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2017-01-01 謹賀新年 このエントリーを含むブックマーク

あけましておめでとうございます。

本年も言叢社を宜しくお願い申し上げます。

 

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2016-08-05 《新刊》角田忠信著『日本語人の脳』のお知らせ このエントリーを含むブックマーク

角田忠信著 『日本語人の脳』 ― 理性・感性・情動、時間と大地の科学

 

 

日本語人は持続母音と虫の音を言語脳のある左半球で受容する。

ところが、現代の言語理解の基準となってきた欧米言語学では、言語基盤にある母音の感性・情動性が理解できない。著者はこの差異に科学的に最初に気づいた。

半世紀にわたって、日本語人の心性、情動のありようを追求してきた、齢90歳に近い著者による畢生の論文集。

 

●本書の著者・角田忠信博士の学説は、発表当時、多くの人たちの関心をひき、高い評価を得ながら、専門家たちからは批判あるいは無視され、葬り去られてきた。著者が提唱した「日本人の精神構造母音説」は、さまざまな誤解をふくんで流布したが、絞りこめば、たった一つの、著者による実証的事実から出発したものだ。

●たった一つの実証的事実とは、欧米語を母語とする人では、持続母音(自然母音)は言語脳が位置する脳の左半球優位では受容されず、右半球優位で受容される(この実験をおこなったのは、著者ではなく米国研究者である)。言いかえれば、欧米言語では、持続母音(自然母音)は「欧米言語の音声範疇」には入らない。子音―母音―子音といった音節としてまとまって、母音が「音声範疇」の中に入った時だけ、脳の左半球優位で受容される。

●一方、日本語を母語とする日本語人では、持続母音(自然の母音)がそのまま「日本語の音声範疇」に入るため、即座に脳の左半球優位で受容される。日本語人以外で、持続母音を「言語の音声範疇」とする言語系は、著者が確認したところでは「ポリネシア諸語」以外には今のところ見当たらない、という実験実証に過ぎない。

 また自然音、たとえば「虫の鳴き声」を、日本語人は「日本語の音声範疇」と同じ領域の地平で受けとめているが、欧米語人では「雑音」として右半球で聞き取ったり、鳴いていても聞き取れないことが多い。

●著者が提唱した「ツノダテスト」については、厳密な追試の探究がなされずに毀誉褒貶を惹き起こしてきた。しかし、著者の探究は一貫した真理の探究だったことに疑いはない。ツノダテスト以外の方法による実証としては、菊池吉晃氏による脳波と脳磁図(MEG)を用いた実証だけだったが、本書では巻末に掲げたように、著者の子息・角田晃一氏(東京医療センター感覚器センター部長)ほかによって、作動時の脳内血流変化の測定にもとづく新たな実証がおこなわれ、国際的な専門誌Acta Oto-Laryngologica, 2016にその論文が掲載された。これにより、著者の日本語母音論は追試による基礎的な証明を得ることとなった。

 

【主な目次】

序にかえて―私の研究の歩み

本書を読むにあたって

第一部 日本語人の特質―左右脳の非対称性と脳幹スイッチ機構

1.脳の感覚情報処理機構からみた日本人の特徴と今後の脳研究の方向

2.人の脳の非対称性と脳幹スイッチ機構の意義

3.ツノダテスト、新法の開発⑴―打叩する位置によるツノダテストの検討

4. ツノダテスト、新法の開発⑵―脳の機能差をめぐる最近の動向と脳の加温法について

5.左右脳と和洋音楽

第二部 日本語人と脳の情動性

1.ヒトの嗅覚系、情動脳、自律系の非対称性について

2.性機能の脳のラテラリティ

3.脳で行われる自他母音の自動識別について

4.自他識別機構の研究―「母の声」、「母の視線」の優位性

5.脳センサーから見出された新しいシステム

6.脳センサーの反応から推測される時代の変革

7.人脳センサーによる地殻歪みの評価と予期せぬ知見

8.人の脳の非対称性と脳幹センサーの意義―四〇・六〇系、十八日系

第三部 人の脳にある生物学的時間単位と脳センサー

1.人の脳にある正確な一・〇〇〇〇秒の時間単位

2.人脳に見出された生物学的基本時間単位一秒の意義

第四部 対話と反論

1.脳の中の小宇宙―驚くべき脳センサーの話(対話者 峰島旭雄氏)

2.不思議な日本人の脳と日本語の力―われわれの美意識はどこから生まれたか(対話者 林秀彦氏)

3.『日本人の脳』への誤解をとく―P・デール氏への反論

おわりに

【最新報告】Acta Oto-Laryngologica掲載論文の要約

(角田晃一氏ほか)

角田忠信著作目録

 

【著者紹介】

角田忠信 つのだただのぶ(1926〜)

東京府中野区生まれ。1949年東京歯科医専卒(東京医科歯科大学の前身、耳鼻咽喉科)。

1951年に同大学助手、1957年に講師、同年に「鐙骨固着度の検出法」で東京医科歯科大学にて医学博士

1958〜70年、国立聴力言語障害センター職能課長。1983年、東京医科歯科大学難治疾患研究所教授。

1986年、『脳の発見』で日本文学大賞(学芸部門)受賞。1990年東京医科歯科大学名誉教授。

 

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既に書評が発表されておりますので、掲載いたします。

 

 

東京新聞書評2016年5月29日

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週刊読書人書評2016年7月8日号

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詳しい内容は言叢社ホームページをご覧ください。

リンク→404 Not Found

 

 

2016-08-01 『ジョイスの罠―『ダブリナーズに嵌る方法』書評 このエントリーを含むブックマーク

言叢社が本年2月に刊行いたしました『ジョイスの罠―『ダブリナーズに嵌る方法』書評が掲載されましたので、ご紹介いたします。

 

