うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

性神風土記 高木進 著

性神風土記
今日は下半身のお話です。博多の古本屋でみつけた昭和36年の本です。
インドではリンガ(シヴァ神の男根)をよく見かける。京都の生八橋と同じくらいのノリでおみやげ物の定番にもなっているのですが、日本ではあまり見ることがない。でも、お寺巡りをするようになると、出会ったりする。あるにはあるんですよね。陰陽石とか、けっこうある。そんなことが、ずっとゆる〜い感じで気になっていました。
そんな折、なんともドンズバな本に出会ってしまったので読んでみたら、勉強になった。古事談にある、清少納言の性器にまつわるエピソード(リンク先参照)や、道鏡の巨根伝説なども初めて知るものでしたが、そのほかにも「なんかこれリグ・ヴェーダと似てるなぁ」と思うようなこととか、今ではあまり語られない真言宗立川流のこととか。
特に最後の引用で紹介する「名僧、最澄の悟り」は必読のエピソード。面白い本でした。

<45ページ 大地母神とくぼみ信仰 精霊受胎 より>
 人間のもっている生産能力を分けてみると、精神的な生産力(文化)、物質的な生産力(経済)、そして性的な生産力(子孫をつくること)の三つになる。
 もとより、古代人にそのような考えのあろうはずはなく、これらの生産力は混然として一つのものであった。

こういうの、ちゃんと教育すべきだよね。陰陽石のお皿と棒の関係の説明はしないにしても、この棒はそれだよ。くらいの説明がされていれば、ピコーンとなる思春期にも「これが生命力か」ってなるし。ならないのかな。なったことがないからわからない。


<62ページ 蔭歯とカマナラ様 霊験あらたかな陽物 より>
(金精様/こんせいさま 参拝の際の話)
「この神社はなんの御利益があるのですか」
 と聞いて見ると、その神社の人は、いとも真面目な顔で、
「商人には商売繁盛、百姓には五穀豊穣、そのた陰茎の弱い人、婚姻の縁遠い人、子供のない人、花柳病になやむ人には、それぞれあらたかな霊験があります」
と教えてくれる。ゲンシュクなものはすべて、おかしいものと隣り合わせになっているものである。

時代なのか著者さんのキャラクターなのか、題材が題材だからなのか。全般こんな感じの親しみやすいノリの本です。


<68ページ 比丘尼考 売春婦の先祖 より>
 西鶴の「好色一代男」にも、『お寺の門前より、勧進比丘尼、声を揃えて歌い出で』とある。
 しかしこの当時も、売春は比丘尼だけが一手にひきうけていたのではなく、比丘尼などは上等のほうで、このほかにも白拍子、クグツメ(傀儡女)など、一応表芸を芸能として売春するものや、ずいぶんひどい各種各様の闇の女であふれていたわけだ。
 そしてこれらの女のなかから、特殊なものだけが残り、遊女といった職能に発展していった。だから遊女の「遊」は遊興というよりはむしろ、宗教的な「遊行」に意味があるのである。

これは、ふつうにためになる雑学。


<107ページ 山の神と「かぐれあい」 触らにゃ祟る山の神 より>
 山の神の名前は、その祭祀の方法、性質、ことに人間に与える利害の種類などによって、オオヤマヅチノカミ、十二サマ、サガミサマ、産の神、田の神、オサトサマなど、さまざまによばれているが、共通していることは女であるということであり、春になれば山から里に下って田の神となり、秋の取り入れがすむと、山にかえって山の神になることである。
 そして里に下ってくるときは美しい早乙女であり、山にいるときは恐ろしく不機嫌で、男の好きな山姥である。
 ある人が謙遜して、自分の細君のことを山の神といったことから、お神さんという言葉が生まれた。山の神は、山にばかりいるのではない。
 触りゃ生み、触らにゃ祟る山の神、というのが、どうやら山の神の正体のようである。

早乙女と山姥のくだりがおもしろかった。


<138ページ 象鼻の神 巨大なお尻は古代型美人 より>
 ウズメノミコトというのは、腰のまわりがウスのように大きい女ということで、古代における一つの美人の要素を表現したものである。わが国の古代においては、宗教や道徳によって歪められない以前の、自然な性の讃美があったから、ウズメなどはまだ序の口で、セヤダタラヒメ(性交いやいや姫)や、ホトタタライススキヒメ(陰部洗いすぎ姫)など、今日の感覚からすれば、とても口に出せないような名前が、何のこだわるところもなく、平気でつけられていた。

