写真の内側・外側研究会

2016年07月27日

ウチそと研通信146 −俯瞰の誘惑−

パノラマ写真に興味を持ち撮影を始めてそろそろ9年になる。今ではスマホにもパノラマ撮影機能がついているし、ネットで検索すればたくさんパノラマのイメージが出てくるようになった。

パノラマ画像の起源については詳しくないが、洛中洛外図や名所図会、仏教曼荼羅などの俯瞰のイメージもパノラマと言ってよいだろう。だいぶ前の話になるが、今年の初めに国立近代美術館でやっていた『ようこそ日本へ:1920‐30年代ツーリズムとデザイン』展にあった、吉田初三郎のデフォルメされた観光案内図もパノラマイメージだ。天下人が天守閣の上から自分の領地を眺めたように、自分たちの暮らす世界を見下ろし見渡すことは魅力的だ。スカイツリーなどの展望台は今でも行列だ。

パノラマイメージの魅力は、その没入感にあるといってよいだろう。バーチャルリアリティやAR(拡張現実)などもそれが大きな魅力だし、4Kや8Kなども投影されるスクリーンやモニターと、今いる現実の境界を曖昧する技術に思える。現実社会の面倒な手続きを省略して、ある目的に至ることができるこれらの技術は、それだけで満足できてしまう人々も多いだろう。などと書いている間にポケモンが話題になっている。ポケモン引きこもりを家の外に出し、ついでに株価も上げる、現実社会を豊かにするツールなのか、あるいは、危険な現実社会を、楽しい夢の世界に偽装するだけのものなのか。ただ、パノラマ館の原型がベンサムの「パノプティコン」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%B3)であるなら、娯楽の視点はすぐに監視の視点に裏返る。楽しいアプリやアトラクションの背後に、誰かの視線を感じずにはいられない。

2016年07月14日

ウチそと研通信145 −「TODAY TOKYO」の前後−

先日、四谷三丁目ギャラリー・ニエプスで田中長徳さんの展示を見た。日曜日の午後、ギャラリー内は混雑していて、来場者の間をすり抜けるように作品を見て歩いた。すでに会場には田中さんの姿があって作品の説明をしているところであった。ここ何年か、雑誌その他で田中さんの「TODAY TOKYO」時代のとくに東京の写真を目にする機会が多かったが、今回の展示は日大入学前からの作品ということで、たぶん初めて目にする写真ばかりだと思われる。プリント、展示レイアウトともオーソドックスで心地良い。ここでオーソドックスというのはストレートに焼き出したプリント、オーバーマット紙を重ねた額装。順当な会場レイアウトが私などの世代にとっては、一点、一点の写真が移動するたびに目に飛び込んでくれるという意味である。広い意味でのインスタレーションではあるけれど。

田中さんのニコンサロン(ニコンサロンは銀座にしかなかった)での初めての個展「TODAY TOKYO」は会期中、二度見に行っている。当時、田中さんは二十歳そこそこだったがすでにスター写真家といってもよい存在で、カメラ雑誌にはボリュームあるページ数で作品が頻繁に掲載されている。展示は、テレブロと呼ばれていたマットサーフェースの大きな印画紙に、銀の粒子もくっきりとプリントされているものが会場いっぱいに並べられていた。それらの写真に囲まれて圧倒されながらやっと思えたことは、田中という人は東京じゅう、どこにでも姿を現し写真に収める人なのだなということだった。行われている誰かの結婚式、学生らのデモ、モニュメンタルな新しい建築など「こんにちの東京」のいたるところに田中さんがカメラとともに出現する。仕事中ということで会場には田中さんの姿は見えなかったが、数年後、京橋わきの映画館「テアトル東京」横の交差点で、黒いカメラを持って信号待ちをしている田中さんの姿を初めて目撃している。