 

前田耕作書評週刊読書人2016.04.22日号

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※栩木伸明氏書評図書新聞

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ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

 

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●読者からの感想文(編集部あて)

 『ジョイスの罠』を拝読させていただいた者でございます。 79歳の老人です。とてもすばらしい本でした。スリリングな本であり、ジョイス入門書であり、かつ、出門書であったと存じます。五度ほど、くり返し拝読させていただきました。ありがとうございました。秀抜な研究書であると存じました。もちろんわかったなどとは申しません。私は言叢社なんて、本屋さんがあるとは知りませんでした。しかし、驚嘆したことは、確かでございます。ありがとうございます。

 編者のおふたりを除かせていただくと、第五章「レースの後」、第十五章「死者たち(一)」が印象的でございました。第八章「小さな雲」も。これが、五回拝読させていただいた“私の三点”でございます。どちらかと云うと理系体育系であると思っていますので、遺憾と思われるかも知れませんけれども。しかし、After the Race は、英文も読んだのですけれど、この第五章の筆者には、ほとほと読むたびに、感動したことを率直に申し述べさせていただきたく存じます。数学的といいましょうか。音楽的です。みごとです。「はまった」かどうかは、私自身にもわかりませんけれども。ケレン味のない叙述と存じました。このひとは何かがある。安い本ですね、学術書としては。ありがたいことです。御清栄を祈念します。失礼しました。ごめんください。           

                           2016.4.11 T.H.再拝

索引も入念につくられているようです。

○『インドヨーロッパ諸制度語彙集I・供戮呂垢个蕕靴い發里任瓦兇い泙靴拭

 もう三十年以上も前になりましょう。東京大学の広い25番教室でバンベニストの講演を聴いたことがあります。受講者は、20名ほどだったという記憶がございます。英語でなされたと思います。

○冗語をかさね失礼をいたしました。いわゆる妄言多責です。お許し下さいますように。

 

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ご丁寧な感想文を寄せていただき、ありがとうございます。

著者や編集者の励みとなります。

言叢社では周辺分野の出版物も刊行しておりますので、ご高覧いただければ幸いです。

 

 

2016-02-25 《新刊》 『ジョイスの罠―『ダブリナーズに嵌る方法』 このエントリーを含むブックマーク

《執筆者だより》

 

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法』の執筆者お二人から文章を寄せていただきました。

 

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

 

 

〈読者共同体〉の片隅に        小林広直

 

昔々、といってもせいぜい十年くらい前のことなのだけれど、学部で最初に受けた授業の 先生が、「異化 (defamiliarization)」という文学理論を解説しながらこんなことをおっしゃっ た――「まあ、こういうのがわかるようになるには、十年くらいかかりますねぇ」。

受験勉強における効率性に追い立てられ、何とか文学部に入れてもらった十八歳の私は、 その言葉に魅了された。いや、ほっとしたという方が正確かもしれない。そうか、十年も時間 をかけていいんだ。学部の一年生がいじましく抱えていたそれまでの常識や自明性を、悉く しかも淡々とした口調で打ち破ってゆくその先生の姿は、私の脳裏に鮮やかな一枚のタブローとして刻まれている。タイトルを付けるならば、「文学の世界にようこそ」とでもなろう か。

とはいえ、ジョイスを読むためには、もちろん十年では全く足りない。私のような平凡な 才能の者にとっては、まるまる三百年あっても足りない気がする。それ故、その後またして も流されるがままに博士課程に入り、ジョイス協会が主催する『ダブリナーズ』の勉強会に 参加したとき、私は「文学の神様」(というのが仮にいるのだとすれば)から、二度目の歓待 を受けた。ジョイスの世界にようこそ――。

ジョイスに魅了された諸先生、諸先輩方が一堂に会し、文字通り一行ずつ各短篇を読んでゆくその勉強会は、本当に刺激的だった。ひとつの人生では到底読み切れない作家を、曲がりなりにも読めるようになる方法は、ただひとつ、集って読むしかない。知恵や経験を持ち合って、それでも尚上下関係の枠組みを超えて、忌憚のない意見を言い合う。そうして多様に開かれた、しばしば「答え」の出ない幾多の読みが、そのテクストの豊かさを雄弁に物語っていたのは言うまでもない。

本論集『ジョイスの罠――『ダブリナーズ』に嵌る方法』は15篇すベてを扱った日本初の論集であるが、「序」や「あとがき」にあるように、出発点は研究会であり、さらにはピア・リーディング手法を採ることによって、誰もが他の執筆者の恩恵を受けているという、その 「互恵性」の深さにおいても日本初なのではないか、という気がしている。

ジョイスの代表作『ユリシーズ』(1922)についての有名な言葉に、「『ユリシーズ』を読むこ とはできない、できるのは再読することだけだ」(Joseph Frank)というものがあるが、これは もちろん『ダブリナーズ』にも当て嵌まる。ひとつの言葉が、時には短篇全体の持つ意味を覆 してしまうほどに、私たちは再読の度に、それまでの作品理解が更新されて行くのに立ち会 う。まさしくそれは見慣れたもの、知っていると思っていたはずのもの(familiar)が、見慣れ ないもの(strange)になるという「異化」体験に他ならない。

