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2004-07-29 このエントリーを含むブックマーク

リンク元から「対ひきこもり専門会社」という記事(+スレッド)を見つけたのですが、『有限会社ひきもどし』が話題になっているようです(id:hotsuma さんのフォロー記事はこちら)。


いろいろ考えちゃったよ…。


aimeeaimee 2004/07/30 12:33 しゃっ、社員募集・・・・。応募しちゃおうかなぁ・・(笑。でも、ひきもどしてどうするんだろ?「ひきこもり」から「鬱病患者」にタイトルが変更される?だけでは・・・・

ojahumojahum 2004/07/30 13:24 だまされた。。w

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/30 16:54 aimee、その件は僕もいつも考える…>「タイトル変更だけでは」。 ◆ ojahum さん、この会社企画を真剣に検討することが、結構生産的な気もして。 定番サービス紹介、「燻製」は笑えるけど(笑えないかw)、「出張」とか、昔から言われているアイデアだし…。

ojahumojahum 2004/07/30 22:56 他人の生きにくさを扱うのと、自分の生きにくさを扱うのは別ですしねぇ。他人の生きにくさに取り組むのは、そうする人の選択だけど、自分の生きにくさに取り組むのは、そういう運命で、逃げたくても、逃げられないし。でも、上の会社みたいに、暗くなりがちな話題に徹底してビジネスライクな乾いた明るさがあるのは、姿勢としては、なんかいいですね。やるかどうかは別にして。

seijotcpseijotcp 2004/07/31 01:14 やじうまwatchさんでも取り上げられてましたー。→(http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/index.htm)

ueyamakzkueyamakzk 2004/08/01 11:02 ojahum さん、chiki(seijotcp)さん、ありがとうございます。 お2人の書き込みにはいつも本当に救われています。 ちょっと体調悪いので(翌日本文参照)、いずれまた…

2004-07-27  境界線

こんばんは。

あのう、言い訳になっちゃうのですが、どうも心身の失調状態のトンネルから抜け出せません…。今日の文章、「病み上がり」ぽいです。すんません。



「いっしょに作る」 「いっしょに作る」を含むブックマーク

24日のコメント欄で、id:temari さんから「誰も自分の代わりには生きてくれない」、でも≪協力≫はしてもらえる、という観点をいただく。これまでの僕は「別にこの生を生きたいと思わない」、そして「誰も手を貸してくれない」という感じ(気付いていなかったが)。受動的に与えられたこの生を能動的に引き受けようとも思わない(あまりにつらく甲斐がない)、そして引き受けようとすれば、完全に孤立した中ですべて自分で解決せねばならないのだ、と。

生きていく上では、「強制的に順応させられる」「命令に屈する」だけではなく、≪協力≫という、お互いの積極性が出会う契機もあったはずなのに、すっかり忘れていた*1


これまでに何度か「性愛的承認」の話をしてきたわけだが、ひょっとすると「お付き合い」というものは、単に「承認の相互贈与」というだけではなくて、≪共同作業≫という要因を伴うのではないか。 → 「お付き合いを知らない」というときの最も決定的な「経験不足」の要因は、そこにもあるのではないか。少々恥ずかしい表現になるが、性愛というのは、「与えあう」だけでなく、「いっしょに形作る」経験ではないのか


僕のこれまでの人生で、≪共同作業≫の最も印象的な例は、たぶん震災直後の地域住民との関係だ。あれの意味が、まだよくわからない。でも、気になって仕方がない…。




現場の活写例 現場の活写例を含むブックマーク

先日、「ひきこもりの支援はとてつもない激務だ」と書いたところ、essa さんが反応してくださった。ここでお書きになっている論点についてはぜひあらためて考えてみたいのだが(本当に)、細かい議論に入る前に、今日はひとまず「現場の状況」を少しだけ活写していると思われる文章を引用してみる。


草下シンヤ 『裏のハローワーク』という本がある。村上龍の『13歳のハローワーク』の裏世界版、とでもいおうか。13歳を相手には絶対紹介できないが、「でも世の中にはこういう裏稼業もあるんだよ」というような。

そこに「鍵師」といって、開けられなくなった鍵を開ける「鍵の専門家」が登場するのだが、暴力団や犯罪絡みの「わけあり」依頼を多く受ける新宿の山岡氏(仮名・38歳)のところに、「ひきこもっている息子の部屋のドアを開けてほしい」という依頼があった。

以下、その時の模様を長々と引用するが*2、これは「支援を引き受けた」状況ではなく、ただ「鍵を開けてほしい」と言われた人の証言。しかし現場の雰囲気をよく伝えていると思う。*3



 「家庭の事情に関わるような依頼はなるべく断わるようにしているんです。でも、このときは断わりきれずに受けてしまったんですね。

 その少年は5年ほど部屋からほとんど出てきていないというんです。夜、親が寝静まってから外出はしているらしくて、鍵を買ってきて、それを何錠もつけてドアを開けられないようにしているんですね。すでに20歳になっていましたから、親もこのままじゃいけないと思い、面と向かい合って話をするために鍵を開けてほしいと依頼してきたんです。


 このドアは開けているときから、恐ろしかったですね。鍵は4錠ほどついていましたけど、開けるのはそれほど難しくありません。でも部屋の中から開けたら殺すぞという息子の声が聞こえてくるんですよ。私のうしろには両親がいて、話をしようと呼びかけているんですけど、息子は、開けたら殺すって繰り返すばかり。追い詰められた人間はなにをするか分かりませんから、最後の鍵を開けるときなんて寿命が縮まる思いがしましたよ」

 鍵を開けると、山岡氏は廊下の方に引っ込んだ。あとは両親と息子の問題である。しかしここで帰るわけにはいかない。


 ドアノブをひねると、部屋の中は急に静かになった。両親は戸惑った様子だったが、入るぞと声をかけた。中から返答はない。おそるおそるドアを開けると、中から激しい奇声が上がった。

 「人間の声じゃないと思いましたよ。なんと言っていたのかわからない。猿がぎゃーと叫んだような感じですかね。母親はそれを聞いて固まってしまったんですが、父親は部屋の中に突撃していった。決死の形相でしたね。

 部屋の中では大乱闘ですよ。私もただ見ているわけにはいかなくて、母親を避難させたあと、部屋に入りましたけど、すっぱい匂いが漂っていて、とても人間が住めるような部屋じゃなかったですね。ゴミも散らかっているし、蛍光灯も小さなオレンジ色の光しかついていないし。


 息子と父親はつかみあっていたんですけど、お互いに正常な様子じゃなかったですね。目が血走っていて、憎しみあっている感じだった。止めに入るのも躊躇しましたけど、ま、割って入りました。そしたら息子に顔やら首筋なんかを引っかかれて血が出たし、私だけじゃ、引き離すことができない。どうしようかと思っていたら、母親が近所の人たちを連れてきて、それでなんとか収まりました。

 最終的に、近所の人たちも息子の部屋の中に入って、全員が見守る中で、家族会議をしていましたね。息子は放心状態になっていて、話を聞いているのかいないのか分かりませんでした。父親も息子に更正してほしいというより、憎んでいる様子でしたから、全然、話はまとまらなかったですね。それ以上、いても意味がなかったので、あとはお任せしますと言って帰りましたけど、きっとあの家族はうまくいっていないでしょうね」*4



ひきこもりの世界では極めて日常的に見られる状況だが*5、業界外の人にとっては、「異常」に見えるだろうか。

この状況に「支援を引き受けます」と言って関わることを、リアルに想像していただきたいのだが…。

どんな活動が、そしてどんな論点が、必要だろうか?




