写真の内側・外側研究会

2016年11月24日

ウチそと研通信151 -吉村朗『Akira Yoshimura Works』-

本書(大隅書店刊)の巻頭に収められた〈分水嶺 The River〉は、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が相次いだ1995年、都市のカタストロフをまざまざと見せつける二つの出来事に挟まれた2月後半の期間に、銀座ニコンサロンの個展で当初発表されたシリーズだった。

吉村朗は1980年代半ば、都市の日常的なシーンを捉えたスナップショットで頭角を表わした写真家であり、筆者がはじめてその存在を意識したのも、新印象派の画家スーラの描いた河畔に憩う人びとの眺め(グランド・ジャット島の日曜の午後)を80年代日本の現実に横すべりさせたマジックを見るかのような、〈ウィークエンド・ピクチュア〉という、プールサイドでの鮮やかなカラーの一枚によってだった。後期資本主義社会的な主体の消滅感ともいうべきものを巧みに定着し、それでいてシニカルになりすぎず、無垢さとユーモアを漂わせているようであるところが、ほぼ近い時期の畠山直哉のシリーズ〈等高線〉とかさなり、”新人類”という当時国内のジャーナリズムでよく用いられたタームとも結びついて、いま脳裏にもつれ浮かんでくるのだが、〈ウィークエンド・ピクチュア〉をはじめとした初期吉村の都市スナップ群は大部分、現存せず、2012年に彼が急逝する以前のいつの時点かに、彼自身の手でフィルムごと廃棄されていたのだという(中平卓馬が『決闘写真論』のテキストに綴った、明け方の海辺でそれまでの撮影フィルムをすべて焼却したという1970年代半ばの場面を想起しないわけにいかない)。80年代作家として同世代の誰より早く脚光をあび、その才能を嘱望される新人だった彼が、80年代(彼の実年齢上の20歳代とかさなる)をかくまで徹底して始末していたとは。。

同時代者にこの『Akira Yoshimura Works』がつきつけるのは、まず、80年代作品の抹消=不在という事態であるに違いない。それは、写真家当人によって準備され、いわば意志的に仕掛けられていた。

分水嶺 The River〉は、80年代的なものからの切断=跳躍をだれの眼にも強く印象づける作品であったはずだ。「日本の大陸侵略の歴史的痕跡を、韓国北朝鮮中国が接する国境地帯への旅のなかで探し求めた写真を中心にしたモノクロの作品」(本書解説より)と説明されるこのシリーズから、本書は47枚を収録し、編者のひとり湊氏に確かめたところ、配列は作者が残したプリントのセットにあった通りをそのまま動かさず提示したという。初出時から20年を経過した今、このシリーズに接し、どう見えたかを断片的にメモしてみる。

各ページ1枚ずつ写真を見せる構成を作者自身がどこまで意図に含んでいたかは不明ながら、見開きページどうしの写真はどれをとっても十分濾過の過程をくぐり、磨きぬかれた対置関係に見え、左右2枚のユニットを単位としていくことで、シリーズ全体の緊密な――電子的な転換・移行の速度とダイナミズムをもつ――流れが生み出されている。(隣り合う二つのイメージの語らい、結びつきを糸口として、見ること、読むことが起動しだすように思えるのだ、本作品はとくに。)

たとえば本を開いて冒頭、第6ページ(盧溝橋の破壊された石の欄干)と第7ページ(板門店ツアーのアメリカ人観光客を乗せたバス)の隣り合う一方は縦位置、他方は横位置の写真に一挙に触れるとき、二枚を結ぶ項として、陽射しを遮蔽する”庇(ひさし)”が介在している、という事態がくっきり浮きたってくる。それぞれを一枚で見ていれば、さほど眼に際立たないことかもしれないのだが、前者における砕けた石塊の庇により前景を遮蔽・陥没させる黒、そして後者における晴天下、輝く星印を付けた庇(観光バスの屋根)が落とす影の一帯は、併せて示されることで互いに貫入しあい、視覚を遮る部分的な濃い黒味の感触をこちらの眼玉へ刻みつけてくる。