川口喬一が名著『「ユリシーズ演義』のあとがきで述べているように、ジョイスを読むことは、ジョイスについて書かれたものを読むことでもある。勉強会での議論を含む、膨大な「先行」研究との果てしない対話の中で、自身の作品解釈の幅が常に揺れ動いていることを誰もが体験する。本論集でも繰り返し参照されたドン・ギフォード (Don Gifford) の注釈書は もちろん、数十冊の先行研究、版ごとに異なる註や数種類の邦訳、当時のダブリンの写真集 などを机に山と積んで、私たちは勉強会に臨んだ。たとえ、今あなたが一人で机の前にいる としても、外部の別のテクストを常に誘導するジョイスの作品にあって、そこにはささやか な〈読者共同体〉が誕生している。

研究者は往々にして、原文で読まなくてはわからない、ということを言ってしまいがちだ (だって苦労しているから)。まずは翻訳でいいのだと思う。そして一篇毎の全体像が見えたら、翻訳と辞書と上述の参考書などを脇に置いて、原書をゆっくり味わって読むのがいい。そう、時間をかけていいのだ。効率性というスピード狂ばかりが跳梁跋扈する現代社会にお いて、況してや人文学不要論が囂しい昨今の日本にあって、わからないこと、立ち止まるこ と、繰り返し読まずにはいられないこと、すなわち〈ハマる〉ことは、どんなにわずかであれ 私たちの自由を担保している。小説であれ、詩であれ、映画や音楽、演劇やマンガであれ、あらゆる文学作品は、長い時間留まったその世界から離れて、ふと周りを見回したとき、これ までとは異なる世界に私たちを連れ出してくれる。そして、ジョイスの作品には、あなたが変わることを通じて、その様相が確実に変わり得るだけの豊穣性と複雑性が常に約束されている。

ジョイスの罠』は最先端の「研究書」であることを目指した。それ故に、さらなる「ジョイス=難解」というイメージが流布してしまうかもしれない。しかし、それは本書の望むところではない。私たちは(なんて若輩者の私が言っていいのか、とは思うけれど)、ジョイス、 あるいは「文学の神様」に呼びかけられ、呼び止められてしまった者として、言い続けたい―― 「ようこそ」そして「これからもどうぞよろしく」と。

あなたの机の上に広げられた『ダブリナーズ』の〈読者共同体〉の片隅に、本書が加えられることを願ってやまない。

 

 

 

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アールズ通りにあるジョイス像 (2011)部分

 

 

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「複写」の主人公に因んで名づけられた、宿屋とパブを兼ねるFarrinton's。テンプルバーの一角を占める、1696年から続く最古のパブの一つ。

 

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フリン神父が住んでいた布地屋があった場所(パーネル通り79番地。現在は24時間営業の店になっている。)1994年撮影

 

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ホウスの丘からの眺め―エヴリンは家族での楽しかったピクニックを思い出す (2001)

 

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メリオン・スクエアの角(このあたりでレネハンはコーリーと女中の帰りを待ちあぐむ) (2015)

 

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アラン諸島のひとつ、イニシュモア島(ダン・エンガス遺跡のある断崖)(2003)

 

 

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法

 

2016-01-25 ふくもとまさお氏講義・感想レポート このエントリーを含むブックマーク

昨年の11月15日の記事で紹介しましたように、ふくもとまさお氏の著書刊行に際して、2015年夏から秋に2回来日されて、各地大学や市民の方々との8回にわたる「対話」がおこなわれました。

戦後70年となる今年、特に日本の若い人たちとドイツの戦後について話をして対話したかったから」という著者は、戦後とくに東ドイツの激動の時代に遭遇し、その「対話」の重要な経験の実感から、今日本の若い人々の中にその「対話」への芽を感じるとおっしゃいます。

今回、横浜フェリス女学院大学での学生さんたちとの会は、とくに印象深いものだったとの話をうけて、提出された感想文を抜粋して、掲載させていただくことにしました。一つの感想という小さな声が、どう受けとめられ、ひらいていくか、世界に働きかける身近な通路を実感していただければと思い、ここに収録いたしました。 

 

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ふくもと まさお氏 講演 ★学生さんの感想抜粋

2015.9.29 於:フェリス女学院大学、講座:サスティナビリティジェンダー、担当教師・高雄綾子先生

タイトル「ジェンダーの視点から戦争加害国ドイツの話をしよう」

 

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●ふくもと氏の講義で印象に残ったことは、「戦争には人種差別性差別がある」ということです。私は大学でジェンダー問題に興味を持ち、講義を受けてきました。戦争は人々に「差別」の心を持たせるきっかけでもあると思います。戦争から生まれた差別は多くあります。現に日本もその1つです。差別は世界共通といっても過言ではなく、なかなか拭いきれない問題でもあります。歴史が刻まれると同時に、差別の歴史も刻まれています。私たちがそういった差別心を少しでも拭いきるためには相手を知り、理解することも大切なのではないかと思います。古い歴史や考えにとらわれず、向き合っていく心を持つべきなのではないかと思いました。

 

●講義を欠席してしまったため、お話のまとめの説明を聞いていた際、とても印象深い表現が目につきました。それは、「森」のように多様性を持つことで社会を長持ちさせる、という内容のものでした。大変分かりやすく、また考え深いものでした。私たちの世界もしくは個人は、多くの問題や価値観を持っているため、互いに完全に理解し合うことは難しいです。ですが、互いの「妥協点」を見つけることで、傷つけあうことなく、人々が皆幸せでいられる「共存」が可能になるのではないかと思います。

 