ひきこもり支援は「裏稼業」? ひきこもり支援は「裏稼業」?を含むブックマーク

僕が最近気になるのは、ひょっとすると「ひきこもり支援」というのは、「裏稼業」の性格を持ってくるのではないか、ということ。

上に登場している「鍵師」は、職業そのものとしての違法性はないと思うが*6、ご家族が「表の世界」の支援事業すべてに絶望したときには、「裏世界」的なものにも目が向き始めるのではないか。

暴力性で知られる支援者・長田百合子氏は、人権問題等で話題になり、「DQN」などと書かれはしても、ちゃんと表の世界で出版や講演活動を行なっている。だが、本当の「裏の世界」が「ひきこもり支援」に関わり出したら、というより、それが望まれさえし始めたら…。


上記引用例である程度ご想像いただけると思うが、ひきこもりは、ご本人もご家族も、極限状況にいることが多い。「支援者」がどういう肩書きであれ、「確実性のある方法」をそれなりの営業トークで提示されたら、かなりの高額でもなびいてしまう可能性がないか。

現実問題として、現在の支援業界では「詐欺」としか言いようのないいかがわしい話もちらほら聞く*7


なんとも物騒な話題提供になってしまったが、この≪極限状態≫を、僕らはどう受け止めればいいのだろう。




はたらきかた はたらきかたを含むブックマーク

今の僕のように、上記の例ほど鬼気迫る状態は脱したものの、しかし職業生活を送ることには絶望しかかっている、という場合(ふつう「当事者」ではなく「経験者」と呼ばれる)。

表世界の『13歳のハローワーク』ISBN:4344004299 に活路を見出すのは無理そうだが、かといって『裏のハローワーク』ISBN:4883924335 的な本物の裏世界(犯罪性)で生き延びるのはもっと無理だ、というような。

僕としては、両者の中間にある多様性、つまり『世にも奇妙な職業案内』ISBN:4860200942 にあるような多様性を探るべきなのかと思うのだが…。


「ひきこもり支援」も、「世にも奇妙な職業」なのかな…。




取材依頼 取材依頼を含むブックマーク

『ビッグイシュー日本』(ホームレスの人しか売り手になれない雑誌)より、取材のご依頼を受けました。光栄です。

内容については乞うご期待!




お悔やみ お悔やみを含むブックマーク

当ブログでは異例のことですが…




*1:そもそもこのブログにだって「協力」という要因はあったはずなのに、理不尽に罵倒される経験が増えるにつれ、「孤立して防衛」という意識ばかりになってしまった。

*2:著作権法上問題があれば、すぐ削除します

*3:段落分けは原文に従ったが、読みやすさのため、勝手に「1行あけ」を挿入させていただいた。

*4:p.63-5

*5:皆が皆このような状況にいるわけではないが、決して「珍しい」状況ではない。あの独特の緊張感…。

*6:技術を利用して犯罪に関与すれば別だが

*7:「詐欺は絶対にやりたくない」と良心的に思い詰めた瞬間に燃え尽きてしまったりするわけだ。

ちゃんねらーちゃんねらー 2004/07/28 04:37 結局長田ババァを評価するんですね。貴方もその程度の人ですか(溜息 それはさておき、以前あった、「異性との交流がしたいならギャルゲーでもやったらどうでしょう」という問いかけにはどう思われます? 自分は、現実の異性交際よりもずっと実りがあると思いますけど?(買いに行くのが恥ずかしい、というのはありますけど

BonvoyageBonvoyage 2004/07/28 05:53 ≪共同作業≫の話題に添えて。> ueyamakzkさんが「単独性」「特殊性」を紹介してくださってから、僕もこのことをたまに考えてました。ある人の単独性って、結局は「その人が一緒に何かをした他人の記憶の中」(と「その人自身の記憶の中」)にしかないんじゃないかなあ。(第三者が)その人自身をどんなに隅々まで調べたって、やっぱり特殊性のかたまりにしか見えないもの。

BonvoyageBonvoyage 2004/07/28 06:45 「詐欺」うんぬんの話。> 提供される商品・サービスの内容や値段は、売り手と買い手の間に合意があるならばいくらだってかまわないと僕は思います。他人がとやかく言う問題ではない。たとえ買い手が極限状況にいたとしても。◆以前、ある社長さんから聞いた話。彼の会社は、耳の不自由な人向けのサービスを提供している営利団体。取引のある方からは喜ばれているのだけれど、「障害者を食い物にしている」という類の中傷はさんざん受けているとか。似たような話。◆さて、商品・サービスには導入期・成長期・成熟期・衰退期といったようなライフサイクルがあります。今では1万円も出せば買えるビデオデッキも、15年くらい前に僕の家にビデオが初めてやってきたときには10万円弱はしたんじゃないかな。それでも、今の1万円のビデオより性能は悪かった。ま、今考えたら詐欺みたいなもんですわ。 一般に、導入期にある商品・サービスは高いし、質が安定していません。しかし、そこに市場ができ始まって成長期に入ると、複数の売り手が参入してきて値段が下がり、品質も向上します。やがて成熟期には、高くて質の悪い商品・サービスしか提供できない事業者が撤退して、良い商品が安く手に入る安定した期間がやってくる。 …これはうまくいっている事業のライフサイクルです。うまくいかない場合はどうなっちゃうかと言うと、たいていは導入期に市場が形成されず、成長期に入っていかないということになります。 今、ひきこもり支援はいわゆる「ブーム」は去ったかもしれませんが、事業としてのライフサイクルは、まだ導入期にあるんじゃないかと思います。ここで先駆者が「ひきこもり支援は金になる」ということを示せなければ、話はそこでおしまい。今は高価格・低品質なのをある程度許容しておくほうがよいかもしれません。買い手の側が、導入期特有のリスクを理解しておきさえすれば、それでいいんじゃないかな。うまく事が運べば、いずれ安くていいのがでてくるでしょ。◆とは言え、個人的には長田さんのやり方は好きではありません。

RirikaRirika 2004/07/28 07:24 「孤立して防衛」ってすごくわかるな…

hallcinhallcin 2004/07/28 10:18 最近調子を崩している人、周りに多いです。東京は連日猛暑で(昨日、おとといは少し涼しかったけど)自分もすっかりバテてしまいました。。。当たり前のことですが水分・栄養や睡眠は大事ですよね。お体には気をつけて。

anhedoniaanhedonia 2004/07/28 17:00  共同作業----時間を共有すること  誰かと時間を共にすることが苦手だと、性愛ゲームに参加するのは、ちょっと厳しいかも

