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2015-02-11 日常にあふれるマウントの回避技術を二郎さんから学ぶ(夏目漱石

[]日常にあふれるマウントの回避技術を二郎さんから学ぶ(夏目漱石「行人」読書会での演習より)

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夏目漱石読書会では5作品目になる「行人」の読書会をやりました。

この作品はヨーガ周辺の哲学を包括的に説明できる題材が多いのですが、雑談ベースのやりとりも楽しい。

一郎という人物のこじらせっぷりがメインディッシュになるのは想定していたのですが、二郎という人物の「二元論のやり過ごしかた」を見逃さずに読み込んでいる人もいて、たいへん盛り上がりました。


「行人」は兄弟の話なのですが、兄は自分の嫁が自分の弟にほれていると思い込んでいます。それをまっすぐ嫁に聞けばいいのに、弟に遠まわしにさぐりを入れようとする。弟は兄の気持ちをわかっているけど、そもそも兄の思い込みが強すぎる状態であることや、アンタッチャブルなゾーンも熟知している。

兄は海外の不倫小説の話なんかをして弟をその話題に引き込もうとするんだけど、弟はおバカなふりをしてやりすごす。そんな場面があります。

兄の一郎のセリフから始まります。この場面での「自分」は弟の二郎さんです。「帰ってから」章の二十七からの引用です。

「お前パオロとフランチェスカの恋を知ってるだろう」と聞いた。自分は聞いたような、聞かないような気がするので、すぐとは返事もできなかった。

 兄の説明によると、パオロと云うのはフランチェスカの夫の弟で、その二人が夫の眼を忍んで、互に慕い合った結果、とうとう夫に見つかって殺されるという悲しい物語りで、ダンテの神曲の中とかに書いてあるそうであった。自分はその憐れな物語に対する同情よりも、こんな話をことさらにする兄の心持について、一種厭(いや)な疑念を挟(さしは)さんだ。兄は臭い煙草の煙の間から、始終自分の顔を見つめつつ、十三世紀だか十四世紀だか解らない遠い昔の以太利(イタリー)の物語をした。自分はその間やっとの事で、不愉快の念を抑えていた。ところが物語が一応済むと、彼は急に思いも寄らない質問を自分に掛けた。

「二郎、なぜ肝心な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」

 自分は仕方がないから「やっぱり三勝半七(さんかつはんしち)見たようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事にちょっと驚いたようであったが、「おれはこう解釈する」としまいに云い出した。

この場面に思うところのある人がひとり、いらっしゃいました。



読書会参加のKさんから、事前にこの部分についてこんなコメントをもらっていました。(読書会ではいつも事前に簡単な宿題を出しています)

「やっぱり三勝半七みたようなものでしょう」

これは、ボケになるんでしょうか。

こういうことを、わたしもよくやってしまいます。

息が詰まりそうなことを説かれると、的外れなことを言って話のコシを折りたくなります。


(以下読書会にて)

うちこ:共感したんですね。どのように?

Kさん:二郎さんは、兄に自分の領域じゃないところに連れて行かれそうになると、こういうことをしますよね。

うちこ:うん(笑)。ここ掘り下げましょう。Kさんのいう、「息が詰まる」のは、どんなふうなとき?

Kさん:少なからず当たっていることを話してる。でも本当はそうなりたくないとき、かなぁ。

うちこ:なるほど。わたしも、わかるんだよなぁ。この感じ。このセリフに共感する要素から経験をひっぱり出すと……

ここはヨガクラスの延長ですから、想像しやすい例を出しますね。たまに「うちこさん、○○○○ヨガって、どぉ思いますぅ?」と、質問されることがあります。そういうとき、その人がわたしからそのヨガ(の流派やグループや指導者)に対するネガティブなコメントを受け取りたいことがわかります。質問の体裁でありながら実は発言の主体を転嫁させる先にされるってことが、ありがち。そういう場面で、わたしは二郎さんに共感するなぁ。

ほかにも、バスの中で子どもにお母さんが「○○ちゃんがそうしたいって言ったんでしょう」って言ってるのを聞いたときに、子どもに同調しちゃってウワァーッってなったこともあったなぁ。これも似ているなぁ。

Tさん:あ!

うちこ:ほいきた! どうぞ。

Tさん:家で小猫を飼いはじめたんですけど、すごくよく食べるんです。最近、餌をあげすぎじゃないかということで家族でセーブしようとしているのですが、このまえわたしが 「そのカリカリ(おやつの名前)くらいなら、あげてもいいんじゃない?」 と言ったとたんに、母が「Tちゃんがそういったから、あげましょう」という流れにしてうれしそうに餌をあげたとき、「うわっ」て思いました。

うちこ:(笑)家庭内でもそういうマウント、ありますよね。そんなに神経質になってブロックする必要はないけど、軽い「マウント」の瞬間って、すごくいっぱいある。日常にふつうにあるっていうのを知っているだけで、意識は変わりますよね。

Yさん:はぁぁああああ”あ”あ”。

うちこ:ど、どうしました?(笑)

Yさん:わたしいま「そうやってかわすもんなんだ!」と思って。わたし、いままで真正面にいちいち受け止めてたなと思って。

うちこ:いちいち受け止めると、どうなるんですか?

Yさん:受け止めて、決裂しちゃったり。そして、それがあとあと残ってたりして。でも、いまのを聞いて「なーんだ。わたしも、かわしてみようかな」と思った。

Tさん:かわさないでそこにハマってて、あとで気づくこともあるんですよね……。

うちこ:わたしも幾多のイヤな思いを経て、いまここでこの話ができてるもん。

参加者:がはは〜


こういうのって、笑いながら整理するのがいいんですよね。日常って、意外と重いから。

わたしはなにか違和感を感じたら、都度都度ごまかしてしまうのではなく、そのとき言語化できなくても「とっておく」ことにしています。培養せず、無理に消そうともせず、そっと置いておく。そうすると、思いがけずこういう場で成仏する。

このストックがセンスを鋭くしてくれるんじゃないかと、最近そんなことを思います。アンバランスを記憶しているから、いいバランスが見えてくるような。


▼関連補足