うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

人間をつくる ヨガ叢書〈第3巻〉沖正弘 著

人間をつくる ヨガ叢書〈第3巻〉沖正
図書館リクエストで借りた保存庫の古書。1970年の本です。昔の本なので、極端な表現炸裂で、沖先生節も炸裂。中村天風氏ばりの豪快さ。だんだんとクセになってきました。
この本は「教育論」ともいえる内容で、「子育て」の指南書としても秀逸です。
編纂の流れは、沖先生節→生い立ちエピソード→さまざまな講話記録→海外各国(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スペインなど)での経験から、国際人間性分析→沖先生の道場体験者の作文という流れになっています。国際人間性分析のところなんかはもう言いたい放題で痛快です。今の世の中では、引用するとちょっとあれかしら。と思うほどの内容なので、そこは引用していません(笑)。
370ページに及ぶ内容の中から、心にメモしたかった箇所をいくつか紹介します。

<40ページ 「相手の潜在能力を引き出す」より>
決められないことを決めてかかる者、他人の頭で考える者、事実を事実として認められない者、これらをバカというのです。

説得力のある励まし(笑)。


<41ページ 「相手の潜在能力を引き出す」より>
子供を教育することは、女を教育する場合と同じであります。つまり計算、計算、計算づくめです。

きゃー(笑)。


<85ページ 「サマージ行法について」より>
この行法の目的とするところは、生の制約をつくりだす妄想と誤った生活からの自分を解脱さして本来の真生命をとりもどし、一切有仏性(神性)、万物一如平等という正眼と正智を身につけ利他の生活業者となること、すなわち無我の自由者(神の前の自由者)となることである。(私はこの密教的サマージの境涯を正しく理解でき、また正しく修行できるためには、ヨガ行法哲学老子の学、陰陽哲学をもあわせて学び行うことをおすすめする)。

やっぱりそうでありますか。


<103ページ 「行じてのみわかるもの」より>
(オリンピック・スキー強化合宿での講義から)
ヨガでいう行とは、原理法則をつかまえるために意識的に実践することであります。ヨガは密教であるといわれております。密教とは、実践を通して、教えの真意を体得するものということです。ですから、あなた方も、ヨガを行じているのであるといってもよいと思います。

イチローさんもヨギであり、北島さんもヨギでありますな。


<129ページ 「肛門力について」より>
姿勢の安定力は肛門のしまる力の強さに正比例します。肛門のしまる力と腹圧の力とは正比例します。肛門のしまる力を丹田力といい、あらゆる訓練はこの丹田力を強めるのが目的であります。肛門の力と拇指の力は正比例しますから、拇指の力を失うところぶのであります。

ムーラ・バンダも肛門力と書けば三文字で済む。


<201ページ 「一緒に学ぶ生活」より>
父が私に「お前の世界と私達の世界はちがう。私達はお前を父母の名でおあずかりしているだけで、お前は私達のものではない。神様のもの社界のものだ。おあずかりしている以上責任がある。よくなってほしい願いをもっている。大きい友達と思って何でもはなしなさい」といいました。

この本には、素敵なご両親とのエピソードがいっぱいです。


<261ページ 「懺悔、感恩、奉仕の心で人づくりを」より>
食物に対してまず第一に必要な心構は、自分ははたしてこの食物を自分のために犠牲にするだけの価値がある生き方をしているのだろうかということを考えてみることです。

なにも食べてはいけなそうな毎日です。ごめんなさい。


<269ページ 「懺悔、感恩、奉仕の心で人づくりを」より>
おどかさないと実行しないし、仕事にもならないから人を導くという事は難しい事です。だから宗教団体でもおどしで加入させるヤクザ的のものが多いのです。一つの方を悪といわないと、もう一つの方が善と感じにくいのが私達の心ですからね。(中略)自分で真理を発見して自分で道を考えるというのではなくて、他人に発見してもらってそれを自分の考え方としようとする依頼心、横着心が自己喪失者をつくるのではないでしょうか……。

このへんの言い方が、野口晴哉さんとよく重なります。悪い例を出さなくても、「どっちもやらないよりはよいのだけど、真理はどっちに近いか」という議論ができない相談は、本当に磨耗します。



やっぱり読んでいて気持ちのいい本というのはいいですね。たくさんの「依存症」の人々に会うことで学ぶなかには「やれやれ」と思うこともあるのでしょうが、この時代にこのような言葉を残してくださったことは、本当にありがたい。

人間をつくる (ヨガ叢書)

人間をつくる (ヨガ叢書)


沖正弘先生の関連書籍はこちらにまとめてあります。