2009-12-26 この世でいちばん大事な「カネ」の話 西原理恵子 著
■[本の紹介]この世でいちばん大事な「カネ」の話 西原理恵子 著 
先日のクリスマスパーティで、りつこの部屋の本棚から借りてきた本。以前ここで紹介した「世界を信じるためのメソッド」と同じ、「よりみちパン!セ」シリーズ。うちこは20代の頃、この著者さんの本をものすごく読んでいました。このブログを開設する前。その頃好きだった人がこの著者さんの本を愛読していて、お下がり的に。そしてうちこは、この著者さんに似ていると、二人の男性からいわれたことがあります。(お友達のユキちゃんも、だって。笑)ひとりはさっきの人で、元夫。もう一人は同僚の大石君。大石君は、マドンナの話のときもそうだけど、なんか、ツボをつく不思議なセンスがある。
今回この本を紹介するにあたって、ひとつ、思いきってみようと思いました。中途半端に感想を書くのではなく、どの部分に何を思ったかを書くにあたっては、ヨギになる前のうちこのことを書かないわけにはいかないんですね。お金と人間関係の話だから。
ここはヨガブログとして、わりとうちこのなかでも出すことは多少オブラートにくるんできました。たまに私生活のことも書いたりしているけど、基本的にはみなさんとヨガでつながるブログ。という感じでやんわり書くことは整理していました。
いまでも、ここに書くことによってうちこが所属している関係組織にご迷惑をおかけすることになるかもしれないことは、それはマナーとして伏せるけれど、でもまあ自分のこれまでのことについては、いいかなと。
たとえば親の離婚やアルコール依存症のことや自己破産のこと、自身の結婚・離婚経験や裁判経験(離婚の裁判ではないです)、人とギャンブル、もしくはギャンブル的なお金の話のこと、職歴の流れなど、別に詳細は書く流れもなかったので書かなかっただけ。プライベートのお友達は断片的に知っていることだしね。毎日ユニークユーザーさんが600以上になってしまったこの場でも、今回は書かないとリアルな感想にならないんですねぇ。あと、著者さんとは美大卒であるところとかも、なんか似ているところがあって。
ここから先は、もしかしたらうちこに親しみを感じて読んでくださっている人には、少々ドキドキするような感想があるかもしれませんが、それもきっかけ。すばらしい説法本です。うちこは大いに泣きました。
あと誤解のないように書いておきますが、うちこはヨギである母親を師匠と思っています。女の一生の、少し前を歩く人としてもね。大好きな人です。
では、いくつか紹介します。
<38ページ 何にもなくても、認められたかった。何にもなくても、好きになってほしかった。 より>
そりゃあ、お母さんたちだって必死でがんばっているんだろうけど、それはどこにも行けない、諦めやグチとセットになっている人生に見えた。
「あんたのために、お母さん、離婚しないで我慢してるんやで」。
子どもにしたら、そんなことを言われてもせつないだけだし、「ずるい」って思う。
自分だけ被害者ヅラすんな。子どもにしたら、あんただって十分、加害者じゃ……。
「加害者」という日本語はしっくりこないけど、うちこは「あなたのお父さんは、私にとっては他人だけど、あなたは血が繋がっているのよ」と母親に言われたのが、今でも忘れられないなぁ。ちょっと嫌な言いかただった。いっぱいいっぱいだったんだろうな。そのあといろいろ思うところがあって今の生活をしている。今の生活を決めたことで母が悲しんだときが、いちばん複雑な気持ちになった。あなたに言われたことは、別に私に限ったことではない普遍的なこと(夫婦は血縁なし、親子は血縁あり)だから。「あるがまま」ってだけの話だから。
<46ページ 真夜中のドーナッツ より>
「あー。みぃつけた!」
「おお。うまいぞ。理恵子も食べるか?」
いい匂いで、眠っていたわたしも目が覚めちゃって、一緒に食べる。
よくつくっていたのが雑炊。冷蔵庫にある白菜とかニンジンなんかを適当に入れて、ぐつぐつ煮るだけ。味の決め手は「ほんだし」。カツオ風味のあれを「これでもか!」って入れたのが、お父さんの雑炊だった。
