Hatena::ブログ(Diary)

Freezing Point このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

トラックバックは受信しておりません。また、メール・リンクには基本的にお返事しません
が、無視しているわけではありません。 いつも励まされています。
いただいたメールは、公開する可能性があります。
コメントを書き込むことはできませんが、過去のコメントは読めます。
[語句説明]

2003-09-28

 『動物化する世界の中で』(東浩紀・笠井潔、ISBN:4087201880)読了。総身に冷水を浴びせられたような読書体験だった。読んでいてほとんど指が震えた。決定的に「ダメだ、俺は不勉強だ、文化的に貧困だ」という思いに駆られて、すぐにも次の読書に向かいたいのだが、備忘録的にいくつか書き留めておく。

  • 前回の日記に「僕は東氏への転移に苦しんでいた」と書いたが、実はここ数年の東氏の発言には疎遠なものを感じていた。もちろん僕自身の文化的な貧困さにもよるのだが、自分自身の参加意識を刺激されなかった、ということがある。今回の本は対談であり、しかも相手は全共闘世代。率直で素っ気ない東氏と、言い訳ばかりに見える笠井氏。僕は19才のときに新左翼系思想の洗礼を受けそれ以後ずいぶん苦しんだので、ふたりの対話は自分の中の2側面の対話にも見える。あるいは、「ひきこもり当事者とその親とのかみ合わない対話」にも。35才になる僕にとって、実は笠井氏の老いた狼狽ぶりは他人事ではなかった。
  • 「思想や文学の言葉が現実と乖離している」という東氏の指摘は僕にとっても切実。ただし「世界を説明しなければならない」からではなくて、自分の身の回りのことを自分でやれたり、社会に自分を参加させられたり、といった意味で「現実的」でなくては、ということだが。「作家」は、「虚構をものする人」ではなくて、「現実との関係を新たに教えてくれる人」ではないだろうか。その意味で僕は「作家の言葉」を切望しているし、自分も作家になろうとしている、と言えるかもしれない。
  • ひきこもりを「政治的敗残」と見ている僕にとって、苦しんでいる人が「政治的に有能」になるのは大事なこと。それは「言葉のあやつり方」がうまくなるということだと思う。そういう訓練を促してくれる言葉をも、僕は「作家」に求めている。
  • 本を読まない、過去の知的遺産に興味のない若者に「古典を読め」「私の発言を聞け」と説教しても空しい。これは、自分がなし崩しに餓死してゆくことを覚悟して引きこもっている当事者に「家を出ろ」「働け」と言うのに近い。では、何が必要か。「誘惑」だ。魅力的なものを示すこと。やってみせて嫉妬させること。参加意欲をあおること。正論はそれ自体としては「魅力的」とはかぎらない。
  • 有能なラジオ・パーソナリティのような存在にならなければいけない、と思う。魅力的な情報発信者であり、その人の存在と固有名詞を通して、リスナーが未知の情報に馴染める。そういう人が増えれば増えるほど、お互いに訓化されて豊かになる。パーソナリティーはその意味で最も「現実的」でなければならない。ひきこもりの親の会に来ている親御さんたちの顔を見ながら、いつも「俺の言葉はこの人たちに届いているのか」という気持ちになる。うわごとのような言葉と、意識的な理論言語とが結婚しなければならない。さもないと「現実的」でないと思う。
  • サブカル言語でひきこもりを語る必要がある。これまで引きこもりは、親世代のメインカルチャーの言語でしか語られてこなかった。親の会のサイトhttp://www.khj-h.com/の言語がなんとも異様に無惨なのは、親世代の言語がこの現象をうまく扱えていないことを示している。
  • 「配慮」(ハイデガー)の極限化としてのひきこもり。極限の配慮は、逆に周囲にとって「リスク」となる。
  • 「30歳以上のヒキは氏ね。っつーか自殺しかないだろ(w」。血の気が引く。僕が2ちゃんねる用語を使えないのは、「笑われるのは自分だ」という意識があるからではないか。

昨晩、NHKでひきこもりのシンポジウムを観る 昨晩、NHKでひきこもりのシンポジウムを観るを含むブックマーク

 「ありのままで」と言うのだが、ありのままではたぶん生きられない。むしろ自分や自分の作品を「魅力的」たらしめる詩学や戦略的意識をつちかった方がいい。

ひきこもりに関わろうとすること ひきこもりに関わろうとすることを含むブックマーク

 僕は本の出版によって母をひどく傷つけてしまった。母は、引きこもり支援に関わってひどく疲弊した僕の姿にも苦言を呈している。引きこもり当事者の多くからは悪態をつかれる。いったい何をしているのかと思う。自分は何においてプロであるのか、を考えないと。

憂国呆談 憂国呆談を含むブックマーク

 浅田彰と田中康夫の「憂国呆談」をネットで読む。http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/index.html

 政治的知性っていうのはこういうのを読む中でちょっとずつ作っていくしかないんだろうな。

kagamikagami 2003/09/29 00:44 東氏と笠井氏の対話は興味深いですね。パフォーマティヴ(東氏)とコンスタティヴ(笠井氏)の対立というのは、何千年も続いてきた詩と哲学の対立にそのまま重なり繋がるものとして感じられました。ヘーゲルからヘルダーリン−ハイデガー(ナチズム!)に連なる政治の美学化として、詩のパフォーマティヴは遥かなるアカデメイアの時代から政治&哲学の連合軍に生産性をたかめるものとして支配され利用されてきました。私は詩(美)をこういった政治が表像利用することに凄まじい苦痛を感じます、絶対に詩文を利用されたくないと思っています。ゆえに詩のサイト名はアセファルからです…。最も政治的な政治であるファシズム(権力・争いを耽美主義化する力)が、最も「美」を操り力とすることに長けています。美を利用しようとする勢力に対してどうか慎重にあることを願います…

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/29 01:55 ●kagamiさんの書き込みを読んでいて、僕が東さんの言説に惹かれたのは、彼の言葉の詩的な力ゆえだったのではないか、と思いました。いや、もちろん内容面も魅力的なのですが、とくに彼のデリダ論の連載時の言葉には、そういう力が強く感じられました(本にまとめられた時には、コンスタティヴなまとまりが強くなった分、パフォーマティヴな魅力は落ちたような)。●「詩的なものの魅力」ということでいうと、あの「トラウマ」というものは――いま、斎藤環さんの『心理学化する社会』を読んでいるのですが――まさに「詩的なもの」として人をひきつけ、映画や小説の物語を駆動しているのではないか。ファシズムは傷を劇化するのがうまい(トラウマの美的利用)。しかしそれは非難すべきであるとして、一方で、ぼくらの現実の被害については、それを「物語化」しなければ社会に相手にされないわけで、それはむしろ戦略的に物語化する必要さえある。・・・・ぼくは「傷」への態度を、可能なかぎり散文化すべきなのかもしれません(ついに散文化されないのですが、可能なかぎり散文化し、あとは「沈黙する」しかない、ということでしょうか)。●「傷以外に美の起源はない」というジュネの言葉を思い出しました。美をあつかう手つきの慎重さは、傷をあつかう手つきに重なるかもしれません。●ずっと前から気になっているんですが、自分の精神活動をコンスタティヴなアリバイ証明に賭けているような人たち(哲学者とか、左翼の人とか)は、どうも性的にものすごく抑圧的で、かつ他人の性的なスキャンダルにものすごく敏感ですね・・・。これはどうも、パフォーマティヴな、詩的な経験を通じてのガス抜きがなってないからなんじゃないか、と思うのですがどうでしょう。kagamiさんが性的にすごく挑発的な姿勢をとられることは、「美」に対する姿勢と関係あるように見えたのですが(関係なかったらスミマセン)。●とまれ、kagamiさんの書き込みによって、どうやら僕は「美=傷」という「詩的なもの」に強く魅せられているらしいことに気付きました。書き込みありがとうございます。ほんとうに。

kiyokoskiyokos 2003/09/30 14:46 こんにちは

kiyokoskiyokos 2003/09/30 14:46 あれ、しっぱい。サイトウですよ。

kiyokoskiyokos 2003/09/30 14:48 また失敗した。TT氏に紹介してもらいました。お元気ですか〜???またメールします。

ueyamakzkueyamakzk 2003/10/01 22:22 ぬはは、ひさしぶり。元気?

2003-09-25

自殺 自殺を含むブックマーク

 この1年で、僕の周囲で3人が自殺した。「友達の友達」1人、「1回だけ会った人」1人、「友達」1人。3人とも「ひきこもり」ではなかった。息子さんが引きこもっているある女性は「ひきこもれないから自殺するんじゃないか」と言っていた。

 「引きこもるぐらいなら死んだほうがマシ」、あるいは「引きこもってしまったら人生終わり」と思うんだろうか(彼らはひとまず経済的に追い詰められていたわけではなかったようだ)。自殺が必ず悪いことだとは思わない。「安楽死」としての自殺もあるだろうし。僕が考える必要があるとすれば、若い自殺者たちを追い詰めたのと同じ価値観で自分や周囲を見ていないか、ということ。

転移 転移を含むブックマーク

 僕の日記を読んでもらえれば分かるとおり、僕は10年ほど前に東浩紀氏の作品に触れて、転移感情でメロメロになってしまった。その後しばらく離れていたが、2001年に氏の講演会に参加したことでその感情が再燃。ひきこもり関連の活動でつらい思いをしたこともあって内容滅茶苦茶なトンデモ・メールを出したこともあった。この「はてな」で東氏を発見、自分も日記をつけ始め、何人かの人たちと言葉を交わし、東氏はようやく僕の中で生身の人間に落ち着いてきた。げに恐ろしきは転移感情。はてなはこんな効能も持っている。

地域通貨 地域通貨を含むブックマーク

 僕はお金がこわい。お金で仕切られる人間関係がこわい。そんなところから「別種の設計図をもった決済手段」としての地域通貨に興味を持ち、京都ではLETSの立ち上げに協力し、そのシステムのオンライン版であるGETSにも関わろうとした。

