それにしても

 こうやって書き出してみて、自分の「興味の遍歴」のあまりの貧しさに絶望してみたりする。要するに僕はすでに世界の何にも興味をもてなくなっているのだった。僕は・・・ある時期からは、「言葉の可能性」ということをギュウギュウ思い詰めて考えていた。言葉には、素材の側面と意味の側面があって、・・・。「自分にできること」「自分に変えられること」。「変えられる」と思うから「興味を持つ」(読書をしても、もはや何も変えられない気がしている)。状況に対して介入的に機能することにしか興味が持てないということなんだろうけど・・・。