットに見つからない。

とりあえず、ここでは僕が知る限りのことを書いてみたいと思う。この辺りの歴史に関する僕の知識は皆無といってもいいくらい少ないもので、とても偉そうな記事を書ける立場にはないのは十分承知している。けれども、待っていたところで誰か詳しい人がネットに情報を上げてくれることは、あまり期待できない。というわけで、恥さらしは承知で少々書き綴ってみることにする。

特異点は1980年代

まず海外を見てみる。調べ始めてすぐ分かったのは、1980年代がいかにCAD史において重要な特異点であったか、ということ。

19803Dモデリング機能を搭載した最初のUnigraphicsがリリース
1981Dassault Systems 社設立
1982SDRC社、最初のI-DEASをリリース
1984ボーイング社が Dassault の CATIA をメインCADとして採用
1985PTC社設立
1988PTC社、最初のPro/ENGINEERをリリース

1980年代に主要なハイエンドCADがすべて出揃っていることが分かる。おそらく競うように3次元CADが開発された、熱い時代だったのだろう。3次元CAD時代の幕開けだ。

さて、当時日本の状況はどうだったのか。

僕が入社したアルモニコス社の設立は1984年。特異点たる1980年代真っ只中に設立されている。アルモニコスの最初の仕事は三菱自動車のインハウスCAD「MERIT」の開発だったと聞いているから、日本の自動車メーカーにおいてインハウスCADの開発が始まったのも同じ時期なのだろう。

つまり、日本は出遅れていないのだ。この時点では、日本はまだ負けていない。

日本のインハウスCAD

僕の知る限りのインハウスCADを並べてみよう。これらのほとんどは僕は聞いたことがあるだけで、実際に見たり触ったりしたことがあるCADはごく一部。

統合CAD、ケーラムトヨタ
ESPRiヤマ発
MERIT三菱自
SCADスズキ
ARS、RAMホンダ

・・・間違っているかもしれない。間違っていたらごめんなさい。なにせググっても出ないので確かめようがない。

このリストを書いていて一つ思い出したことがある。以前、ATI(だと思う)のグラフィックボードの設定画面には主要なCADソフトのリストがあり、どのCADに最適化された設定にするかを選ぶことが出来た。そのCADソフトのリストの中に、名だたるハイエンドCADと肩を並べて、ヤマハ発動機のESPRiがあったのだ。これを見たときは仰天したが、要するにそれだけの存在感をESPRiは持っていたということなのだろう。これら製造業のインハウスCADは海外事業部にも展開されていたから、相当な本数が世界に出回っていたはずである。(ちなみに、たぶんESPRiはまだ現役で使われていると思う。たぶん。)

そして驚くべきことに、日本のインハウスCADの多くは「CADEL系」と呼ばれていて、そのアーキテクチャがほぼ共通なのだ(上に挙げたCADすべてがCADEL系なのかは僕は知らない)。これはおそらく1970年代と思われるが、当時の日本IBMがCADELというCADの基盤技術を開発していて、そのアーキテクチャをオープンにしたらしいのである。たぶんソースコードは公開していないのだが、アーキテクチャや設計思想の部分をオープンにし、基本構造はコピー(真似)されても構わないという判断をしたようだ。これが契機となって各自動車メーカーにおいてインハウスCADの開発プロジェクトが幕を開けたと思われる。

・・・うーん、実にあやふやな情報で申し訳ない。この辺りはだいぶ前に会社の上の人に聞いた話なのであまり正確なことが分からない。どなたか補足していただけるととても嬉しい。

さて、要点をまとめてみると。

  • 日本のインハウスCADの多くは、ほぼ共通したアーキテクチャの上に構築されていた
  • 特定のCADプロダクトが市場を占めることはなく、共通の設計思想を基盤として各社が独自にCADを内製した
  • 日本のインハウスCADもかつては相当な実力を備えていた

CATIAも元はインハウスCADだった

CATIAはフランスのDassault Systems社が擁するハイエンドCADだ。Dassault SystemsはCAD業界の中で最も成功している巨大企業である。そして、各ハイエンドCADの中ではCATIAが最も日本の事例に近いのだ。

