写真の内側・外側研究会

2018年02月19日

ウチそと研通信160―久しぶりに草森紳一を読むー

『本の読み方』-墓場の書斎に閉じこもる-という本を読んで面白かった。著者は草森紳一草森紳一は10年前に亡くなっているが、1994年から1996年まで雑誌に連載されたものが没後にまとめられて刊行されている。成立の経緯はわからない。内容はタイトル通り、本の読み方のいろいろを書き綴ったエッセー集である。あっという間に読み通したが、本というものとのつきあい方をあらためて教えてくれる楽しい本だ。副題の-墓場の書斎に閉じこもる-は毛沢東が若い頃、親の眼を盗んで墓場に隠れて読書に耽ったことについて触れているところからつけられたようだ。毛沢東は読書家であったようである。草森紳一については以前このブログでも書いているが、それ以来久しぶりに草森のページを開くことになった。本の冒頭には「ウグイスの死」と題する寺田寅彦の本の読み方に関する考察が置かれている。何気なしに寺田寅彦の本を開いてみると、・・・右のような出だしの随筆に出っくわしたのである。・・・と草森は書き記す。このー出っくわすーという彼の言葉に出会ったとき、草森の面白さは、何かに出っくわしたときの草森の心の開き方が、こちらの心を動かすのではないかと思いついた。出っくわすという彼の言葉に引きずられて、遅まきだが「散歩で三歩」をまた読んでみると、コンパクトカメラで撮られた彼が出っくわした写真の見え方がもっと身に迫ってくるように感じる。草森紳一コンパクトカメラによる(ネガカラーフィルムでの撮影だ。)写真群はなかなか説明しにくいものなのだが、『本の読み方』に収められている本を読む人たちのスナップ、あるいは本のある場所などの写真のあり方はなんとも不思議でいろいろな思いを誘う。これらのなんとも言いがたい彼の写真にしばらくとりつかれそうだ。草森紳一には『写真のど真ん中』という丁寧な写真に関する評論集が同じ河出書房新社から出されている。またいくつか草森紳一の本を読み直してみると、考えと言葉の繰り出し方が具体的で、赤瀬川源平に似ているところがあるようにもふと考えた。

今回は備忘録をもう一つ。1月半ばに四谷3丁目のギャラリー・ヨクトで吉村朗のカラー写真が展示された。『THE ROUTE釜山1993』というタイトルで山崎弘義さんの企画である。韓国と一部に中国での撮影が混じるが、それまでの吉村の写真にみられる街の中を走り抜けるような街頭スナップに、飾り窓の映り込みやグラフティ視線がとどまる写真が混じり、次の吉村のモノクロのシリーズの予感をさせるのはこちらの思い込みなのだろうか。吉村の作業の軌跡は折に触れて何かを思い出させる。

2018年01月21日

ウチそと研通信159 −50年前の『日録』から引き出される−

昨年の秋に代田橋ギャラリー「伝」で、桑原敏郎と谷口雅洋の二人による写真展示があった。桑原敏郎はアジアの街などが写っているカラー。固着とかからはずいぶん離れた足取りと視線で撮影をしている。谷口雅洋のカラーではヨーロッパと思われる場所の叙情的な光と時間がかすめとられていた。どちらも会場また階段の壁面を主体に並べられていたが、それに加えて、床には谷口雅洋の日記風のテキストと写真が大量に、読みたいものがしゃがんで手に取ってみるように置かれ、細かな文字を読み込むことがつらくなってきた最近だが、眼を落としてすこし読み始めてみた。どこから読み始めなければならないと言うこともないのだが、眺め始めてすぐに眼に入ったのは「日録」という文字だった。谷口雅洋の世代が日録というと、1968年に雑誌「カメラ毎日」に数10ページにわたって掲載された、いわば写真と言葉が日付入りで組まれた東松照明写真日記風の作品『日録』を指すことになる。

