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2014-04-23 物足りない結果(夏目漱石「こころ」読書会での演習より)

[]物足りない結果(夏目漱石「こころ」読書会での演習より)

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今年から読書会形式の集いを始めまして、そこではさまざまな演習をするのですが、今日はそのなかからライトなネタを紹介します。

参加者の vasana(仏教では「習気」「薫習」、ヨーガでは潜在記憶) と smrti(記憶されているもの) をキーにグルジの意図を勝手に追いかける、「夏目漱石をインド哲学視点で読む会」。



以下の部分を語りたい、と選定されたかたの理由が「物足りないからといって、知らない人の家に通う気持ちがそもそもわからないんです」と。爆笑しつつ、演習へ。

■上・十三

「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」

「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」

「今それほど動いちゃいません」

「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」

「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」

「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

「私には二つのものが全く性質を異にしているように思われます」




この「物足りない」を、言い換えるとどんな表現があるかな?



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  • あなたは欲求不満だから私の所に動いて来た
  • あなたは満ち足りていないから、私の所に動いて来た
  • あなたは人恋しくて、私の所に動いて来た
  • あなたは人生の目的がないから、私の所に動いて来た


「人生の目的がない」というフレーズに「これだ!」と思った人が多かった。



今回抜き出したところの「今それほど動いちゃいません」というセリフは、妙にじわじわくるおもしろさがあるねということで盛り上がったのですが、ここでのみなさんの共感ポイントの軸としては「今は先生と話しているから(尊敬する人と話している瞬間は人生が前へ進んでいる気がするから)それほど動いていない」のでは? と。

ヤングはただ単純に「西洋人と戯れていたから」「学校にはこんな人はいないから」「知らない世界を教えてくれそう」なんてミーハーな感覚で年上のお兄さんに近づいていっただけなのに

⇒しまいには遺書まで託されちゃって(ほんとよぉ〜)

⇒⇒しかも大事なときに家をあけることになって(父親が危篤だってのに、ねぇ)

⇒⇒⇒そとあと親戚にずっと言われるだろうにねぇ(まったく)

⇒⇒⇒⇒ヤングはずいぶん災難だったわねぇ(とんだ目に遭っちゃったわねぇ)

と、なぜか最後にヤングをねぎらうことで団結(笑)。まさかの展開。

わたし、このへんはもうほとんどファシリテートしてなかった。まいっか。



複雑化するほうに展開することもあれば、こんなふうに単純化するほうに収束することもある。

こういうプロセスの中で、各自が「ああ、わざわざこんなことを紐付けようとして……。わたしったら」ということに気づく。

これが、vasana(潜在記憶) と smrti(記憶されているもの)の再現実践学習なのであります。


▼関連補足