 が、京都での試みは左翼派閥的な体質に嫌気がさしたことで事実上脱退せざるを得なくなり、ほそぼそとLETSゲームなどはしていたがLETSそのものの社会的展望にはかなり懐疑的になってしまって、GETSへの興味も薄れていた。先日はNAM内部のトラブルが某地域通貨MLを通じて流れて来もし、あまり言いたくはないがますます興ざめしていた。

 そんなところに先ほど、新しい情報が。 http://www.picsy.org/

 2年前に「相対値貨幣」と呼ばれていて、ずっと音沙汰がなかったものだから放置されているのかと思っていたが研究は続いていたらしい。

 PICSYピクシー)自体の理解や評価は今後考えるとして、僕の地域通貨への期待は、一貫してその「心理的な」効果にある。日銀マネーを通じての経済生活や人間関係に苦痛を感じる人でも、決済手段の設計図をいじれば、なにかもう少しマシな生活態度があり得るのではないか。それは「気合を入れて生きろ」とかの精神論ではなくて、いわば無意識的な決定要因としての貨幣――人間の社会生活の結晶――それ自体はただの紙切れだったり金属だったり帳簿上の記録でしかないのに――の設計図に手を入れることで、「そうとは知らないがやっている」のレベルで変化を起こせないか、ということだ。

 ひきこもりを考える時に、彼らを単に社会順応させればいいのか、という問題に突き当たる。単なる社会復帰だけでいいのなら、「仕事しろ」で話は終わる。ひきこもりを「炭鉱のカナリア」と見立て――つまり「社会がおかしいから、敏感な人は引きこもって苦しむのだ」――れば、分かりやすくは左翼の社会変革イデオロギーに巻き込まれる。どちらにも、「参加意欲を刺激するような社会設計図の案」はない。僕はそのアイデアを地域通貨、とりわけLETSやPICSYに見たのだったが。

 いずれにしても、新しいアイデアは対話の中からしか湧いてこない。現在「ひきこもり対策」として実施されていることは全て「働いて日銀マネーを得よう」だと思う。そうではない何かのアイデアをいつも探しているのだが。

傷と怒り 傷と怒りを含むブックマーク

 強力な理論的分析ないし批判が、しばしば自らの可謬性に鈍感な増長への倫理的怒号から生じる(鎌田哲哉、http://www.juryoku.org/osirase.html

 親の会のサイトhttp://www.khj-h.com/を閲覧し、溢れ返る情報に身震いしながら、本当に必要な言説と、本当に必要な社会的処方箋について考える。まだまだ、言葉を鍛え上げる必要がありそうだ。「目論見」と「結果」はいつも違うものだけれど。

hikilinkhikilink 2003/09/25 23:25 親の会サイトの情報量はすごいですね。「旅立ち」もすごいですけれど、掲示板のほうが・・・。僕はまじめに読んでいません。

igiigi 2003/09/26 01:02 ピクシーのサイトは「about us」がリラックスしている感じなのがいいですね。

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/26 01:27 あのサイトにあるのはいわば「野生の情報」なので、無視はできませんがそれを自分としてどう処理するかが重要なんだと思う>hikilinkさん

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/26 01:28 ピクシーの皆さんは上の世代のゴタゴタに巻き込まれずに「勝手にやってます」って風情が好きです>igiさん

kagamikagami 2003/09/27 19:49 初めまして。「自殺」を読み、現実が実にヘーゲル的な様相であることに驚きました。自殺に追い込んだ社会は典型的な「貴族型共同体」ですね…。戦士及び貴族的立場を極限まで推し進めるとそれは奴隷的立場と等価値になる訳ですが、(ヒューム、ショーペンハウアー、厭世哲学)、現実社会は貴族的立場が強固であることに問題があると云えるのかと。社会共同体の圧力が強すぎることに問題があるのではないでしょうか…。 http://www.ne.jp/asahi/village/good/hegel.htm

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/27 22:49 こんにちは>kagamiさん。哲学にあまり詳しくないので、おっしゃることがちょっと分かりにくいのですが、「貴族的」というのは、「想像的には自己を確保しているが、対象との関係(労働)においては疎外されている」というようなことでしょうか。だからその極限が「イコール奴隷」である、と?(的外れだったらスミマセン)/ ひきこもりを馬鹿にする発想は、たいていは「私は仕事をしている」という自意識(共同体への所属意識)から来るのだと思いますが、やっかいなのは、ひきこもり当事者自身が――自意識を支える現実的根拠をあまりにも持たないために――こうした空疎な貴族意識(プライド)で自己を守ろうとすることです。現実には排除されているのに、というかそれゆえに、ますます強力な貴族意識に想像的にしがみつく。それが周囲との関係をますます拒絶的なものにしてゆく。選民思想。ますますドツボにはまる。・・・・「想像的に自分を救済しなさい」という共同体からの圧力――多くの人はその圧力を内面化してしまっています――を無視し、「自分は勝手にコレをやっている」と言えるような道に就ければいいのですが。・・・・死んでしまった知人たちの事情はわかりません。でも、私自身も、「想像的に自分を救えなくなるかもしれない、そのときに、あえて生きる道を選択するだろうか」という危惧は、ひとごとではありません。

kagamikagami 2003/09/28 07:49 貴族と奴隷の概念は社会が認める価値性の内面化と関わっています。社会が「名誉ある死」「意義ある死」を求めたとき、死を選ぶのが貴族で、彼等は社会の称賛(内面のみとしても)に値し、死から逃げて生き延びようとするのが奴隷で、彼等は社会(内面)から批判を受けます。非常に端的に例を挙げますと、会社をリストラされ、そのことを恥とし、自身の処断(自殺)を行なうのが貴族で、リストラされたあと、家の財産を食いつぶしながら、何もしないでただ生き延びているのが奴隷です。社会は前者を肯定し、後者を非難します。これは社会共同体が「生産性」というもので人間を判断する価値観を持ち、それを人間に内面化させるからです。この社会は、生産性から逃げる人間に死を求める圧力が強すぎると思うのです。ひきこもりの方に例えると、生き延びている方は奴隷であり、自殺された方は貴族です。私自身も苦痛の生を生き延びている訳であり、死が逆説的に生き延びる力になっていると云えます。 http://www.linkclub.or.jp/~kiri/r52.html 

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/28 12:35 ていねいな解説ありがとうございます>kagamiさん。今度はよく分かりました。シオランは僕も一時期よく読んでいました。ここでkagamiさんがお書きになったこと、今後くり返し立ち返り、ジワジワと効いてくる気がします。/ところで、kagamiさんは詩を書かれるのですね。僕は詩のことはよく分からないのですが、「生産性」をあきらめた時に真に生産的な言葉や行動が沸いてくる――僕が詩的なものに期待するのはそういう逆説、というか姿勢なのかもしれないです。そういう意味でなら、僕も「詩的」であろうとしているのかもしれないです。「ひきこもり支援」という、どこか胡散臭い「生産性」に違和感を感じるのも、そういうことなのかも・・・。

2003-09-24

 たびたび書くが、はてなダイアリーを見て回っていると、オタクの人たち(と括ってしまっていいのか分からないが)の豊かさには唖然とさせられる。一方、ひきこもりの人たちの「貧しさ」に、いつも僕は辟易としている。

 昨日の斎藤環さんの番組(人間講座)で、「自己対象」という言葉が出てきていた。人間は成長にしたがって、「自分の分身のような対象」を次々に変遷させてゆく。オタクの人たちは幸運にも、この変遷の結果たどり着いた漫画やアニメといった自己対象が、同時に他者や社会への通路にもなっていたのだと思う。じゃあ引きこもりはどうか。

 ひきこもりの人にとって「自己対象」は、極端に「自分」に局限されているように思う。この状態はとても不毛だ。観察する自分と観察される自分があって、この二つはほぼピッタリ一つになっている。そしてこの「自分」という閉域を侵そうとするあらゆるものにいつもビクついている。「自分」しか対象がないから言葉はどんどん貧困化して、外部に向かって放たれる言葉は「うるさい!」だったり、皮肉なイジケでしかなかったり。「自分」のプライドに閉じこもったままフラフラ浮遊している。オタクの人がその言葉の食欲にまかせて次々と対象を自分のものにしていくのに対して、ひきこもりの人は、自分の鏡像といつまでもにらめっこしている。

 ひきこもりの人にとって「笑い」がすごく難しいのも、きっとこの「閉域」のせいだと思う。滝本竜彦氏は次のように書いている。

 たったひとつだけでいい。どうか君も、心底本気になれる相手を見つけてくれ。

 絶対にこれだけは本当だと思える感情を見つけ、なりふり構わず飛びついてくれ。

 (『ファウスト』vol.1,p.235)

 おちゃらけて「アスカ」との脳内対話に没頭していた彼が突然、「外部」への憧れを叫びのように口にする。ものすごく身に染みる。

欲望の文体 欲望の文体を含むブックマーク

 id:hazuma:20030924を見ると、なにやら難解な技術論と、大下さなえさんという詩人の方のイベント情報がある。リンクをたどってみたが、技術論も、詩の世界も、僕にはまったく異質の世界で、とくにそこにどんな欲望が生きられているのかがまるで見えてこない。それだけ新鮮でもあるのだけど。

 技術論。あの文体は異様だ。専門用語(多くは頭文字の羅列)が膨大に出てきて、しかもそれらはきわめて平易な日本語の文体にのせられている。いわば口語表現にテクニカルタームがてんこ盛りの感じ。ああいう文体はパソコンやネットによって新たに出てきたのではないか。(昔の技術屋の言葉ではないと思う。)

 詩の朗読。詩、というあのあまりにも弱くて壊れそうな言葉の連なりに、自分の人生を賭けてもいいと思えて、かつそのエネルギーで人を集めてイベントまで打ってしまう。その執着心に、なんだか世にも珍しい植物に出会ってしまったかのような感慨と戸惑いを覚える。驚くのは、そのイベントがちゃんと盛況で人を集めているということだ。人々は、こういう壊れそうなものに丁寧な気づかいをみせるパフォーマーに、そこまで飢えていたのか・・・。