今から丁度50年前の1968年に、−『写真100年』日本人による写真表現の歴史展−という大規模な写真展がJPSの主催のもと、池袋西武百貨店で開催された。写真家の浜谷浩が実行委員長、多木浩二中平卓馬らが委員として参加、東松照明もその一員として加わり、東松照明の『日録』では、この写真展の準備期間中に撮影が続けられていることが一つの軸になっている。展覧会のための各地への取材、日々の感想、先輩写真家へのインタビューなどの写真、少なからぬ量のテキストが時系列に沿って編集され、さらには引用という形で、江崎礼二の「赤坊1700人のコラージュ」写真なども『日録』に組み入れられている。一人の写真家の日々の行動と思考を写真とテキストで雑誌という中で織りなされている。活発に、生き生きとこわばらずに語られる写真とテキストの群れだった。現在カメラ毎日のこの号は手元に見つからず、曖昧な記憶を辿っているのだが、頭の中で想い出される『日録』をもう一度確かめてみたい気持ちになっている。歴史の中の写真表現をあらためて確認するという作業をおこなう日々の中で、また写真を撮り続けるという重なり合う東松照明の『日録』のスリルは今新鮮に思われてくる。

2017年12月06日

ウチそと研通信158 ―時間の積層―

少し前になるが、小田原にある「生命の星・地球博物館」の企画展、『地球を「はぎ取る」』展(地層が伝える大地の記憶)を観た。地層をはぎ取り、型どり、切り取ったさまざまな種類の大型の地層標本で構成された特別展で、地球上で起こったさまざまな出来事、大地の記憶が美しい縞模様として積層、記録されていて、観るだけでも面白いのだが、地層をつくる実験や、学芸員が描いたキャラクターによるひとこと解説など、その工夫された丁寧な解説がとても分かりやすく、楽しい展示だった。

ご存知のように博物館は、歴史や考古、民俗、自然、科学、美術などの専門分野に分かれていて、それぞれの分野ごとに展示が構成されている。それぞれは詳しく紹介されていても、違う分野にまたがって展示している博物館はまだ少ない。ひとつの物事について、例えば理系と文系、芸術と科学や自然など、それらのつながりを読み解くことは素人にはなかなか難しい。

世はダイバーシティ多様性の時代であるが、専門家によっていろんな問題が解決されてきた一方で、あらゆるものが分類、整理、ランク付けされることで、差異ばかりが強調され、個々のつながりが分断されてしまっているのではないだろうか。われわれが見失ってしまったそれらの丸ごと、全体像を取り戻すためには、あらゆるものに共通し、それらを等しく貫いている時間に注目すべきではないかと考える。

その時間軸は、有名な一族の歴史でもなく、地域や国家の歴史といった、その時々の都合で意味や価値が変わってしまうようなものではなくて、地球の誕生から生命の歴史、この列島の成り立ちという大きな時間の流れとして考えたい。その中でわれわれとそれを取り巻く全てのものが並べられたとき、子ども高齢者、民族や宗教国籍、LGBT、理系と文系学芸員キュレーター、それぞれのつながりが見えてくるのではないだろうかと、地層を見ていて思ったのだった。

2017年11月02日

ウチそと研通信157 −澁澤龍彦「ドラコニアの地平展」で地球儀をみる。−

先月の雨もよいの一日、世田谷文学館で催されている「ドラコニアの地平」展に出かけた。澁澤龍彦の原稿や身の周りの品々を主に展示しているとのこと、また知人からミノルタCLEも持ち物として展示されているのを聞いて足を伸ばしてみたのである。澁澤龍彦については以前にもこのブログに記したことがあるが、「胡桃の中の世界」という書物を読んで以来、いくつかの著書をいまだに興味深く読み続けている。

