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2016-05-18 実践的で問題解決能力が高いということについて、ふたたび考えた(夏

[]実践的で問題解決能力が高いということについて、ふたたび考えた(夏目漱石「虞美人草」読書会での演習より)

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もうかなり前の話になりますが、「虞美人草」の読書会でのこと。

まえに同じ議題で展開した「正論だけど…。急に主語を拡大されると、なんだかヒいちゃう」とは少し違う方向への思い。久しぶりに振り返ってみました。

考えるきっかけは、この小説の「宗近」という人物に共感するという人がふたりいらしゃった場面での会話のログ。

ひとりめのかた(Fさん)は「言動がストレートなところ。裏がないところ」とおっしゃいました。

もう一人のかたは(Nさん)こんな話をしてくださいました。



 この人はエネルギーがあるというか

 いちばん実践的で、問題解決能力が高いと感じます。



そうだ…。こういう感じは、自分の中から出てこないもの。わたし以外にもうなづく人複数。

わたしはこの人物に対して「自分の見たい世界を作ろうとして他人をコントロールする」という見かたをしていていたのですが、そういえば確かにこれは問題解決能力といえるものだと思い直しました。


同じ人物の同じ言動を追っても、こんなふうに見えかたが違う。

Fさんも「そそそそそ」と横でずっとサ行のなにかを発しながらうなずいていて、でもNさんの理由は宗近の根回しの実力なども含めたものなので、ストレートという言葉のイメージとは少し離れる。でも、Fさんも共感している。



 なるほど彼は、ゴールに向かって根回しをするという行為への躊躇のなさがストレートだ。



「ストレート」というとわたしは球種のようにベクトルをもつ矢印の形をイメージしますが、目的を達成しようとするときには、矢印をくねくねと曲げたほうがいい場合もある。

そしてこの小説をよくよく読むと、実のところ宗近自身の目的はよくわからないのです。でも、なにかがストレート。この人は、周囲の問題を解決したい人(自分の目的はないけど)だったのか。ということが、小説を読んでだいぶたって、この会話を思い出して今ごろ思い浮かんできました。

こういう、目的はないけど正したいというエネルギーは、どこから生まれてくるのかな。それは頼もしいような、こわいような。不思議な力だわ。


▼関連補足