その日に催された田中さんのトークショーにも参加してみた。以前にはお目にかかってよく話を伺う機会はあったが、長い時間のトークショーを聞くのは実は初めての経験だった。トークショー前日の話から始まり、学生時代からウイーンに長期滞在する頃までの話を中心にトークショーが進められた。最後に写真家の中藤毅彦さんの質問に答える形で、写真を撮り始めた最初から、まっすぐに現在にいたっている、という意味あいの発言があり印象的であった。今回の展示の写真はそれぞれ見飽きない作品が多かったが、個人的には一点、石貼りかコンクリートの階段の幅広の手すりに座る男が、一人ぽつんと小さく縦位置の画面に収まっている作品がとても興味深い。人間の視覚には盲点というものがあるが、その盲点の位置にその男の姿があって、逆転するように盲点の男だけがはっきりと見えているような、そうした見え方がしているような気がした。そして田中さんの写真には、このような感触の写真がこれまでもいくつかあったのをその時、印象深く思い出した。

  「TODAY TOKYO 1966」ギャラリー・ニエプス 2016年7月1日〜7月10日

2016年06月22日

ウチそと研通信144 −福山えみ写真展など、また不明瞭ということについて−

 ここのところ気ぜわしい日々が続いて、気になる展示をいくつも見落としている。また構えた大きな写真展のいくつかは、なんだか遠慮したいというのがここのところの気分でもある。その中で最近観覧した写真展をいくつか簡単にメモしておきたい。

 福山えみさんの久しぶりの展示、「岸を見ていた」は心地良い写真展だった。福山さんの写真は阿佐ヶ谷の「街道」での展示から見ているけれど、その頃の作品の初々しい手触りから、豊かなふくらみを感じさせる方向に確実に歩みを進めていると感じさせる。画面手前から画面の奥、また画面の向こう側まで、幾重にも折り返すように、見る者の視線を行きつ戻りつさせる写真の印象は変わらないが、今回、例えば会場中ほどに置かれていた写真、階段状の石の坂道の踊り場にカメラを向けた作品などは、もう少し異なる感触でとても興味深かった。その作品では、これまでの、見る者が鏡に向かい合うような福山さんの写真の見え方だけではなく、その写真のなかに見る者がまるで足を踏みいれられるような思いにさせられる印象だった。他にも別な方向に気持ちを動かされる作品が散見された。踊り場の写真から福山さんはこれからの新しい写真空間を見つけることになるのだろうか。

 もうひとつ、四谷のトーテムポールフォトギャラリーで展示されていた、広瀬耕平さんの「欲視録」も興味深い展示だった。インパクトのある濃度の高いモノクローム作品の展示で、会場レイアウトも含めて印象が強い。展示作品は一度撮影、現像したフィルムに薬液を使って手を加えたネガをつくり、そこから引き伸ばしプリントを作り出すプロセスをとっていると言う。今回の展示では夜の街などを撮影したフィルムに手を加えられている。会場に置かれていた今春の「日本カメラ」誌に、広瀬さんと作品の紹介記事が掲載されていたが、そこでは昼間に撮られた写真が素材となっていた。「素材」になっている撮影写真はどれも面白い。たぶん素材の質が高くなければ成立しないだろう。広瀬さんの作品では不定形の斑紋が元写真を腐食するように重ねられている。ところで会場でちょっと思い出したのが進藤万理子さんの写真だった。写真の現れ方やプロセスはまったくことなるが、画像の不明瞭化、ノイズの挿入といった点で重なるところがあるような印象を持つ。さらに私の周囲の学生にも「見かけ」の「不明瞭」に関心をよせる人が増えてきているので、「不明瞭」ということで考えられることもありそうだ。このような操作をデジタルだけではなく、銀塩で行うというのも面白い。こんなところが最近気になっている。広瀬さんの会場展示にも数点あったが、森山大道さんの一時期の作品のような極端な拡大による、不鮮明、不明瞭という提示、またベロックのガラス乾板につけられたひっかき傷で黒く残された目隠しにもどこかでつながりそうだ。

