写真の内側・外側研究会

2018年08月02日

ウチそと研通信164 ー「夏の驟雨」そして、「真夏の夜のジャズ」のマへリア・ジャクソンー

今年の夏は早い梅雨明けとともに、連日、過酷な暑さが続き、日本全国で多くの老人達が亡くなり、誰もが心身ともに疲弊している。8月も暑さが続きそうだ。こうした夏は私が記憶する限り初めてだ。同時に西日本の惨禍を聞くと、日本中空襲をうけ、原子爆弾に焼かれた1945年の夏をふとシンクロさせてしまう。いつもの夏であれば、昼過ぎや夕方に雷雨や通り雨があり、道も樹も濡れて気温が下がる時もあったはずである。東京都区内では今年の夏はそれも少ない。

夏の驟雨といえば印象的ないくつかの小説や映画の重要なシーンを思い出すが、もうひとつ個人的には1950年代のニューポートジャズフェスティバルを記録した、「真夏の夜のジャズ」という映画と関わる一つのライブ録音盤がいつも頭のなかに浮かんでくる。これはCD化もされているのだろうがもちろんレコードである。このジャズフェスティバルには当時人気のあった人たちが多数出演しているが、私の聴いていたのはマへリア・ジャクソンというゴスペルシンガーのステージのライブ盤だ。ここでは1958年アメリカロードアイランド州ニューポートで開かれたジャズフェスティバルに、マへリアが出演した際の音源が収録されている。 、、、偉大なゴスペルシンガー、ミス・マへリア・ジャクソンの時間がやって参りました、、、と司会者に紹介されて、マへリアが「夕べの祈り」という曲を歌い始める。多分陽が暮れてからの出演なのだろう。ちなみに日本で「真夏の夜のジャズ」と題された映画だが、原題は「Jazz On A Summer’s Day」となっている。このLPレコードを聴いたのは1964年東京オリンピックの前後だったと覚えている。家にあった粗末なレコードプレイヤーで何度も聴いている。ゴスペルソングとは何と人に迫る歌い方をされるものだろうと、彼女の歌唱を聴くと当時そう思った。このLPと夏の驟雨と何の関係があるのだろうか。実は野口久光さんのライナーノーツに彼女の演奏中、真夜中に雨が降り出し、しかしその場を聴衆は立ち去らず、急な雨の中彼女の歌に聴き入っていたというくだりがあり、印象深かったからだ。確かに録音の途中、「ジェリコの戦い」を歌い出す前にマへリアが聴衆に呼びかける箇所がある。 、、、皆さんは私をスターみたいな気持ちにさせてくれる、、、この雨の中で、、と言っていたように覚えている。レコードからは真夏の夜の雨音などは聴きとれなかったと思う。だがそのライナーノーツを読んだ後では、雨が降る夜の会場の様子がどうにも想像されてしまう。映画ではそんなシーンがあるのだろうか。

ここまで書いてきて、家にあるはずのそのLPは見つからず、解説を書いていたのが野口久光さんだったのか、実は自信がない。この映画の監督、撮影はこの時代に活躍中の写真家バート・スターンだ。しばらく前の電車の中吊り広告に、彼の撮影したニコンFを持つマリリン・モンローの写真が使われていて、またバート・スターンの「真夏の夜のジャズ」をふと思い出したのかも知れない。Webを検索するとそのLPは「NEWPORT 1958 MAHMLIA JACKSON」というタイトルのものにも思える。尤も邦盤はタイトルと曲目は異なる事が多い。伴奏するプレイヤーをチェックすると、ピアノがミルドレッド・ファリス、オルガンがリルトン・ミッシェルという人たちのようだ。二人のプレイは素晴らしかった。このアルバムの中に「歌のように生きよう」という好きな曲があって、これが何処か小節を効かせたような歌唱で、笑われてしまいそうだが、ええっ、美空ひばりの「リンゴ追分」と似ているなんて感じたりもした。飛行機が嫌いだったマへリアが来日公演を行ったのが1970年代半ば。眼の前に出演料が積まれるまでステージに上がらなかったというエピソードを聞いたことがあるが、真偽のほどはわからない。