第二次世界大戦中のドイツに関しては様々な授業で耳にしたことがあったが、空襲体験者についての話を聞くのは初めてであった。また強制収容所慰霊碑についても、ユダヤ人に対するものと、それ以外の迫害された人々に対するものと分かれているとは思っていなかった。この事実に対して、戦争が終わっても戦時中同様に差別が存在しているように感じる。ドイツ戦争犯罪を犯したのはナチスであり、ドイツでなはいと主張していると聞いたが、それは責任逃れをしているようにしか感じなかった。そんな中、空襲にあったドイツ人ポーランド人が交流していると知り驚いた。自国が空襲を行った土地に赴こうという考えも、加害国の相手と会おうと思った事も、勇気のいる行為のように思う。また和解するのは難しいのではないかとも思った。しかし、実際は和解に成功しており、もう10年以上にもなるという。このように被害国と加害国の人同士が和解出来ていると聞いて、日本も近隣諸国との和解が出来れば良いのにと感じた。戦争体験者の話の中には、何十年も話が出来ず、最近やっと自分の体験を話せるようになった人がたくさんいる。そのような人の話に耳を傾ける事が戦争後の和解へと繋がり、平和への第一歩となるのではないかと考えるようになった。

 

ドイツの視点から見た第二次世界大戦のお話は、今まで聞いたことがなかったものが多く、とても新鮮だった。繰り返してはならないからと、伝承の意味も込めて定期的に議論の話題となる第二次世界大戦について、小中高校時代に散々学んできたにもかかわらず、今まで日本の視点にたった考察しかしたことがなかったことに気が付き、改めて、物事をいろんな視点から考察することの重要性を学びました。

 また、授業中に取り上げられた「表現の自由が認められているのはなぜか」というテーマは私にとってとても興味深いものでした。社会が長く持続するためには意見の多様性が必要だからという一つの答えに対して私も同意しますが、しかしその多様な意見をすべて汲み取る形で結論を出すのは極めて難しいという事実に一種の矛盾を感じました。社会は多様な意見により成り立っているのにも関わらず、民主主義によると結局は多数決で物事が決定されていくので、少数派の意見は反映されることが極めて稀なのです。物事を一面から見て決めつけてしまうのではなく、批判的に受容することの大切さを改めて実感しました。

 

ブルハチンスカさんはヴィエルニ(ポーランド)でナチス・ドイツ空爆にあいました。兄は犠牲になった1人だった。ドイツから戦争体験者が会いに来ると聞いて、会いたくないと思いました。なぜなら、兄を殺し自分の少女時代を台無しにしたドイツ人だったからです。最初は和解もする気もなく、会いたくもないという感情だったのにも関わらず、だんだんと考えを変えて、和解は、戦争体験者にしかできないといって和解を試みたのも今の社会を築いていく基盤になっているのではないかと思いました。戦争をどのように伝えればいいのか模索してて、無視されてきた個人の方もいることがわかりました。和解したくないという考えを持っている人も中にはいるのは当たり前です。新しい一歩を踏み出すのはとても大切だと思いました。

 今の世界はこの当時に比べたら断然平和であることは間違いありません。平和であることが、幸せで世界がよいものになる基盤なのだと思いました。戦争などはこれから先絶対あってはならないし、一人一人がその世界にむけて、どう貢献する気持ちを持つことができるかが、大切なことだと思いました。

 

●私は大学を卒業したのちは、企業で第一線として働きたいと思っています。しかし、女性が思う存分に力を発揮できる環境が本当に存在するのか、不安で仕方ありません。戦争時に女性が守られなかった理由をこうした授業を通し、学んでいくことができると嬉しいです。私たちは「戦争」と言われても歴史上の出来事のひとつに感じてしまいます。歴史の教科書で習っただけで、概要しか知らないことが現状です。しかし、ふくもと氏のように概要ではなく戦争の中身を伝えてくださる方がいらっしゃると、戦争が少し身近なものに感じられ、問題解決に対して真剣に考えることができます。今回お話ししてくださったことを忘れずに、今後は戦争に対して今まで以上に真摯に向き合っていきたいと思いました。

 

●ふくもとさんがドイツ人女性の差別について話してくださり、それを聞いて、日本人として私は第二次世界大戦で被害を受けた人々についてもっと知っておく義務があると感じた。私も含め、私と同年代の若者たちは、戦争について知らないことが多すぎると思う。戦争を経験したお年寄りの方々が生きている間に、本人から話を聞き、私たちの次の世代に受け継いでいくことが私たちの役割であると思う。私の子どもや孫の世代になった時には、戦争の悲惨さを知る人が減り、同じような過ちが起きてしまうかもしれないと考えると恐ろしい。

 

●講義を聞いて、戦争はまだ終わってないのだと思いました。今だに被害者の方たちの遺骨が発見される、日本は戦後の責任問題を曖昧にしている、そして今また戦争を行える国に着々となりつつある状態です。私たちの世代は70年前のことを経験していないために戦争という物をよく知りません。しかし、私は戦争に限らず無関心こそが一番いけない事だと強く感じます。戦争は今の日本にはありません。だけど世界を見たときに戦争や紛争貧困問題、差別など様々な問題が起きています。日本においても差別貧困問題などは関係のない話しではなくなっている状態です。無関心、私には関係がない。そう感じているからこそ、日本ではこのような問題を知る人たちが少ないのだと思います。70年前の出来事、今日の世界で起きている出来事から学ぶべきものがあるのではないでしょうか。そしてそれは必ずしも自分に関係のない話しではないと感じます。無関心、それも1つの差別のように感じます。私自身もこのようなことを言っていますが、実際は無知に等しいです。もっと世界の事を学んでいきたいと強く思える講義でした。とても貴重な体験をありがとうございました。

 