2016年04月11日

ウチそと研通信143 −タテ位置の街−

京都に寄る機会があり、前から見たいと思っていた木村伊兵衛のカラー写真、京都駅でやっている「木村伊兵衛 パリ残像」を観た。

シャツやスカート、自動車ネオンの赤を中心に、タテ位置でまとめられた展示はリズム感があり、作者の楽しい気分が伝わってくる。ボケやピントの甘さ、フレームの傾き、画面を横切る人影も、むしろ臨場感を醸し出して、一緒に歩いているような感覚。開館間もない時間だったが、団体と思われるお年寄りの集団が一緒だった。すぐ近くにいたおばちゃん二人は写真を観ながらあれこれと話すものだから、監視員に注意されていたが、つい話したくなるのも仕方のない楽しい写真展であった。普段、カラーフィルムは使わないが、ちょっとカラーを試したくなった。

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2016年03月30日

ウチそと研通信142 ―「イスタンブール‐思い出とこの町‐」(オルハン・パムク著)のテキストと画像―

オルハン・パムクというトルコの作家のことを全く知らなかったが、偶然手にしたこの本を開いた時に、つい引き込まれた。頁のあちらこちらに古い町の写真や版画が散りばめられて、そのどれもが魅力的だったからだ。奥付を見るとパムク氏は1998年に「わたしの名は紅」というミステリーで世界的に話題になり、2006年にはノーベル文学賞を受賞している。毎年日本人の作家のノーベル文学賞の受賞が取り沙汰されるが、外国作家の受賞や内容については冷淡なのを反省してしまった。ノーベル文学賞の意味合いはそれなりのものだとも思うが、やはり目を通しておくと良さそうだ。

イスタンブール‐思い出とこの町‐」という本はイスタンブール(現地ではイスタンブルという発音が近いらしい)で生まれ育ち、現在も暮らしている作者の誕生時から成人する22歳までの期間の自叙伝風の読み物の体裁をとっている。幼年、少年、青年の時に体験した、家族たちや身近な人々とイスタンブールの町の出来事とともに、紀元前ギリシャの植民都市、次のコンスタンチノープルと称された時代からさらにオスマントルコ時代の事柄などが、途中途中に年代記風に挿入され、さらにフローベルなどヨーロッパの作家たちのイスタンブールに関する記述も引用されて、重層的にパムク氏とイスタンブールの町が叙述されている。個人の経験の流れと、イスタンブールの歴史が重なり合って読み取れるのがこの書物の重要なポイントだ。

またテキストともに大事なものが、引用されている古いイスタンブールを描いた銅版画、古い時代のイスタンブールの町やボスフォラス海峡などの写真、パムク氏の個人的なアルバム写真の類である。画像の選択はとても良質。本のカバーには209枚の図像が収録されているとある。中でも1819年に出版されたアントワーヌ=イグナス・メリングの「イスタンブール及びボスフォラス海峡沿いの絵の旅」という銅版画集について、先行するピラネージの遺跡シリーズの版画を例にして古いかつての栄えたイスタンブールの細部を楽しげに語る。またアラ・ギュレルの1950年代、1960年代の数多くのマグナムタッチのモノクロ写真が収録されている。この本を読みながらすぐに思ったのがゼーバルトの一連の本である。テキストと画像の不思議な織物という点で印象は重なる。ただゼーバルトの本ではゼーバルトの視点は空間各所を絶えず移動し、時間も入り乱れて進行するのに対し、パムク氏はイスタンブールに留まり、時間も一つの軸の前後を滑らかに移動する。改めてこの本の写真撮影者で記憶しておきたいのは1912年生まれのセラハッティン・ギズ、新聞記者であり写真家でもあったというヒルミ・シャーヘンキ、19世紀後半イスタンブールを撮影したアブドゥッラー兄弟、さらに画家を目指していた青年のパムク氏が撮影した数枚の町角の写真はとても魅力的だ。ノーベル賞受賞の際に「ジョイスダブリンドストエフスキーサンクトペテルブルグプルーストのパリ、そしてパムクのイスタンブール」と表現されたと訳者あとがきにあった。

オルハン・パムクイスタンブール‐思い出とこの町‐」

和久井路子訳 藤原書店2007年刊行