うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

夜と霧 ヴィクトール・E・フランクル著 / 池田香代子 (翻訳)


こういう本は、読むと「自分は安全に生活できる国にいるくせに」という思いで自分が自分を叱責するから、つい避けがち。戦争で苦労するような映画も、見ると「世のなかの役に立っていないのに、生きていてすみません」という気持ちになるから、つい避けがち。
そういう避けがちなもののド真ん中を突いてくるような本だと想像していた。でも読んでみて抱いた感想は、ぜんぜん違った。驚くほど、あの避けたいプレッシャーのない本だった。まぁそうでなけれは、こんなに長くは読み継がれないのだろう。
ここで展開されるこころのはたらきかた、同じ対応を、わたしもしている。この社会で。と思った。

 アウシュヴィッツにいたころ、わたしはすでにひとつの原則をたてていた。その「妥当性」はすぐに明らかになり、ほとんどの仲間がそれを採用した。つまり、なにかをたずねられたら、おおむねほんとうのことを言う。訊かれないことは黙っている。いくつだ、と訊かれたら、年齢を答える。職業を問われたら、「医師です」と言う。ただし、はっきりと専門を訊いてこなければ、専門医であることは言わないのだ。
(第二段階 収容所生活 運命のたわむれ より)

絶望しないための、生き残るための考え方の技術のようなものが、いろんなパターンででてくる。
人間を「まともか、非まともか」で語るときの、まともの定義はどこにある? ここについては、疑問が残る。


ただ、生きることの定義のように語られる、以下にはとても共感する。

生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
(第二段階 収容所生活 生きる意味を問う より)


以下の部分は、読みながら子どもの頃に見た「野生の王国」という番組を思い出した。

 わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはつねになにかを決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。
(第二段階 収容所生活 収容所監視者の心理 より)

他人と接する仕事をしていると、この世を恨んだまま生きている人はけっこう多い、ということを知る機会がある。成人といわれる年齢の消費者を相手とするサービス業の人全般に、同じような経験があるのではないかと思う。
そしてその機会とつかず離れず何年も人生を送るようになると、「自分にもおなじ種(タネ)がある」と思うか否か、という分かれ目にたどり着く。「ああいう人は、放っておきましょう。以上」とするか、否かの境界。実際放っておくにしても、心の中でどう処理するか。
この本にはこの境界の葛藤が描かれている。医師として講義をしたあとの、これまでそれをしてこなかった思いへの回想部分。自分のなかにある被害者意識に向き合うのは、かなりしんどいこと。
そしてそれを乗り越えなければ、ここまでの言葉は出てこないだろう。


とくに以下のような部分で、そう感じる。

犠牲の本質は、政治的理念のための自己犠牲であれ、他者のための自己犠牲であれ、この空しい世界では、一見なにももたらされないという前提のもとになされるところにある
(第二段階 収容所生活 医師、魂を指導する より)

犠牲と献身。インドの哲学に入りかけの頃に、誰もがチラと、この境界を気にすると思う。
インド思想の神話学的な解決手法に魅力と魔力の両方を感じながらヨーガをしている人には、以下の部分からなにかの刺激を受けるだろうと思う。

 自分はただ運命に弄ばれる存在であり、みずから運命の主役を演じるのでなく、運命のなすがままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅。こうしたことをふまえれば、人びとが進んでなにかをすることから逃げ、自分でなにかを決めることをひるんだのも理解できるだろう。
(第二段階 収容所生活 脱走計画 より)

脱走のチャンスで気づく、決断回避という心のはたらき。
この瞬間に、聖典は役に立つだろうか。あきらめつつも祈る段階のもっと手前の、こういう段階。こういうときに役立つのが宗教です、なんて説く人がいたら、わたしは信用しない。


これまでわたしは「感情」をというものを、とても厄介なものだと思ってきた。でもこの本を読んでから、感情というのは野生と理性の中間にある、とてもやわらかいものに思えてきた。つぶしたり、ふくらませたりできるもの。
だめだ。ひらがなで書くと、主体性が薄れていく。



 どの感情を潰して、どの感情を膨らませるか



感情は柔軟な素材でできているけれど、固まると抱えきれないほどの重さになって、自分を押しつぶす。それを社会では堕落とか破滅とかいう。
豊かな社会に期待をするよりも、とにかく自分で自分を豊かにしよう。ヨーガのアプローチとはまた違った角度から、そんなふうに心持ちが着地した。


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