CATIAは、もともとDassault Aviationというフランスの航空機メーカーが内製したインハウスCADであった。その開発部門が分離独立してDassault Systems社となったのだ。そのCATIAが飛躍した契機は次の2つと思われる。ひとつはCATIAがボーイング社に採用されたこと、もうひとつはIBMと提携したことだ。

CATIAの出自は、他のアメリカのハイエンドCADとは大きく異なっているように思う。アメリカ企業はいかにもアメリカらしいパターンで成功している。まず尖った技術者たちがベンチャー企業を興し、そこに有名企業が出資したり買収したり、あるいはベンチャーキャピタルから大きな資金を得たり、というパターンだ。このパターンは日本ではちょっと想像できない。これに対して、CATIAは航空機メーカーの内製CADからスタートしている。この成功パターンは日本でも十分に起こりえるものではなかったか。

なぜ日本のインハウスCADはCATIAになれなかったのだろう?

情報求む

なぜ日本のCADは敗れたのか。いくつか勝手な思索を巡らすことはできる。

  • CATIAのチームは分離独立したが、日本の内製CAD開発チームは分離独立しなかった。その理由は、当時の日本の終身雇用制度と関係しているだろうか。当時の開発チームには、分離独立して成功したいというモチベーションは発生しうるものだったのか。
  • 「バブル時代」から「失われた10年」にかけて、CADの開発状況はどうだったのか。
  • 製造業として強くなりすぎたことが、逆にCADを強く育てられなかった原因になってしまった、という可能性はないだろうか。
  • ゼネラリストを育てるローテーション人事のような日本的経営においては、プログラマも入れ替わりがあったはず。このことはCAD開発チームのプロジェクト運営にどう影響しただろうか。
  • 製造業において、ソフトウェア開発部門の地位や立場は、他の部門と比べてどうだったのか。

しかし、何か結論付けるにはあまりにも情報が足りない。いや、いくら情報を集めたところで結論なんて出ないのかもしれないけれど・・・。

まあともかく、情報をお持ちの方がいらっしゃればぜひぜひ、色々と教えてくださいませ。

JunMitaniJunMitani 2009/05/06 00:57 大変興味深いテーマのエントリですね。是非とも続報を楽しみに待ちたいと思います。

ネットで検索した限りでは、あまり情報が見当たらないですね。
それぞれの歴史はわかるかもしれませんが、その背景となると、当時を知る人に聞かないと難しいかもしれないですね。
ちょこっと検索しただけですので、あまり参考にならないかもしれませんが:
http://merc.e.u-tokyo.ac.jp/mmrc/dp/pdf/MMRC161_2007.pdf
http://www.yorozubp.com/0011/001106.htm
http://www.microcad.co.jp/STEP/01_History/ch02.html
http://www.cadhistory.net/chapters/13_IBM_Lockheed_and_Dassault.pdf

データ互換のための規格「STEP」との絡みもあったりするのかな?
http://www.ecom.jp/reports/h11jecals/report9.pdf

u_1rohu_1roh 2009/05/06 12:47 JunMitaniさん:
とても参考になる文献リストを、ありがとうございます。いくつか開いてみましたが、とても興味深いですね。
しかし、「続報」は書けるかどうか・・・(苦笑

sanonosasanonosa 2009/05/06 15:33 はじめまして。興味深く拝見しました。

唯一の国産ソリッドモデルカーネルであるリコー社のDESIGNBASEも昨年遂に販売を終了してしまい、確かに日本のCAD開発は衰退していっている気がします。だたDESIGNBASEの主要技術者が立ち上げたベンチャー企業であるラティステクノロジーがまだ生き残っていて、XVL技術はむしろ世界中のCADに広がっていっている気がします。

http://lattice.co.jp/ja/

トヨタも使っているようです。

http://www.designnewsjapan.com/news/200409/15cad_lattice040914.html


あと3次元CADではなく2次元ですが、フリーソフトであるJW-CADなんかは建築分野でまだまだ広いシェアがあるみたいですね。

u_1rohu_1roh 2009/05/06 16:45 コメントありがとうございます。
DESIGNBASEって、昨年まで販売が続いていたんですね。知りませんでした。
ご指摘の通り、XVLは有力な技術ですね。詳しいことは知らないのですが、確かグレゴリーパッチという曲面表現方式を使用することでデータの軽量化を実現したんだと思います。違ったかなー。