2018年07月16日

ウチそと研通信163 ー上海の博物館などー

少し前のことになるが、5月の連休明けに上海を訪れる機会があった。3泊という短い期間であったが新しめの博物館二つを見ることができた。

一つめは「上海自然博物館」で、もともとは外灘の近くに1956年開館したものだが、2015年上海市内の中心近くの静安彫塑公園内にリニューアルオープンしている。地下鉄13号線の駅(自然博物館駅)と直結しており、市内からのアクセスもよい。建物は地下2階から地上2階、延床面積が45,257平方メートルで、上野国立科学博物館33,180平方メートルの約1.3倍ある。駆け足ではあるが半日で見るには結構な広さだった。地上から外観を見るだけでは気づかなかったが、アンモナイト様の巻き貝の形をしている。入ってまず目に付くのは大型生物の模型やはく製で、とにかく数が多い。そしてそれらは、古生物も原生生物も、海洋も陸上も一緒くたに展示してあり、マンモスの上にクジラ、その横に首長竜といった感じで、見た目、迫力をを重視ししているとの印象を受けた。さらに他の博物館では見たことがないのが、体の一部分、骨や内蔵が見えるティラノサウルスの実物大模型で、子どもの頃にみた怪獣図鑑を思い出した。これもリアルさよりも面白さを重視しているように思える。展示技術そのものについては、骨格標本の指が不自然に曲がっていたり、表情の不自然なはく製、隠し忘れたのか、むき出しになった演出用スピーカーのコードなど、仕上げが雑な部分も何カ所かあったが、全体の印象として日本の博物館との差をあまり感じることはなかった。

次に見たのは「上海市歴史博物館」で、人民広場に隣接している。建物は観光サイトの情報によれば1934年にできた競馬場クラブハウスだったという。それを改装し、上海図書館上海美術館として使用されていたが、今年3月に歴史博物館としてリニューアルオープンした。最上階にはカフェがあるのだが、内装デザインといい、価格といい、とてもおしゃれだと思うのだが、なんと言えばよいのか中国らしさがないというのか、ここが上海なのか、横浜あるいは東京なのかわからなくなる。肝心の博物館の展示の方は、上海の歴史を、実物資料だけでなく、模型や映像、タッチパネルなど最近の展示手法がバランスよく取り入れられていて、わかりやすく紹介されていた。グラフィックや映像のデザイン、展示照明や演出照明などもこなれていて、とても良い展示だった。先日の展示学会で聞いたのだが、2015年中国にも展示学会ができたそうで、これからますます新しい博物館が増えていくのだろう。

一方、我が国博物館はどうか。予算削減、人手不足など、既存館は慢性的な問題を抱えている。その上、本来味方であるはずの国や行政からの理解も乏しく肩身が狭い。日本の博物館の今後についてあれこれ考えていた矢先、西日本で大規模な水害があった。報道でもあるように浸水地域はすでにハザードマップに記載されていた地域であった。テレビニュースの被災住民のインタビューでは、生まれて初めてのことだとか、これまで聞いたことがないといった発言が聞かれるが、地域の博物館や資料館には、我々の人生一回分、100年に満たない時間では経験、得ることのできない情報、知恵が蓄積されている。これらを住民同士で共有、活用することができれば、被害も少なくなったのではないかと考えてしまう。集客数ばかりで評価するのではなく、地域のシンクタンクとしての役割も、地域博物館本来のあるべき姿であると再評価してほしい。