 いずれにせよ、僕の知らない欲望に信念をもって取り組む姿に僕は少なからず癒されている。何の欲望も持つことができずに殺伐とした狂暴さを抱えている「ひきこもり」の世界に、ヒントを与えてはくれないだろうか。

怒りの文体 怒りの文体を含むブックマーク

 僕がずっと懸念しているのは、ひきこもりの人たちが持っている<怒り>の感情に何らかの社会的文体を与えることはできないだろうか、ということだ。「社会的文体」などというと小難しいが、要するに「自分の部屋で感情を暴発させる」のではなく、何か社会的な手続きを踏まえた形でその怒りを生きられないか、ということだ。

 僕はどうも、ひきこもりの人はいきなり「欲望」に向かうのではなくて、まずは自分の「怒り」に取り組み、そこから社会への回路を見出していく方が順番として有効ではないかと思っているのだが、いかがだろうか。

情報提供と批評的態度 情報提供と批評的態度を含むブックマーク

 id:hikilink:20030924に、大事な問題提起が為されている。

 彼のHPは引きこもり支援に関する情報サイトになっているのだが、データベースとしてただ単に情報を無機的にズラズラと並べていては、良いも悪いもいっしょくたになってしまう。「どの団体がいいか」について最低限の情報も付記したいが、根拠なき中傷や過剰な賞賛を排除するのは難しい。かといって、自分で足を運んでみずからレポートしようにも、その訪問時だけ先方からいい顔をされるかもしれない。文学や映画のように「作者不在の場所で作品だけを鑑賞する」ことはできないのだ。(ただしそういう困難を知りつつ情報提供に踏み切った試みもある→http://www.pot.co.jp/pub_list/pub_book/ISBN4-939015-47-5.html

 かくして、「最良の情報源は2ちゃんねる」ということになる。これは僕も考えていたことなのだ。2ちゃんねるのヒッキー板、特に斎藤環や工藤定次、ニュースタートなどの個人・団体名を記したスレッドには、ひきこもり支援に関するそれぞれの考え方の衝突や、実際に支援施設を体験した人間によるレポートもあって、匿名板独特のナマ情報が溢れている。もちろん情報の取捨選択の目は必要だが、僕がかりに個人で批評めいた言論活動を行なったとして、あの「2ちゃんねる」以上の情報源たり得るかどうか。

 ひきこもり支援団体そのものを評価するのではなく、「ひきこもり支援をめぐる言説」を取り上げて考える、ということは出来るかもしれない。各団体や個人、当事者たちの発する言葉をめぐって考えること。

 僕自身はといえば、先日も書いたが「支援」という発想ではなくて、「参加への誘い」といった方が好みなのだが。

恐すぎて 恐すぎてを含むブックマーク

 あまり触れられないが、実は名古屋の立てこもり事件は事情を知れば知るほど恐ろしい。「お金」で追い詰められるということ。自分のミッションに早くに気付いた者は幸いなるかな。

 気付かない間はこの世に課題があるとは思えない。死んでもいいような気がしている。気付いた瞬間、すべてが手遅れのように思える。「もう間に合わない」

フィールド フィールドを含むブックマーク

 自分の言葉を社会的緊張の中に晒して、いくつかの対話を得て、はじめて「勉強したい」という気持ちになる。そういう状態になって初めて、自分の言葉が貧困であることを痛感する。まともで刺激的なレスポンスを得られないときには、言葉も意欲も沈黙する。

hikilinkhikilink 2003/09/24 20:46 少し誤解されてしまったみたいですけれど、僕の「ウェブでは2ch(ヒッキー板)以上のものは生まれない」という発言は、どちらかというと悲観的な意味を込めたものです。ウェブで何か情報交換をやろうと思ったら2chが限界というか・・・。もちろん、ueyamaさんが指摘しているような良い面もあると思いますし、多種多様な立場の人が集まる貴重な場であるとも考えています。しかし、やはり限界がある。そういうウェブの限界を、ポット出版の本での試みは、超えているんじゃないかと思うんです。支援機関に関わったことのある人たちが、実際に支援の現場に赴いて取材をするという、そういう方法でしか得ることのできない情報は必ずあると思います。ですから、ueyamaさんの言論活動は大いに意味があると思いますよ。当事者の立場と支援者の立場の両方を経験していた人が、説得力のある言葉で語るのですから。

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/24 23:38 ありがとうございます。なるほど。すごい緊張を強いられる仕事になりそうですが。単身乗り込んでいくわけですからね。これは団体に限らず、個人として活動している人と接する時にも感じることですが。在野の教育業界はクセのある人が本当に多いですから・・・。

2003-09-23 求めているから武装して

 id:hikilink:20030921と昨日の僕の日記から。

 ひきこもりの男性は、「人間嫌い」であるのに「女ほしい」という。「女は人間じゃない」と言っているみたい。「人間と関わるのは嫌だ」と言いながら、「異性との関係をこうしたい」というものすごく電圧の高い幻想を持っている。実際に女性と関わってみればすぐに分かるが、女性はやはり女性である前に人間で、こちらの幻想になどまったく従ってくれない。こちらはものすごく求めているのに常に拒絶してくる存在が女性で、その「求めているのに拒絶された」傷つき(性的な拒絶はとくに激しい傷を生む)への恐怖から、こちらも過度に硬直して拒絶的になったりする。視野が引きつって固まる。もはや戯れることができない。

 意識のバリアーを解いて相手と自由に戯れてみること、そういうことができないということと、「文章を読むことができない」「自分の状況に介入的に関わることができない」ことは同じではないか。

 対象と自由に戯れることができない状態では、「理論」を口にすることは防衛機制でしかない。考えれば考えるほど対象との距離は遠のく。というか遠のけるために考える。

 意識の閉鎖的な硬直は、どうも言葉でしか武装解除できないように感じる。ことばの作業の重要性を思う。

行動の原理:希望という形成力 行動の原理:希望という形成力を含むブックマーク

 id:hikilink:20030922にあるリンク先より転載。

 希望というものは生命の形成力以外の何者であるか。

 生命の形成力が希望であるというは、この形成が無からの形成という意味をもっていることに依るであろう。

 希望が無限定なものであるかのように感じられるのは、それが限定する力そのものであるためである。(中略) 形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学的智慧であった。 (以上、三木清『人生論ノート』)

 何一つ決定しない意志は、なんら現実的な意志ではない。無性格な男はいつまでも決断がつかない。このぐずぐずする根拠は、ある種の気持ちの弱さにあることもありうる。それは、規定することで有限性とかかりあい、自分に一つの制限をおき、無限性をすてるのであると知っており、だが自分の意図する全体を断念したくはない気持である。そうした気持は、たといなにか美しい気持であるつもりであっても、死んだものである。

 大事を欲するならば、おのれを制限し得なくてはならない、とゲーテは言っている。どんなに辛かろうとも、人間はただ決定することによってのみ現実の中へ踏み入るのである。何しろ惰性というやつは、自分の中で思いを抱き暖めて、その中で何か普遍的な可能性を自分の中で保持し、そこから外へ出ようとはしないからである。だが可能性はまだ現実性ではない。自分を確信している意志なればこそ、規定されたものの中でもなお。自分を失わないのである。(ヘーゲル『法の哲学』)

 形成を駆動する快感の糸が必要だ。参加意欲をそそるもの。「参加しろ」ではなく、やってみせて誘惑すること。

現在 現在を含むブックマーク

 オタクの人は<現在>に棲んでいる。新しく入ってくる情報とともに<現在>を生きている。ひきこもりの人は、<現在>が恐ろしく貧しい。<現在>を放置している。あきらめている。

書き込み 書き込みを含むブックマーク

 今日、いくつか他の人のはてな日記にコメントを書き込んで、交流を持った。そういう緊張感が、少しまた僕を文字に近づけてくれたように思う。・・・って、完全にリハビリだな・・・。

 ・・・それにしても、笑いが少ないなぁ、僕の日記は。余裕がないんだな。

igiigi 2003/09/24 06:48 心の底から笑うことって難しいですよね。僕はそれを結構大切にしているところがあります。

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/24 14:21 難しいですね。ひきこもりの世界は本当に笑いが少なくて・・・。滝本竜彦さんが唯一の例外かもしれませんが、でも彼にも、ついついのぞいてしまう「苦しさ」があって・・・。僕も少しだけ法律の世界を覗いたことがあるのですが、「トラブル」を基本とする世界に辟易してしまって・・・。でも、だからこそそこには学ぶものがあるのかも、と思ったりしています。

unknownunknown 2003/10/04 14:39 『ロリータ』って、所謂ロリコンな男性は読まないんでしょうか。(男性が女性に対して持つ幻想が壊れてゆく過程が描かれてる話しであの本以上ってのがぱっと思いつかないんですが。)

ueyamakzkueyamakzk 2003/10/04 15:21 あ、ナボコフですね。実は読んでいないんですが、お話うかがって読みたくなりました。●「所謂ロリコンな男性」は、「所謂ロリコン」な話を求めて読み始めて、ちっともそうじゃないのでガッカリして途中で投げ出す、というのをよく聞きますね。

2003-09-22 嗜好の遍歴

ハマれるもの ハマれるものを含むブックマーク

 昨日のid:hikilink氏の書き込みを受けて。ひきこもり状態にある人でもオタク系が好きだったりアングラ系が好きだったり様々だと思う。それぞれが自分のハマれる対象や分野に沈潜すればいいわけで、統計も取らないうちから「ひきこもりは〜だ」みたいな話はやめとこう(統計取ったら面白いな)。とりあえず僕は自分自身が「ハマれない」状態にあるわけで、それについて考えたい。

 僕は小説を読めないわけだが、でもなぜ「小説」を読まねばならない? 娯楽の一種じゃないか。かつての僕にとっての好きなアニメや漫画がそうであったように、好きな人にとっては自然と入っていける世界なのだろうし、そこに需要があるわけだから「小説について」語ったりする作業でお金をもらえたりもするわけだろう。結局、「他の人たちが求めるもの」を作った人の勝ちなわけで・・・。