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/30 09:22 書き込んでくださった皆さん、お返事遅れてすみませんでした。
◆「ちゃんねらー」と名乗る書き込みですが、儀礼的・内容的にこのレベルのものは、今後無視か、あるいは削除するかもしれません。 これまでは可能な限り寛大に対応しようと努めてきましたが(くだらない中傷発言さえ削除せずにきた)、こういうのが続くようであれば、コメント欄を廃止します。
◆うちのコメント欄は紳士的な方ばかりなので(本当に感謝しています)、たった一人現れただけで物凄く目立つ。 神経質すぎるかもしれませんが、「荒らし(的なもの)」を放置していると雰囲気がいっぺんに悪くなると思うし…。 本文で何度も触れてきましたが、≪ひきこもり≫というのはひどく感情電圧の高い論争的なテーマなので、荒れる方向に行ってしまったら果てしがない。 ただでさえ議論が堂々巡りしがちだし、生産的に振る舞うのが本当に難しいのです。 【当ブログ、心労の激しさのわりに、共同作業的な取り組みを何も生み出さず、「罵倒されるネタ」を作っているだけではないだろうか…。】
◆今回はいちおう内容にレスポンスしておきます。 ★ 僕は長田氏を支持していません(本文にそう書きました)。 ★ ギャルゲーを楽しめるかたは楽しめばいい。 僕はチャレンジして駄目だったから、興味を持てないだけです(これもかつて書きました)。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/30 09:22 Bonvoyage さん、たしかに、単独性が「一緒にすごした時間」に関係することは間違いないですよね。 ひきこもっている人は、そうであるがゆえに――「誰かと過ごした」経験の完全な欠如――、「誰かの記憶の中で大事にされる」ことにも絶望せざるを得ない…。 ★ 「支援における詐欺」については、結局は契約時における「線引き」の問題なんだと思う。引き受けたサービスの内容と質をどう設定し、保証するか。 ★ 「導入期・成長期…」のお話はきわめて面白い、というか参考になります。 なるほど。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/30 09:23 Ririka さん、長いことお疲れさま。 よかったら、いつでも遊びに来てくださいね(というか、僕もいつまでやってるかわからないけど)。 ◆ hallcin さん、やさしいお気遣い、本当にありがとうございます。 どうも僕は完全な睡眠障害…(今に始まったことじゃないんだけど)。 ◆ anhedonia さん、僕も人と時間をすごすのが苦手ですが、なぜなんでしょうねぇ…。

yoshi1962yoshi1962 2004/08/10 15:10 私は、ひきこもりの人たちに寄り添い、訪問することを主体に支援しているのだが、日々大きなストレスを感じている。その原因もわかっている。私の周囲の人間関係といえば、引きこもっている当事者/その保護者/同じ団体のスタッフ/ほかのひきこもり支援の団体/世間一般の人たちなどです。私自身がかなり深刻なひきこもりの経験を持つものだったので、当事者やその保護者にかかわっていく上でストレスはほとんど感じない。同じ団体のスタッフには話し合いの中で共通の認識を持つこともできる。世間一般の人たちの見方に関しては理解してもらおうなどとは頭から考えていないので、なんとも思わない。しかし、ほかのひきこもり支援の団体の方で間違った認識の元で活動しておられる方たちに関しては強い怒りがこみ上げてくるのです。多分それは、引きこもりだった私自身も適当に扱われていると感じるからだと思うのです。私は支援の側に立ちながらいまだ、ひきこもりからの完全な解放の状態になっていないのです。ひきこもっている人たちの心に寄り添ってほしい。同情などいらない。一人の人間として認めてほしいのです。上山さんの書き込みは今の私にはライフラインなのです。感謝!!

ueyamakzkueyamakzk 2004/08/12 16:16 「ライフライン」という言葉に強く打たれました…。

2004-07-24  当事者のつらさ、支援者の絶望

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また長期にわたり停止してしまいました。ごめんなさい。

この間考えていたことと、18日のコメント欄id:temari さんから頂いた書き込みが関係します。

 ひきこもりを取り巻いてワイワイやってる人達から見れば、「ひきこもり」もひとつのブームととらえて、「もはやブームは去った。流行は終わった。」と言い放てるのかもしれませんが、現にひきこもりに悩んでいる人達(当事者)は、決してブームや流行り・廃りでひきこもっているのではありません。少なくとも私はそう思います。ブームだとかなんとか言うのは、ひきこもりというテーマを使ってひとつ金儲けの手段にしてやろうと考えている人達の発想ではないかと思います。ブームが去ろうとなんだろうと、現にひきこもりという問題で悩んでいる人、上山さんみたいにいっそ「安楽死」を選ぶかくらいにまで追い詰められている人達がいるのは事実で、それは流行り・廃りとはなんの関係もなく存在します。その人達の問題解決法は決して見えてきたとは言えない現状を、ブームが去ったと一言で掃き捨てて欲しくはないです。

「ひきこもり」という言葉が一般の人々の口の端にのぼるか、この問題がクローズアップされるかどうか、には「流行」があるかもしれない。でも、流行り廃りに関係なく、苦しんでいる人はたくさん実在していて、相変わらず絶望している。

18日も書いたが、)一般向けにひきこもりの本が売れないのは「流行」で語れるかもしれない。でも、当事者や家族に対して売れないのは、「読んでもどうにもならない」と思っているからではないか(少なくとも、「ここに自分が求めている情報がある」と思ってもらうことに失敗している)。



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単純な話、ひきこもり経験者の中では社会との接点がたくさんあるとされる僕でさえ、事実上ほとんど絶望している。

僕はこのブログ活動にたくさんのエネルギーと時間を割いてきたし、それなりに評価いただける成果も作れたかもしれない。でも、それはお金を生み出す活動ではないし、僕は何より経済的に絶望し怯えている。

僕は自分の情熱とエネルギーを経済問題の解決に向けて注ぎ込まねばならないのだが、そこで完全に行き詰まっている。


2ちゃんねるヒキ板で、「ひきこもり支援をやる連中は、当事者に寄生して生きている」という書き込み(おそらく当事者)を見たことがあるが、「支援活動など必要ない」と言っているに等しい。支援が事業として必要であるならば、≪経営≫の問題は重要、きわめて重要だ。「当事者からお金を取ってはダメ、ボランティアでやれ」というのでは、責任のある「仕事」の話として語れないのではないか。(「支援内容を洗練・検討すべき」はあっても、「支援は必要ない」とは別の話。)


既存のひきこもり支援事業の不備はよく語られるし、僕も様々な新機軸の議論を模索したつもりだが、「支援スタッフがどれほどつらい状況に置かれるか」については、ほとんど語られない。