2018年06月06日

ウチそと研通信162―関口正夫、ミウラカズト連続展に寄せて―

関口正夫は、1946年東京田端に生れた。桑沢デザイン研究所写真研究科に学び、卒業後、同級の牛腸茂雄と写真集『日々』を刊行する。するどい刃物の切れ味をおもわせるスナップショット1960年代後半の社会的風景をつづる『日々』の関口のパートでは、沈着に息づかいを殺した静けさが持続する中、処々で、無音の乾いた哄笑が湧きおこるのに出あうだろう。スコーンと突き抜けた、あたかも畳のオモテウラをひっくり返すような、開放感ある笑い。次の頁にすすめば、なんにもなかったのごとくポーカーフェイスのままなのだが、本の扉を閉じるとき、大いなる笑いの残響につつまれている――。関口の『日々』には、写真集として稀有なそんな尾をひく味わいがあり、例えばバスター・キートンの体技によるスラップスティック・コメディの笑いとどこか、それは重なる。

三浦和人は、1946年東京鵜ノ木に生れた。桑沢デザイン研究所写真研究科で関口、牛腸らと共に学び、卒業後、早くからカメラマンとして活動。牛腸の早逝(1983年)後、『幼年の時間』『Self and Others』などの作品ネガの保存をひとえに担い、機会あるたび技を尽くし解釈を更新してそれらのモダンプリントを焼いたのは三浦だった。1998年に上梓する三浦初の写真集『会話 correspondence』所収のシリーズ各々は、いわば他者(牛腸)のまなざしにダイブし、内在的に辿りかえすただ中からゆっくり生い茂りはじめた――。光と影のグラデーション、焦点の深浅、水と陸のあわい、性徴の分岐、はたまた路上で近づき行き違う存在どうしのノンヴァーバル交信が、紙の上に静止した画面の中でどう波うつか、ゆらぎとして捉えうるかを、三浦の『会話 correspondence』は探る。

ストレンジャーとして地上をずんずん砂ぼこりあげ闊歩する関口。さまざまな岸辺で打ちよせ遠ざかるものに心添わせる三浦。2006年の中京大学アートギャラリーCスクエア「distance」、2008年の三鷹市美術ギャラリースナップショットの時間」、2009年の新潟砂丘館「ふれている遠さ」といった展示で、好勝負をかさねてきた彼らが久々今回共に新作をぶつけあうという。コンポラから遠く離れて、どんな“いまここ”が立ち現れるだろうか。


☆ 関口正夫写真展「こと」6月2日(土)〜10日(日)*金土日開廊 13:00〜19:00

☆ ミウラカズト写真展「とどまる matter」6月13日(水)〜30日(土)*水〜日開廊 15:00〜19:00(最終日17:00終了)

☆ 6月23日(土) 対話 15:00〜16:30 &招宴 16:30〜18:30


ギャラリーヨクト 東京都新宿区四谷4-10 ユニヴェールビル102  Tel:03-6380-1666

2018年05月07日

ウチそと研通信161―資料展示『影どものすむ部屋−瀧口修造の書斎』をみる―

今回も短い覚え書きである。少し前になるが、慶應義塾大学アートセンターで催されていた、アートアーカイブ資料展将此 惘討匹發里垢猊屋−瀧口修造書斎』(2018年1月22日〜3月16日)をみた。初めて訪れた会場は壁面、天井が白く塗られたいわゆるホワイトキューブ。壁面に資料の写真群と縮小された印刷物が隙間なく並べられ、最終コーナーには落合の住所がプリントされた住所ラベルと収められた小箱が置かれていた。

壁面上段には1953年から1979年にかけて撮影されたと思われる瀧口修造書斎、あるいは書斎のなかの瀧口修造と訪れた人たちが写っている写真が時系列順に並べられ、下段には『余白に書く』(1966年みすず書房刊)に集められた、色々な人たちの展示などを機会に書かれた小文が、初出の印刷物とともに、写真と時制をシンクロさせるように並べられている。テキストはかなり縮小されているので、会場には読むための虫眼鏡も用意されている周到さである。箱根細工のように細かく、見始めてすぐは、どんな骨格で組み立てられているのか、皆目見当がつかないという展示だった。会場で配布されていた印刷物も手の込んだもので、デュシャンのトランクのように展示をミニチュアにした態の資料体である。