他者の欲望? 他者の欲望?を含むブックマーク

 先日あるメーリングリストで、「ひきこもりというのは、他者の欲望を忌避することだ」という発言があった。ラカンの「人間の欲望は他者の欲望である」をもとにした意見だが、かなり肯ける。その発想でいけば「他者の欲望を忌避」してしまえば自分自身に欲望がなくなってしまうのも当り前か。

 だけど、「他者の欲望」だけかな? 僕の外出恐怖には、たとえば「細菌(ウイルス)恐怖」がある。本屋さんは好きだけど、そこに行くまでに電車という細菌の巣に乗らなければならず、本屋さん自体も細菌だらけだ。風邪うつされたり病気したりすることに凄い恐怖があって・・・。ホテルに泊まっても、水虫うつされるのが嫌だからと床は素足では歩けなかったりする。・・・一般に「外界」とか「自分ではないもの」に対する恐怖があって、その「自分を傷つける自分ではないもの」の最たるものとして「他者」とか「他者の欲望」ってものがあるんだと思う。

 「人間の欲望は他者の欲望」というけど、じゃあ個人によって好みの対象が違ってしまうのはどう説明するんだろう。たとえば僕はまさに「他者たちの欲望」に導かれて「ファウスト」という雑誌を購入したわけだが、あれだけ人々に求められているという作家たちの作品はぜんぜん駄目だった。ぼくの資質というものがあるわけで・・・。

資質の経歴 資質の経歴を含むブックマーク

 いずれにせよ僕自身の資質傾向と他者たちの資質(欲望)を絡み合わせることが問題なわけで。僕は、自分の経歴については本(『「ひきこもり」だった僕から』)の中で事細かに書いたが、あそこでは意図的に、自分が夢中になった(アニメや漫画などの)固有名詞は極力出さなかった。自分の世代の話に限定したくなかったので。葛藤の構造や性的な話など、世代に関係なく当てはまると思う話を書きたかった。このはてなは僕の個人的な日記だから、僕の個人的な嗜好を書き出してみようと思う。自分の好きなものについて考えるというのはこれまでほとんどなかった。(以下、ほぼ時系列を尊重しつつ。僕は1968年生まれ。)

  • 仮面ライダー、ウルトラマン
    • あまり覚えていないし、それほど熱心だったかどうか。
  • 不思議のメルモ
    • 「キューティーハニー」と並んで、性的に何ともいえない気分にさせてくれた最初期の作品。赤いキャンディを飲むと10才年をとり、青いのだと10才若返る、だっけな(逆?)。主人公のメルモちゃんは確か10才くらいだったが、観た当時は「すごいお姉さんだな〜」と。(だいたい僕は、30才になる頃まで、アニメやドラマの登場人物はみな「年上」に見えたのだった。サザエさんは24才の設定だというが今でも年上に見える(笑)。) 
  • キューティーハニー
    • 「メルモ」が優等生的興奮だとしたらこちらはいかがわしい興奮。当時僕は5才くらいだったはずだが、ハニーの変身シーンだけを目的に観ていた気がする。
  • 宇宙戦艦ヤマト
    • 今となっては効果音ばかりが懐かしくてならない。あとは大して思い入れない。
  • 「ひみつ」シリーズ
    • ハードカバーで漫画の体裁をもった子供向けの科学啓蒙書。大好きだった。
  • アルプスの少女ハイジ、母を訪ねて三千里
    • 登場人物そのものよりも、背景を際立たせるみごとな構図や画面構成に心うばわれていた。あとで知ったのだが宮崎駿の仕事だった。
  • ブラックジャック
    • 友人に教えてもらって以来、全巻揃え、単行本が分解するまで徹底的に読み込む。
  • えーと
    • 書きながら思ったのだが、小学校卒業(1981年)までには観ていたアニメや特撮というのはものすごい数だな。ルパン3世、キャシャーン、ゲッターロボ、ガイキング、コンバトラーV、ライディーン、マジンガーZ、ラスカル、バビル2世、デビルマン、アパッチ野球軍、ど根性ガエル、銀河鉄道999、キカイダー、どろろん閻魔くん、バロムワン、テラへ、火の鳥2772、侍ジャイアンツ、妖怪人間ベム、ハクション大魔王、タイムボカン、ゲゲゲの奇太郎、リボンの騎士、海のトリトン、・・・・
  • ガンダム、イデオン
    • 小学校5年の時で、クラスメイトは夢中になっていたのだが今ひとつハマれず。
  • うる星やつら
    • あまり熱心な視聴者ではなかったが、あたるの母親が銃を持って戦う、という回があって、その雰囲気の異様さに打たれて以後しばらく観ていたような。いま考えるとあれは押井守の演出だろう。ずっと「あの雰囲気」が出てくるのを待っていたがそれ以後は出てこなかった。
  • みゆき、タッチ
    • あだち充のマンガ全盛期か。登場人物はみんな年上だったけど、ずいぶん甘酸っぱい思いをさせてもらった。当時の僕は不登校・ひきこもりで、とにかくひたすら女に飢えていた。

中学時代は勉強が忙しかったりしたせいであまりテレビは観ていないはず。15〜16才(1983〜4年)、とくに1984年の1年間は、家に引きこもっていたせいで、テレビをよく観ていた。当時はゲームと言えば初代ファミコン。高校生がハマるには幼稚すぎた。

  • キャッツアイ、巨神ゴーグ、銀河漂流バイファム、装甲騎兵ボトムズ、ガラット
    • サンライズ全盛。どれも欠かさず観ていた。「これ以上のアニメの進化はない」などと思っていた。
  • 風の谷のナウシカ
    • ロマンアルバムを買ったのはこれが最後。漫画版も大好きで、ただ巨神兵のシーンだけはアニメの方がいいな、と。
  • 童夢、アキラ
    • やはり1984年、大友克洋にハマりまくる。プロ向けの漫画道具を一式そろえて、ひたすら模写していた。何度か漫画家になろうかとも思うが、自分はどうやらストーリーに執着したりそれを作ったりすることに熱意も才能もないと思って、あきらめた。

これでいったん僕のオタク生活は終わる。アニメも漫画もほとんど見なくなった。

  • 攻殻機動隊
    • 昨日は書き忘れたがこれはずいぶん別格。押井守では「パトレイバー」も観たが、うーん、そうか僕が押井守に求めているのはあの「静けさ」なんだな。アタマを、視野を、健全にしてくれるような、あの静けさ。いつもと同じようにテレビが鳴っていても、その背景となる存在の静けさの方が前面に出てくるような演出方法。見終わったあとには周囲の世界まで「演出・押井守」に感じる。
  • 火垂るの墓
    • これは僕にとって「泣く」映画というよりは真のホラー映画だった。とにかくもう恐くて恐くて。ちょっとした行き違いや偶然によって歯車がずれていって、けっきょく最愛の人も自分も死んでしまう。この作品、ロケーション的にちょうど僕の行動範囲にあたるのだが、方言もばっちりだし、僕の母によると背景となる街並みや部屋の中の様子、その他、場面設定がとにかく異様なほど当時に忠実らしい。映画の冒頭、清太さんが倒れこむのは国鉄三宮駅の構内。節子と清太さんが二人で電車に乗って出てくる建物は震災で崩壊した阪急三ノ宮ビル。二人がお母さまに連れられて海で泳ぐシーンは西宮の方の海水浴場(ああいう洋館建ちが本当にあったらしい)。庵野秀明が自分の描いた軍艦が黒く塗りつぶされていてショックを受けたらしく、気持ちはわかるが、あのシーンで軍艦のディテールが出ても興ざめだろう。
  • 批評空間
    • 友人に勧められて第1号からジジェクを読みはじめ、のちに東浩紀氏を発見する。なんだったろうあの熱狂は。
  • 耳をすませば
    • 27才のときに初めて見て、あぁやられた、と。「自分の過去の記憶もこうであったらよかったのに」という願望の核心を突かれたような。ああ自分はもうこの主人公たちより12歳も年老いてしまった、と絶望的な気持ちにもなった。そういう「理想」を描いていると同時に、その背景となる各シーンは異様なほどリアルで、たとえば登校シーン。雨降りの中、ムッと鼻をつくアスファルトの匂いを思い出した。そうだ、中学の時、たしかにそういう匂い、してたよなぁ・・・。あと、雫が野球部のやつに告られてあわてて断わるシーン。ああ・・・リアル・・・。
  • エヴァンゲリオン
    • ずっと存在を知らなくて、映画化される直前になって東浩紀氏経由ですごい作品らしいことを知った。とりあえず本屋さんで関連本を読んで勉強し、だいたいの設定を知ったところで最後の映画だけ観にいった。なんだかよく分からんが断片的に感動。それから再放送を観たりビデオを借りたりしていちおうTVシリーズも全部みたと思う。いちばん感情移入できる登場人物は「エヴァ初号機」。得体の知れない力を秘めていたり(幼児的万能感)、いじめられると暴走したり(第19話)、肝腎のところで動けなくなったり。魂は不本意なまま体の中に閉じ込められているし。斎藤環さんは「シンジ君は成長しないから感情移入できない」と言っていたが(ファウスト)、僕はどの人物もとにかく体の痛みを感じさせないので感情移入できない。パイロットの3人にしてもエヴァに乗って初めて「痛み」がこちらに伝わってくる。ファン達はアスカとかレイとか言ってるけど、髪の毛がオレンジだったり青かったりする時点で僕としてはあのセル画や絵の具独特のプラスチック系の匂いが鼻について駄目です・・・。

