写真の内側・外側研究会

2017年12月06日

ウチそと研通信158 ―時間の積層―

少し前になるが、小田原にある「生命の星・地球博物館」の企画展、『地球を「はぎ取る」』展(地層が伝える大地の記憶)を観た。地層をはぎ取り、型どり、切り取ったさまざまな種類の大型の地層標本で構成された特別展で、地球上で起こったさまざまな出来事、大地の記憶が美しい縞模様として積層、記録されていて、観るだけでも面白いのだが、地層をつくる実験や、学芸員が描いたキャラクターによるひとこと解説など、その工夫された丁寧な解説がとても分かりやすく、楽しい展示だった。

ご存知のように博物館は、歴史や考古、民俗、自然、科学、美術などの専門分野に分かれていて、それぞれの分野ごとに展示が構成されている。それぞれは詳しく紹介されていても、違う分野にまたがって展示している博物館はまだ少ない。ひとつの物事について、例えば理系と文系、芸術と科学や自然など、それらのつながりを読み解くことは素人にはなかなか難しい。

世はダイバーシティ多様性の時代であるが、専門家によっていろんな問題が解決されてきた一方で、あらゆるものが分類、整理、ランク付けされることで、差異ばかりが強調され、個々のつながりが分断されてしまっているのではないだろうか。われわれが見失ってしまったそれらの丸ごと、全体像を取り戻すためには、あらゆるものに共通し、それらを等しく貫いている時間に注目すべきではないかと考える。

その時間軸は、有名な一族の歴史でもなく、地域や国家の歴史といった、その時々の都合で意味や価値が変わってしまうようなものではなくて、地球の誕生から生命の歴史、この列島の成り立ちという大きな時間の流れとして考えたい。その中でわれわれとそれを取り巻く全てのものが並べられたとき、子ども高齢者、民族や宗教国籍、LGBT、理系と文系学芸員キュレーター、それぞれのつながりが見えてくるのではないだろうかと、地層を見ていて思ったのだった。

2017年11月02日

ウチそと研通信157 −澁澤龍彦「ドラコニアの地平展」で地球儀をみる。−

先月の雨もよいの一日、世田谷文学館で催されている「ドラコニアの地平」展に出かけた。澁澤龍彦の原稿や身の周りの品々を主に展示しているとのこと、また知人からミノルタCLEも持ち物として展示されているのを聞いて足を伸ばしてみたのである。澁澤龍彦については以前にもこのブログに記したことがあるが、「胡桃の中の世界」という書物を読んで以来、いくつかの著書をいまだに興味深く読み続けている。

雨のせいか、平日ではないのに観覧者の数は少なくゆっくりと見ることができて楽しかった。あまり混んでいる澁澤龍彦というのもつらいよな、と思うところはあるだろう。会場入り口近くに、まず彼の持ち物である「地球儀」が置かれている。格別に凝ったものではなく、当たり前といえば当たり前な小学校の教室にでも置かれているような普通の地球儀である。何時から彼のそばにあった物かはわからないが、当然国名の表記などは現在とかなり異なっている。澁澤龍彦の短いエッセーに玉虫の厨子をつくる友人の話があるが、正倉院にあるオリジナルではなく、身近な人間のつくるコピーに共感と関心を抱くというところに澁澤の特徴のひとつがあるような気がしてならない。工芸品のような地球儀ではなく、既製品の地球儀を飽かず近くに置いていた事を面白く思う。彼の必要からすれば、ただ地球儀ありさえすればそれで済んでしまうということになるのだろうか。想像以上に「物」に対する執着は薄く、自身の想念を展開させるに必要な事が満たされていればかまわないということなのだろうか。

会場の大部を占めていたのは、自筆の草稿類だった。推敲の後など内容を追いかけるのは到底根気が続かなかったが、原稿それ自体は堅苦しくなく読みやすい書体で見ていても感じがいい。偏と旁がやや離れて感じられる字体にも特徴がある。用箋はごく一部を除いてありふれた400字詰めのコクヨ製が多く、それぞれの出版社が用意している社用の原稿用紙も使われていた。同じ会場に展示されていた、きつく要返却の文字が残されている石川淳の自家用箋の自筆原稿はさすがにインパクトが強かったが、澁澤の場合、用箋にはそれほど頓着していない気配が見えるようで面白い。