●講演を聞いて、「敵国同士の戦争被害者同士の交流」「持続可能な社会には多様性が必要」の二点が印象に残っている。

 私はこれまで被害者性ばかりを主張する日本の戦争番組に疑問と怒りを感じていた。自国が行った残忍な所業の数々を報道せず、被害ばかりを強調する夏が来るたびに、「なぜ被害者面ばかり強調するのか」と苛立ちを募らせた。しかし、今回の講義から、被害者の経験談が対立する国の被害者同士のわだかまりを解く術となりうることを知った。

 確かに報道番組に見るような「一方的な被害談」は何の解決にもならないどころか、「自国の加害に目を向けず、被害ばかりを主張するとは」と、双方の溝を深める原因の一つになっているとも言えよう。それは近年再び注目されている日本と韓国にも言えることだ。日本では原爆被害者、韓国では元慰安婦といった戦争被害者同士の傷を見せ合うことで、両者を敵国民としてではなく、同じ戦争被害者として受け入れ合うことが、日韓関係の改善及び多様性を受け入れる社会形成の第一歩となるのではないだろうか。

 

●ふくもと氏の話を聞いて、まずヘイトスピーチドイツでは犯罪であるということを初めて知った。私が高校生の時、朝鮮学校に通う生徒が見ず知らずの人から暴言を浴びせられたり、それに加え、物を投げられたり、制服として着ていたチマチョゴリを切られたりしたことがあったと聞いたことがある。何も罪のない人が、少し違うということだけで傷つくということは悲しいことです。その言動がどれほど重いものなのか、どれほど悪いことなのか伝えるためにも、日本でもヘイトスピーチを行うことは犯罪だとみなすべきだと考える。また、社会の多様性であるために、色々な人の意見がでることによって、社会に持続性が生まれると改めて感じることができた。自分と違う視点の考えがあるからこそ、自分の意見の間違っている点、自分の意見の重要さが伝わると思うのでどの人の意見も大切なものだと考える。私自身、他人と違う意見を持っていると嫌な印象を与えてしまうのではないかと考えてしまうことがある。人と違うからこそ大切な意見であるので、お互いの意見を分かち合うことが大切だと改めて感じることができた。

 

●私は従軍慰安婦問題について興味があり、何度も中国韓国の学生とこの間も話し合いをしていたほどなので、とても印象に残りました。私はあまり人に言うことではないのですが、強姦されたことがあるため、従軍慰安婦や性的犯罪の被害者のトラウマはもう計り知れないものだと思うので、とても印象に残りました。また、この間本学主催の、ジャパンスタディーツアーに行ってきたのですが、そこで戦争について語りディスカッション広島女学院大学の学生さんを交えしたのですが、やはりその時の話し合いの時に出たように、戦争を起こさないための工夫というものは後世にどのように伝えるかが肝になるなと思いました。

 

●戦争には人種差別性差別があると知り、よくよく考えてみたら確かにそうだと思いました。人種が違うために差別され戦争が起きたり、女だからという固定観念による差別やそれらは戦争が終わった今でもまだ残っているなと感じました。平和や発展のために戦争をしているが、それは差別や女性や障害者など立場的に弱いと考えられる人への不平等さによって成り立っているのだと改めて気づかされました。所詮私達に出来ることなんてなにもないと今まで思っていましたが、身の周りの平和や平等に気づき大事にすることや、私に出来ることは考えれば小さなことから少しずつできることはあるのだと思いました。

 

ジェンダーと戦争の繋がりについて考えさせられました。戦争というと国という大きな規模で判断してしまいがちですが、その国で生きる子どもや女性、また少数民族といった弱い立場の人々に対する差別があったことも語られる必要があると強く思いました。

 

●追悼だけでなく、自分たちの生活の中に持ち込んで伝える、という内容は私にとって必要なことだとわかっているけど難しいことであると思う。戦争には差別が存在する。戦争において差別をされて亡くなっていく方々はどう思って亡くなっていったのか、周りはどう思っていたのか、差別があったことを知って現代の若者はどう思うのか、それぞれの意見は違うと思う。その意見を話し合う場を設けるべきである。祖父母、両親、友達、身近な人と話し合うことから始まるのではないかと思う。そこから、子や孫に長く伝えていくことが重要である。しかし、いまの自分に意見が言えるとは思えない。ここが難しいのだと思う。私たちはまだ意見を言えるほどの知識がない。しっかりと知識をつけて、問題点を少しずつ挙げていけば自分の意見を言えるようになる。このひとりひとりの小さな行動が重要であると、ふくもと氏の講義から気づき、考えることができた。

 

●なかなか私たちが普段生活している中では、「戦争」と聞いてもパッと思い浮かぶことは少なく、ほど遠い、あまり関係のないものと思いがちだ。しかし、ふくもとさんのおっしゃっていたように、隣国とどう平和を維持していくのか、戦争体験者の高齢化が進む中で、過去に起きたこの悲惨な事実をどう次の世代へと伝えていくのか、どう私たちの生活に取り込んでいくのか。それらの課題を自覚しなくては、日本においても本当の意味で戦争が終わったとは言えないのではないかと思った。まず私たちは、女性や子供、地元の人たちの努力、差別や不平等をはじめとした歴史の事実を正確に、偏ることのない立場で知り、自分たちにとっての平和なところ、しるしはどこか、平和とはなにか、世界平和ではなく「地元平和」を考えることが必要だとわかった。また、それらを考える上で、社会に多様性や持続性が必要であり、様々な考えを持った人を互いに尊重できる人が必要だというお話が印象に残った。戦争や平和を考えるというと、すごく大きなスケールの話でなかなか難しく捉えてしまいがちだが、自分たちの身の回りから考え、それが間違っていた時には、互いに声を上げていけばいいと聞いて、戦争や平和、差別と聞いたときに受ける印象がこれまでとかなり変わり、もっと身近なものに感じることができるようになった。