見聞した具体的な団体名を記すことは控えるし、僕はひきこもりの相談業務はごくわずかの事例しか経験がないが、とにかくひきこもりの支援は、現状ではとてつもない激務になっている。 → まったく現場事情を知らないかたは想像しにくいと思うが、良心的で情熱的なスタッフが次々と「燃え尽き」でリタイアしたり(そういう場合、「もう引きこもりの≪ひ≫の字も聞きたくない」というぐらい激しい拒絶感情を持ちやすいらしいが、わかる…)、僕の身近でも、たった1件の相談を引き受けた人が2週間でギブアップした。ある団体の代表は、40代で亡くなってしまった。

≪ひきこもり≫というテーマが、当事者ばかりでなく支援者の心身をもこれほど蝕んでしまう、その「きつさ」について、一回ちゃんと考えるべきではないか



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長田百合子という女性の粗暴な「支援」が一部で支持を得たようだが、暴力的な態度を支持してしまう人たちの背景には、「絶望と疲弊」があるように思う。僕は長田氏を支持しないが、「当事者には暴力を振るうしかない」という思想が(特にご両親たちから)一定の支持を得てしまう事実は、無視できない。


以下は、ある友人から間接的に聞いた話。

 仲間内で「最もやさしくておとなしかった」友人が、「現在の精神科医療は病者を不当に扱っている」との怒りと、改革の野心を持って精神科の医師になったが、ある精神病院に勤務して数年後、「同僚内で最も暴力的な医師」になっていた。

このエピソードを、精神科の業界内におられる方々がどのように聞かれるかは分からないのだが、この話は聞いていて本当にゾッとした。

一般の人が「ひきこもりをスパルタ式で矯正しろ」とか言ってるのは、「お前らのことをそれ以上考えるつもりはない」ということだろうが、家族や良心的なスタッフが「暴力しかない」と思い込むときには、家族やスタッフ自身が、相当追い詰められてるんだと思う。


当事者(経験者)は、自分が追い詰められている事実については語るが、自分の存在が家族やスタッフを追い詰めている(かもしれない)事実については、あまり語らない。社会的な無能力者としては当事者のほうがはるかに弱者だと思うが、家族の多くはまさに「生き死に」のレベルで追い詰められているし*1、スタッフも――良心的で思いつめるタイプの人ほど――すぐに耐えられなくなるらしい。

もちろん、「だから当事者は何とかしろ」と言ってもなんにもならない。ただ、ここにも発生しているなんとも痛ましい傷つけあいの構図というか、そういうものを問題化したかった。



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ひきこもり支援に関わるメリットはあるだろうか。お金にはならない。当事者からは徹底的に叩かれる。世間からは悪く言われる。 → 現状では、「社会のことをよく考えられる」など、理念的なメリットにとどまると思う。

そういう状況で、支援を志す人がいなくなる(あるいはもっと粗悪になる)として、しかし絶望する当事者や家族は苦しみ続ける。

僕は「餓死」の話をよく取り上げるけど、ひきこもりの問題は、今後ホームレス、自殺、家族内虐待、など、より陰惨な形に変化していくんじゃないだろうか。わが身の将来を予測しても、そんなふうにしか思い描けない。

要するに僕は、当事者としても、支援を考える人間としても、絶望しているのだ。「絶望し切ってしまう」前に、どんなことが可能だろうか。

ここでブログを書き続けることが最善の選択では、ないのかもしれない。



*1:母親が自殺してしまった事例を2例、間接的に聞いた

temaritemari 2004/07/25 10:21 いきなり自分の書いた物が冒頭に来ていて、びっくりしました。いや〜、あらためて読んでみると、顔から火が出るほど(紋切り型のたとえですが・・・)、本当に恥ずかしいです。稚拙な文章で・・・。

temaritemari 2004/07/25 10:55 すいません。途中で切れてしまいました。今、ひきこもりの問題に直面している人達、直面せざるを得ない立場に置かれている人達は、「絶望」という状況に置かれているのではないか、という上山さんのご指摘がありました。・・・そうかもしれません。「絶望」と断言してしまうと、まったく望みが断たれたように聞こえてしまいますが、少なくとも、自助会も支援者の会も、ある種「行き詰まり」の状態に来てしまっているのではないかと思います。現状はいっこうに良くはならない、かと言って、何かこれぞという新案も、打開策も見出だせない。そんな足踏み状態を見て、人々は「もはやブームは去った」と思うのでしょう。経済的な側面でも、ひきこもりが増えれば増えるほど、消費経済的にはマイナス効果になるばかりですし、ひきこもりを援助する人達だって資本がいるわけで、いつまでも無償でボランティァで、というわけにもいかないし。・・・自助会でも様々な問題を抱えているようですし。(経済的な面も含めて) こういう局面だからこそ、「絶望」と言い捨ててしまわずに、もう一度、初めにたち返って、結局はひきこもりから脱出したいと少しでも思う人がいたならば、その人はまず、おのれの力を鍛えることから始めなければ行けないのではないかと思うのです。自助会もダメ、支援者の会もダメ、な状況に来てしまったのであるならば、やはり、最後に頼るべきは、求めるべきは、「自分自身が持つ回復力」ということしかないのではないでしょうか。他力本願の考えから、少しずつでもいいから自力本願の考え方にシフトしていくということしか、今の段階では方策が見えないように思うのですが・・・。自己治癒能力という、人間本来持っているはずの力に、もう一度かけてみてもいいのではないかと思います。絶望するのはそのあとでも遅くない気がします。絶望は最後の最後のその瞬間まで取っておいてもいいかと思うのですが・・・。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/25 16:42 あ、冒頭引用ごめんなさい>「びっくりした」。 ★ 代替案さえ出さずに人の悪口ばかり言っている人が多いなか、「他力本願から自力本願へ」というお考えは、本当にうれしいです。このブログ自身、僕にとっての「自助努力」だし、親の会のイベントなどでも主張してきたつもりです。 : 「他人に援助してもらおう」ではなく、≪自分で自分の援助者になろう≫【親向けと当事者向けでメッセージのニュアンスが変わります】。 ただこの掛け声が、社会に都合のいい「弱者の自己責任」論(「お前らが弱いのはお前ら自身のせいだ」)に利用されるのは避けたいですが。 ★ 「最低限、自助努力すらしない人間は論外だ」でいいと思いますが、 (1)親も当事者も支援者も、実はみんな(それぞれの立場で)「自助努力」に何度も挫折して、あきらめている【僕が「絶望」という言葉を使ってしまったのもそんな地点です】。 (2)「生きていたくない」「人生自体が親からの強制だ」みたいになってしまうと、つまり人生そのものに対して最低限必要な能動性が失われてしまうと、「生きるための自助努力」というスローガンは「生きることの強制」、つまり屈辱でしかなくなる。 → 「自助努力」は、「いかに楽に死ねるか」という方向に向かう。 ★ 「自助努力の再起動」、そのために最低限必要な「能動性の再点火」…。 その辺りが、ひとまずの課題でしょうか。 「互助」関係を作るにも、最低限のビジョンと、≪自分は本当はどうしたいか≫が必要…【それがないと、どこまでいっても「受動」にとどまる】。 「受動/能動」のあたりは、たぶん教育論でも焦点になるところですよね。