画面に空を広々と仰ぐことはしなかったし、地平線を見渡す視点に立つこともほとんどなく、また地べたをパースペクティヴの中に安定的に含めた風景描写をすることもごく稀だった(ソーシャルランドスケープ、ニュー・トポグラフィクスとは明確に切れている――〈分水嶺〉は、むしろロバート・フランクに近しいところがあるのではないか)。視界を限定づけ、遮る、貧しい小窓のようなフレームでなくてはならない。画面に手触りとして、なんらかの障害感として、見ることを条件づける物質的限界のありかが示されている。見ることへの”庇”の介在は、続く第8、第9ページの街角での人物スナップや、二重橋前広場の風にそよぐ柳の枝々の下でコリアン・アメリカンの青年をクローズアップしたショット(第12ページ)へと続き、〈分水嶺〉導入部を強く方向づけているようだ。

見開きの二枚は、ページを繰るごとに順光/翳り、遮蔽/穿孔、クリア/ブレボケ、直視(間近さ)/遠隔視(介在するTVモニター)といった対置をさまざま組み合わせ、駆けぬけるように転換をかさねていく。超光速航法というSF用語を引き合いに出したくなる、イメージからイメージへの圧縮的移行の鋭さ、スピード感――これは、他にあまり類例を思い浮かべられない、〈分水嶺The River〉ならではの流儀にして力技、吉村朗が掴んだ突破口的な達成だったに違いない。

 

本書は巻頭の〈分水嶺The River〉に続き、その後の吉村作品〈闇の呼ぶ声 Dark Call〉、〈新物語 New Story〉、〈ジェノグラム Genogram〉、そして2004年に北折智子企画で開催した個展〈u-se-mo-no〉の展示作までを収録している。〈分水嶺〉という突破口を抜けて、そこで見つけた手ごたえを拡大・増幅し、さらにアクセルを踏み続け加速を止めなかった感のある彼の軌跡が、見事な印刷でここに再提示された。

短期間で見とおせる本ではないだろう。まずは〈分水嶺The River〉の1995年をしばらく反芻してみることから、本書との付き合いを始めていきたいと思う。〈分水嶺The River〉に現れる、多言語の文字たちの乱舞、斜めに飛び散る光、少女たち、そして立ちはだかる塔の威容は、続く各シリーズでどのように瞬間転位をとげ、変容していくだろうか――。

2016年11月10日

ウチそと研通信150 −東京南部−

大田区港区品川区の3区が「東京南部」と呼ばれていることを最近知った。京浜工業地帯東京側にあたるが、西東京で育った私には耳慣れない呼び方であった。昨年から仕事やらプライベートやらで、この南部を訪れる機会が増え、東京を南北に行ったり来たりしている。

先日『下丸子文化集団とその時代』(道場親信みすず書房)という本を知り購入した。1950年代朝鮮戦争の頃、この地域には米軍下請けの軍需工場が多くあり、そこで働く者たちによる「詩」を中心としたサークル活動が行われていたのだという。飯田さんと親交のある旋盤工で作家の小関智弘さんのような方があらわれる背景には、こうした社会的文化的事情があったのだと知った。

労働者によるサークル活動の中でとくに活発だったのが下丸子文化集団で、朝鮮戦争をはさんで1951年から1959年まで多くの雑誌を発行し、またその立ち上げ当初には、安部公房勅使河原宏などが関わっていた(文中では「文化オルグ的働きかけ」という表現)という。

私がこの本に興味を持ったのは、まず「南部」という呼称も含め、東京の西部や東部、下町とは異なるこの地域の雰囲気、その出所を知りたかったことがまずひとつ。さらに人口減少時代を迎え、なお且つ右上がりどころか現状維持も難しいようなこの時代に、値札のついた文化を消費するのではなく、自ら文化を創り出していた時代、地域がかつてあったということで、宮沢賢治農民芸術や、鶴見俊輔の限界芸術などにも通じるように思われ、今後、町おこし博物館活動など、地域での活動を考えていくうえで何かヒントがあるのではないかと思ったからである。