・・・えーっと、国内の現在進行形の技術については、軽々しく実名では書けませんので、ここでは扱いません(笑)
私もこの業界のプレーヤーですので、過去においても未来においても、競合になったり提携したり、なんてことがありうる立場でございます。今回も「歴史」であれば構わないだろうと思って、問題ないと判断したことだけ書きましたが、予想外にブクマを集めてしまってちょっと焦っているところであります。現在進行形の事情についてはこのブログでは扱いませんのでご了承くださいませ m(_ _)m

higammahigamma 2009/05/06 19:55 ブックマークのほうにもコメントを残したのですが、80年代ですとスーパー301条の影響を受けたというのはないでしょうか。

特にCADとかに詳しいというわけではないですがこの年代のソフトウェアと輸出というのを考えるとスーパー301条というのを思い浮かべるのですが。

u_1rohu_1roh 2009/05/06 22:07 >301条
TRONが影響を受けた、といわれているヤツですね?
うーん、どうでしょう?そのあたりは私は全く知らないことですので、何か情報をお持ちの方がいれば教えて欲しいです。しかし私が思うに、輸出云々の以前に、CADの販売で儲けたい、というモチベーション自体が自動車メーカーにはなかったんじゃないでしょうか。自動車メーカーの商売は自動車を売ることであって、CADを売ることじゃないですから。
つまり、CAD開発チームが分離独立しない限り、CADを国内海外を問わず売り込みたい、というモチベーションは発生し得ないと思うのですね。そういう分離独立が日本ではあまり起こらなかったわけです(←トヨタケーラム社がどのような経緯で発足したのか私は知らないので、CADチームの分離独立に当たると考えてよいのか判断がつきませんが・・・)。これは何故なんだろう、というあたりが気になっています。

sleeping_bullsleeping_bull 2009/05/06 23:30 昔に3DCADシステムに関連した仕事をしていたので、タイトルにつられてしまいました。

80年代に、国産の自動車・バイクメーカーの持つ3DCADは、そのメーカーや実質的子会社の範囲にとどまっていたと思います。スピンアウトしても、競合に勝ち、商売が成り立つような土壌はなかったのではないでしょうか。独立系とは言えませんが、日立造○の Gradeはよく売れていたような気がします。海外のメーカーのソフトウエアの方が、技術的には進んでいたという印象がありますが、真偽にほどは確かではありません。

u_1rohu_1roh 2009/05/07 10:53 sleeping_bull さん、興味深いコメントありがとうございます。
確かに子会社の範囲にとどまっていたという印象を私も持っています。スピンアウトするような土壌もなかったんだと思います。日本にいると、それが当然自然だよね、という気もします。しかし、CATIAはスピンアウトしてボーイング社に採用されるという離れ業がやってのけました。どうしてCATIAにはそんなことができちゃったのかなー、というのが不思議です。
日立造○のCADは、私のような若造は小耳にはさんだことがある程度です。優秀なソフトだったのでしょうか。うまくやれば世界に羽ばたける可能性もあったのでしょうか。

tueda_wolftueda_wolf 2009/06/30 11:17 おもしろいですね。そういやCAD関係の活動は全然聞いたことがありません。

戯 2009/08/01 14:16 こんにちわ。
彼ら喋らないですねえ。
ただ、「彼ら」はべつに日本に限らないなあとも思っています。

一緒にならないかも知れないけど、
自分が以前さわってた、国産じゃなく舶来の某PDM系ソフトの「技術的な」ネタは、
なんぼぐぐっても全く得られなくて往生した記憶が沢山あります。
セールストークと買収ニュースについては散々見つかるんですが(www

まあJava言語やC言語のソレと比べるのは可哀想といえばそれまでなのですが、
カスタマイズしたりアプリ作ったりするときに情報が足りなくて
かなり困ったし、できたものが破綻しちまった場面も実のところしばしば有ったし。