瀧口修造が各人に投げかけるように書き送ったテキストとともに、見覚えのある写真群もまた興味深く見ることができた。様々な写真家、あるいは特定されない撮影者の写真が、生という言い方もできるだろうそのままの形で展示されている。どちらかというと時系列を重視した選択のようで、こうした写真の見せ方もあるのだと面白く感じた。羽永光利、大辻清司、高梨豊と当然つながりがある写真家の写真もあったが、二川幸夫という名前もあってこちらも興味を引かれる。撮影者が特定されていない瀧口コレクションと覚しき卓上のオブジェ群と、細江英公の撮影したポートレートには気持ちがそそられた。なにか、撮影する人間の欲望が滲み出ているような思いを感じる。書斎の影達がうごめき漂うように、言葉と言葉の間を行き来し、これまでみてきた瀧口修造書斎写真もあらためて思うように眺めてみるという機会だったのだろう。

2018年02月19日

ウチそと研通信160―久しぶりに草森紳一を読むー

『本の読み方』-墓場の書斎に閉じこもる-という本を読んで面白かった。著者は草森紳一草森紳一は10年前に亡くなっているが、1994年から1996年まで雑誌に連載されたものが没後にまとめられて刊行されている。成立の経緯はわからない。内容はタイトル通り、本の読み方のいろいろを書き綴ったエッセー集である。あっという間に読み通したが、本というものとのつきあい方をあらためて教えてくれる楽しい本だ。副題の-墓場の書斎に閉じこもる-は毛沢東が若い頃、親の眼を盗んで墓場に隠れて読書に耽ったことについて触れているところからつけられたようだ。毛沢東は読書家であったようである。草森紳一については以前このブログでも書いているが、それ以来久しぶりに草森のページを開くことになった。本の冒頭には「ウグイスの死」と題する寺田寅彦の本の読み方に関する考察が置かれている。何気なしに寺田寅彦の本を開いてみると、・・・右のような出だしの随筆に出っくわしたのである。・・・と草森は書き記す。このー出っくわすーという彼の言葉に出会ったとき、草森の面白さは、何かに出っくわしたときの草森の心の開き方が、こちらの心を動かすのではないかと思いついた。出っくわすという彼の言葉に引きずられて、遅まきだが「散歩で三歩」をまた読んでみると、コンパクトカメラで撮られた彼が出っくわした写真の見え方がもっと身に迫ってくるように感じる。草森紳一コンパクトカメラによる(ネガカラーフィルムでの撮影だ。)写真群はなかなか説明しにくいものなのだが、『本の読み方』に収められている本を読む人たちのスナップ、あるいは本のある場所などの写真のあり方はなんとも不思議でいろいろな思いを誘う。これらのなんとも言いがたい彼の写真にしばらくとりつかれそうだ。草森紳一には『写真のど真ん中』という丁寧な写真に関する評論集が同じ河出書房新社から出されている。またいくつか草森紳一の本を読み直してみると、考えと言葉の繰り出し方が具体的で、赤瀬川源平に似ているところがあるようにもふと考えた。

今回は備忘録をもう一つ。1月半ばに四谷3丁目のギャラリー・ヨクトで吉村朗のカラー写真が展示された。『THE ROUTE釜山1993』というタイトルで山崎弘義さんの企画である。韓国と一部に中国での撮影が混じるが、それまでの吉村の写真にみられる街の中を走り抜けるような街頭スナップに、飾り窓の映り込みやグラフティ視線がとどまる写真が混じり、次の吉村のモノクロのシリーズの予感をさせるのはこちらの思い込みなのだろうか。吉村の作業の軌跡は折に触れて何かを思い出させる。