doumodoumo 2004/07/25 19:58 ひきこもりの支援者が育たない長続きしないということの一つの理由としては、ひきこもりというものを実は理解していないからではないかという感じがします。同時に「援助活動」ということの専門性もです。ひきこもりというのは、ことばのイメージや斉藤環の定義の「精神障害が原因とは考えにくい」という表現から、健常者圏と考えられているようです。私が以前に触れたひきこもりでもないのに自助グループに参加する一般人も、長田女史のようなことをすることがひきこもりのためになると思い込んでいたようです。援助活動の負の面については本当にマスコミには出てきませんね。NHKのテレビ(関東ローカル)で訪問サポートを取り上げていましたが、NHKの取材記者もアナウンサーも終始「ボランティア」と言っていました。

doumodoumo 2004/07/25 20:00 temariさんのひきこもりは甘えてないで自力更生をしろという考え。よくわかります。temariさんは当事者でもなんでもないんでしょうね。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/25 23:33 doumo さんのお書きになっている論点は、僕が当ブログや著書の中でくり返し触れてきたものが多いので、僭越ですが、できればそれら(過去ログ等)を一度参照いただけるとうれしいです。 あるいは、ご自分で「はてなダイアリー」を始められてみてはいかがでしょう。 id:Bonvoyage さんなど、コメント欄への書き込みのあと「はてな」を始められたかたもいますよ。 ★ doumo さんはあまり評価されていないようですが、僕は temari さんの書き込みはとても繊細なものだと思うのですが…。 【長文におよぶご批判やご意見があれば、できれば「自ダイアリー」でやっていただけるとうれしいです。】

temaritemari 2004/07/26 17:15 私は大学2年次に自殺未遂を起こし、その時から学校へ行けなくなりました。自分ではその時点で退学したかったのですが、周囲からの「もったいない」という声に負けて、一年間病気休学ということにして休んで、翌年からまた大学に通い始めましたが、どうしても大学という環境にもなじめず、また授業にもついて行くことができずに、次第に拒食症となり、一年休学した分も合わせて四年次まで合計5年間、なんとかだましだまし通学はしていましたが、卒論を前にした時に、自分の中に何も書きたい物が存在しないことに気付き、それを周囲に訴え続けた末に、ついに四年次の終わりに卒論を書かないままに退学となりました。 その後喫茶店で5年間働いたあと、印刷会社へと転職しましたが、その会社でセクハラに会い、それがまた引きがねとなって、10年間家に引きこもりました。

temaritemari 2004/07/26 17:32 今、なんとかパートに出て働けるようになったのは、私を見守り続けてくれた家族と、精神科で出会った担当医の根気強い指導のおかげだと思って、感謝しています。・・・もちろん、自助努力が一番大切なのですが、それだけではひきこもりからはなかなか脱出できない、というのも、これもまた厳然たる事実だと思います。周囲の「理解ある」サポートなしでは、ひきこもりが一人で生きていくのは大変なことです。・・・ただ、今何かにつけて思い出すのは、私の担当の精神科医の言っていた言葉です。「私は、あなたのかわりにあなたの人生を生きてあげるわけにはいかないんだよ。」この言葉です。ひきこもりの人に限らないことかもしれませんが、誰もが、生きることがとても辛くてもうどうしようもないところまで来てしまった時に、「この人生を投げ出して、誰かにぶつけてやりたい!肩代わりしてもらいたい!」と思って、自分でもよくわからないままに自殺未遂のようなことをしてしまうのですが、結局、自分の人生は自分以外の人には生きられないわけで、誰かに肩代わりしてもらうことはできないのです。そのかわり、”協力してもらう”、”力を貸してもらう”ことならば、それにふさわしい人さえ見つけられれば、可能になります。私はそういうことが言いたかったのです。苦しくても自分で生きるしかないけれど、でも、誰かの肩を貸してもらって時々は休ませてもらえるし、愚痴も聞いてもらえる。・・・そんな環境が自分の周囲に作れたとしたら、ひきこもりの人にとっても、またそれだけに限定せずとも、悩みを持つ人なら誰でも、もう少し生きやすい社会ができるのではないかと思います。・・・なお、私ははてなダイアリーには登録しているだけで実際に日記は書いてはいませんが、「楽天日記」のほうで手まり唄というHNで「人生万事塞翁が馬」という日記をつけています。(ほとんど毎日愚痴のようなことしかかいてありませんが・・・^^;)

temaritemari 2004/07/27 09:45 もうこれで、長文の書き込みするのやめますね。お邪魔してごめんなさい、でした。m(_ _)m

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/27 12:14 真摯な書き込み、ありがとうございます> temari さん。 失礼かもしれませんが、思い詰めたお姿、身につまされました…。 ★ 「誰も自分の代わりには生きてくれない」、でも≪協力≫はしてもらえる、という観点は、かなり目からウロコでした。 自分の側にわずかな能動性さえあれば、「力を貸してもらえる」かもしれないこと…。 僕はどうも、≪ゼロか100≫というか、「何もできない」か、さもなくば「すべて自分で解決する」としか思えなくて…。 要するに、≪孤立≫が身に染み付いてるんですね。 「自分一人で解決できなければ、すべて終わりだ」、「味方は誰もいない」というような。 ★ 「手まり唄+楽天日記」で検索したら、temari さんの日記、見つかりましたよ(笑)。 今回いただいたご意見は本当に参考になったし、よかったらまたいつでも遊びに来てくださいね。 【ものすごい長文の連続投稿はさすがにトラバにしてほしいけど(笑)】

2004-07-18  無力化に抗って

こんばんは。相変わらず妙な意識状態が続いていますが、食事を欠かさず摂っているので、体力的には安定してきています。心配してくださったかた、ごめんなさい。というかありがとう。

昨日の入眠前には、目を閉じると僕のいちばん苦手な類いのグロ画像が意思とは関係なくまぶたの裏に浮かんできて、「いよいよこれはヤバイか」と観念しかけたけど、眠ってみたらまさに「画像」に関する夢。




18日朝にみた夢 18日朝にみた夢を含むブックマーク

中国の工学部大学院の男が、個人的実益と茶目っ気で開発した新器機。

写真の2次元情報を読み取り、そこから推測的に3次元情報を組み立て、別の3次元の「動く物体」に投影し、リアル3次元物体の動きに合わせてあたかも写真の物体そのものが動いているように見せられる。開発者男性の最初の目的は、「静止アダルト画像から迫真の女性ホログラムを生み出す」ことだった → 見事に実現。デモンストレーションでは、器機のそばに立っている中年男性がAV女優に変身、悩殺的なポーズを決める。会場爆笑。