ただ、そのPDMソフトについて個人的に思うことを言うならば、
たとえばそれ(十数年の歴史があるようです)が内部でデータを永続保持するときの仕組みが、
今Webアプリとかで散々騒がれてるO/Rマッピングの「最新鋭の」やりかたにソックリだったりするので、
そういう技術ネタを当時から外へ晒していれば、
今頃その開発元は世界を牛耳れていたのかな、とも思わないでもないです。

(興味の無い市場だから手を出さなかっただけ、かも知れませんが)

ワークフロー管理とかもWebのヒトらは今頃騒いでいるみたいですが、
PDMだと大昔から普通だったみたいですし。
まあなんだかなと。



>軽々しく実名では

ということは裏返せば、情報があまり出てこないのは、「今現役のプレイヤーさん」がまだまだ多い、ってことなのかな?

u_1rohu_1roh 2009/08/02 20:29 戯さん、コメントありがとうございます。
情報が出てこないのは、国内では業界が狭すぎるからでしょうね。国内の同業社同士がみんな何らかの形で知り合いだったり商売敵だったりで、社名を挙げなくても内容を書けば簡単に特定されてしまうと思います。

toyotoyo 2010/02/06 23:01 長年、建築3D-CADの開発をやってます。
MS-DOSの頃から開発しています。今は2次元はJW-CADが主流になり3次元はCGが中心になってます。状況としては長年変わらなかった建築基準法が阪神淡路大震災で改正され、その後に耐震強度偽装で家を建てるときの確認申請がやっかいな状況になり建築業界衰退でCADが購入希望者は多いけど購入予算がない状態で販売数が減少しています。
JW-CADは元々東京都職員でパソコン好き3人が趣味で開発しフリーソフトで出してそれに出版社が同調したのが始まりです。
JW-CADが出る前は建築2次元CADはDRA-CAD当時30万くらいがトップでした。
3次元CADもメガソフトが出したマイホームデザイナーが建築業界でブームになりヒットしてCADソフトにCG機能が標準のようになってしまった状況です。
よろしければ私の開発製品をご覧下さい。
http://www.spaceyu.co.jp/

mentor_chowmentor_chow 2011/12/29 10:11 MERITの開発者本人Mさんから最近この記事の話を聞きました。
私はCADELの開発者本人です。
Mさんは情報求むにお答えするにはとてもブログのコメントレベルの内容では済まないのでコメントしてないと言ってました。確かにそうです。
でもあなたのような若い人が知りたいことについて何らかのかたちで纏めておくことは我々の責任だと思います。
時間がかかるかとは思いますがトライしたいと思います。

1つだけ。
なぜインハウスCADが使われなくなったか?という疑問への1つの答えは、製造業のグローバル化が上げられます。昔のように国内のグループ企業だけでモノを作っていた時代はインハウスCADを全ての下請けに使わせることが出来たのですが、グローバル化によって仕入れ先がグループ企業以外にも広がり、そういう企業にインハウスCADを使わせると納入コストが高くなってしまうという問題があるからです。

u_1rohu_1roh 2011/12/29 12:18 開発者本人の方からコメント頂けて大変嬉しく、また驚いております。ありがとうございます。
また、私のような若造が推測だけで書きなぐった文章ですので、開発された本人様からすれば見当違いや的外れな部分も多々あったかと思います。
グローバル化の指摘には納得です。しかし仮にそのインハウスCADが性能がよく、また仮に配布方法にも工夫があれば、インハウスからパッケージソフトとして飛躍できた可能性もあったのではないだろうかなどと思うこともあります。つまり私の疑問や興味は、何故CADソフトは完全に欧米に席巻されてしまったのか、何か戦略的に決定的なミスが過去にあったのだろうか、その反省には何か次に活かすべきものがあるのではないだろうか、といったものになります。しばしば「日本はソフトが弱い」と聞くのですがCADの過去を振り返るとスタート時点では日本が特に出遅れていたとも思えず、何が結果を分けたのかその原因がきになるのです。
とはいえ、今とは時代が違いますし、偶然という要素もあるでしょうし、これだという決定的な原因があるわけではなく色んなことが複合的に起こった結果なのかなとも思いますし、こういった疑問をぶつけることが意味の有ることなのかどうかも最近は自信がないのですが・・・。