わたしにとって、たまにしか帰ってこないお父さんがつくる料理は「外食」で、おかあさんがいつも食卓に並べるおさしみや煮しめとはちがう、特別でよそいきの味がしたもんよ。いつ何をつくるのか、予想もつかない。でも何をつくっても、本当に、おいしかった。
いつも、こういうお父さんならいいのに。
これは、著者さんの二番目のお父さんのエピソード。うちこも、まったく同じようなことが何度もありました。今もそうだよ。
<48ページ お父さんが、行ってしまった日 より>
終わりは突然やってきた。
お父さんが首を吊って、死んだ。
その日は、わたしが東京の美大を受験するはずの日だった。このことはあとでまとめて話すけど、わたしは高校三年生のとき、学校を退学になっていた。それで一年かけて大検をとって、夢にチャレンジするはずの日に、お父さんが死んだ。
(中略)
お父さんが会社を興したカネも、もともと、お母さんが貯めた貯金だった。
お父さんがバクチにつぎこんだカネも、もともと、お母さんの貯金だった。
それなのに、お父さんは羽振りがいいフリをして、見栄をはった。
(中略)
お父さんがわたしの貯金に手を出したときのことは忘れられない。バイト代やお年玉、そして学食のお釣りをコツコツ貯めた、たった十二万円の金額の貯金通帳をひったくるようにして持っていった。お父さんはそれを入れてぜんぶで四十万円を持って、隣町にある競艇場に行くという。
「これが人生最期の大勝負じゃ。これで負けたら、俺は死ぬ」
わたしは思った。そんな勝負に、勝つわけがないだろう。この人はもう、死んだほうがいい……。
うちこは、「毎日、早く死んでくれないかなー、って思ってる」って以前の日記に書いたけど、ここは本当に死んだバージョンとして読んでしまった。うちこのお父さんはいま、お母さんの年金の8倍ももらっているのに(母はほとんどもらっていないに近い)、お金の話になるとたかが数万の賃貸の更新なのに、暴れ出します。金額ではなく「金」で人生を狂わせた人は、もうそこはまったく別の人になってしまうみたい。でも、弟の結婚式には大見栄をきって包んで、どうでもいい泣かせる手紙にむせび泣いました。弟の結婚式のときは、母と二人で「やれやれ、やっと終わったよ。なげーよな。これで最後にして欲しいよね」って笑いながら帰りました。うちこは、そんな母が大好きなのです。うちこと両親の日々の生活のお金のことなんて、計算機がまともに使えないから、もう考えるだけでアホらしくなるんですね。
(自己破産に至るほどの)見栄を張る体質は、幼い頃から父だけでなく父の兄弟姉妹に対しても感じていました。祖父母が亡くなったときの異様な金にまつわる雰囲気を、肌で感じていただけなのだけど。でも、うちこの同士なのかな、いとこのなかに一人だけ、まともと思えるお兄ちゃんがいました。その人の存在が救いだったなぁ。
<108ページ 他人が、キミのことを教えてくれる。 より>
「才能」っていうのは、そんなふうに、自分だけじゃわからない、見えてないものだと思う。自分で「こうだ」と思い込んでることって、案外、的外れだったりするからね。
何でも仕事をはじめたら、「どうしてもこれじゃなきゃ」って粘るだけじゃなくて、人がみつけてくれた自分の「良さ」を信じて、その波に乗ってみたらいい。
ほんとうにそう思います。うちこは今の仕事もヨガのことも、自分で決めてない、なりゆき。当時印刷会社にこぞってオンデマンド印刷が導入された頃に大学卒業が重なって、Mac使いとして重宝がられてDTPデザイナーになったのに、キャッチコピーが無駄に長くて困ったキャッチコピーを勝手に縮めているうちに取引先から書き手として引き抜かれた。取引先同士の引き抜きはなにかとあとが面倒だから、個人事業主になった。その後もお誘いでITの世界にやってきた。「消去法」とか「流れにまかせる」ようなこだわりのなさというのは、いっけんポリシーがないように見えても、丹田さえできていれば、そこからバランスできるように思います。
<146ページ 借金。地獄への片道キップ より>
ギャンブルに追い詰められた父親を見ていたはずのわたしが、どうしてギャンブルにのめりこんだのか。その理由は自分でもよくわからない。
ただ、もしかすると、ずーっと考えつづけていたのかもしれない。
人を、人でなくしてしまうものはいったい、何なのか?