あらゆる「動く物体」が異様な写真群と合成される実験的かつ功利的な展開。「無音映像を見ているだけで笑いが止まらない」なんて初めて。

その後、この器機のすさまじい機能ゆえの笑いを潜めた恋愛系の切ない話が進行し、一晩で一本の映画を観た気分。「新しい工学的発明の周りに笑いや涙を生じる」という、僕にしては珍しい趣向の夢。




「性愛的承認」 → 「単独的承認」? 「性愛的承認」 → 「単独的承認」?を含むブックマーク

16日のコメント欄はものすごい豊作で、本当にありがとうございます。ここで提起されている諸問題については繰り返し立ち返ると思うのですが、ここでは id:jouno さんの書き込みより。

僕にとって決定的だった書き込みを引用しますが、その前にこちらを、リンク先とともに読んでみてください。


# id:jouno 『僕が誰かに肯定される。あるいは肯定する。でもそれが二人の関係の性質だ、というとき、あるいは、恒常的にそういうことがおきてるんだ、というとき、それは、安定して起きる現象なわけですよね。ということは、二人の関係が、そういう承認、承認の感覚を、恒常的、安定的に生み出すような性質を持っている、ということになる。それは、二人という社会における制度だと思うんです。で、制度である限りで、やっぱりそれは、イメージを媒介にしたものになるんじゃないか。ざっくりいうと、固有名の循環「おお、ロミオ」は、そのことによって、ある一般性を運んでいる。なんといったらいいか、ロミオという言葉にはそこで社会的に説明できるような概念は込められていないと思いますが、そこには、二人という「対」の社会における「イメージ」がこめられているんじゃないか。そして、このようなイメージは、その「魂」「至上の愛」ゆえに、目の前の単独性とは、どこまでもずれざるをえない。

 一度目、おおロミオ、といったとき、それはある単独性の現前かもしれません。それが個別の交渉の効果ということです。しかしもう一度、ロミオといったとき、そこにはもはや、ロミオのイメージが現前してるんじゃないか。そしてそこに愛のイメージを見るからこそ、代替不可能性が感動的になる。もしもロミオということで常に感動が喚起されるなら、それはイメージが媒介としてすでにあるからです。単なる代替不可能性は別に感動的じゃないんですよ。かけがえのないあなた、とひとはいう。しかし、たんにかけがえのないことは感動的じゃない。そうではなくて、かけがえが理屈の上ではあるのに、あなたしかいない、から感動的なんです。

 かけがえのないことがある単独性として「美しい」のは、その単独性がすでにある「類」との相関関係にあるからじゃないか。六十億の人間のうちの二人が出会った奇跡という。このとき、これが奇跡的であり、感動的な偶然としてたち表れるのは、それが、六十億という数の類が背景にあるからです。つまり、これは、「数字」の単独性なわけです。5番と345番が出会ったのは感動的だ! なぜなら5番も345番もひとりしかいない! 単独的! でもこれは数字という反復可能性、一般性をメタレベルの基礎として持っている。(というのがうろおぼえのデリダだったりしますが)

 すいません、なんか僕もまとまらず混乱してきましたが、固有名論的なところでの単独性が、一般性と対立関係にあるというのは性格ではなくて、とくに、性愛的関係における単独性の感覚「どんな属性でもあなたが好き」は、二人における想像的制度じゃないかと思うわけです。「どんな属性でもあなたが好き」という単独性言明は、解決不可能なアポリアがあるんですよ。だって、どんな属性でもいいんなら、相手が特定できないじゃないですか。どれが「あなた」なのか区別できないですよ。それが意味をなすのは、相手が一人しかいない閉じた世界、対幻想的鏡像関係の内部だけです。*1

これだけの密度を持った書き込みを頂いたことは本当に驚き、というより誇りであり、id:jouno 氏に心より感謝いたします。これからもくり返し再読するでしょう。

このコメントについていろいろ考えているうちに、問題設定がもう少し広く深い(と思われる)ところにシフトしていきました。それはひょっとするとせっかく頂いたコメントで生じた緊張感を損なうことかもしれないのですが、僕としてはこの仕切りなおしに意義があると信じ、チャレンジしてみることにします。




「承認」 → 「転移」? 「承認」 → 「転移」?を含むブックマーク

「もう少し広く深い問題設定」というのは、≪転移≫の話です。

精神分析的な知識をお持ちのかたは、僕がこう言っただけで「な〜んだ…」かもしれませんが、問題設定は陳腐でも、そこには引きこもり問題に貢献できる鉱脈がまだ眠っているかもしれない。

「転移」との関係でひきこもりを論じた発言を見たことがないので*2、ひとまず自分を素材にしながら、思いついたことを散発的に書き付けてみます。


  • ≪転移≫の問題を、先日から考えている「承認」(性愛・代替可能・単独性・など)との関連で考えてみる。
    • 「転移のなさ=欲望のなさ」(つまり慢性的に無意識が閉じている)のが、ひきこもりの苦痛の際立った特徴ではないか。統合失調症では転移が生じない*3らしいが、ひきこもりで転移が生じにくいのには別の事情がある → シニシズム、プライドの高さ? なぜそうなった?
    • 「欲望がない」のは、「才能がない」からか。でも「無意識がない」というのは変だから、「無意識を刺激される経験がない」ということか。 → このあたりにサポートや自助努力のヒントがないか?
    • オタクの世界には、快感の回路がたくさんあるから、転移資源は豊富だ、というのは変な認識でしょうか。
    • 【追記: これまで当日記にいくつか個人情報とか個人的体験を書いてきたんだけど、これってやっぱり本に書いたこと以後はやめていきたいので、これからチョコチョコと情報を消していきます。】
    • 転移回路の失調は、生活における自己管理の破綻を招かないだろうか。【ふつうに言い換えれば、「欲望を見失うと、生活を維持できなくなる」。】


  • 僕が一時期夢中になった(つまり転移した)東浩紀氏『存在論的、郵便的』ISBN:4104262013 は、デリダ(の著作)への転移をきっかけとする、転移そのもの(およびその切断)についての自己言及的な作品だった。そこには「転移が思弁を駆動する」という有名な*4フレーズがあったが、僕が「ひきこもり」について執拗にものを考えるとして、それは「転移」に基づくのではなく、「傷」に基づいている。「いったいあの当時の体験は、そしてこの今の苦しみは、何なのか?」 → 「転移も傷の一種であり、傷への感情も転移の一種だ」と考えるべきなのか。執拗な執着。
    • 「考えても、どうにもならない」と思うにつれ、読書や思考が嫌になっていった。「これについて考えよう」というのは、「鉱脈を発見した」気分であり、「こんなところ掘り返したってどうにもならない」と思えば、考えなくなる。子供のように「掘ること自体を楽しむ」なら別だが、益もないのに傷をつつきまわすのは楽しいことではない。
    • 「苦痛除去や生活運営」について考えることも、「鉱脈をまさぐる」ような作業にならなければ、それ自体が屈辱的な労役になる。「こんなことをやるために生まれてきたのではない」。解くのに苦痛を感じているクロスワードパズルを続ける必要はない。
    • 「考えること自体が楽しい」のと、「成果を作らなければ死ぬ」と思いながら考えるのとの違い。 → 僕は明らかに後者で、「それによってもたらされる効果」にしか興味がない。「プロセス自体を楽しむ」ことができない。


  • 転移感情とは、「この人は、私以上に私のリアルを掴んでいる」という印象。
    • そういう相手から「お前は現実逃避している」と言われることがどれほど恐ろしいことか。
    • 相手のリアルを掴まないままにする命令は、「説教」にしかならない。 → 「イマドキの子供は…」と言っている大人は、子供に転移感情を持たせることに失敗している。「あんな奴ダメだよな」と言っている人間自身が人を魅惑する能力を備えていることはほとんどない。
    • 精神分析家に求められる「転移させる能力」は、「性的に受容させる能力」以上に稀有ではないか。 → 「リアルによる愛」と、「性による愛」?