xxxx 2012/05/02 23:20 30年も前の話です。日本の自動車企業の大手で金型を作るためのCADは、ユニシスと共同開発していました。そのころCATIAは設計CADで、3Dモデリングでは、使い物にはなりませんでした。その頃、金型を作るには、木型や樹脂で形状を作り複製して金型を作っていました。CADの発展で、デザインデータから金型をダイレクトに加工できるようになり、ものづくりの進化が達成され、世の中にCADも普及し始めると、インハウスCAD開発も下火になったように思えます。

u_1rohu_1roh 2012/05/07 10:59 xx さん、コメント有難うございます。
30年前にCADを開発されていたということは、この業界の大先輩に当たる方なのですね。そのような方からコメントを頂けて大変嬉しく、ありがたく思います。
昔は木型から金型を作っていたという話は、少しだけ聞いたことはあるものの詳しいことは全く分からず、とても興味深いです。また、設計データから金型を直接加工できるようになったことがインハウスCAD開発が下火になった契機というお話には、なるほど!と思いました。

CAD好きCAD好き 2012/07/02 21:47 トヨタの統合CADは、CADCEUSベースですね。

あと、マツダのインハウスCADは、GNCシリーズです。
ホスト時代に GNC、GNC2 と開発され、EWS版の NewGNC へ引き継がれました。

97年ごろ NewGNCの開発は終了し、マツダ基幹CADは I-DEAS へ移行を開始しました。

ojin56ojin56 2014/02/04 01:08 1980年後半、三菱自動車には「ダビンチ」というシステムもあったと思います。
1980年頃は日立のGRADASが各社に共同開発を持ちかけ、スズキのSCADもGRADASベースで
開発されていたと思います。クーンズ方程式が使われていたと聞いています。(間違っていたらごめんなさい)
1980年前半は東大のGRADE(といったと思います)がコマンド群だけで配られていたり、
SurfaceとSolidでデータがつながっていなかったりと混沌としていました。
80年代中頃、CATIAの解析用モジュールとして最初のI-DEASがOEM名でオプション販売されていました。
80年代後半に電気業界もCADシステムの開発競争を行い、SONYのFRESDAMやSharp「のちにMEBIUS]なども自社開発の
CADを外販していました。シャープは韓国企業にも販売していたと思います。
90年前半にSurfaceとSolidを融合したHybridCADと言う言葉がでてきました。
CAD/CAMの展示会では日立造船、NK-EXA、アンドールなど造船、鉄鋼などの大手企業から新興の
IT企業まで日本の開発メーカーがしのぎを削っていました。
日経CGのバックナンバーを見るとそのあたりの推移がわかると思います。

トヨタ系列のCADはUNYSYSが開発に加わっており、UNICADという名称で外販。
東大の穂坂教授の方程式(穂坂式)を利用したUNICAD-SORIDを80年代後半に開発。
近畿車輛が初代の「300系のぞみ」の開発設計に使用したと言うことでニュースになりました。

u_1rohu_1roh 2014/02/04 14:15 丁寧なコメントありがとうございます。
いやはや、恥ずかしながら私のような若造には全く知らないことばかりです。
しかし2009年に書いた記事にこうして未だに情報が集まってくる(コメントを頂ける)ことに嬉しい驚きを感じています。

けんぼーけんぼー 2015/12/19 15:03 はじめまして。25年ほど前に数少ない国産CADメーカで新製品のリリースおよび営業担当をしていました。インハウスCADを何故商用化しないのかといったような記載もあったので、疑問に思いました。が、私が属して居た会社のCADは国産初の商用CADを開発した会社だと聞いております。主なラインナップに建設、電設、土木CADがありました。ただ、私が従事していたころに業界はすでに斜陽に入っていました。聞いたところによると、一時、東南アジアでも使用してもらい売り上げが100億を超えていたとのことでした。私が従事していた頃は、すでに売り上げが数分の一になっておりました。
その当時、大きな競合相手はAutoCADでした。お客様のところに行くと、いつも弊社のCADかAutoCADかでした。ところが有るときから、さっぱり売れなくなりました。そして、1年くらいで見る見る間にAutoCADが業界標準となってしまいました。