地球儀に始まる身辺の様々な物、コレクションも展示されている。鎌倉の澁澤邸については細江英公篠山紀信といった人たちが詳細な撮影をしているので、ある意味で馴染みになっているような気がする。蒐集?されていた絵画や立体なども写真などで見知っているつもりの物が多く、それらのものもいつの間にか自然と澁澤のもとに集まった品々の様にみえて来るのも不思議だ。言ってみればいつしかドラコニアに打ち上げられた漂着物のように感じられたりする。ヨーロッパ旅行時や折々に撮影された写真が展示されている一画に、Kさんから聞かされていたミノルタCLEが律儀にレンズキャップをされた姿で飾られていた。このカメラは多分、ミノルタがCLEの広告を打ったときのカメラと想像される。今でも古いカメラ雑誌を開くと、テーブルに載せられたミノルタCLEを前に座ってポーズをとる澁澤龍彦の写真が見られる。CLEのボディ裏メモホルダーにはフジのフィルム紙箱の一片、それも簡易露光表が差し込まれていた。画像や形象、映像好きだった澁澤龍彦だが、自身はカメラに特に興味を持っていたようには思われない。鎌倉の小町時代の写真にいわゆるマミヤフレックス況燭梅н靴撮影したらしい矢川澄子の写真が残されているけれど、ピンぼけのカットもあったりして熱心な撮影者とはいえないようだ。初めてヨーロッパを訪ねたときはキヤノネットを使っていたようで、そのとき撮影された写真も壁面に展示されていた。澁澤本人がどれぐらいシャッターを押したかは不明だが、ツーリストがごく普通に撮影する人物と背景がつり合う何気ない写真が淡々と連なっていた。

2017年10月11日

ウチそと研通信156 慰藉と対峙/内と外 榎倉康二〈予兆のためのコレクション〉

最近、榎倉康二の視線をふと感じたのは、イギリス写真家フランシス・カーニーの作品〈Five People Thinking the Same Thing〉(1998)を見返している時のことだった。双方の写真作品のあいだを繋ぐなにかを感じた、というべきか。

カーニーの5枚組の写真では、部屋(どれも住宅らしい)の中に人物がひとり、顔の見えない後ろ姿で、床に膝をついたり、椅子やソファに腰かけたりしている。暖炉であるとか、洗面台やバスタブ、簾状の日除けの掛った窓辺など、登場人物たちが身をおくのは住まいの内側と外側を媒介する通気弁、水まわりのポイント付近であり、中年以上の年恰好の彼、彼女たちは、寡黙げに手もとを見やりつつ、漠とした彼方へ意識を馳せているらしい。

何をしているのだろう? 陶製の碗からとりだした塩の山をてのひらに受けている。指先に生まれるあやとりのかたちに見入っている。あるいは、つまみあげたペンジュラム型の茶漉し(ティーストレーナー)から落ちるしずくを見まもっている。どの人物もごく日常的でささやかな物質を手もとに見つめ、なかば放心気味に、ゆらぎの行方を感じとろうとしている――日常空間の片隅に浮かぶ極微極小のきざしに何ごとかを占おうとしているように見える。

榎倉康二の写真にも、それとつうじるものがありはしないか。〈Five People Thinking the Same Thing〉の5枚の傍らに、たとえば、打ち寄せる波が砂浜につくる曲線にそって全身を横たえ、それを確かめようとする後ろ姿の男を撮った〈予兆―海・肉体(P.W.‐No.46)〉(1972)という榎倉の1枚を置いてみることができるのではないか。カーニー作品と榎倉作品の後ろ姿の人びとは、周囲にひろがる事物たちの肌理、光のレイアウトに身体を同調させながら、くつろぐこと/知覚を凝らすこと(慰藉/対峙)を、一体のこととして味わっている――。わたしが榎倉の写真につよく惹かれるのは、彼のいう「事物と肉体が対した時に起こる緊張」という事態がそのまま、同時に、深い慰藉に満ちているようでもあるからだと、今、そう思える――それは、自己消去、無機物へ帰していくことを誘う、どこか危険な香りをともなった慰藉であるかもしれないのだが。