ジブリの他の作品とか、「X-MEN」とか「マトリックス」とかも観たけど「ハマる」まではいかず。

こうしてみると こうしてみるとを含むブックマーク

 この20年間、なんとも貧しい。アニメや漫画に興味を持たなくなったからといって他の何かに夢中になっていたのかといえばそうでもなくて、要するに単に「将来どうしよう」とか「彼女ほしい」とかそんなことで悶々としていただけ。作品にも世界の動向にもまったく目が向いていなかった。オタクの人は、作品への興味を入り口にしつつ、周囲の異性とつながっていたり、世界の動向へも興味が向いていたりする。オタク的作品以外にも詳しかったり。

 人間関係はどうだったかというと、どうも僕が仲良くなるのはつらくなっている人ばかり。滝本竜彦氏が「ファウスト」の鼎談で「自分の周りは自殺ばかり」みたいな発言をしていたが、その感覚は非常によく分かる。

 どうも僕の嗜好は、「対象そのもの」に没頭できるようなオタク的なあり方というのは1984年にいったん終わってしまって、以後は「主体の痛み」に反応している気がする。

 東浩紀氏はオタク業界に関わりつつ「レビュー以上の言説を生み出す」努力をしている。斎藤環氏もそれに関わっているが、斎藤氏はひきこもりについても同様の努力をしているのだと思う。個々の苦しみに臨床的に関わりつつ、「それ以上の」言説を目指すこと。「個々の苦しみ」は、「個々の作品」以上にありきたりでいわば貧困だ。各々のケースが観察者を「ハマらせる」ことがないだけに、言葉を生み出すことはより一層困難だと思う。

それにしても それにしてもを含むブックマーク

 こうやって書き出してみて、自分の「興味の遍歴」のあまりの貧しさに絶望してみたりする。要するに僕はすでに世界の何にも興味をもてなくなっているのだった。僕は・・・ある時期からは、「言葉の可能性」ということをギュウギュウ思い詰めて考えていた。言葉には、素材の側面と意味の側面があって、・・・。「自分にできること」「自分に変えられること」。「変えられる」と思うから「興味を持つ」(読書をしても、もはや何も変えられない気がしている)。状況に対して介入的に機能することにしか興味が持てないということなんだろうけど・・・。

正義の芽 正義の芽を含むブックマーク

 僕は本の中で、「ひきこもりは正義の芽」と書いた。「状況を変えたい」衝動が本当だとしても(例えばひきこもり当事者特有の<怒り>の感情)、既存のものに順応する他者たちの欲望が強烈すぎて入っていけず、負けている。<欲望すること>が変革の第一歩だと思うのだが。

ひきこもり支援批評? ひきこもり支援批評?を含むブックマーク

 東氏の日記id:hazuma:20030922を読んで、批評的な言葉の有効性について考える。ぼくが真に求めているのもそういう言葉ではないか。生産したいと思っているものも。批評的な言葉を生み出すには、現場に身を晒さねばならないということか。ひきこもり支援の世界には、あまりに批評的言説が欠けている。

2003-09-21

地下室の欲望 地下室の欲望を含むブックマーク

 ある程度外に出てこられる人にどうアプローチするかについてはいくらかアイデアがあっても、完全に閉じこもってしまった人の「欲望」をどう起動させるのか、という点だけは分からない。で、そこが最も深刻。昨日の僕は「ひとまず魅力的な作品や動きを作り出して、それがいつか興味をもってもらうことを目指すしかない」と言った。当事者や家族の要望を「背負い込む」のではない限り、そう考えるしかない。

フットワーク フットワークを含むブックマーク

 東氏をはじめ「頭がいい」と感じる人は、対象への粘着と切断のバランスやタイミングが絶妙だ。「頭が悪い」人は、逆に不必要にいつまでも対象にダラダラと粘着し、逆に肝腎なときにほったらかす。僕は欲望に関して不安定なので、今はひとまず「快感の糸をたどる」などと称してかなり強制的に強引に対象に粘着することを自分に課して意識の薄皮がはがれてゆくのを待っている感じ。これまで本の字面を追っていてもほとんどアタマに入ってこなかったわけだが荒療治でも何でもやってみるしかないと思っている。アカデミズムとジャーナリズムを横断するような真のアクチュアリティある文体のための訓練か。そしてその文体はそのまま対人関係の訓練でもあるはずだ。過剰な奴隷意識や過剰な無関心(の装い)からの脱却。

「ナンダこの人」 「ナンダこの人」を含むブックマーク

 昨日の親の会、今から考えれば僕の言葉はまだまだ表層を上ずっているのであり、また、あまりに早口でまくし立てるスタイルは、あまりにも元気のない息子や娘に向かい合っている人たちにとっては「この人はあまりにも元気で、ウチの子供とは違う」と感じられただろうか。自己紹介の際、必要な経歴申告はどこまでか。言葉にすべき必要なポイントはどこか。あまりにも言葉を失い、コミュニケーションが取れなくなっており、ただ苦しみだけは自覚しているので浮遊霊のようにイベント会場にだけは顔を出すような親御さんたち相手に為すべきは彼らが「自分たちで自分の言葉を使い始める」きっかけを持ってもらうことなのだが、そういう発話訓練、筆記訓練は3時間やそこらの会合ではどうしようもない。ひとまず僕は相手のツボを衝けるような言葉や情報を提供する努力をして、それで(いわば言葉の針治療のようにして)彼らの言葉の血の巡りをよくするしかない。

 いや、でも僕の言葉は、若い人たちには届いていたような気がするのだが、気のせいだろうか?

アタマの悪い意味 アタマの悪い意味を含むブックマーク

 あらためて考えるに僕は相変わらず「意味」で自分の体や欲望を殺している。「意味」で自分の欲望を刺激しよう、そういうことしか考えていない。自分がいちばん古臭く感じていてやめようやめようと思っていたことなのに。「アタマの悪い粘着」って要するに「意味だけをひたすら追い求める姿勢」のことじゃないのか。

 本を読んでも「それによって自分に起こる変化」や「その読書が自分の努力に与えてくれるヒント」にしか興味がなく、「その読書行為自体の面白さ」をどうしても味わえない。目の前の対象を楽しむのは単なる怠惰だと思っている。あるいは、許されない罪悪。(女性との関係を楽しめない決定的要因はこのあたりにありそうな気がする。)

 対象への没頭に賭けてみようとしているが、これは要するにもはや自分の人生に何も期待しなくなったということでもあるのだ、かつての自分からすれば。僕はこのまま干からびてもうすぐ死ぬ。70歳になっても世界はこのままだしTVは相変わらずの番組編成だし体はもはやボロボロだ。ここ数ヶ月で急速に干からびた僕という肉塊は――などと言ってみても2年前の本からほとんど何も変化していない。僕の言葉は同じところをグルグル回っている。

フィクションにハマることができず、またしても途方に暮れている。 フィクションにハマることができず、またしても途方に暮れている。を含むブックマーク

 フィクション親和性は低いよなぁ、俺は。大友克洋の『アキラ』で打ち止めか。

虚脱 虚脱を含むブックマーク

 俺が虚脱しているのは性的な貧困さと関係があるのかもしれない、と真面目に考える。昨日のトークでもそうだが話すとあれほどに虚脱するのは性的に楽しめないことと関係があるとしか思えない。話せば話すほどつらくなってゆく・・・。

好きなアニメ 好きなアニメを含むブックマーク

 『火垂るの墓』『耳をすませば』『The End of Evangelion』

 「萌え」とか、正直言ってわからない。

hikilinkhikilink 2003/09/21 21:42 例の件は、作業ありがとうございました。東浩紀さんの本は1冊しか読んだことがありませんけれど、これから読んでみようと思っています。ueyamaさんの話についていけなくなっていますし・・・。奇遇なのか何なのかわかりませんが、フィクション親和性が低いというのは僕もそうです。今は半ばあきらめていますが、以前は深刻に悩んでいました。フィクションでなければ好きなのですが・・・。

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/22 00:18 こんにちは。フィクション親和性の低い人にとっての「ハマる」ということ・・・。はてなでは「ファウスト」という雑誌が話題になっていますが、東さんの論考も含めて、ゲームとかライトノベルとかミステリーとか言われても・・・という感じでした・・・。どうもやっぱり、「オタクになる」のを目指すのは無理があるのかな。サブカル、あるいはアングラになるのかな、引きこもり系文化は。滝本竜彦さんは「知り合いは自殺者ばかり」みたいな発言していたけれど。・・・ひきこもり当事者のフィクション親和性の低さ、というのは考えるに値するテーマかもしれない、なんて思いました。

hikilinkhikilink 2003/09/22 10:56 どうしてでしょうねえ。最近はときどき、アニメのビデオを借りてきて見ているのですが、けっこう楽しめています。小説好きの人でもオタク系文化が苦手な人もいるでしょうし、そのへんは区別したほうがいいのではないでしょうか。「ひきこもり当事者のフィクション親和性の低さ」というのも、本当かどうかわかりませんけれど、そういうタイプのひきこもりの当事者に共通しているものは何なのだろうという気はします。社会科学書はいくらでもいけるのに、小説がぜんぜん読めないというのが、腑に落ちません(これは僕自身のことです)。

2003-09-20 没頭。

 7月の始めにNHKの収録に参加して以来、仕事もせず、外出もせず、ほぼ引きこもっていた。今日は久々の外出。ひきこもりについてのミーティング参加も3ヶ月ぶりだ。

昨晩 昨晩を含むブックマーク

 TBSラジオに東浩紀氏が出演して、放送は聞けなかったが直後にネット上でだいたいの内容と反応を見るid:hazuma:20030920。「表現の自由」論がいつの間にか「若者が恐い」論になっていたらしい。

 コミュニケーションの取れない相手のイメージが怪物化するのはどこも同じ。ひきこもり当事者もそういう目で見られているid:mommoo:20030917。身体感覚を伴ったコミュニケーションの回路を手探りする必要を感じるのだけれど。

 「俺の性欲を刺激しないように国家がポルノを規制しろ」というのは、自分で自分が制御できない感覚に怯えている個人が持ち出すありがちなリクツに見えるけど。「失業者である俺が外国人労働者を殺さないように国家が奴らを排除しろ」みたいな。