勉強のためAutoCADもつかってみましたが、タイピングコマンドベースで非常に使いにくい。CAD自体の設計概念も国産のCADと異なっており、またドキュメントも一部英語で取っつきにくい。それに対して、手前味噌ですが弊社のCADは非常に使いやすく何故AutoCADが売れていたかさっぱりわかりませんでした。ついでにいうと私個人が一番使いやすいと思うのはJW_CADですが(笑

営業当時は売れないのがなぜだかわかりませんでしたが、退職後にあることをきっかけに理由がわかりました。実をいうとあるときから官公庁が納品物を中間ファイルなどのDXFでもなくAutoCAD形式で指定していたのです。(化け防止のためかはわかりませんが)そのため官公庁に納入する設計業者は、建設、電設、その他を問わずAutoCADを使わざるを得なくなり、AutoCADに切り替えていったのです。ご存じの通り、官庁関連の予算は非常に膨大で、これらの仕事でAutoCADファイル形式を指定されてしまうと、ほとんどの業者はAutoCADを買わざるを得ません。商用CADは主に建設、電設、土木が下支えしていたので、それらの業界が海外勢に駆逐されると当然、市場規模の小さいその他の特殊CADも斜陽せざるを得ないのは容易に想像できます。

つまり、戦犯は官公庁です。本来、日本のCAD産業を下支えするべき行政が外国製を標準としたのです。

AutoCAD形式が官公庁での納品形態となったその後は雪崩をうったかのように国産CADメーカがつぶれていったのが理解できました。

では、その当時、なぜ国内で使いにくいAutoCADのファイル形式が官公庁での標準納品ファイル形式になったのかがわかりませんでした。その当時は、互換性や汎用性の高さから選ばれたのか、もしくは官公庁営業のノウハウがある者がいてたのか位にしか思っていませんでした。

先ほどの記事でスーパー301条の話が出ていましたが、真偽はわかりませんが、時期的にもしかしたらそれで官公庁がAutoCADを選んだのかもしれませんね。301条関連で当時モトローラ社からセルラー社が携帯電話の通信設備を8000億ほど買いましたが、携帯電話設備業界はNECとNTTドコモが独自のデジタル式トランシーバフレームを投入してその後改良して他のキャリアも巻き込んで今も生き残っています。携帯電話関連市場とCAD市場は規模が違い過ぎるにもかかわらず、同じ政策をしたら、当然つぶれますよね。全ては、外圧に負けた官公庁の政策が原因で、国産商用CAD業界がつぶれて(現実にはかなり規模を縮小して細々とはやっていますが)、海外製商用CADに日本国内市場が牛耳られて、その後このブログの主題である 半導体業界の斜陽へとつながったのではないでしょうか。

では、なぜ、官僚=政策が劣化したのか、、、
この手の話題になると、全ては戦後教育によるものが根をなしているものだと私は常々考えています。この議論は又長くなるのでこの辺で。

u_1rohu_1roh 2015/12/22 14:23 長文のコメントをいただきありがとうございます。官公庁がAutoCADを標準にしたというくだり、大変興味深く拝読しました。
お寄せいただいた情報は2次元CADですよね。私は暗黙に3DCADを前提として書いていましたので、その点はやや対象範囲が違いましたが、しかし興味深い内容でした。もちろん憶測も含まれている内容かと思いますので「真偽は分かりませんが…」という留保は必要かとは思いますが。
最後に、ややお返事が遅れたことをお詫びいたします。

