うちこのヨガ日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-10-11 ギャグの応酬が止まらないグルジ(夏目漱石「坊っちゃん」読書会での

[]ギャグの応酬が止まらないグルジ(夏目漱石「坊っちゃん」読書会での演習より)

f:id:uchikoyoga:20140803211521j:image:h300:right

今年からはじめた読書会兼インド哲学座学も、早いもので夏目漱石作品がこれで4つ目となりました。

「坊っちゃん」はライトな展開で進行するつもりが、「こころ」並に深いところまで潜り込む、潜水艇旅行のような読書会になりました。でも出だしは軽快に、他の作品ではできないこんな話をしました。



 どのネタがグッときたか。



「坊っちゃん」という小説は、大人にならないとわからないギャグの応酬がすごい。「笑点」って、大人になってから見るほうがおもしろいですよね。そういう感じです。

いろいろ出ましたが、まずはこれ。ほかの作品でもたまに紹介する、ラップのようなフレーズの繰り返し。Tさんが「ここがたまらない」と、ピックアップしてくれました。主人公の坊ちゃん(中学校の先生)が松山に転勤して、その土地の人々のものすごい訛りにツッコむシーン。(4章)

おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込めた。「篦棒(べらぼう)め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕まえてなもした何だ。菜飯(なめし)は田楽(でんがく)の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。

100年前に、吉幾三を超えんばかりのリズムと韻と訛り☆

「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」のところで、「出た! 田舎の人の、天然スルー」と(笑)。



あとは、俳句ネタ。これは3回出てきているんですね。見落としてた箇所を参加者さんに教えてもらいました。

  • 古池へ蛙が飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を飲み込むのも精神的娯楽だ。(6章)
  • すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌すはだに吹ふきつけた帰りに……(7章)
  • 発句は芭蕉か髪結床の親方がやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣瓶をとられて溜まるものか。(8章)

ふたつめのは葉っぱの芭蕉。その前後を松尾芭蕉で挟む。でも引用している句(朝顔やに釣瓶)の引用元は加賀の千代女。加賀の千代女による元ネタ「朝顔に釣瓶取られてもらい水」は、グルジにペンネームをくれた松山出身の詩人・正岡子規が痛烈に批判した句だという。(参考サイト:日本俳句研究会 月並み俳句とは?


この全てを通して


 俳句、てやんでい!


と、しつこいくらいに暴れるグルジ。ノリノリです。



わたしは先の6章の精神的娯楽をさらに10章で蒸し返し、「あの野郎の考えじゃ芸者買は精神的娯楽で、天麩羅や、団子は物理的娯楽なんだろう。」なんて台詞でスピリチュアル・ワールドとマテリアル・ワールドを語る展開にのけぞりました。

初期の明るい作品だと思っていたら、奥行きは「こころ」を超えそうな勢い。この作品、すごいよ……。先日の蜜柑の件もあとで気づいたのだけど、めちゃくちゃ松山への愛を感じる。(それは正岡子規への愛かもしれないけど ⇒ 参考「正岡子規」夏目漱石 著


ほかにもダジャレは満載なのですが、個人的には「台所で宙返りの練習をしていて肋骨を怪我する」というエピソードから、すでにつっこみたい。練習にはじゅうぶんなスペースを確保してほしいし、やはり床になにかしら敷いてほしい。ヨガの先生からのお願いですよ。



▼関連補足