コルカタへ向かう飛行機の中で前半を、帰国してから後半を読みました。
読書というのはタイミングによって視点が変わるもので、今回はこれまで気にしてこなかった、ラーマクリシュナのお母さんの出産年齢が気になりました。第一子を14歳で、第四子を44歳で出産されていて、30歳差の兄弟の話が序盤で展開されます。
この部分を読みながら、サタジット・レイ監督の映画『大地の歌』で、80歳近くに見える高齢の老婆と同居している30歳くらいのお嫁さんが「叔母さん」と呼んでいたのを思い出しました。映画を見ながら「この家はどういう家族構成?」と不思議に思っていたのですが、夫が40代の設定なら叔母さんが老婆でも、インドの幼児婚の世界なら全然アリなのです。
このように、今回はこれまでとは全く違う視点で、国家独立に向けたインド人の精神史・その地域の因習の歴史として読みました。
今回の感想は以下の2点にしぼって書きます。
- ケーシャブ・チャンドラ・センとラーマクリシュナの時代
- ラーマクリシュナの思想の、インド人ヨガ講師への影響
ケーシャブ・チャンドラ・センとラーマクリシュナの時代
わたしはこれまでこの本を、トンデモな聖者の伝記として読んでいました。わたしと近い世代の人は、多くがそのような印象を受けるのではないかと思います。
だけど年数をかけて学んでいくと、ラーマクリシュナもスワミ・ヴィヴェーカーナンダも、その時代にあわせてヴェーダや六派哲学の教えを変換して伝える力と、周囲との化学反応の起こし方が革命的だったことが見えてきます。
その化学反応の最も大きな相手として、ケーシャブ・チャンドラ・センという人物がおり、第六章でこのように紹介されていました。
- 医師のカーストに生まれた
- 早くから孤児となり英国流の教育を受けた
- 当時ブラーフマ協会を指導していたデベンドラナート・タゴール(詩聖タゴールの父)の寵愛を受け、24歳で補佐役になった
- 師タゴールをも凌駕しベンガルの知識階級に圧倒的な人気となる
- キリスト教に傾倒してヒンズー教を嫌った
- インドの指導者にしては珍しくサンスクリットを知らなかった
- キリスト教をブラーフマ協会に導入しようとして、師タゴールと対立
- それでもその学識と雄弁で依然インテリ青年の崇拝の的
- ヴィクトリア女王が彼を招待し食事をするほど、英国人を魅了
この人物がラーマクリシュナについて語ったことで、その存在が世に出たと言えると、この本ではしっかり認めています。
ラーマクリシュナの思想の、インド人ヨガ講師への影響
以前は気づかなかったことが他にもありました。
これ聞いたことある話だなと思う話がありました。
ブッダは無心論者か?
(P228より)
これはリシケシのヴェーダーンタの先生が授業で取り扱っていたトピックです。今になって気がつきました。
末世(カリユガ)の今、ヴェーダに書いてある通りの行事をする時間があるかい?
(P117より)
これは、わたしがヨガを教わった先生が話していたのと同じです。
日本語訳が面白すぎたため結びついていませんでしたが、今回の読書で気がつきました。
ラーマクリシュナの発言を細かく読み解いていくと、ヴェーダーンタもサーンキヤもタントラヨーガも織り込まれていて、「朗らかでないものは循環していない。前進しなさい」という着地へ至るまでの詩的な表現に圧倒的な力があったことがわかります。
何度読んでも発見のある本です。