2016年10月13日

ウチそと研通信149 −大辻清司と稲垣足穂、そしてブラザーズ・クエイの展示−

前回に続いて大辻清司に関することを残しておこう。先だってたまたま何気なく稲垣足穂に関するトリビュート本(「稲垣足穂の世界‐タルホスコープ‐」平凡社コロナブックス)を読み始めたら、大辻さんの「ゼンマイ」と題するエッセイ風の文章に出会い、少し意表を突かれた思いをした。戦後すぐの昭和22年に当時24歳の大辻さんが、新宿南口に写場を持っていたことは知られているが、そこに或る晩、大辻さんの友人に伴われて稲垣足穂が姿を現し、数日間大辻さんの写場で寝泊まりしたらしい。汚れたベレー帽、片方だけの眼鏡、よれよれの背広に下駄ばきという足穂の姿がいささか強烈だったようで、大辻さんの文章のデティールの描写が細かく面白い。数日の滞在の間どのような交流があったかはさだかではないが、草下英明氏が足穂を訪ねてきたりと不思議な接点が浮き上がってくるテキストだ。以前に大日方欣一さんに稲垣足穂が大辻さんのところに泊まっているよと教えられていたことが、この件なのかとその時に思いだした。これまで読んでいる大辻さんのテキストは、写真のことに関する文章に触れることがほとんどなので、自身の思い出や趣味を稲垣足穂に重ねて書いているのが意外に感じられる。時折写真に関するものの中でジャズや模型趣味のことに触れることはあっても、いつも抑制が効いている。ここでは遠慮がちながら自己表出がなされているようで興味深い。ところでこの本の編集は楽しい。種村季弘松岡正剛などの足穂オーソリティともいえる諸氏に混じって、龍胆寺雄の文章を載せたり、内容的に足穂とかすりもしないように‐思われる‐浅川マキの文章を載せている。その中に大辻さんの文章も並んでいる。管見ながら大辻さんのテキストの場所としては例外的に思えたりもする訳だ。

9月に入ってからいくつか規模の大きな展覧会を観ている。規模が大きいためか、見本市や見世物めく印象が強いものも多かった中で、葉山の美術館で観覧したアニメーション作家のクエイ兄弟の展示は大げさではないが、なかなか新鮮で引き込まれるものがあった。(「クエイ兄弟_ファントムミュージアム_」神奈川県立近代美術館・葉山館)クエイ兄弟に関してはチェコアニメーター、シュバンクマイエルがらみで数編のアニメーションを見ているに過ぎなかったけれど、彼らが「モレルの発明」を原作に映画化しているということの興味もあった。展示は撮影に使った人形やステージセット、作品動画やコマーシャル動画の抜粋上映、ポスターなどの平面作品、舞台デザインなど、クエイ兄弟の‐全貌!‐を見渡す内容。動画表現の作家展示を平面展開の美術館ではやりにくいのはわかるが、展示パネルの羅列が多かったのには正直少々疲れる。しかしアニメーションなどの動画上映は手際よくまとめられて、クエイ兄弟入門者の私には楽しめた。クエイ兄弟アニメーションはいわゆるコマ撮りの手法で撮影されているが、背景、ステージの趣味性と緻密さは高い。趣味性そして様式性といってよいだろうが、北米出身の双子の兄弟が東ヨーロッパ世界の一つの面の正確な構築家になりきってみえる。ポスター、ドローイングの類も面白い。なかでもタイトルなどに使われている装飾的な多様な字体は素敵に見える。優れた細部の製作者、点検家としてブラザーズ・クエイを見ることもできそうだ。箱に入れられた撮影ステージと人形たちの展示ではなにやら観覧者は窃視症的な気持ちになる。最近のトーマス・ルフや杉本博の展示にも、窃視症的なシチュエーションが組み込まれていたが、少し在り方は違うようだ。クエイ兄弟はスタイルとして衒うのではなく、自身を含めた何かの内部に入り込むために、小さなトンネルを必要としているのではないかと考えてみる。雑多にも見える葉山のクエイ兄弟の展示から、細かなものの手応えが見つかるような気がした。

2016年09月15日

ウチそと研通信148 −「写真ノート」(大辻清司著)をもう一度読み返す−

2001年に亡くなった写真家大辻清司さんの本格的な型録/資料集が少し前に刊行された。この資料集は「大辻清司」−武蔵野美術大学 美術館・図書館 所蔵作品目録−と題され、500ページ近いボリュームがある。タイトル通り、武蔵野美術大学美術館・図書館に収蔵されている大辻さんの写真作品などが網羅されている。刊行は武蔵野美術大学美術館・図書館。もちろん私たちが目にした大辻作品のすべてではないけれど、逆にこれまで未見の作品も数多くあって見ごたえのある資料集となっている。また作品分類もきちんとされているので、一般的に大辻さんの仕事を俯瞰、把握しやすい。