  • 受容や承認における「実績」の重要性。「何をやっても受け入れてくれる」のは「万能のお母さん」だけ。社会生活や友人・恋愛関係においては、「過去の実績」と、「新しく築かれる実績」が、関係性をめまぐるしく変える。「これまでは高い評価を受けていた人が、たった一度の言動で拒絶される」こともある*5
    • 「何があっても受け入れる」は、(id:jouno 氏の言う通り)「分節や差異の解消」(の思い込み)であり、ロマンティックな(想像的な)言明、あるいは一種の非合理な≪狂信≫ではないか。 → むしろ問題は、「どうして僕らは狂信を必要とするか」ではないか*6
    • 幼児的万能感と空疎なプライドで「自分がいちばん偉い」(まさに狂信)と思っているひきこもりは、自分以外の対象に帰依することを拒む。 → これが恋愛困難の一つの要因になっていないか? 恋愛とは、一種の帰依=狂信だと思うのだが。
    • 「自分の外の対象への帰依」を拒んでも、「内なる無意識的狂信」が消えるわけではない。 → その指摘への怯えが、「無意識論」への拒絶か?【これは「郵便的」ではなく、「否定神学的」と呼ぶべき無意識理解か。でも「だからいけない」とは簡単に言いたくない。それ自体が思考停止だと思うから。】
    • 言論事業への徹底した没入において起こっていることは何か。


軌道修正(鉱脈の探りなおし)は常にします。 あと、お馬鹿な発言の修正も。




無力化 ←→ 有力化 無力化 ←→ 有力化を含むブックマーク

17日のデビューネットでの最高の収穫は、≪無力化≫という概念だった。

システムの中で、個人が無力化される。その独特のメカニズム。

僕は先日から「有力化」(empowerment)という概念に注目していたのだが、その裏側を指摘された格好。

「無力化」のメカニズムが正確に分析できれば、「有力化」の道筋も見えてくるかもしれない。


「どんなに正しいことをやっても、弱者は負けるんだ」ということを思い知った。




弱者同士の潰し合い 弱者同士の潰し合いを含むブックマーク

2ちゃんねるのあるスレで、引きこもり当事者たちが僕への罵倒を続けているようだ。それを見たらしい別板の住人が次のような発言(大意)。

 ヒキがヒキを叩いても、「弱者が弱者をいじめる」でしかないのにな。 あわれなもんだw

「刑務所の中で囚人同士がいじめあう」、いやそれ以下に見えているのだろう。


「クズだ」と差別された人間が、同属の中に「自分以下」を見つけ、「あいつの方がクズだ」と悦に入る。

そうかと思うと、「俺のほうが真性ヒキ」、つまり「排除されていることの純粋性」によって自分の優位を主張する。 「俺の方がクズだ」


ひきこもりの皆さん、僕への「批判」は大いにしてほしいですが(僕だって自分のやっていることにいつも不満を持っています)、僕を「侮辱」するときには、どうか注意深くやって下さい。「勝ち組」から見ると、「クズがクズを叩いている」というみじめな図式になってしまう。

――それとも、「上山を切り捨てて自分たちだけが生き残ろう」と、本気で思ってるんでしょうか。




「最も深刻化したニート」? 「最も深刻化したニート」?を含むブックマーク

ズラズラと引きこもり論を書き連ねてもしょうがないので、「本の企画」を練り始めるべきなのかもしれない。しかし出版関係者によると、今は引きこもり本が「まったく売れない」という(斎藤環さん以外)。

先日出版された玄田有史氏『ニート』ISBN:4344006380 は凄まじい売れ行きのようで(ジュンク堂に行ったら売り切れ)、そもそも「ひきこもり」という枠組みは絶望とともに嫌悪され*7、話題は「ニート」に移行しつつあるのかもしれない。

実は僕は「ひきこもり」について考えているとキツくてたまらんのだが、「ニート」ならば比較的落ち着いて考えることができる。 → 「ひきこもり」については、「最も深刻化したニート」という位置づけで考えてゆくべきなのか? 【前も触れたことですが。】




*1:赤字・太字強調、段落分けを勝手にさせていただきました。

*2:あったらぜひ教えてください! 斎藤環さんは明白に精神分析的な立場をお持ちですが、表立って「転移」でひきこもりを論じた発言はなかったと…。あったっけ?

*3:と、読んだ記憶があるのですが、ちがってますでしょうか。

*4:探したけど見つからない…。記憶違い?

*5:再チャレンジの回路はあると思いたいが。

*6:「自分だけは狂っていない」と本気で思い込む人は狂っている、というのはいろんなバリエーションでいろんな人が言ってますが。

*7:一般向けに「ひきこもり本が売れない」のは「流行」の問題と言えるかもしれないが、当事者や家族向けに売れないのは、「実効性のなさ」ではないか。「買ってもどうせどうにもならない」。絶望しているから買わないのだ。

ojahumojahum 2004/07/19 08:02 上山さんの夢のなかの機械、ほすぃ。。。

anhedoniaanhedonia 2004/07/19 10:22 「無力化」の第一歩は、いわゆる弱者がいわゆる強者のいう価値(しかし強者自身は信じてはいないかもしれない)を共有するところから始まります。「有力化」はその共犯関係から逃れることから始まるんでじゃないでしょうか。◆その共犯関係の中で“逆転”を目論むのは愚の骨頂です。それこそ強者側の“思うつぼ”ですから。

doumodoumo 2004/07/19 23:10 最近ひきこもりの集まりでもニートが話題になりますね。しかし、そんなにひきこもり本はうれないのですか。森口さんのひきこもり支援ガイドもデータが古くなってきたので、改定版が欲しいところですが、出しても売れなさそうなんで出ないとかうわさに聞いたことがあります。あの本は当事者からも家族からも支援者からも評価が高いですけどね。