※ ※ ※

一昨年春、九州へ転居して早々、たまたま訪れた福岡市美術館常設展示室で榎倉作品に遭遇した――〈予兆のためのコレクション〉と題するそれは、ガラスの蓋のついた木箱に収納された長い刃物のセット5点と、やはり木製の小さめの額にぴたりと余白なしで嵌めこまれた人間の皮膚の写真数点(モノクロ光沢紙)の組み合わせからなる特異な作品で、1975年田村画廊の個展で当初発表され、たぶん、皮膚を撮った写真を彼が作品化した最初のものと考えられる。

初出時から40年あまりを経た〈予兆のためのコレクション〉のひんやりと沈黙をまもった、地学資料の鉱物標本を想わせもするたたずまいを前に、わたしもまたなかば放心し、その場にゆらぎだす何かを追っていた。

これらは“刃物”だろうか? なんとなくそう書いてしまったが、エッジ部分を眼でたどるとモノを切断できるほど鋭利に研がれてはいないようで、“刃物”よりもむしろ“定規”に近くないだろうか。目盛りこそ刻まれているわけではないが、これらは、ある測定尺度を措定する、原器的な物差しとしてここにあるのかもしれない。

榎倉が残した撮影ネガからのコンタクトの中に、この“刃物”または“定規”を自宅アトリエの床などに置いて撮った一連のシートがあって、『予兆 Koji Enokura Photo Works 1969-1994』(TPH、2015年刊)に、6×6判フィルム2本分全カットが収録されている。たんなる記録という以上に、あきらかに撮ることがある探究として展開している、大変興味深いコンタクトシートなのだが、それらをたどって気づくのは、室内の床面に“刃物”または“定規”をそわせたどのカットからも、共通して、窓の存在がだいじな相関物として浮かび上がってくること。

窓から流れこむ光をさまざまに反射し、硬質に冴えわたる光の帯となるそれが、アトリエ内の今ここと窓外に広がる世界を二重に映じ、内と外の関係の布置を感知させる――。鋼のそれは、窓との相関をつうじ、外部の広がりと眼前の“ここ”を繋ぐ、言いかえれば遠/近を媒介する、榎倉的なパースペクティヴ(遠近法)を創出する試みとして、これらのコンタクトシートに現れているのではないか?

人間の皮膚を接写した榎倉の一連の写真が、当初まず、こうした“刃物”、“定規”または“遠近法”との組み合わせで提示されたものだったことは、立ち戻ってじっくり見つめ直してみるべきことのように思われる。

2017年09月09日

ウチそと研通信155 −売野雅勇(うりの まさお)の時代−

今年6月末から7月初めにかけて開催した個展「街の記憶術」は、バブル時代と重なる1980年代半ばの築地の変わりゆく情景を撮影した写真で構成したものだった。来場してくださった方々の中にはあのバブル期のことを知らない若い世代も多く、こちらがたかだか30数年ほど以前と思っていたことが、そうした人たちと話をしていると実はひどく遠いことのように感じさせられ、また写真として残されている、消えてしまった築地の幾つもの眺めが、自分自身から離れて一人歩きをしているようにも見えてくる。

会期中、会場でギャラリーのスタッフの人たちとその時代に流行っていた音楽のことを話す機会があった。まだアイドルポップス歌謡曲が大勢の人たちに共有されていた頃で、すぐさまいろいろな歌手の名前が飛び出してくる。こちらはすでにいい年になっていたけれど、撮影移動の車の中で彼ら、彼女らの声をいつもよく聴いていた。ちょうど来場者の途絶えたときだったので、ユーチューブで思いつくまま当時の動画をみんなで見ながらはしゃいでしまったが、タイミングが合うとこのようなことで意外にテンションが上がってしまう。

歌謡曲、いまならJポップというところのものなど(1960年代終わり頃にはジャポップという言い方もあった。)いろいろな人のCDやミュージックテープを聴いていたが、好んで聴いた一人に荻野目洋子がいる。デビュー当時の張り詰めた歌唱も良かったが、アルバムをコンスタントにリリースしていた頃の彼女も素敵に思う。そのアルバムのなかに作曲が筒美京平、作詞が売野雅勇というコンビの作品が多く、特に売野という人の歌詞のフィクショナルなストーリー性をとても面白く感じていた。