今回の資料集は写真家としての大辻清司を追跡するものだが、対話する、あるいは対話できそうな人としての大辻清司を読み取ることができるのが「写真ノート」(大辻清司著・1989年・美術出版社刊)と言う本だ。今回刊行された大部な資料集を眼にして、もう一人の大辻清司を久しぶりに読み返してみた。大辻さんの写真論考集として密度の高いもので、何度も目を通している。映像全般がデジタル化される前の論考ではあるけれど、個人的に現在、目の前にしている課題に対する向かい方を、大辻さんの文章の中で重ね合わせることができることが多い。大辻さんはできるだけ平明な語り口で、自分自身と対話しながら書き記しているので相変わらず読みやすく感じる。この本の中では長年に亘り写真の何かを教えることを続けてきた大辻さんが、学校の生徒達、そして未知の読者達とのやり取りを反芻しながら考えを進めてもいる。自身との対話の中に他者との対話も含まれていくテキストである。そのやり取り、考えの道筋が読む者にも見えてくるので面白いのだと思われる。また学術的な論考とは異なり、撮影する一人の写真家としての動機から文章が起こされているのも、撮影する者にとって近づきやすく思えるのかもしれない。この「写真ノート」は1984年から1988年まで「アサヒカメラ」誌に連載されたものをまとめている。大辻さんが61歳の時に始めた連載だ。カメラ雑誌への写真論的寄稿はそれ以前にも「カメラ毎日」などにも多数あり、どれも読みやすく、人の機微に触れる文章である。何度も読んでいるはずの文章だが、今回の読み直しでも「黒白写真の大義」などという項目は、また何かの折に読み返してみることになりそうな予感がしている。ずっと以前、代々木上原のお宅に何度か伺う機会があって、アトリエに置かれていた未完成の鉄道模型レイアウト、未開封のプラモデルキットなど、どこか過程の状態と大辻さんのことが記憶の中で一緒になって思い出される。

2016年09月04日

ウチそと研通信147 −「ポンピドー・センター傑作展」など−

8月初めに見た都美術館のポンピドー展のことなどを備忘しておこうと思いつつ、もう9月だ。パリのポンピドー・センターを訪ねたのは出来上がって間もない頃で、巨大なダクトやチューブ状の通路などはやはり目立ったが、それより人の流れ方や在り方が当時のパリの他の区域とは醸し出す空気が違い、そこだけ異質に感じられたのが面白かった。さて今回の上野のポンピドー展、20世紀の美術を各年一作品ずつ選び展示してゆくという形式をとった展覧会である。意外な方法ともいえるが、各ジャンルが入り混じる時代には有効な見せ方かもしれない。パリを中心にした欧米の20世紀芸術アンソロジーという趣きだ。絵画、立体作品などと並んで数は少ないが、グラフィックス、写真、建築、映画、家具や音楽まで一応収蔵品から俯瞰しようという配慮でまとめられている。企画者の空間の中で各作品を見て廻ることになるが、今回は展示総体の中でブランクーシやカルダーなど彫刻、立体を面白く感じたのが意外だった。それまでの19世紀的な呪縛から解き放たれたことを確実に感じさせる。写真では文句なくジル・キャロンのパリ五月革命で石を投げる青年。またクリス・マルケルの「ラ・ジュテ」は多分、今までで一番多くの人に観られる機会がえられたのではないだろうか。

暑い夏のさなか、家でゴロゴロしながら宿題になっていたような本をいくつか読んでみた。一つはゲルハルト・リヒターの写真論/絵画論だった。以前にリヒターの展示を見た後に購入したまま、図版に目を通しただけでほっておいた本だ。女性の後姿を描いた「ベティ」や花のシリーズ、見たときにはなぜかル・セックの写真を思い出させた「大聖堂の一隅」などがなぜ面白く気になるのか、何かヒントがあるかもしれないという気持ちで読み始めてみた。いくつかのヒントはあるようにも思えるが、まだひとつの塊になるには時間がかかりそうだ。そのかわり、主に美術批評家と思われる人たちとの対話の中から、画像の変異や転換について、またその効果について、意識的に、細かく系統だった試みがリヒターの作品に反映されていることに気づかされた。多分、現在の写真の分野で行われているようなことも、すでにリヒターがずっと以前に実現させてしまっているような印象だ。対話者にもよるが、率直な受け答えもあるように感じられたりする場合もあるけれど、核心については必ず韜晦しているようなところも面白い。