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2014-06-29 愛の半面 / Kとジョージ / 真宗(夏目漱石「こころ」読書会での質問

[]愛の半面 / Kとジョージ / 真宗(夏目漱石「こころ」読書会での質問より)

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今日は東京の読書会参加者さんからお話いただいたいくつかの事項のうち、以下の三つについて書きます。読書会ではできるだけいろいろな話をしたいので、先に出せるネタは共有してしまえ〜。というわけです。


  • 「愛の半面」はなぜ「反面」ではないのか
  • 「Kって、ジョージ・ハリスンみたい」
  • Kの実家の真宗って、どういう宗教なんですか?


■「愛の半面」はなぜ「反面」ではないのでしょう?

「こういう嫉妬とは愛の半面じゃないでしょうか。」というセリフが(下・先生と遺書・三十四)に出てきます。

ここについて、「青空文庫のボランティアさんのタイピングの間違いか?! と思って……」というおもしろい理由での質問がありました。理由はさておき、この質問は深い。

グルジは「瞑想」と「冥想」を書き分けるくらい細かい人なので、「半面」という記述にも大きな意味があるでしょう。わたしも「めいそう」の書き分けを見つけたときは、新潮文庫と角川文庫も確認しました。

「半面」と「反面」の違いですが、漱石グルジはいつも善悪二元論を超えようとしているのだと思うんです。

悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。

(上・先生と私・二十八)

この小説は「平生」「善人」「悪人」ということばの出てきかたが、すごく気になる。さてサットヴァは、どこにある? と。




■「Kって、ジョージ・ハリスンみたい」

わたしの「Kという人物について、どう捉えていますか?」という質問に、みなさんそれぞれの回答をお聞きするはずが……

はじめの回答者:わたしは、Kは、ジョージ・ハリスンみたい。と思って。

ほかのかた:うなずきまくる。ものすごいヘッドバンギングの人が数名。赤ベコみたい。

うちこ:あれ? そこ、ずいぶんうなずいてますねぇ。

赤ベコ:うんうんうんうんうん(←赤ベコ頭数)

Living in the Material World」を観てそう感じる人、やっぱり多いのね。。。(この日はたまたま、わたしがブログで「Living in 〜」を紹介した後だったので、こんな流れになりました)

だからってクラプトンが「先生」ってわけではなくて、覇権欲と支配欲と哲学力のブレンドをこじらせるとこうなる、という感じがややこしい頃のジョージと重なる。上京とか失恋とか以前に、Kは生きている間にラヴィ・シャンカールみたいな人に出会えなかったんだよね。

この点については、おとこふたり房総旅行で日蓮宗のお寺「誕生寺」へ行ったときのKの孤独感(下・三十)にもよく出てるね、なんて話をしました。複数人数で意見交換をすると、それぞれの人がマークしている伏線が違って、おもしろい!



この流れで、こういう質問もありました。

■Kの実家の真宗って、どういう宗教なんですか?

わたしは、ここは親鸞の思想の強さを裏返した表現として K のアイデンティティに乗せていると思っていて、グルジの親鸞への尊敬の思いは「模倣と独立」にあるとおりです。

「こころ」のなかでどう描いているか、については(下・先生と遺書・四十一)で

Kは真宗寺に生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠いるのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。

とあります。


たしかにここは親鸞の思想について知らないとわかりにくいですね。分解します。

  • Kは真宗寺に生れた男でした。:生活自体は肉食妻帯する人も多い。
  • しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨に近いものではなかったのです。:Kは厳しい思想を「個人として」もっていた。彼の「ストイック」は自分ルールであったということ。
  • (略)私はただ男女に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。:Kの実家(寺)の思想は妻帯もするのに、彼は個別に恋愛を禁じていた(と先生は思っていた)。逆の見方をすると、恋愛意外はそんなにストイックではない面も先生に対して見せていたということ。

わたしは、グルジはここに「型から入る人」への批判を入れているのではないかとも思いました。ここでさっきの話に繋げちゃうのですが、「型」からシタールに入ろうとして、よい師(ラヴィ・シャンカール)に出会えればジョージのようにマテリアル・ワールドに戻れたのに、戻れなかったのがK。と、わたしはとらえています。ちなみに、親鸞の思想についてはいきなり「歎異抄」はちょっとハードルが高そうなので、「今に生きる親鸞吉本隆明 著)」をおすすめしておきます。



夏目漱石の「こころ」は、「クリシュナ役の先生がいろいろなことをインプットするけど、実はアルジュナ(書生)のほうが覚(さと)っていて、クリシュナのほうがよっぽど病んでる。グルジそのものの人間性と重なっておもしろいねぇ。」なんて話もしました。

こんなやりとりはほんの一部でして、読書会は集まる人の刻んでいる記憶によって展開が変わるのがおもしろいところ。ああたのし。


▼関連補足