80〜90年代の個人的記憶断片

実感の極北(と思われる)文学と、実感排除の極北(と思われる)数学との類似性(すくなくとも従事する人たちの精神的近親性)がよく語られる。柄谷行人氏の仕事や個人史はつねにこの2つの緊張関係で成立している?(ていうか80年代の知的言説が?)


 「あえて」やる(メタレベルに自己を温存する) ←→ 「ベタに」やる(意識活動がオブジェクトレベルに没入している)
 その時のバランス感覚としての、「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」(浅田彰『構造と力』ISBN:4326151285


かつて90年代に『imago』(青土社)誌上で、「自分が生きているということ」を実感として肯定してしまう木村敏氏と、「それはファシズムにつながる姿勢だ」として批判するラカン派?精神科医*1との間の論争を見た。「実感の明証性」につくのか、「明証性にこそ危ない排除がある」という観方につくのか(というふうに僕は理解していた)。


分析的に考える努力が自家中毒に陥っていくプロセスは、「好きだから好き」が言えなくなっていく苦しいプロセスでもあった。そのときに、僕がジジェクの論考などから得た啓示の一つは、「症候を生きる」という最終的な倫理的ポジションだった。そこには「実感」が肯定される余地があるような気がした。(「症候」はついに消えず、「人間存在は症候そのものである」とされる。)



*1:兼本浩祐氏だったか?失念。