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2015-12-05 自分が大切すぎる問題(夏目漱石「それから」読書会での演習より)

[]自分が大切すぎる問題(夏目漱石「それから」読書会での演習より)

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「それから」という小説は主人公のキャラクターが強烈な設定

先日関西で開催した読書会では「自我意識(アハンカーラ)」よりも「理性・統覚機能(ブッディ)」のほうに寄せて構成したのですが(前にすこし様子を書きました)、参加者さんの宿題コメントに「自分が大切すぎる問題」について触れられている箇所がありました。

ちなみにわたしはこの主人公の「代助」、自称イケメンが本当にイケメンなら、身近に居た時点で間違いなく好きになってしまうと思います。これが「自称じゃないか!」という状態だったら自分がどういうツッコミをするのか見てみたい、そういう自分の中の「おもしろいメス」の要素を引き出される人物です。


関西の参加者さんの中にも、この主人公を「惜しい」としている人(Tさん)がおり、以下のようにコメントされていました。

代助惜しいと思うんです。女心がわかって、花の香が楽しめて、ピアノも弾けて、その時、その時の感覚を大切にしていて感性が高い。

なのに、行動ができない、自分が傷つくのが怖い、自分が大切すぎる人なのが残念です。

わかる。わかるぅ〜。

それに続く以下の指摘に、さらにうなる。

「九」の以下の箇所で、自分に与えられる負の影響を恐れる潔癖さ、すべて「自分」に結び付けてしまうスタンスが印象に残りました。

(以下「それから」 九章より引用)

喧嘩の一部分として、人を怒らせるのは、怒らせる事自身よりは、怒った人の顔色が、如何に不愉快にわが眼に映ずるかと云う点に於て、大切なわが生命を傷(きずつ)ける打撃に外ならぬと心得ていた。

Tさんが、「自分に与えられる負の影響を恐れる潔癖さ」と表現されているのが沁みて、あとでジワジワきました。



数日経ってから、これが日々の日本語で気になる「させていただく」という過剰なへりくだりや、「してみたいと思います」「してみてください」のような願望意志を薄める気持ちに似た「なにか」に見えてきました。これも「自分に与えられる負の影響を恐れる潔癖さ」ではないかと。


わたしは代助のこういう性質に対して「ここまで細かい感性がありながら、なぜ "芸術" 方面に進路を見出さないのかが不思議」という感想を持っていたのですが、潔癖であることと、エネルギッシュであることはまた別の話なんですよね。潔癖なだけでは前に進まない。「怒り」が足りなかったのかな。

「大切なわが生命」と自らを思うことは、別に男女も年齢も既婚未婚も職の状況も関係ないはずなのに、「30歳独身男子・ニート・金持ちの次男」の彼がそれを前面に出すと、多くの人がイライラしてしまう。でも彼は、それはそれとして認識しつつ「大切なわが生命」を傷つけるものを、できるだけ排除しようとする。


「自分に与えられる負の影響を恐れる」という気持ちは誰にでもあって、それを普段どうしているかというと「多くが正と判断するであろうことをしておく」という薄めかたでしかなくて、それが正と思ってやっているかというと、そうでもない。これは、「させていただく」というへりくだりのポーズをとることと大差ない。

自分がやっていることは、アハンカーラのコントロールと言えるだろうか。「コントロールをしているふり」しかできないわたしが、代助を叩けるだろうか。打てば打つほどに自分が痛い。

代助さんたら、最強のサンドバッグ。「100年前から中二病」という設定で読み継がれている小説の主人公は、奥行きが違うわ。


そんなことを思い返しながら…

先日「本質を見通す100の講義」(森博嗣 著)を再読していたら、「82 命の使い方について考えてみよう。」という章の結びの言葉が響いてきました。

精神とか肉体とかいったものは、命を使うための道具に過ぎない。道具を手放してしまうと、命が使えなくなるけれど、道具を磨くために生きているとしたら、本末転倒になりかねない。道具を上手に操り、命を使って何をするのか、ということが最も大事なことだと思う。

たまたまだったけど、「それから」を再読した後だったので、この部分がズシンときました。

「命を使って何をするのか」って、すごくシンプルな問いのようだけど、なかなかリアルに沸き上がってこない問い。サンカルパのようなもの。

「ちょっとずつ道具を使ってみる」ことからはじめて、「どこで使い道があるか」をゆっくり探して、用途がおおかた定まったら、やっと「どう使うか」「どう磨くか」が見えてくる。こういうことを繰り返していかないと、いつ代助ワールドに引っ張られるかわからない。いまはそういう時代だわと、妙な危機感を得ました。



▼関連補足