今日のタイトルは先日紹介したアンナ・レンブケ著『ドーパミン中毒』からの引用です。この本の終盤で展開される説に感銘を受けました。
▼前回の感想
著者は精神科医で、ドラッグやアルコールへの依存で苦しんだ患者の事例を紹介しています。
そのあとで語られる以下の部分はわたしにとって「ずっとこの整理を待っていた!」と思うものでした。
心理学の文献では、今日、恥は罪悪感とは違う感情として扱われている。恥は自分自身を人間として悪く思う感情であり、罪悪感は自分のとった行動を悪く思う感情で、自己に対する肯定感は持ち続けている。恥は非適応的な感情である。罪悪感は適応的な感情である。
私はこの「恥」と「罪悪感」の分離に疑問を感じている。なぜなら「恥」と「罪悪感」は経験的には同じものだからだ。理性では、自分を嫌わずに「悪いことをした善人である」と思うことはできるかもしれないが、恥や罪悪感を感じた瞬間、お腹にグッと強い感情のパンチが入るわけで、その感覚は同じではないか。すなわち罰せられる恐怖や見捨てられる恐怖が混ざりあった後悔だ。その後悔は他者に見つかってしまったことに対するもので、やってしまったこと自体に対する後悔は含まれていることもあるし、いないこともある。見捨てられる恐怖はそれ自体が罰の一形態で特に強力である。追い出される、避けられる、もう集団の一員ではいられないというのは、人にとって非常に怖いことである。
(第9章 「恥」が人とのつながりを生む より)
この「お腹にグッと強い感情のパンチが入る」の瞬間に、総量に、記憶に、突然のフラッシュバックにどう向き合うか。
恥と罪悪感は分けて考える方法もあるけれど、実体験者としてはそうではないよねと著者のアンナ先生は言います。
患者が自分を語る時に自分を被害者として語ることが多く、起こってしまった悪い結果に対してほとんど責任がないというような話し方をするならば、その人の健康状態はあまりよくないことが多く、その先もうまくいかないことが多い。彼ら/彼女らは人を責めるのに忙しく、自分を回復させることに本腰を入れて取り組むことができない。対照的に、自分の責任を明確にしながら物語を始める場合、症状がよくなっていくことが多い。
(第8章 徹底的な正直さ/説明責任を作る「正直な自伝」 より)
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この本『ドーパミン中毒』では、アルコール依存のような “否認の病” と脳の関係、嘘が習慣化するプロセスについて掘り下げられており、わたしは「マリアのケース」という章が強く印象に残りました。
"否認" について、以下のように簡潔な説明がありました。
否認は脳の報酬回路と皮質領域──人生の出来事を語り、その結果を評価し、将来の計画を立てるというより高次の作業を行う──との間の断絶によってもたらされると考えられている。
(第8章 徹底的な正直さ/自覚が自己を変える より)
わたしは依存症の人が幼児レベルの嘘をつくことがずっと不思議だったのですが、この説明を読んだら納得できました。皮質領域の一部はめっちゃイケてたのにと思うことで、この矛盾に苦しまなくて済みます。
この幼児レベルの嘘についての説明が、何十回もうなずく内容でした。
マリアは言った。「飲んでしまったのを隠すために嘘をついていました。でもそれ以外でも嘘をついていました。問題にならないようなことでさえも。例えば外出してどこに行ってきたのかとか帰宅がなんで遅れたのかとか、朝食に何を食べたのかとかも」
マリアは「嘘をつく習慣」を身につけていた。母親の飲酒や父親の不在を誤魔化すために始めたことが、やがて自身の依存症を隠す手段になり、さらには嘘をつくための嘘になっていった。
実際、「嘘をつく習慣」には容易に陥ってしまうものである。私たちは皆定期的に嘘をつくことに励んでいるのに、そのほとんどに気づいていない。私たちの嘘はあまりにも小さく、知覚しにくいものなので、真実を言っていると自分で錯覚してしまう。あるいは嘘をついていることに気づいていても、別に問題ないと思ってしまう。
(第8章 徹底的な正直さ/マリアのケース より)
身近な人の嘘って、習慣として伝染するところがあるように思います。
ここは訊ねたら地雷だという緊張感とともに嘘が日常化するような。
嘘と正直について、「マリアのケース」のまとめはこうでした。
徹底的な正直さ──大きなことでも小さなことでも真実を言う、特に自分の悪癖が顕わとなり、深刻な結果を伴う時にこそ真実を言うこと──は依存症から回復するためだけではなく、この報酬の溢れる生態系の中でどうやってバランスを保って生きていけばいいか探っている全ての人たちに不可欠のものだ。これはさまざまなレベルで作用する。
まず、徹底的な正直さは自分の行為についての自覚を促す。第二に、親密な人間関係を育む。第三に、正直な自分の物語ができるので、今現在の自分にだけではなく、未来の自分にも説明責任が果たせるようになる。最後に、真実を語ることは伝染するため、将来の自分や別の誰かが依存症を発症するのを防ぐことにもなり得る。
(第8章 徹底的な正直さ/マリアのケース より)
「深刻な結果を伴う時にこそ真実を言うこと」は、ガンディーによる ”ぶっちゃけ金持ちの英国にへーこらしているほうが同朋で比較し合わなくていいからラクだと思ってるよね?” というインド国民への痛烈な問いを思い出すのですが、そういうことにしておけばラクな道を選ぶと、プライドのさらに下にある土台を蝕む。
愛国心と似た所属感覚は、毎日耕していないと嘘に毒されてしまう。
サティヤ(正直)って、大変。そして、正直も伝染する。
嘘は心を守るものでもあるけれど、蝕むものでもある。
自分の心を取り回すにあたっては、後者に警戒しなければならない。
これが、この本の教え。
ここ数年で、わたしのとても身近なところにいた物質依存の人が二人亡くなりました。ひとりは実父で、もうひとりは父のように慕った人です。二人とも頭の回転が速く、頭と心がしっかりしている時は圧倒的におもしろい、敬愛する人でした。
彼らを近くで見てきて思うのは、頭の中で嘘をついていることを自覚している人ほど、自分で自分を騙す思考までメタ視できてしまうから、消しゴムみたいに一気に消してくれるアルコールや向精神薬に頼りたくなってしまう。そういうところがあったように思います。
マリオの99人UPを知ってしまったらそれをやらずにそこを通れない状態があって、だけどわたしはどこに99人UPがあるか知らないから、いつもそれをやりたがる衝動がわからない。そんな疎外感を感じる瞬間がたくさんありました。
だけど物質は身体を蝕みます。頭の回転が早いだけじゃだめ。回復の知恵がないと。
この『ドーパミン中毒』は、わたしが見てきた経験の奥にある仕組みを専門家が説明してくれた、ありがたい本でした。