デビューネット デビューネットを含むブックマーク

 ほとんど眠れないまま朝を迎え、外出。淡路プラッツ10時到着。お昼までミーティング。お誘いしていたgojo氏id:hikilink:20030916とも会えた。

 ひきこもり支援は、「ひきこもり」か「過酷すぎる就労」かの二者択一を迫るのではなく、いわば「第三の道」を目指すべきだ、いやそういう道を「創ら」ねばならない、といった話をする。

 具体的には、僕としてはひとまず滝本竜彦氏を挙げ、彼のように「支援」などとは一切考えずに自分の道を勝手に歩んでいる人間が結果として面白いものを生み出し、それが苦しんでいる人にとって有意義になる、そういうスタイルを採る人がもっと居てもいいのではないか、と言った。いきなり「支援」などと大風呂敷を広げるのではなく、ひとまず自分のゆがみのままに突っ切ってみること。これは、僕がかつて引き受けた相談依頼のすべてを「抱え込んでしまった」ことへの反省にもよる。僕は「支援」という発想に個人的に行き詰まった。そこで参考にしたのはやはりオタクの世界だった。

 各人が自分の快楽に忠実に作品を生み出しそれを相互に消費する世界。・・・・厄介なのは、ひきこもりの人が自分の快楽を見失っているということなのだが。

親の会 親の会を含むブックマーク

 1:40〜4:00、親の会でゲスト講師。ほぼ喋り詰め。あれでよかったのかどうか。終わってから、いつものように非常に耐えにくい空虚感の発作のようなものに苦しむ。引きこもりについて内面を吐露するように喋り尽くしたことで自分の内面が全て吐き出され空洞になったような感覚。めまい。もはや自分は自分を支えるための内臓を失ってしまった。と言っても過ぎていく時間。帰るまでにはまた1時間ほども電車に乗らねばならない。フラフラしながら、ヤングジョブスポットの話をする。

帰路 帰路を含むブックマーク

 三ノ宮でジュンク堂センター街店に立ち寄る。懸案の『ファウスト』(講談社)ようやっと購入。本屋に来たのは何ヶ月ぶりだろう。せっかくなので思想・哲学・心理のコーナーなど見て回り、いつの間にか立ち読みに没頭。

  • スラヴォイ・ジジェク『信じるということ』。「信じる」という営みは「-x」と「+x」の対関係を生きるようなもの、という訳者のあとがきにひとまずうなづく。「信じる」という構造がないと人は何もできないのではないか。たとえば事故で突然死んだ人間にとって、死ぬ前日の生き方はまさに「信仰」であり、虚妄にすぎない。だって翌日には死んでしまうのに、あたかも「今後もずっと生きられるような顔をして」生きていたのだから。でも、それは遡行的に「虚妄だった」と言えるわけで、今の僕が「明日死ぬかもしれない」(その可能性はゼロではない)からと言って今日何もしないという態度をとるなら、僕はいつまでたっても何もできない。「遅くともしないよりはマシ」というスローガンを愚鈍に墨守した人間がけっきょくは成果を残す。
  • 『危ない精神分析』(矢幡洋、亜紀書房)。PTSD問題の聖書『心的外傷と回復』およびその著者ハーマンをボロクソに言う書。要は虚偽記憶症候群(false memory syndrome)の問題なのだが、暗澹たる気持ちになった。犯罪が「あった」証拠もなければ「なかった」証拠もないケースについて、どんな確定的なことを言えるのか。「記憶の戦争」については、僕は主にデリダとラカンの対立を中心に考えていたのだけど、こういう分かりやすい日本語で分かりやすい論点を扱った本は刺激になる。
  • 今年30歳になる引きこもり当事者の女性が書いた体験手記。今日の親の会では「親は、無条件に子供の味方である唯一の存在」みたいなこと言ったが、もちろんそれはわざわざ親の会に来ているような親たち相手だからこそそう言ったまでで、現実には「子供の味方ではない親」はいくらでもいる。『日本一醜い親への手紙』なんてのも思い出す。ひきこもりについては、退屈でもていねいに辿るべき話はまだまだ多い。
  • 主に10代に取材した「不登校・自殺・ひきこもり」についての本。「30歳を過ぎたら死んでもいい」などというのは僕も10代のころ考えていたことだが、やはり「生きていてもしかたがない」感覚、「世界はますます悪くなっていく」感覚は僕の頃より多数派になってきているということか。先日の新聞では、今の新入社員は「夢をもとうとしない」「興ざめした現実主義的なことしか言わない」。同じ流れか。「真剣に考える者ほど絶望し、半径5メートル以内の現実しか見ない者だけが元気」という指摘に、東氏の「動物的」を思い出す。人間的な意識を持つ者ほど「何もする気が起きない」。
  • 『InterCommunication』。斎藤環氏の連載「メディアは存在しない」。「マトリックス」と「攻殻機動隊」と「ラカン」。私という「情報の束」のコピー可能性。

本屋を出て 本屋を出てを含むブックマーク

 こんなことを考えながら歩いていた。時間経験が没頭経験の継続である必要がある。それ以外の仕方ではほとんど支えられない。とくに僕はもう35歳だ。かつての僕にとってはもう死んでもいい歳。ナルシシズムでは自分を支えられない。鏡像は文字通り見るのも嫌。

 時間経験が、「快感の糸をたどるような」作業でないと。快感体験はいい加減なことをやっていたのではもたらされない。勤勉だけが私に快感をもたらす。(性活動は、誰にとってもきわめて真剣かつ勤勉だ。)

 アルコールに依存するように言語に依存する。読み、語り、聞き、書くこと。僕の没頭の心棒だけを残して他は無視すること。そういう信仰生活のような没頭生活のみが僕に綱渡りを許すのではないか。言葉はすぐに座礁して快感の糸を見失うけれど。

 

2003-09-18

 もちろん、「やりたいこと」などというのは戯言(ざれごと)にすぎない。生きるためにやりたくない仕事をやって、食うのが精一杯のギリギリの生活をしている人たち。

 だが、行動の前提は簡単なものにとどめておいて、ひとまず動いてみること。僕にはひきこもりというテーマが与えられているのだから、ひとまずそれでやってみる/考えてみるしかなかろう。

 結婚や子供がどうとかいうよりも、自分と母親が飢えないようにするので精一杯。俺が自殺すれば母親だけでも生きていけるかも。

しかし しかしを含むブックマーク

 とにかくやってみるしかないのだろう。

退行 退行を含むブックマーク

 自分の言語も嗜好もひどく風通しが良くなってさばけてきていると同時に、ひどく摩滅して貧困になってきているように思われる。新しい興味に向かうことも難しく、僕は10代から20代にかけて自分が熱心に取り組んできたはずの書物やテーマにふたたび向かっている。これは退行だろうか? 年齢相応の成長に懐疑的なひきこもり当事者がいつも悩まされる点だ。もう30代も半ばだというのに、自分が15歳の頃からまったく成長していないような苛立ち。僕の意識は15歳のまんま石のように固まって、そのまま干からびていく。

 石のように固まった意識の中にはなんだか熱いマグマのような部分があって、これは言葉にされる機会を待っているようだが、そんな機会にも恵まれないまま、形にする方法論も分からないまま、時間だけが過ぎてゆく。

 キーワードを通じてはてなをさまよいながら、僕は方々の日記から対象への愛や執着心が自分に憑依してくれるのを期待している。

 理論であれ芸術であれ、「作品」に触れるのは、そこから僕らが自分なりの欲望をつかむためではなかったか。みんなあまりにも品行方正で、奇怪な欲望にはなかなかお目にかかれない。奇怪であることをこれみよがしに示す自意識にはウンザリだ。

おびえ おびえを含むブックマーク

 思えば僕は、たとえば野球の話を熱心にする人が恐かった。聞いたこともない名前が次々に出てきて、ものすごく生々しく具体的な話を展開する。どうも僕が抽象的な議論に沈潜したのは、世界にあふれる具体情報の洪水に恐怖したからではないか。その恐怖に萎縮して、ぼくの言葉はどんどん駄目になった。たぶん今、言葉の建て直しをやっている。

hikilinkhikilink 2003/09/20 20:44 今日はありがとうございました。さいしょからご迷惑をおかけして申し訳なく思っています。ueyamaさんが(会ではなくどこか別の場所で)おっしゃっていたように、労働ということがひきこもりにとって非常に大きな問題であるということを、改めて実感しました。ヤングジョブスポットは一度見に行ってみようかと思っています。Hiki-Linkでも特集を組みたいですしね。

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/20 21:59 あ、いいですね。僕も今日は疲れましたけど行ってよかった。Tさんもgojoさんに会えて喜んでいましたね。何か企画が発展すると面白いのですが。

hikilinkhikilink 2003/09/20 23:05 お疲れさまでした。あのあと、親御さんの前で講演されたので、大変でしたでしょう。Tさんとはまたお会いしたいです。ヤングジョブスポットのこと(と哲学のこと)で、お聞きしたいことがあるので・・・。あ、それから、言い忘れましたが、僕のことは「君付け」くらいでいいですよ。だいぶ年下ですし・・・今日は年上の方ばかりだったので、ちょっと緊張しました。

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/21 00:40 あははー、まぁ、あの場は皆さん対等なので。そのぶんお互いにツッコミもありってことで。

2003-09-16 そしていなくなった

 最近ようやく眠れるようになったと思ったら、また駄目になった。イベントが近づいてきたからか。

 鬱病には生物的要因がある、というけれど、「責任感が強い人がなりやすい」「ストレスを背負い込まないように」など、生物的とは思えない説明もあって・・・。僕は睡眠薬なしでも眠れるようになったのだから鬱病ではないと思っているが、ストレスがかかってきた途端眠れなくなっているわけで、これはストレス耐性が弱いということか。その「ストレス耐性が弱い」こと自体を扱える思考が必要なように思うのだけれど。

欲望 欲望を含むブックマーク

 僕が理論に興味を向けるのは、どうも自分の欲望を正当化したい、「自分はコレを欲望しているのだ」ということを自分自身に向けて説得したい、ということじゃないか。なんでそういうことをせねばならんかというと、欲望が弱いから。理論的に説明したいという欲望自体が弱いのだから、どうにもならん。よくあるたとえだけど、「自分の髪の毛を引っ張って自分を宙に持ち上げるようなもの」。

 昨日「人を魅惑するものを作らなければ」と言ったけど、人を魅惑する人、あるいは人を魅惑するものを作れる人というのは、要するに「偉大な欲望人」ではないか?