 

 

 

 

404 Not Found ←言叢社ホームページの著書紹介コーナーにリンクしています。「既刊」の文字をクリックしてください。

2016-01-01 明けましておめでとうございます このエントリーを含むブックマーク

本年も言叢社同人一同

「ことばのくさむら」と「ことばのうぶや」、そして「知の大地」を深耕すべく

さまざまな視点から取り組んでいく所存ですので

よろしくお願い申し上げます。

 

 平成28年丙申歳 正月元日

 

図書出版-言叢社ホームページ

 

 

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ベルリンのふくもとまさお氏からも新年の挨拶が届いていますので、ご紹介いたします。

 

※ Grusskarte / 賀状 ※

 

Ihnen/Euch und den Kindern

wünsche ich

ein friedliches glückliches Neues Jahr 2016

 

みなさんと子どもたちのために

平和でよい新年となりますよう願っています

 

masao / まさお

 

http://www.taiwakobo.de/neu/berlinerluft/grusskarte4.htm

 

ベルリン@対話工房

2015-12-01 新刊紹介 羅英均著『わたしが生きてきた世の中』 このエントリーを含むブックマーク

『わたしが生きてきた世の中

 ―身辺からみつめた戦後韓国、激動の歴史

 羅 英均 著 

2015.10.に刊行いたしました。

 

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●「私たちは政治をヌキにしては、かんがえられない。」という著者。戦後韓国社会の混乱を生き抜いた英文学者・羅英均と家族の自伝的記録です。たえずみじかな足元におこる政治社会の過酷さを、深い眼ざしで見据え続けた韓国の激動の戦後史でもあります。

満洲時代、奉天にあった日本人が主の小学校・加茂小学校に学び、「日本語でものを考え、血液の中まで日本的な要素が浸透した」少女は、16歳の夏にソウルで「解放」を迎えました。が、その日を境に、「日帝時代」に禁止されていたハングル語を学ぶことになります。教育現場は大混乱。

・戦後もしばらくは、外国の文学を日本語の翻訳で読み続けて、今でもじつは日本語が一番早く読める、といいます。韓国人でありながら、日本人的な感受をもつ、自己の「内なる二重性」への気づき。加えて、父親から早くに英語を学ぶことを薦められ、英語英文学の学究となった。

・この二重の内=外からのまなざしと、韓国人としての愛憎。そのゆえにこそ、自国の歴史を冷静にみつめながら、夫・全民濟とともに、生涯の仕事とするものを貫き通した。前著『日帝時代、わが家は』に続く自伝的記録は、一人の女性の生き抜き方とともに、われわれがほとんど関心をもたなかった隣りの国・韓国の戦後史を伝えてくれる、私たちの隣人への想像力にとって、とても大切なものをふくんでいる、と思います。

 

●「週刊読書人四方田犬彦さんの書評を掲載します。

四方田氏(比較文学史、映画史、漫画論、記号学)は、隣国ながら、この国の文化についてあまり知られていなかった韓国に20年前から関心を持ち、映画やロックなどさまざまなサブカルチャーの真価を見出して日本に紹介、韓国映画が活気づき国際的に知られる糸口になりました。1979年韓国ソウルの建国大学に1年赴任することになり、当時日本の英文学会会長だった由良君美氏が、韓国英文学会会長の羅英均さんに、弟子の四方田さんを紹介。羅さんは、由良さんから「よろしくたのむ」ということで、才能ある若い友人として、以後、長年のお付き合いをされてきました。

・羅さんの日本での最初の著作『日帝時代のわか家は』(みすず書房)が日本で出版されたのも、四方田氏の強力な薦めがあったようです。

 

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羅家父母と私(手前中央)、妹弟

 

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著者近影

 

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南山からのソウル城内の眺望

 

2015-11-15 《著者便り》ふくもと まさお氏(3) このエントリーを含むブックマーク

ベルリンから著者便り(3)ふくもとまさお

 

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対話について

 

 今年(2015年)は夏から秋にかけて2回、日本にいく機会がありました。それを利用して、日本では全体で8回話をしました。戦後70年となる今年、特に日本の若い人たちとドイツの戦後について話をして対話したかったからです。その他にも、出したばかりの「小さな革命」の朗読会では、本の朗読会でありながら、結構政治的な話をしました。

 日本で対話をしたかったのは、東ドイツの民主化運動の発端が、市民同士が対話をして国の将来について議論することにあったからです。元々、ドイツでは政治的な議論が市民同士の間で活発におこなわれています。自分の政治に対する意見をぶつけ合う。それは、ドイツでは当たり前のことなのです。

 しかし、日本では政治的な話を避ける傾向があります。真剣な議論になって、互いに本音をいうのを避ける。今回日本で知り合ったある社会心理学の先生は、日本人には対話はできないとおっしゃいました。お互いの関係とその場の空気を読んで話をするので、お互いの意見をぶつけ合うまでの議論にはならないというのです。

 第二次安倍政権が誕生して政治がかなり右寄りに傾き、政治権力の力で政治を行なう傾向が強くなるばかりです。1票の格差の問題から選挙法が違憲状態にあると裁判所が判断している状態では、選挙で選ばれた政治家は違憲状態の議員です。そして、政府も違憲状態にあるということを忘れてはなりません。この状態で政治を行なうには、本来であれば、その状態を認識して国民に忍耐強く説明しながら、社会的コンセンサスを求めて政治を行なっていかなければならないはずです。それが、民主主義の本来の姿だと思います。しかし、今の政治は国民の声を無視した政治権力の暴走です。