雨のせいか、平日ではないのに観覧者の数は少なくゆっくりと見ることができて楽しかった。あまり混んでいる澁澤龍彦というのもつらいよな、と思うところはあるだろう。会場入り口近くに、まず彼の持ち物である「地球儀」が置かれている。格別に凝ったものではなく、当たり前といえば当たり前な小学校の教室にでも置かれているような普通の地球儀である。何時から彼のそばにあった物かはわからないが、当然国名の表記などは現在とかなり異なっている。澁澤龍彦の短いエッセーに玉虫の厨子をつくる友人の話があるが、正倉院にあるオリジナルではなく、身近な人間のつくるコピーに共感と関心を抱くというところに澁澤の特徴のひとつがあるような気がしてならない。工芸品のような地球儀ではなく、既製品の地球儀を飽かず近くに置いていた事を面白く思う。彼の必要からすれば、ただ地球儀ありさえすればそれで済んでしまうということになるのだろうか。想像以上に「物」に対する執着は薄く、自身の想念を展開させるに必要な事が満たされていればかまわないということなのだろうか。

会場の大部を占めていたのは、自筆の草稿類だった。推敲の後など内容を追いかけるのは到底根気が続かなかったが、原稿それ自体は堅苦しくなく読みやすい書体で見ていても感じがいい。偏と旁がやや離れて感じられる字体にも特徴がある。用箋はごく一部を除いてありふれた400字詰めのコクヨ製が多く、それぞれの出版社が用意している社用の原稿用紙も使われていた。同じ会場に展示されていた、きつく要返却の文字が残されている石川淳の自家用箋の自筆原稿はさすがにインパクトが強かったが、澁澤の場合、用箋にはそれほど頓着していない気配が見えるようで面白い。

地球儀に始まる身辺の様々な物、コレクションも展示されている。鎌倉の澁澤邸については細江英公篠山紀信といった人たちが詳細な撮影をしているので、ある意味で馴染みになっているような気がする。蒐集?されていた絵画や立体なども写真などで見知っているつもりの物が多く、それらのものもいつの間にか自然と澁澤のもとに集まった品々の様にみえて来るのも不思議だ。言ってみればいつしかドラコニアに打ち上げられた漂着物のように感じられたりする。ヨーロッパ旅行時や折々に撮影された写真が展示されている一画に、Kさんから聞かされていたミノルタCLEが律儀にレンズキャップをされた姿で飾られていた。このカメラは多分、ミノルタがCLEの広告を打ったときのカメラと想像される。今でも古いカメラ雑誌を開くと、テーブルに載せられたミノルタCLEを前に座ってポーズをとる澁澤龍彦の写真が見られる。CLEのボディ裏メモホルダーにはフジのフィルム紙箱の一片、それも簡易露光表が差し込まれていた。画像や形象、映像好きだった澁澤龍彦だが、自身はカメラに特に興味を持っていたようには思われない。鎌倉の小町時代の写真にいわゆるマミヤフレックス況燭梅н靴撮影したらしい矢川澄子の写真が残されているけれど、ピンぼけのカットもあったりして熱心な撮影者とはいえないようだ。初めてヨーロッパを訪ねたときはキヤノネットを使っていたようで、そのとき撮影された写真も壁面に展示されていた。澁澤本人がどれぐらいシャッターを押したかは不明だが、ツーリストがごく普通に撮影する人物と背景がつり合う何気ない写真が淡々と連なっていた。

2017年10月11日

ウチそと研通信156 慰藉と対峙/内と外 榎倉康二〈予兆のためのコレクション〉

最近、榎倉康二の視線をふと感じたのは、イギリス写真家フランシス・カーニーの作品〈Five People Thinking the Same Thing〉(1998)を見返している時のことだった。双方の写真作品のあいだを繋ぐなにかを感じた、というべきか。

カーニーの5枚組の写真では、部屋(どれも住宅らしい)の中に人物がひとり、顔の見えない後ろ姿で、床に膝をついたり、椅子やソファに腰かけたりしている。暖炉であるとか、洗面台やバスタブ、簾状の日除けの掛った窓辺など、登場人物たちが身をおくのは住まいの内側と外側を媒介する通気弁、水まわりのポイント付近であり、中年以上の年恰好の彼、彼女たちは、寡黙げに手もとを見やりつつ、漠とした彼方へ意識を馳せているらしい。