「洗いすぎ」ってのがなんだか今どきの言葉みたいで笑ってしまった。


<160ページ 仙界と涅槃と立川流 性解放の秘密教 より>
── 東京の基地、立川市にも、かつて、すごく頭のいい教祖が出現したことがある。平安朝末期の任寛という坊さんである。
 当時の武蔵国立川で、この任寛が言い出したのは、"性の宗教" だった。つまり解放である。人間のもつ最大の人間的弱さと秘密をついて、
「淫欲ヲ以テ求道ノ本義トスル」と大胆に宣言し、男女の妙号そのままのすがたをもって、即身成仏の修法を工夫するというのだから、これは、人間界に大変な野火となってしまった……
これは吉川英治氏の随筆「折々の記」の中に出てくる、「或る基地の小歴史」の中の一説である。
この任寛という、性の宗教の教祖は、東寺三十六代の長者、醍醐山三宝院の開山源俊房という人の次男坊で、天喜五年(1057年)に京都で生まれた。
 彼は成長して兄に師事し、兄勝覚門下の逸材といわれるほどの有望な人物になったのであるが、自分の名声が高まるにつれて、兄の地位をねたみ、ついにこれを狙おうとしたために、伊豆に流された。
 彼はここで、再び都に帰れないことを覚ると、陰陽師の秘術を習得して、これにいままで彼がマスターした真言密教の「秘法」を結合させて、彼独特の「性のドグマ」を創設し、これを基礎として武蔵国立川に立教開宗した。これが有名な「真言立川流」という、性の宗教である。
 彼が立川流を開宗した頃は、中央では藤原氏の政権がようやく衰え、地方では武士が抬頭し、前九年、後三年の役などが相ついで起り、民情は騒然として、動揺していた。
 このようなときに当って、彼の独創した立川流は、混乱した世情によくマッチして、殊に民度の低い庶民の間に容易に受け入れられていったことはいうまでもない。
 この任寛の所説は、さらに文観という偉大? な後継者が現われることによって、いっそうタントリックなものになり、教義はみごとに整理され、教団の陣容は完全に整備された。
 かくて「性の宗教」は、まさに燎原の火のような勢いで、関東、北陸、関西、と全国津々浦々にその教腺をのばして、実に一時は、真言密教の正法ここにあり、とまでいわれるほどの盛況を呈するに至ったものである。

権力への嫉妬というルーツにびっくり。
現代になってまで宗教を理由にしないと女性と関係をもてないのは、救いようがない。権力を得てからそういうことをする人も、同様。


<168ページ 陰蔵相と竜女成仏 女の罪、男の罪 より>

 月のさはりとなるときは、苦しや七日の攻めぞかし
 さすれば穢れの品ととも、塵に交り火にくばり
 清き川にて洗ふては、水神火神を汚すなり
 その流れをば汲み上げて、神や仏に奉り
 その罪すなはち身に報ひ、血の池の地獄に堕ちるなり

 と「女人往生和讃」にあるが、これでは全くどうしようもない。
 この論法でいくと、女として生まれてきたことがすでに間違いであり、罪である。しかもこの罪が原因して来世もまた、血の池地獄の中で浮き沈みするような、苦しみをしなければならないことになるというのだから、立つ瀬がないわけである。全く、なんという悪循環だろうというほかはない次第である。これでは絶対、永劫に救われない。この考え方は、さらに発展して次のようになる。
  ── さらでだに、女は大六天魔王の眷族(けんぞく)にして、男の仏道をさまたげんために、女となり来たれるものなり……
「身のかたみ」のなかにある言葉であるが、ここに、女を完全に「悪」「魔性」のものとしてうけとることになった。恐るべき偏見である。

 一に、女人は雑悪多態なるが故に、天帝釈となることを得ず。
 二に、女人は淫恣にして節なきが故に、梵天となることを得ず。
 三に、女人は軽慢不順にして正教を毀疾するが故に、魔天となることを得ず。
 四に、女人は匿態に八十四ありて清浄行あることなきが故に、聖帝となることを得ず。
 五に、女人は色慾に著し、情に�輩し、匿態ありて身口意異なる故に、仏となることを得ず。

 これは、「超日月三昧経」にある五障であるが、女のみにあって、男にはないというのである。
なぜ、人を救うべき宗教が、こんなに女人を責めるのであろうか。

人並みにモテてきた著者さんにはわからないのだと思います。


<180ページ アルキミコ 精霊の支配 より>
枕草子」に、
 ── にわかにわづらふ人のあるに、験者(けんざ)もとむるに、例あるところにはなくて、ほかにたずねありくほど、いと待ち遠にひさしきに、からうじて待ちつけて、よろこびながら加治させ……などとある。にわかに患い苦しむ人があって、験者(シャーマン)を呼びにやったが、いつもいる所にはおらず、あちこちに探しあるき、待ちくたびれているところへ、やっときたので、さっそくやれ嬉やと加治をさせたのだろう。急病人をかかえて、医者を待つ心に似ている。
この時代には、医者(くすし)よりも、験者(けんざ)が優先していたのである。