TT 2016/03/06 03:39 数年前にケーラムを作った人からその話を聞きましたが、忘れてしまったので断片だけで申し訳ないのですが、当時グローバルでCADの陣営が2分していて、ビッグ3だったか、CAD選定の多数決みたいな感じでよそがダッソーならうちもダッソー、といった感じで決まったようです。どこのメーカーも一番いいCADを使いたいし、多くのメーカーが使うCADの方が改善が進むので。あと、トヨタのケーラムエンジニアはわざわざダッソーまで出向いて、ソフトウェアの改善の指南をしたと言っていました。あと、トヨタが欲しい機能を全部、機能追加してもらっていたようです。※CADに詳しくないので色々間違っているかもしれませんが

あと、トヨタで使っていたCADはケーラムではないようです。というか、トヨタで使用していたCAD(ケーラム)の小型版が(一般に販売している)ケーラムのようです。おそらく前者はUNYSYSと作っていたもので、後者は、後者もUNYSYSかもしれませんが、トヨタではなくサプライヤー向けのCADです。※CADに詳しくないので色々間違っているかもしれませんが

TT 2016/03/06 04:07 2chのスレに↓コメントを発見しました。先程のケーラムを作った人の話と総合的に判断する必要がありますが・・・。

30 :こんな感じだったような:02/11/10 03:36 ID:U1dB2WQY
確かにケーラムはトヨタの内製CADですね。
トヨタが儲けようとして作って下請けに売ったんです。でも、使えない・・・。
取り扱いデータの精度が悪すぎ!で、最近ヨーロッパへの企業展開を考えたトヨタは
ケーラムに変わる3DCADを選定していてギリギリまでUGだったそうです。
でも、ヨーロッパはCATIAだから・・・・。でCATIAに決定!!
現在は使い始めでまだちゃんと機能してないんじゃないですか?
今、ケーラム使っている部署はデータの下請けとの取引に必要なとこだけと聞いていますよ。
どちらにしろ、下請けもトヨタ社内もそのうちメインはCATIAになると思います。
確かそんな経緯だったと思うけど。話元に戻しちゃいましたね。すみませんm(._.)m

TT 2016/03/06 13:02 トヨタイズムを支える「トヨタ」情報システム (B&Tブックス)
上記の書籍のP130にこのあたりの記述がありました。

・CADETTが社内の各分野に広がり、ボデーメーカー以外へもデータ受け渡しが発生
・関連会社にCADを入れる際にトヨタと同じものはシステム規模、価格的に無理
・これまで蓄積したCADETT、TINCAの技術をもとにEWS型の小型で廉価のケーラムを開発し提供(1986年)
・トヨタのシステムは部署ごとに個別に作られていたが、21世紀に入り張社長の指示で自社で利用する情報システムの世界統一を進めることになった(全体最適化)
・コスト削減のため、SE部門を分社化
・開発や維持コストの削減のため、パッケージやERPの導入を進めた(CADに限らず人事、会計システムなど全部)
・CADはグローバル展開のため、欧州系自動車メーカーの多くが使用しているCATIAに変更(2002年)

u_1rohu_1roh 2016/03/07 09:46 Tさん、コメントありがとうございます。
自動車メーカー各社がハイエンドCADの選定で盛り上がっていた頃に私はこの業界に入りましたので、書き込んでいただいたような情報は私も耳にしていましたね。その頃は業界に入ったばかりで状況はよく分かっていませんでしたけれども(^^;
※ トヨタが使っていたCADは確かTOGOという名前だったかと思います。

ノリオノリオ 2016/05/03 14:44 断片的な情報ですが、幾つか知っていることを記します。
1)'80年頃、日産の設計センターに仕事で訪ねたことがあります。IBMのグラフィック端末を1000台以上入れていて、インハウスのCADで設計しておられました。責任者の話では、その日産CADかCATIAかをIBMが選択して、販売すると言う話しが出ていると聞いた覚えがあります。IBMがどの程度日産CADを本気で採用検討していたのかは解りません。
2)今、主流のSOLID MODELER ですが、世界で最初にこの概念を提唱し、実際にソフトウエアを研究開発したのは、当時北海道大学教授だった沖野教郎先生です。一時かなり広く世界的に使われていたようですが、大学中心の開発で、商用化と言う面では、資金力と豊富な人材を集めやすい後発の欧米ソフトウエア・ベンチャーに負けてしまったと言う印象が在ります。

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