売野雅勇は当時の作詞家の中でも売れっ子の一人で、シャネルズやチェッカーズなどにも歌詞を多数提供しているが、荻野目洋子のアルバムでは原宿表参道キラー通りなど、また湾岸や芝浦界隈のクラブなどバブルの時代の装置を若者達のストーリーに織り込んで、いかにもその時代を歌うといったものだった。が、しかしその時代を歌いながらその実、売野の言葉の心根がどこか嘘っぽくその時代にいないようで、そしてある種の戦後日本のノスタルジーのかけらを含んでいるところに共感していたように思われる。

その後売野雅勇の名前をあまり眼にすることがなかったが、昨秋、吉祥寺の本屋の店頭に「砂の果実」という売野雅勇の自伝風の本が平積みになっているのを見て、懐かしく手に取ってみた。カバーのイラストは鈴木英人といかにもだったが、本を開くと扉辺りに若い頃の売野雅勇ポートレートが載せられていた。メルセデス・ベンツ220SEクーペの前でポーズをとる細身の彼の姿が、右方あがりの日本の戦後と重なり合う。彼の作った歌を聴きながら、築地の写真を撮っていた頃を思い出す。

2017年07月24日

ウチそと研通信154 連続した自分の個展のこと、山崎弘義氏の「Know Thyself」展について

今年の関東の梅雨はあまり雨も降らないままにとうとう明けてしまったようだ。

ここのところ、3月にギャラリー・ニエプスで、そして6月末から7月初めにかけては小伝馬町ルーニィでと個展が続いた。連続しての展示を初めから予定をしていたわけではないけれど、ニエプスでは「草のオルガン」と題してここ数年に撮りためたデジタルカメラによるカラー画像、ルーニィでは「街の記憶術」と題する30年ほど以前に撮影したモノクローム築地の画像の展示。結果として二つの内容の異なる展示を、あまり間をおかずに展示することになった。自分の中では振り返る作業と、追いかけている作業を並列したような気持ちになっているのが面白い。けれど、ある意味では実は双方ともにあまり差がなく、常に眼の前にないものを追いかける、という作業になっているのかとも思われる。どちらもギャラリー企画展ということで、お声を掛けていただいたことを感謝したい。

「草のオルガン」は昨年の日本カメラ6月号に同じタイトルで掲載されたシリーズと同じ流れの画像を自分なりに展示している。このシリーズは富士ゼロックスの広報誌、「グラフィケーション」電子版最新号No.10号にも「草のオルガン」として掲載されているのでタブレット、パソコンなどでもご覧いただける。自分の個展セレクトとまた編集のされ方によって画像がどう違って見えてくるのか、またどのように変化してゆけるのか、地道に作業を続けて行くつもりだ。もう一つ、「街の記憶術」は1980年代の築地の情景を撮影したものだが、これまで未発表の画像を多く含み、ネガチェックが面白かった。この作業の系列でいえば、最初の個展である1970年前後の東京で撮影した「写真都市」(1975年新宿ニコンサロン)以来、東京川口上野川崎、関東周辺の街々、そして今回の築地で「関東という器」がおぼろげにかたちをなしてきたようにも思える。

さて最近見た山崎弘義さんの展示「Know Thyself」はとても興味深かった。家族を撮影した画像で密度の高い写真集を出版している山崎さんだが、今回の展示と合わせて体験すると、見るということについて、集中、執着、の山崎さんの強度の大きさがこちらにより響いてくるように感じる。街中に装置されている監視カメラからキャプチャーされた自分の連続カット、まずは写ることというようにして撮影された上半身裸の自写像、そして太ももから頭部までの自身の裸の「側面」をシルエットで投影した4分割の大きなモノクロームの画像。この3つの要素がお互いに影響し合うように構成されていた。なかでも彼の男性器まで影じられているシルエットが印象深い。高松次郎のことや、プロフィールということではローマ時代の貨幣などもすぐに連想させるけれど、この会場でシルエットが主張した生々しさは記憶に残るだろう。今回は自分の「見かけ」を掛け値なしに認識することとはという展示なのだろうか、次回の山崎さんの発表が楽しみだ。

山崎弘義写真展「Know Thyself」2017年7月11日〜7月23日TAP Gallery