 この政治状態は、ぼくが暮らしていた社会主義独裁体制下の東ドイツの時代とたいへんよく似ているところがあります。その社会主義独裁体制を崩壊させた東ドイツの民主化運動。それは、東ドイツ市民が社会を変えるために試みた市民同士の対話からはじまりました。秘密警察に監視されている状態で、市民同士が自宅に人を集めて対話をする。それは、自分が危険人物として拘束されるのを覚悟しての行動でした。それを見てきた体験から、ぼくは今の日本でも、市民の対話が非常に大切だと思っています。

 実際日本で対話をしてみて感じたのは、市民の中に対話がしたい、今対話が必要だと感じられていることです。5つの大学で戦後問題について話をしましたが、若い人たちが二度と戦争を起こしてはならないとしっかりした意識を持っているほか、憲法に関してもその意味と内容がはっきりと認識されていることがわかりました。これは、ぼくにとってとてもうれしい驚きでした。

 対話をはじめる。それは、簡単なことではないかもしれません。しかし、自分の生活の中、身の回りの近いところで少しずつ社会の問題や政治について話す機会をつくっていく。2人だけで、あるいは3人くらいの小さなサークルでまず自分の身の回りの問題から話してみる。お互いの考えの違いを知ることも大切だと思います。それが互いに尊重しながら対話をする土台になるはずです。そして、違う考えを持った人から刺激を受ける。それぞれの考えがまったく同じだということのほうがおかしいのですから。

 東ドイツ市民がはじめたように、それがだんだん大きなサークルとなって社会に変化をもたらす大きな力になるかもしれません。今度日本を訪れる時には、ぼくもまたそうしたサークルの中に入れてもらいたいと思います。

 

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↑ふくもとまさお氏による講義の様子

 

★9月から10月にかけて日本に一時帰国していたのを利用して、東京電力福島

原発の脇を通る国道六号線いわき市から北上して、双葉町までいっ てきま

した。

その時撮影した写真をホームページベルリン対話工房」に「国道6号線を行

く」のタイトルでアップしましたので、このブログでも紹介しておきます。

 

ベルリン@対話工房:国道6号線を行く(1) ←こちらのリンクをクリックしてください

 

 

 

 

404 Not Found ←言叢社ホームページの著書紹介コーナーにリンクしています。「既刊」の文字をクリックしてください。

2015-09-12 著者による朗読会のお知らせ(終了) このエントリーを含むブックマーク

ふくもとまさお著

 

『小さな革命・東ドイツ市民の体験  統一のプロセスと戦後二つの和解

 

 

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※朗読会は好評のうちに終了いたしました。ありがとうございました。

 

 

2015-09-11 ★新刊『赤ちゃんからはじまる便秘問題』 このエントリーを含むブックマーク

中野美和子著

 

『赤ちゃんからはじまる便秘問題』

 

 

医療や排泄にかかわる保育の現場の方々からの感想  

 

戦後70年、戦後すぐに生まれた私たちは、まさに「弾の下をくぐった」奇跡の母たちに生み出されました。一人ひとりの命、とくに子どもの命に出会うと、確かに奇跡の条件が整えられた形そのものだ、と思います。このあえかな、そして大事な生命の育みに立ち向かうこの時期に対応する、「生き抜く」ための原則的な知恵を手にしてほしいと思い、シリーズを考えたいとおもいました。じっくりした営みですが、よろしくお願いします。

 

●さて、今回のテーマは便秘です。

 食育という言葉がいわれて久しく、「食育基本法」がたちあがって10年になります。食の片方の出口、排泄のことは、じつは、毎日毎日の身体のサインとして、誰もがわかっているつもりですが、ほんとうには、知っていないかもしれない………。そして子どもの排泄のこと、とくに便秘のこと。

 

●「排便外来」を開いて、毎日「困っている親子」に向き合う、うんち博士と呼ばれている中野美和子先生(さいたま市立病院・小児外科部長)が、ご自身の診療現場をふまえて、この便秘問題を伝える本を作りました。

 

 

 

・「排便外来」という専門の窓口を開いて10年、重症の1000人の患者さんから見えてくる、便秘のしくみの原則

子ども(乳児から小学校低学年ぐらい)の便秘と大人の便秘のしくみが違うということを、はっきりしって、さまざまな症状を積み重ねてしまう子どもたちの便秘の問題を、なっとくして、なるべく早くに治療を開始してほしいことが、言葉の端々につたえられています。

便秘の治療の原則は、はっきりしています。お腹にとどこおってしまった便をまず排出して、とどこおらない状態を保つこと、このことにつきる、といいます。便秘が起こる「しくみ」をはっきりと知って、毎日「すっきりしたお腹を感じる」習慣、をつける「原則」を手にしてほしい。

まずは、

★この本を読んでくださった医療現場・関係の方々の感想を掲載することにします。このあと、わが子の便秘に悩んだお母さんや養育者のかたがたの感想や意見を掲載していきます。

 

 

■この本についていただいた感想文

 

●加藤篤さん・日本トイレ研究所代表  *本書にも寄稿していただきました。

 

 子ども便秘に関する本であるのはもちろんですが、子どもとの接し方も含め、中野先生のやさしく温かな言葉でつづられた一冊です。

 当たり前ですが、子どもの能力や感受性、成長の早さは、それぞれです。子ども自身が判断できない身体の異常に親が目を届かせ、一緒に成長していくことの大切さに気づかされます。

 中野先生は、この10年間で1000例以上の排便に悩む子どもたちと向き合ってきました。本書には、排便のしくみ、正常な排便、排泄と成長・発達から、便秘の治療方法が丁寧に解説されています。くすりや浣腸は癖にならないの? という悩みにも答えてくれます。