 「人間の欲望は他者の欲望である」といって、そうすると他者たちに立ち交わらねば欲望も持てないわけだが、たしかに僕も他者の発言に触れた時に何か言いたくなったりしている。いや、たいていは強引に押し付けられる「べき」論の中で窒息して途方に暮れるのだけど。

 ひきこもりに対しては「家を出るべき」というべき論がどうしても優先してしまうけど、いちばん根本には「〜したい」が来ないとどうにもならない。

 「唯一の到達可能な欲望は、自殺だ」という言葉があったけど、死なずにわざわざ生きる欲望はどういうものか。「実は死にたがっている」ことに気付くのが恐いから、みんな何かを欲望しているふりをしているんじゃないの?

そしていなくなった そしていなくなったを含むブックマーク

 上のようなことを書きつけ、パソコンの電源を落として『白線流し』という青春恋愛ドラマの再放送を観ていたら、携帯に着信。僕も以前交流のあった女性が自殺した、という。携帯を切り、ふたたびTVの青春ドラマへ。画面の中の、自分の将来や恋に思い悩む高校生たち。

 僕よりもずっと年下の彼女は、自分の人生を完結させてしまった。「死にたい欲望」なんて書いておきながら、あれこれ話しこんだ身近な人にこういう形で死なれてみると、妙に興ざめ。

 彼女が僕の目の前で熱心に話してくれたこと、そして彼女がいなくなったこと。そのことから汲み取れるだけのことを汲み取りたい。

2003-09-15 作品づくり

 何かアクションを起こせば、おのずと立場が問われる。そのときに、理論的に考える必要が出てくる。単なる「感想」や「印象」ではない形で自分の正当性を試みること。(ひきこもりの世界はあまりに無手勝流だ。)

 よく言われることだが、理論において喫緊の課題は、「魅惑すること」ではないだろうか。難しいことを考える人はたくさんいる。でも、「魅惑する」ことに成功することはなかなかない。その意味で東浩紀氏は稀有の存在だと思う。僕は彼の何が自分を魅惑したかについてまだよく分かっていないが、「新しい知性のスタイル」を見せつけられたように感じた。

 その東氏はどこかで、「理論的に考えるとはどういうことか」という問題提起をしていた。自分の言葉が軽率に流れていってしまう感覚に苦しんでいる僕も他人事でない。

ひきこもりの共同体 ひきこもりの共同体を含むブックマーク

 斎藤環氏は、「ひきこもる人たちの緩い共同体をどうやったら作れるかが今後の課題です」と語っているhttp://www.mammo.tv/interview/archives/no017.html。同時に「おたく共同体のあり方には、ひきこもりを救済するヒントがある」。しかしひきこもりには、オタクの人たちにあるような「執着の対象」もなければ、そこから生まれてきた文化財もない。共同体はとても作りにくい。

 ひきこもり当事者としてそういう「執着のネタ」を作ることに成功している例外的な人物として、滝本竜彦氏がいる。幾人かの当事者から彼のファンだと聞かされて、僕も読んでみたのだが、残念ながらハマれなかった。オタクの人の趣味趣向も細分化しているのだから、これは仕方ない。「ハマれる」ネタを作る人がこれからもっと多種多様に出てくるべきなんだろう。作品を生み出す努力を実際にやった人(そして人を魅惑することにある程度成功した人)を罵倒するのではなく、自分自身が何かを作り出してみせること。

 「ひきこもりのために」というような空疎なスローガンはほとんど流通しない。人が魅惑されるものが、なんらかの「自分にとっての必然性」であるとすれば、そういう「必然性」を生み出してみせることが、今後の仕事ということになるのだろう。

hikilinkhikilink 2003/09/16 16:17 こんにちは。gojoです。斎藤さんのインタビュー、読みました。「ひきこもりの緩やかな共同体」・・・ひどく難しそうですね。滝本さんのような才能のある人が表に出ることで、ひきこもっている人の欲望を煽ることはできるのかもしれませんが・・・ひきこもりだけで共同体を作るというのは難しそうですね。いったいどういう形の共同体になるのか・・・うまく想像ができません。

hikilinkhikilink 2003/09/16 16:25 うち(Hiki-Link)は情報系サイトですから、ひきこもっている人の欲望をお手伝いするコンテンツは作るつもりです。どれだけ実際に役に立つかは我ながら疑問ですけれどね。

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/16 19:26 こんにちは、gojoさん。いや、データベースになっているポータルサイトは、交流のために大切でしょう。あとはやっぱ、「あれ読んだ?」「あれ知ってる?」とお互いに言いたくなるような、屹立した「作品」じゃないでしょうか・・・。

2003-09-14 ヒント このエントリーを含むブックマーク

 大江健三郎氏と息子の光氏を取り上げたTV番組を観る。(10年ぐらい前の作品の再放送)

 直前に2ちゃんでセックス関連の板を見て苛ついていた。性的磁力をまるで持たない光氏の朴訥な様子を見ていて、なんか中和され・・・。性的他者を意識する自意識がまったくない姿。

 作曲について思い悩む息子に「難しいと思うということは、何も考えないよりもはるかに大事なことなんだよ」と言う大江氏はなんかいい。

 はてなを見て回っていても、20歳前後の性欲旺盛な連中の貪欲さは素晴らしいと思う。ぎゅうぎゅう自分を追い詰めて考える衝動(それにともなう読書欲)と、旺盛な性活動は連動している気がしてならない。

 奇をてらわない朴訥さと、旺盛な性活動と。――なんかヒントはこの辺にありはしないか。

 

2003-09-13 ホンバン

 トラウマやPTSDをテーマにした場合、対象が研究者(あるいは支援者)をその対象そのものの文化的豊かさによって魅惑する、ということはない。無数の悲惨な事実は、むしろ観察者を疲弊させる。研究書は往々にしてお互いにひどく似通ってしまう、貧困なまま。悲惨さに直面した言葉は、個々のケースに則してひどく具体的で断片的であるべきに見える。抽象に関わって具体を貧しくする、というのではない議論の難しさ。

 僕は「意味」を求めてきた。しかし極端な悲惨さや絶えがたい喪失は、意味など跡形もなく蒸発させてしまう。その蒸発に抗って考えること。意味にすがりつくのではなく。

 言葉がそうだが、まったくの断片は意味を成さない。しかし自閉的な言葉はまた意味を失ってゆく。

 落ち着いた意味が必要だ。僕らの言葉はあまりにもいろんな要請に晒されていて、あまりにも動揺している。

それにしても それにしてもを含むブックマーク

 僕の言葉はあまりにも硬直しているように見える。僕は相変わらず、「世界がこのようである」ことに驚き怒り途方に暮れている・・・。それにしても、なんで世界は「こう」でなくちゃいけなかったかな。もう、人間ったらただの肉の塊・・・・電車やバスが「肉の運搬車」に見えてしかたがない・・・。そしてそこに乗り込もうとしている僕という肉・・・。あー、ここから逃れられない。

 でも、そういう僕が知り合いたちの存在によって救われているのも確かでね・・・。じゃあ何によって救われているのかといえば、それは「仕事をしている耳」とでもいうか・・・。「聞いてくれる」・・・「この人には伝わる」・・・それは単なる全面受容ということではなくて、「考えるべきことを考えている」人に対する信頼というか・・・。だから僕がトラウマという言葉なぞにこだわっているのも、きっと「耳」を作ろうとしているのだと思う。「聞く耳」を作る、それは社会的な仕事じゃないだろうか?

生き死に 生き死にを含むブックマーク

 「自殺者数、中国で年間約28万7000人(2分間に1人が自殺)」(毎日新聞)

 自殺率が日本に近づいてきたということか。

 世界ではポコポコ生まれ次々死んでいる。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7666/ricky/world/world.html

本番 本番を含むブックマーク

 やむを得ぬひきこもり状態においては、全てのことが宙吊りになっている。自分が生きたいのかどうだか、人と付き合っていくとはどうなのか、人の集団はどのように成り立つのか、社会はどんなことを動因にして動いているのか、・・・こんなこと考えてていいのか、――ギリギリだけど、せっかく全てを宙吊りにしたのだから、そこから「一から」自分の手作業で考えていく、っていうのはアリなんじゃないかと思う。ただ、やっぱり・・・人とつながっていく方策だとか、どうやって生活費を稼ぎ出すのかとか、そういう基本的なところをクリアしないと、やっぱあまりにも余裕なさすぎ。衣食住足りてやっと考えるを知る。

 で、しかし、そうやって少しずつ動き出そうとしても、あるいは主観的にいくら「凍りついた時間」の中に閉じこもろうとしても、時間はあまりにも素っ気なく無慈悲で、容赦なく肉体を老いさせてゆき、僕から可能性をうばってゆく。「お前はもう死んでいる」っていう言葉は、実はドロップアウトした人間には生々しすぎる・・・。「君は『自分はまだまだ』って思ってるのかもしれないけど、残念だね、社会的にはとっくに死んでるんだよ。再起の可能性はすでに絶たれているんだ。ご愁傷さま」

 「ボクの人生の本番はこれからだ」という思い込み自体がすでに本番だし。って考えるとゾッとする。

 じゃ、ホンバンいきます。

「甘えている」 「甘えている」を含むブックマーク

 ひきこもりへの非難として、「甘えている」「親に食わせてもらって」「自分だって状況が許せばひきこもる」などがある。多くの人が抱えている意見だと思う。

 不思議なのは、こうした罵倒を寄せる多くの人は、「本当の大金持ち」に対しては非常に寛大だということだ。少なくとも引きこもりの人に対するようには、説教したりはしない。大学生でベンツを乗り回していようが、その学生が宝飾品だけで数千万円もっていようが、どんなに楽しそうに毎日を過ごしていようが、「・・・・」と沈黙でやりすごす。なのになぜか引きこもりに対しては、「甘えるな、仕事しろ」。

