うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

法と倫理(「イスラーム文化 」井筒俊彦 著より)

感覚的に遠くの宗教と感じていたイスラームは、知れば知るほど沁みるものがあります。
「迷わず行けよ、行けばわかるさ」などと言っていられない風土で生まれた教えはすごいなと、ただただ感嘆するばかり。
先日に引き続き、第二章の紹介です。シャリーアイスラーム法)についての講義です。


まず、イスラーム法の本源的な倫理性が示されているものとして説明されている部分を紹介します。

<158ページから引用要約します>

  • 原語では shar' あるいは shari ah
  • アラビア語のもとの意味、法学の術語になる以前の「シャルウ」「シャリーア」という言葉の意味は「水場への道」。砂漠のなかで水飲み場に通じている主要道路のこと。
  • これが比喩的に使われて、以下の意味をもつようになった。

「神が人間のために開いた道」「永遠の生命の源に通ずる道」「人生の砂漠のなかでそこを歩んでいきさえすれば決して誤りに迷い込むことのない道」

一般的に「きびしい戒律が多い」イメージのあるイスラーム。雪解けのある、四季のある国で暮らす日本人が想像だけで理解しにくいのは無理もない。わたしはこの部分を読んで「東京砂漠」という歌を思い出しました。「東京砂漠にも、法が欲しい」というニーズが、いまのスピリチュアル・ブームのように思うのです。
あなたがいれば あぁうつむかないで 歩いてゆける この東京さばっくぅ〜♪ の「あなた」をアッラーにすると、どうにもしっくり。(非ヤング限定)


この章では、コーランの前期(メッカ期)と後期(メディナ期)の違いの解説が展開されています。ここが読みどころ。ヨガ系の人にわかりやすく言うと、前期がヤマ、後期がニヤマです。前期のほうが来世に重みがかかっている。
そして、イスラームが起こる以前の思想の説明も展開されています。これは、古代インド教に似たものがあり、著者さんは「ほとんどデモーニッシュな力」と表現しています。その「砂漠的人間の精神」に宗教的共同体の理念をひっさげて登場したのがイスラーム。この歴史の流れを知るのと知らないのとでは、宗教はいつまでたってもシューキョーなんですね。
この部分から少し引用紹介します。

<117ページより>
イスラームは血縁意識に基く部族的連帯性という社会構成の原理を、完全に廃棄しまして、血縁の絆による連帯性の無効性を堂々と宣言し、その代りに唯一なる神への共通の信仰を、新しい社会構成の原理として打ち出しました。たとい血を分けた兄弟であっても、生みの親ですら、本質的にはなんの意義ももたなくなってしまうような、まったく新しい社会が構想されるのです。

よく興ったなぁ、と思うほどの教えなのですが、それだけじわじわきていたってことなのでしょう。

<135ページより>
 イスラームはその史的展開の過程において、いろいろの時点でインド思想の影響を受けましたが、輪廻転生だけは頑として拒み続けました。およそインド系の思想のなかで輪廻転生、すなわち一度死んだ人の魂が次々にこの世で新しい肉体に宿って生れ変わっていくという考え方ほど、イスラームに合わないものはないのです。

このあとの解説に「イスラームは隠者とか、世捨人とかいうものを人間の正しい生き方としては認めません。」とあります。ここがインド思想との圧倒的な違い。どちらにもストーリーがあるのだけど、イスラームは「みんなが幸せに生きるための宗教」であって、「それぞれが苦しみから開放されるための教え」ではない。見つめるところから思いっきり飛び出して、歩き出したような、ものすごく行動的な成り立ち。もはや「教え」ではないんですね。
別の部分に

イスラームの立場では、「聖なるもの」が底の底までしみ込んだ世俗世界でなければならない。だから結局、理念的には、世俗世界なるものははじめから存在しないということになります。<144ページ>

とあります。
そしてこれを、イランのイスラーム思想家ムハンマドガザーリー

人間生活の全体が、毎日毎日の生活、その一瞬一瞬が、神の臨在の感覚で充たされなければならない。そういう生活様式に人生を作り上げていくことによって、人は神に真の意味で仕えることができるのだ。

と言ったそうです。この聖なるものを俯瞰して作り上げるための教えが、シャリーアなんですね。



この章にはイスラーム法の倫理的五分法の原理の説明があるのですが、その五つは

  • 絶対善
  • 相対善
  • 善悪無記
  • 相対悪
  • 絶対悪


です。
ちゃんとグラデーションがある。ここまで構造的に完成していくって、すごいですよね。
当時のムハンマド聖徳太子が対談したら、大変なことになっていたと思います。

聖徳太子:ねえねえ十七条って、どうだろ? 多いかな? だいぶ絞ったんだけど。
ムハンマド:うちの預言の数に比べたら、ぜんぜん。5つにグルーピングするのも大変だったよ。
(妄想です)


イスラームは仏教でいうと「超☆大乗」。船の大きさがハンパじゃない。絶対善と絶対悪の間で叫んだ親鸞さんや禅の人々に教えてあげたかった! と思わずにはいられない構造です。
イスラームの教えを学ぶごとに、「グラデーションを語ることを億劫がってはいけない」と、これまでなんとなくそうではないかと思っていた取り組むべきことに解をもらったような、そんな気がするのです。