何をしているのだろう? 陶製の碗からとりだした塩の山をてのひらに受けている。指先に生まれるあやとりのかたちに見入っている。あるいは、つまみあげたペンジュラム型の茶漉し(ティストレーナー)から落ちるしずくを見まもっている。どの人物もごく日常的でささやかな物質を手もとに見つめ、なかば放心気味に、ゆらぎの行方を感じとろうとしている――日常空間の片隅に浮かぶ極微極小のきざしに何ごとかを占おうとしているように見える。

榎倉康二の写真にも、それとつうじるものがありはしないか。〈Five People Thinking the Same Thing〉の5枚の傍らに、たとえば、打ち寄せる波が砂浜につくる曲線にそって全身を横たえ、それを確かめようとする後ろ姿の男を撮った〈予兆―海・肉体(P.W.‐No.46)〉(1972)という榎倉の1枚を置いてみることができるのではないか。カーニー作品と榎倉作品の後ろ姿の人びとは、周囲にひろがる事物たちの肌理、光のレイアウトに身体を同調させながら、くつろぐこと/知覚を凝らすこと(慰藉/対峙)を、一体のこととして味わっている――。わたしが榎倉の写真につよく惹かれるのは、彼のいう「事物と肉体が対した時に起こる緊張」という事態がそのまま、同時に、深い慰藉に満ちているようでもあるからだと、今、そう思える――それは、自己消去、無機物へ帰していくことを誘う、どこか危険な香りをともなった慰藉であるかもしれないのだが。

※ ※ ※

一昨年春、九州へ転居して早々、たまたま訪れた福岡市美術館常設展示室で榎倉作品に遭遇した――〈予兆のためのコレクション〉と題するそれは、ガラスの蓋のついた木箱に収納された長い刃物のセット5点と、やはり木製の小さめの額にぴたりと余白なしで嵌めこまれた人間の皮膚の写真数点(モノクロ光沢紙)の組み合わせからなる特異な作品で、1975年田村画廊の個展で当初発表され、たぶん、皮膚を撮った写真を彼が作品化した最初のものと考えられる。

初出時から40年あまりを経た〈予兆のためのコレクション〉のひんやりと沈黙をまもった、地学資料の鉱物標本を想わせもするたたずまいを前に、わたしもまたなかば放心し、その場にゆらぎだす何かを追っていた。

これらは“刃物”だろうか? なんとなくそう書いてしまったが、エッジ部分を眼でたどるとモノを切断できるほど鋭利に研がれてはいないようで、“刃物”よりもむしろ“定規”に近くないだろうか。目盛りこそ刻まれているわけではないが、これらは、ある測定尺度を措定する、原器的な物差しとしてここにあるのかもしれない。

榎倉が残した撮影ネガからのコンタクトの中に、この“刃物”または“定規”を自宅アトリエの床などに置いて撮った一連のシートがあって、『予兆 Koji Enokura Photo Works 1969-1994』(TPH、2015年刊)に、6×6判フィルム2本分全カットが収録されている。たんなる記録という以上に、あきらかに撮ることがある探究として展開している、大変興味深いコンタクトシートなのだが、それらをたどって気づくのは、室内の床面に“刃物”または“定規”をそわせたどのカットからも、共通して、窓の存在がだいじな相関物として浮かび上がってくること。

窓から流れこむ光をさまざまに反射し、硬質に冴えわたる光の帯となるそれが、アトリエ内の今ここと窓外に広がる世界を二重に映じ、内と外の関係の布置を感知させる――。鋼のそれは、窓との相関をつうじ、外部の広がりと眼前の“ここ”を繋ぐ、言いかえれば遠/近を媒介する、榎倉的なパースペクティヴ(遠近法)を創出する試みとして、これらのコンタクトシートに現れているのではないか?

人間の皮膚を接写した榎倉の一連の写真が、当初まず、こうした“刃物”、“定規”または“遠近法”との組み合わせで提示されたものだったことは、立ち戻ってじっくり見つめ直してみるべきことのように思われる。