 どうも、やはり「弱いものイジメ」なのだ。苦しんでいる人間の嫉妬心は、本当に恵まれた雲の上の人間にはあまり向かわない。自分のそばにいる、自分よりちょっとだけ恵まれているように見える人間に向かうのだ。

 自分が働かなければ食っていけない状況にいる人に比べて、引きこもりの人は恵まれていないか? 恵まれている、きっと。でもそれを言うなら、そもそも働いても食っていけないような状態にある人はどうなる? みんな、自分が他人から嫉妬される可能性は忘れて、自分よりちょっと楽そうに見える人に説教する。――要するに相対的な問題なのだ、「恵まれている」は。

 自分の条件が許す範囲で生きる。お互い様だ。それしかできない。

 すでに、ひきこもり状態から餓死してしまった人も出た。そんな人に「甘えている」と言ってどうする? むなしい話だ。

 そもそも、どうしてみんな、「お前も苦しめ」というようなことしか言わないのだろう。「ちょっとでも住みやすくなるように、一緒に良くしていこう」と、どうして言えないのだろう。

 ひきこもりは、黙っていても本人の可能性と未来を潰してゆく。言われなくとも、どんどん追い詰められてゆくのだ。

2003-09-12 去勢

 『トラウマティック・ストレス』を読み進む。「トラウマ」は、僕にとって「去勢」の指標なのかもしれない。

去勢といえば 去勢といえばを含むブックマーク

 斎藤環氏はみずからの対談集『OK?ひきこもりOK!』(マガジンハウス)で、宮台真司氏を相手に次のように語っている。

 性体験自体は一つの去勢だと思います。(中略)実際に性的なパートナーを見つけ、性体験を重ねることは、自己イメージが有限性を獲得していく過程でもあるわけです。自分の有限性を受け入れることが去勢だとすれば、性体験も一つの去勢だし、去勢のたびに社会化は進みます。

 いっぽう『網状言論F改』(東浩紀・編著)においては斎藤氏は、

 (自慰行為と実際の性行為の差は)僕はないと思うんだけどね。差異がありうるとしても、それは完全に想像的な差異であって、象徴的にはまったく同一の享楽であると考えられる。

 自慰行為では去勢はないんじゃないだろうか?・・・

スタンス スタンスを含むブックマーク

 ひきこもりの問題領域をそのままPTSDのそれに重ねることはできない。でも、支援のスタンスとして、PTSDの領域で積み重ねられてきた知見を参考にすることはできる。

 本人が望まないのに訪問活動を敢行するのはやめるべきだと思う。親だけがそれを望んでいる場合には、親だけに対応すればよい。本人が「家を出たくない」のであればそれは放っておくしかないだろう。支援の努力は、本人が苦しんでいて支援を望んでいる場合に限定すべきだ。

時間 時間を含むブックマーク

 哲学者がよく「時間」について考えるが、それはとりもなおさず「時間」が恐ろしいからだと思う。われわれは時間を止めることがどうしてもできない。時間経過の射程圏外はない、つねにすでに時間は過ぎ去っている。過ぎた時間は永遠に帰ってこない。時間は、間違いなく、それを意識している私の死に近づいている。

 生きていく欲望を支えることの難しさ。繰り返し、そこに立ち返ってきてしまう。

 トラウマやひきこもりについて、哲学や精神分析・精神医学の本を読むことはできる。でもそのことと、具体的な支援とは別の話。理論や支援を支えるオリジナルの欲望が必要だ。

歴史 歴史を含むブックマーク

 外傷神経症に関して取り組んだ研究者はすべて、これまでに誰一人としてこの外傷神経症という問題を扱ったことがないかのごとく、この問題の探求を、あたかも自分に与えられた聖なる使命であるかのごとく、常にゼロから開始してきたという嘆かわしき事実がある。(『トラウマティック・ストレス』より孫引き)

 トラウマに関して歴史を問題にできるのは、その文化的受容の側面だけだ。受容のあり方がトラウマを決定付ける、ということからしても、やはり文化的側面は大事。

 記憶は常に、漂白や抑圧と戦っている。――フランス現代思想の戦場はこの辺にあると思っているのだけれど。

 問題は<怒り>であり、だからそれはとっても政治的なものではないか?

 僕はひきこもりに関しても同じことを考えている。

tamakitamaki 2003/09/13 14:18 ueyamaさんこんにちは。はてなはじめたんですね。僕もやろうかなあ。東さんにも誘われてるし。またちょくちょくのぞきに来ます。

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/13 17:09 あ、Sさんですか?お久しぶりです。素で驚きました(笑)。東さんのダイアリーを中心に見て回ってますが、みなさんすごいエネルギッシュですね・・・。

2003-09-11 サブカルチャー? このエントリーを含むブックマーク

 ひきこもりもPTSDも、少数者の置かれた苦痛に満ちた状態だ。そこでは、少数者独特の文化が形成されてもいいのにと思う。でも、なかなかそうはいかない。

 

 言葉にされることを待っているものを明確に言葉にすること。ひとまずそこから始めるしかないか・・・。

http://www.angelfire.com/in/ptsdinfo/

↑このサイトでは、トラウマ/PTSDは「生死に関わる体験」との関係で規定されている。それはDSMの記載にもかなう。「トラウマ/PTSD」という単語が濫用されないように、「生死に関わる」という制限を設定しておくのは有意義だと思う。

 では「ひきこもり」はどうか。生死に関わる体験をした人はむしろ少数派。だが「生活体験への恐怖」に縮み上がっている、という意味では、やはりトラウマ体験との連続性を考えないわけにはいかない。ひきこもり状態にある人にとって、世界は「あまりにも現実すぎる」。

http://www.shobunsha.co.jp/html/rakan/16.html

 ひとまず『トラウマティック・ストレス』を読み進む。

2003-09-10 リハビリ

失語症 失語症を含むブックマーク

 ここ最近失語症のような状態にあった。リハビリのようにしてこの日記を書いてみる。

厳しさ 厳しさを含むブックマーク

 執着のないところに内発的な厳しさはない。

傾向 傾向を含むブックマーク

 あらためて考えてみるに、僕の興味はやはりトラウマとかPTSDに還ってくる。でもそれは、直面するのがつらいテーマ。歴史的いきさつと同じく、周期的に「見るもおぞましい」話題となる。

 人間の現象経験は外傷的なものである、と一人ごちてみたところで、このテーマはなかなか言葉を豊かにしてくれない。考えれば考えるほど言葉を失ってゆく。言葉を失ったところで行動に移せばよいのだろうか。しかし基本的な指針が要る、そのために理論的に考えてもみる。精神分析・・・。自分に必要な言葉のジャンルは何か。ジャンル自体を創出せねばならない予感。

ひきこもり ひきこもりを含むブックマーク

 ひきこもりというのは、それ自体が最もつらい、外傷的なテーマ。「ひきこもり」という語自体が嫌気を催す。支援活動に関わって、その支援活動自体が僕にとって外傷的な経験となった。斎藤環氏によると、「熱心な支援者ほど、早くに燃え尽きる」。ひきこもりというのは、危険なテーマなのだ・・・。

言葉 言葉を含むブックマーク

 自分の言葉を語って、そこで他者たちと交わってゆく作業がどうしても必要になる。自分なりに充実した言葉を語り出す努力・・・。しかしそのためには執着がないと。欲望が消えてゆく、それにともなって言葉も消えてゆく。言葉の消失とともに、欲望も消えてゆく。この悪循環。

 執着を取り戻すには、何か熱いところに触れた言葉が不可欠だと思うのだけれど、その熱い部分というのは最も外傷的な部位でもある。ひどく難しい、もちろん自分ひとりだけの都合では語れない。実名で「ひきこもり当事者」として本を出したことが招いたもろもろの事。当事者たちは、多くは本を読まない、ネットにも接続していない。

 お互いの執着が刺激しあわないと・・・。

死期 死期を含むブックマーク

 酒と抗鬱剤と睡眠薬をやめたら、みごとに全く眠れなくなって、体重がずいぶん減った。外出したら、フラフラ。自分の肉体の骨格や肉の組織が嫌に生々しく意識される。もうあまり長くないなぁ、などと考える。宮城の「ひきこもり餓死事件」がまた身に迫ってくる。

本を含むブックマーク

  • 『網状言論F改』(東浩紀・編著、青土社)
  • 『トラウマティック・ストレス』(ヴァン・デア・コルクほか、誠信書房)

 安易な「癒し」に結びついたトラウマ物語がつまらない、という東氏らの指摘はうなずけるが、もちろんだからといってトラウマという問題系自体が消失するわけではない。ひとまず沈黙をもって受け止めつつ、しかし沈黙に沈んでしまわないようにすること。

 オタクの人たちに比べても、ひきこもりの人たちの言葉はとても貧困で、弱い。ネット上を見ていても単発的なグチをいくつか散見するぐらい。

 「とにかく家を出ろ」という説教に反発を覚える人は多いし、実際ひきこもり状態にある多くの人は「命がけで引きこもっている」、あるいはいざとなったら死ぬつもりでいる。それはいいのだけど、言葉が弱いままに留まっているというのは、やはりまずいと思う。――そしてその事情が、トラウマ・サバイバーの置かれた状況と重なる。

 

DE9DE9 2003/09/11 02:16 音楽聴いたらどうでしょうか。テクノとか。

ueyamakzkueyamakzk 2003/09/11 09:47 こんにちは。音楽、聴かないですねぇ、そう言えば。思うに、刺激が強すぎるのかもしれません。

1968 | 08 |
2000 | 09 | 11 |
2003 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2004 | 01 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 10 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 07 | 08 | 10 | 11 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 05 | 06 | 07 |
2018 | 04 | 07 |