時代ごとのこの力関係を知っておくのって、歴史を学ぶ上ではとっても重要だと思う。天皇家武家周辺と宗教の関係がとても太いから。


<184ページ アルキミコ 精霊を呼び出す女 より>
 シャーマン(巫女)という言葉は、シャマ・シャムという、ツングース系のオロッコ族の言葉からきている。言葉の意味は、まがいもの、ごまかし、贋もの、ということで、これが呪術、魔法、まじない、といった意味をあらわす言葉、シャマニズムとなり、これを行う者、すなわちシャーマンとなったのである。

このへんには疎いので勉強になった。

<207ページ 変性祈祷 あなたは異性になれる より>
 変成男子の修法がいちばん盛んに行われたのは、なんといっても平安時代で、皇后や、中宮、女御などが同時に懐妊されたときなど、たがいに男子を生みたてまつて、競争の相手には女子を生ますよう、大いに利用されたものである。

競争相手に女を生ませようとし合って、ユニセックスな男子が二人生まれたら面白いのに。



そして最後。
わたしはこのエピソードを大変興味深く読みましたよ。

<239ページ 毛魔羅の由来 名僧、最澄の悟り より>
 最澄がこの山(比叡山)に立教開宗したのは、延暦四年だから、今からざっと千二百年ほど昔になるわけだ。この山はかつて、比叡三千房といわれ、根本中堂を中心として、ひとつの総合大学のような学府であったから、多くの学生僧が笈(おい)を負って、全国からやってきたものであった。
 最澄は、これら学生僧の求道生活を律するために、「山家学生式(さんけがくしょうしき)」という、校則のようなものをつくったが、ある日彼の頭の中に、とつぜん突っ飛な考えがうかんだ。
 彼はすぐに、一山の中で特に学業、操行共にすぐれた優秀な生徒を十人ほど選抜して、僧堂の中に車座にすわらせると、みんなに糸を一本ずつ渡した。そして、
「その糸を、お前らの末端子に結べ」
 と、最澄はおごそかに命じた。
「こんなものを末端子に結んで、何をするのです?」
 と、一人の僧が解せぬといった表情で尋ねた。
「なんでもいいから、結べばわかる」
 最澄は理由は説明せずに、そう答えた。
 それでも彼らはしばらく躊躇していたが、師の命令であるから致し方なく、不承々々、渡された糸で、各自の末端子を結んだ。
 それを見とどけた最澄は、その一方の端は、ちょうど鵜飼いの鵜師が糸さばきをするように集めて握り、おもむろにY談をはじめたものである。
 話がだんだん佳境に入るにしたがって、末端子の運動波が、さまざまに糸をつたって最澄の手にキャッチされた。
 どころが、どうしたのか、そのうちの一本だけは、何の反応も伝えて来なかった。それを知ると最澄は、心の中で「我が意を得たり」と快哉(かいさい)を叫んだものである。
 この反応もしめさない糸の端に末端子を結んでいる修道生こそは、まさに自分の理想に到達したものであると思ったからである。
 最澄は、やおら立ち上がると、その修道生の衣のすそをまくって見た。ところがどうであろう。
彼の末端子に結んだ糸が、最澄の手へ反応をしめして来ないのは当然で、彼の末端子は、最澄のYがはじまるや否や最大限の反応をしめしたために、糸は最初にプッツリと切れてしまっていたのだということである。
 この事件のために悟ったのは、修道生ではなくて、実は最澄だったのである。最澄はその後は、修道生たちが自由に下山することを許したのである。
 こうして叡山の修道生たちの多くが足を運んだ遊里は、祇園だったのである。祇園では、この頭を丸めた修道生たちの遊び客のことを「山さん」という愛称で呼んだ。後世、遊女のことを、「おやま」或いは「おやまさん」と呼ぶようになったのは、これが転じたものだという。

まあ普通に面白いエピソードではあるのですが、「やっぱり」と思ったのです。ここからは空海たんファンによる200%、私見です。
最澄さんのこういうところを、空海たんは同じ男子僧侶として感じていたのではないかなと。だってこんな人に絶対に理趣経みせたくないもん。
空海さんの歴史を紐解いたり、そのエピソードに触れていくと、ものすごく女性的な感覚もあった人なのではないかと感じるんです。なので、「空海たんの中の小さいオバハン」が、「あーめんどくさ」と感知してブレーキをかけたのではないかと。



いちおう身体は女子を着てるもんですから、男性のことはわかりません。
でも、ジョージ・ハリスンがクリシュナへの傾倒をフックに女性をはべらしたという話(参考)や、ガンジーの最後のほうのエピソード(参考)など、ヨガ周辺の本を読んでいると、そこんとこは宗教が利用されたりするね、と思うことが多い。逆に、龍樹さんや佐々井秀嶺さんのように、もともとゴツエロな人が苦しみながら仏法に励んでいるのとかは、女性としてはあまりにセクシーすぎて萌えます。男性は生命力とそれが直結した心理作用があるようで、大変だなとも思います。

「仏教の葛藤から学ぶモテ欲の考察」という本が書けそうです(笑)。