うちこも、「人を、人でなくしてしまうものはいったい、何なのか?」というのにずっと興味があったのかもしれない。なので、ギャンブルをよくする人の不思議な魅力に惹かれてしまった。いまは、別の視点でこういうことに自分が興味を持っているのかな? と思うのは、ヨガに対して浅いところから異常にスピリチュアルな示唆を求める人とかを見たとき。「人でなくなりたいの?」と思う。神でも教祖でも、明日にでもなってくれと。
<166ページ 子ども時代からの金銭感覚 より>
わたしは思うんだけど「損したくない」ってことばかり考えていると、人って、ずるくなるんだよ。少しでも人より得しようって思うから「だったら、ズルしちゃえ」っていう気持ちが出てきてしまう。ささいなきっかけで、それがどんどん卑しい行為に結びついてしまう。
これは自分にもそういうところがあるから、スワミの言葉としてメモしました。
<170ページ 「カネ」って、つまりは「人間関係」だ。 より>
お金との接し方は、人との接し方に反映する。
お金って、つまり「人間関係」のことでもあるんだよ。
たとえば、「こんなことにお金を使いたくない」とかっていう気持ちは、どこか「差別」と結びついている。そういう自分への問いかけは、しんどいけれど、けっこう大切。
<180ページ 育った町の、それぞれの「ぼくんち」 より>
「差別を描いてみたい」
『ぼくんち』を描くにあたって、わたしは自分が編集者にこう言ったのを覚えている。
豊かな人は貧しい人の気持ちがよくわからないし、貧しさの中で、人は自分よりもっと貧しい人をバカにするようになる。わたしは、育った町でそういう現実をいっぱい見てきたからね。
そう、金と差別は切っても切れない。愛とお金のことを考えるよりも、よっぽど現実的でシャンティ。
<185ページ 必修科目としてのアルバイト より>
世の中には学校に行ってるだけ、机に向かっているだけじゃわからないことが、それこそ山のようにある。
それなのに「自分にはわからないこと、知らないことが山のようにある」ってことさえ、子どもにとっては、なかなか気づけないような時代になっているんじゃないか。
だって今の時代って、ネットでもあふれんばかりに「情報」があるしね。ひとつところでじっとしているだけで、何かを知って、何かを経験したような気にだって、簡単になれてしまう。
でも実際に自分の手と足を動かしてごらんよ。
頭の中で考えていたのとは、きっと、ぜんぜんちがうはずだから。
宇野千代さんと同じことをおっしゃっています。(「行動することが生きることである」 宇野千代 著)
<195ページ 逃げちゃってもかまわない! より>
人の気持ちと人のカネだけは、アテにするな!
「合コンでは男子におごられてあたりまえ」という延長に、「左うちわな将来」を思い描いているんだとしたら、「いざ(旦那が)失業」「いざ離婚」となったときに、あなたはどうやって生きていくんだろう。
うちこはこれまで一度だけ、「合コン」というのに行ったことがあるんですね、離婚したてのときに。なんか職場の先輩が気を使ってくれたのか、単に都合よく利用されたのか(友達じゃなかったからどっちでもいいのだけど)「仕事の一環」で行った。そしたら、金額とセットで「愛人契約」を打診されてびっくり。金だけじゃなくてセックスのほうも自信があるとおっしゃってました。お金のところだけで言うと、これって「右うちわ?」って思いましたよ(笑)。ちなみにその合コン相手の企業は、いまの社会不況の現況となった、世界的に有名なマリオブラザーズ(←検索でひっかかると面倒ダカラネ。笑)。もちろん、直感的に「ありえん」という判断で帰りましたよ。もうずいぶん前、ヨギになる前のことです。
<198ページ 自分の「真ん中」はどこにある より>
「自分がやりたいことがわからない」という人は、やみくもに手探りをするよりも、このふたつの「あいだ」に自分の落としどころを探してみたらどうだろう。
「カネとストレス」「カネとやりがい」の真ん中に、自分にとっての「バランス」がいいところを、探す。
それでも、もし「仕事」や「働くこと」に対するイメージがぼんやりするようならば、「人に喜ばれる」という視点で考えるといいんじゃないかな。自分がした仕事で人に喜んでもらえると、疲れなんてふっとんじゃうからね。
そうそう、バランス。カルマヨガですよ。
<210ページ ごはん、やきそば、菜っ葉と豚肉 より>
アジアから帰ってくると、わたしは、まるで日本のほうが「外国」みたいに感じられてとまどってしまう。
アジアの貧しい国の子どもたちは仕事どころか、自分の生き死にも選べない。人間としての最低限の権利もプライドも保障されていない生活の中で、命を削るような仕事をして、わずかなお金を手にする。
うちこも初めてインドから戻ったとき、いろいろ感じすぎてこんな感じだった。
<227ページ そして、「鴨ちゃん」のこと より>
(「鴨ちゃん」は著者さんの元旦那さん。アルコール依存症で、著者さんとの離婚の後、ガンで亡くなられました)
働いていてよかった。自分の仕事があってよかった。そのおかげで、病気だった彼をちゃんと看取ることができた。子どもたちにも、お父さんのいい記憶だけが残った。
お金には、そうやって家族を、嵐から守ってあげる力もあるんだよ。
いざというときに、大切な誰かを安心な場所にいさせてあげたい。
号泣してしまいました。
<234ページ おわりに より>
もししたら「働くこと」がわたしにとっての「宗教」なのかもしれない。
だとしたら、絵を描くのが、わたしにとっての「神さま」ってことになるのかな?
