長い地名です。でも大丈夫。駅の名前をフルネームで覚えられなくても、切符を買う際に「ダクシ・・・」と言うだけで「はい Dakshineswarね」と通じてしまう駅です。
コルカタの都市の北と南を結ぶブルーラインの、北の主要駅。北のエースです。
わたしが読んだ本『インドの光』の中ではカタカナでドッキネーショルと記述され『カルカッタの殺人』という小説ではダクシネーシュワル寺院と記述されていました。
東インドについて語るときは、ベンガル語をカタカナにするかヒンディ語をカタカナにするか英語をカタカナにするか、選択者泣かせの問題がある。これも、今回の旅で知ったことです。
それはさておき旅行記です。
駅がまるでアートギャラリー
旅の序盤と最終日に、二度行きました。
はじめてこの駅に着いた時は、駅構内だけで満足するほどでした。
素敵な壁面です。
どこもかしこも。まだまだいっぱいありました。
まだ構内から出ていません。
(すでに大満足しております)
4人の姿と寺院モチーフのトイレ
すでに満足したので帰ってもいいくらいの気分でしたが、外へ出ます。
この日も40度を超えていました。
インドの中で気候がとびきり厳しいにも関わらず、衣服から皮膚を多く出す服装をする人が少なめなコルカタ。ここが寺院の近くだからというわけでなく、コルカタの街全体に対してそう感じました。
左上から、慈善家(寺院を建てたスポンサー)のラーニー・ラーシュマニー、ラーマクリシュナ(その寺院で勤めた僧侶)、妻のサーラダマニ、弟子のヴィエーカーナンダの並びです。
お手洗いが寺院を模していて立派です。
寺院まで歩道橋のようになっているスカイウォークへの階段を上がります。
このスカイウォークの先に寺院があります。
ドッキネッショル・カーリー寺院までの道
寺院までの道にはこんな光景がありました。
立位の姿はあんまり写真でも見ないので、ぐっと身近に感じられます。
慈善家(寺院創立者)のラーニー・ラーシュマニーの姿(一番左の人)が見られます。
大切な写真なので3枚撮りました。
フーグリー川沿い
川沿いに、教えを伝えていった有名なスワミの像が並んでいました。
ここでヨガナンダと言ったら、ラーマクリシュナの教えを伝えたスワミ・ヨガナンダを指します。
中は撮影禁止でカメラもバッグも靴も預けます。
ここは、川沿いの外の道です。
人々が沐浴にやってきています。
コルカタの赤は、カーリー女神の赤。コルカタの人は赤をじょうずに着ます。
この川はガンジス川の派川で、ハウラー橋がかかっている川と同じです。
この橋はヴィヴェーカーナンダ橋という名称です。
1919年のコルカタの状況を描いた『カルカッタの殺人』という小説では、この寺院がカルカッタを知るための名所として紹介されていました。
カーリー神には生贄が捧げられます。最近では主としてヤギや羊ですが、そうではない場合もたまにあるという話です。一説によると、この街の名前もそこから来ています。カルカッタ──すなわちカーリーの街です。
(17章より)
1919年の話です。イギリス人がインド人を野蛮な人間だと思いながらこの都市について説明するセリフの一部です。
▼公式サイトです(「ホームページ」です。情報が多すぎず、ほっこりします)