 また、実際の相談事例をもとに患者とのやりとりが数多く掲載されているため、便秘の子がどのような症状になるのか、親がどんな気持ちでいるのか、そのときどのようにすると良いかが分かりやすく書かれています。

 親は子どものために良かれと思うことはなんでも一生懸命に試し、努力します。でも、それでも良くならないことがあり、親子ともに疲れきってしまう例が少なくありません。そんな悩みを抱えている方にぜひ読んでいただきたいです。一つひとつの対応方法が分かりやすく明解に述べられています。便秘解消の本であるのですが、それに取り組む心が軽くなると思います。

 たかが排便、たかが便秘です。だからこそ、そこだけは安心してできてほしい。そこがうまくいかないと毎日が嫌になってしまいますよね。

 最後に、本書の中野先生の言葉を引用します。

「便がたまっているのなら、出せばよい。排便できなくて困っている子どもに向かって、頑張って出しなさい、という精神論はやめて、出せるように手助けすればよい。食事で出せるようになるなら、それでよいし、薬を使ったほうが楽なら、そうすればよい。幼い子どもには手助けが必要です。」

 ぜひお読み頂ければありがたいです。

 

 

 

●和田智代さん・未来こども研究所・おむつなし育児研究所代表 

*本書に「おむつなし育児」についてふれています。

 

 とても読みやすい体裁ながら、専門的な知識がしっかりカバーされていて、本当に、素晴らしい本です!

 これこそ、便秘で悩む親子や、彼らを支援する人々が必要としていた本です!

 おむつなし育児に関わるようになって、世の中には子ども便秘で本当に悩んでいる親子が実に多いという現実に直面してきました。

 しかし、子ども便秘問題に適切に対応できる医療関係者が少ないという残念な現実の中、どうしていいのかわからず、右往左往している親子は本当に多いです。

 私自身も便秘気味で、息子も赤ちゃんの時に便秘気味で悩んだ経験もあり、他人事ではありませんでした。

 そんな中、『赤ちゃんからはじまる便秘問題』を世に生み出して下さったことで

ちゃんとわかってない医療関係者の言動に振りまわされないで適切な対応ができる親と、

気持ち良い排泄ができて幸せな生活を取り戻す子どもが増えていくことを、心から嬉しく思います。

 そして、便秘を契機として、中野先生が本の最後で書いておられた「子どもの身体をしっかり見る」ことができる親ごさんが増えていくことを、心から願っています。

 心からの感謝をこめて。

 

 

 

上野 滋先生・東海大学医学部小児外科教授・小児外科

 

 この本はこどもの排便についての本です。

排便のことを考えたい、困っているというかたがたに、少しでもお役にたちますように、作った本です。

 詩のように綴られた、「はじめに」が本書のメッセージを端的に表している。

 こどもの便秘に悩む家族のため、一般向けということだが、日頃患児の排便のコントロールに悩んだことがある、排便のことはどうも苦手と感じる医師には、経験を問わず、読んでみてほしい。腸管機能、特に排便に関する生理学や鎖肛、Hirschsprung 病、二分脊椎といった病気についての知識をおさらいして、わかりやすく患者や家族に伝えるのにも使える。

 何より、経験豊富な小児外科医である著者が到達した境地、やさしい気持ちが語られている。患児家族の思いと医療者の持つ専門性をすり合わせることができる臨床の力、便秘に限らず、こどもたちの病気を診るものに求められるものが伝わる、まさに薀蓄(ウンチク)の傾けられた書である。

 

 

 

●奥 起久子先生・小児科医・川口市立医療センター新生児集中治療科

 

身近なテーマである割に(ある故に?)、実際知られていないこと,反省させられる

こと,新しい知識が網羅されており,面白くてためになる内容になっています。

 

 

 

●加藤栄治先生・医師・小学校同窓

 

 仕事の合間をみて、ようやく読み了りました。

 内容は濃いものですが、大変分かり易く書かれており、一般の方に理解していただける良書だと思いました。

 小児科医の私にとって同様なケースを経験している場合には、“そうだ”と相槌ちを打ちながら、深い洞察のところには“そうか”と、あるいは“そうなんだ”と感心しながら読みました。

 私自身便秘に感心があるので、先生の含蓄のある文章に、これ迄の先生の臨床経験の深さを読み取り、ここに同志を見つけたりというのが読後感です。

 便秘の子をもった親だけでなく、同門の小児科の先生方に購入を勧めます。

 

 

 

●井出留美さん感想・栄養学・博士

 

 中野先生のご本は、全体性をつたえられようとした「立体」的な印象を受けました。中野先生がおっしゃっている通り、大人の場合は食物繊維を摂取してはいけない便秘ことだったり、それ以外の便秘に関しては、「食物繊維をとりましょう」で終わってしまっているように感じます。

 そもそも子どもは摂取目標量も少ないですし、あまりに過剰に摂取すると負荷がかかってしまうので、それ以外の点からアプローチされているのが、子どもに寄り添っているように感じます。

 私は「食」の専門なので、やはり本の中で食に関するところを注目するのですが、私が業界につとめて、はじめて特定保健用食品トクホ)の申請をした商品、ケロッグオールブランですが、本著で薦めてくださっていました。なんだかうれしく思いました。

 また、末尾のほうで災害時の便秘についても、触れてくださっているのが「かゆいところに手が届く」まさにきめ細やかで、この本を立体的に奥深くしている印象を受けました。私も震災以降支援をしてきましたが、平常時と異なり、非常時には普段想定していないことが起こります。日本は自然災害が多く、災害時の便秘専門家の方が言及することがとても大切だと、感じました。

 

 

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