(中略)
覚えておいて。
どんなときでも、働くこと、働きつづけることが「希望」になる、っていうことを。
ときには、休んでもいい。
でも、自分から外に出て、手足を動かして、心で感じることだけは、諦めないで。
これが、わたしの、たったひとつの「説法」です。
サイバラ式カルマヨガ説法。
今日はものすごく私的な感想になってしまったけど、まとめるとヨガとインドなのよねぇ(強引?!)
「働くこと」は、神道の由来で「はた」を「らく」にすることだって、葉室さんの本に書いてある。
(参考:神道と日本人 葉室頼昭 著)
現在は「はたらく」というと、労働という考えがありますが、「働く」という漢字を書くから本当の意味が分からないのです。これは「はた」と「らく」という日本語です。すなわち「はた」とは周囲のこと、「らく」は楽しむという意味ですから、周囲の人を喜ばせる、ということが日本人の「はたらく」という意味です。
いつも心に「日本人のカルマヨガの志」を、忘れずにいたい。
そんなことを思う、ものすごくズドンな一冊でした。
理論社
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大人向けの本じゃありません
子供時代の辛い経験は一生引きずるかも
後書きは絶対先に読まないでください
確かに
本当に”本当”で”必要”な話



金も名誉もエゴも離婚もアル中も性も、すぎたことは考えない、、、ただ、いまここに自分あるがままでいいってこと??
電磁気学で、アースは地球、母なる地球は広大無辺ですげぃー電気与えたってびくともしないね。
逆にいうと、いつも無限のすげぃーエネルギーをただひたすら供給★☆
アスは地球に帰るつもりでがんばろう(^^)
ちなみに、私ことですが、お金には自信はないけいど、、、セックスにも自信ありません(\\)
私にも、お金絡み+αで迷惑ばかりかける身内がいたり、遺産相続で汚いことをする人がいたり。だからなのか、お金の話とか親戚がらみの話とかは苦手なんですね。近づきたくないっていうか・・・。
それと、
>>今の仕事もヨガのことも、自分で決めてない、なりゆき。
っていうところ、私も!と思いました。ポリシーないの?って言われたり、自分でも思ったりするときもあるんだけど、ポリシーっていうほどのことは無いなぁと。
でも、一応色々と考えた上での行動なので、これで良いのかなと思ったり。
自分の中で軸がしっかりしていれば、多少の揺れがあっても、なんとかなる、と自分では思っています。
>いっけんポリシーがないように見えても、丹田さえできていれば、そこからバランスできるように思います。
私はこのことに気がつくまで40年以上かかりました。これがわかっていれば、私のハチャメチャな人生も、もっと自信を持って楽に生きて来れたのに・・・と思います。今でも、いつも自分に言い聞かせてないと、結構人の言葉に惑わされて、揺れてしまいます。まだ修行足りないなぁ・・・
身近に精神的な病気の人がいるのは、辛いですよね。こっちまでぼろぼろになります。でも死んでしまった後にも、「なんかもっと出来たんじゃないか」と考えてしまいます。
でもなんでうちこさんのブログにひかれたのか、なんとなくわかってきました。これからも楽しみにしています。
ユキちゃんはすべて知っている上で、ついでに読んでいる本もかぶっているので、とくにコメントに対して返すディテールを持ち合わせていないのだけど、どうにもタイミングがシンクロしちゃうところが、ラブだねぇ。
rapport_yoga>
過去も含めて私の一部です、という感じですかね。
MATIさん>
まぁ3年も。コソーリ読んでいただいていたんですね。満を持しての初コメント、ありがとうございます。
この本は、苦手がらずに話すことで、人の救いになることもあるということを読み手として感じたので、うちこも書いてみました。お互いに、今後も「流され上手」でいきましょう。
おふらさん>
ふ、深いですか?! オナラを出すよりは抵抗がありませんが(笑)。うちこは将来、「なんかもっと出来たんじゃないか」なんて思うかどうかわかりませんけれども、その言葉はメモしたいと思いました。コメントありがとうございます。
大人になって、「あ、この人好きかも」とか、「なんだか空気がいいな」とか思う人は、大抵片親だったりします。
うちはじいちゃんが仕事をやっていた関係で、会社が倒産して、夜逃げした経験もありです(笑
私は、祖父母と一緒に住んでいるので、母親だけだからといって、寂しい思いをしたことがないので、
「かわいそう」と思われるのが、小さなころから不思議でした。
うんと、うちこさんみたくボキャブラリーがないので、うまくいえませんが、
親近感、わきわきです。
勝手にすみません。
あけましておめでとうございます。
わっきわき! ですか、そうですか。起こることは起こるし、ただの組合せのような気もするし、いつも起こっているときは、人と比べる余裕とかないですものね。
でも、うちこは、今までのことがなけかったら、実践から感じるヨガの力に気づくことができなかったかもしれないな、なんてたまに思います。