doumodoumo 2004/07/21 02:53 あまりに暑いので寝られないでいます。さて、上の記事の中で「仕切りなおし」と言う表現が出てきましたね。この表現は斉藤環のPHP社会的ひきこもりのなかで30以上のひきこもりのところで使われていたような記憶があります。社会復帰を諦めて障害年金と生活保護でイキロという文脈です。上山さんのこれからの身の振り方を考えると、ひきこもりでは本が出せないと言うことだとすると今は作家方面はとりあえず休戦して、イベントや訪問サポートで活躍されてはいかがかと思います。そのようなことは私のような一般の無名なひきこもりでは出来ないことですし、訪問サポートをしてもボランティアにされてしまいそうです。そういう活動をしながら、大学院などへ行かれて、学位を取り、大学の先生なんかされてはどうでしょうか。アカデミズムの分野では未だにひきこもりの需要は多いようです。私の行っている自助グループでも未だにひきこもりでレポートや卒論を書く学生さんの参加が後を絶ちません。せっかく有名人になられたのですから、それを生かさない手は無いと思います。

aimeeaimee 2004/07/21 22:24 日本の会社で働くことの大変さ、とかヘンチクリンさ、についてだったら、匿名でお手伝いします。いろいろ言いたいこととかあるんですが、実は、雑誌などに記事を書くのも現在の状況だと止められてるんですよ・・・人事に呼び出しくらって大変だったし。私が実名で何か「社会のシステム」について発言しようとしたら、クビを覚悟なんですよね。今回の夏休みの予定だって、一応行く先偽っているし・・・ううむ。あと、「家を借りるとき、就職するとき、の保証人問題」も上山さんだから言えることだと思う。

doumodoumo 2004/07/22 02:34 タメ塾の工藤さんのページを見ていたらニートの文字が。(w http://www.sodateage.net/mainpage/NEET/session.htm ニートがブームの予感です。上山さんも次の企画はニートでいかがでしょうか。

doumodoumo 2004/07/23 03:32 2ちゃんねるのひきこもり板(ヒッキー板という名称なんですね 宇多田ヒカルのディレクトリーかと思いました。)を見てきました。大した物じゃないですね。上山さんのサブディレクトリーも読みましたけど、批判というレベルでもないですね。無視しましょうよ。ひきこもりの専用ディレクトリーがあるのだから、もっとにぎあうと思って観察していたのですが、むしろ2ちゃんの仲では寂れているような感じですね。2ちゃんをやる人たちの間でもひきこもりは既にブームが終わっているのでしょうね。最近いろいろな集まり、シンポジウムのようなものに言っても熱気が冷めているような気がします。雑音は無視していいんじゃないですか。バブルははじけました。

temaritemari 2004/07/23 10:38 ひきこもりを取り巻いてワイワイやってる人達から見れば、「ひきこもり」もひとつのブームととらえて、「もはやブームは去った。流行は終わった。」と言い放てるのかもしれませんが、現にひきこもりに悩んでいる人達(当事者)は、決してブームや流行り・廃りでひきこもっているのではありません。少なくとも私はそう思います。ブームだとかなんとか言うのは、ひきこもりというテーマを使ってひとつ金儲けの手段にしてやろうと考えている人達の発想ではないかと思います。ブームが去ろうとなんだろうと、現にひきこもりという問題で悩んでいる人、上山さんみたいにいっそ「安楽死」を選ぶかくらいにまで追い詰められている人達がいるのは事実で、それは流行り・廃りとはなんの関係もなく存在します。その人達の問題解決法は決して見えてきたとは言えない現状を、ブームが去ったと一言で掃き捨てて欲しくはないです。

doumodoumo 2004/07/23 18:56 日本では今年間に3万5千人くらい自殺しているそうです。交通事故死が1万いかないですから、交通事故死の3倍以上です。精神科医やカウンセラーなどにとっては自殺などというのは特別なものではないのです。ひきこもりの自殺の問題は斉藤環の本の中にも書かれていますよね。「ひきこもりは自殺を考えるものも多い。しかし実行にいたるのは少ない。」と。でも、僕の近辺でも自殺はありました。あまり親しい人じゃないんで、その人の死因が本当に自殺かどうかはわからないんですけど。その人が自殺をしたとすれば、その原因というかきっかけは、自助グループで、他の参加者に説教されて深く傷ついたのが原因だとか言われています。彼に説教をした人というのはひきこもりではない人でした。ひきこもりのバブルの中でひきこもりの自助グループにヒキコモリじゃない人が参加していることが多かったのです。テレビで長田女史のやり方を見てそれをひきこもりの自助グループでやったのです。そんなことをされたら、ショックを受けて当然でしょう。ひきこもりの変なブームが無ければその人は自殺しないですんだかもしれないのです。ひきこもりのブームが終焉した方が自殺の犠牲者は少なくてすむはずです。バブルやブームは所詮本物ではないのです。そういうものが沈静化した今こそ本物のひきこもり対策が編み出されるような気がします。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/25 01:31 コメントをくださった皆さん、ながらく放置してしまって本当にごめんなさい。 しばらく、自分でサイトを見れないような状態になってました。 そこで苦しんで考えていたことと、皆さんのコメントがいくつかリンクしています。 また今後に活かさせていただきますが、少しずつお返事してみますね。 ◆ temari さん、お書きくださったこと、本当にうれしかったです(なのにお返事遅れてごめんなさい)。 僕が言いたいことを、そのまま言葉にしてくれている…。 ひきこもりに関してこういう言葉に出会えることはあまりないので、その意味でもうれしくて…。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/25 01:31 ojahum さん、いつも楽しいコメントありがとう〜。すんごく和みます(笑) ◆ anhedonia さん、いつもながら本質的なコメントをありがとうございます。 そう、ひきこもっている人を差別するはずの価値観を、当事者自身が信奉していたりする(「高齢ヒキを最も差別的に叩くのは若年ヒキ」だったり、僕のことを「ヒキのくせに」と叩く当事者がいたり…)。 価値観レベルの論争では、当事者が一枚岩ということは絶対にない(ひょっとすると世代のわりに古い価値観の人が多いのではとさえ思う)。 ひきこもりの一番キツイところではお互いの体験性質は似ているのかもしれないけど、どういう思想を持っているか、あるいはひきこもりの体験にどう付き合うか、どういう見方をするか、はまったく違っていて、共有できる人はごくごく一部…。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/25 01:31 aimee、いつもながら、仕事の現場にいる人としての貴重な証言をありがとう。 なんというか、みんなが感じている「棲みにくさ」「生きにくさ」みたいなことを少しずつでも改善できたら、と思うのだけど…。 「強者バリバリ、競争がすべて」みたいな社会は、本当に生産効率の面から言っても合理的なんだろうか。 「保証人」「敷金礼金」のはなしは、まさに「合理的」と本当に言えるんだろうか…。 「雑誌に記事を書くな」っていうのは、「会社内の人間の言動を管理したい」ってことなのかな…。 ◆ doumo さん、たくさんの真剣な書き込み、ありがとうございます。 身近であったという自殺(と思われる死)については、痛ましい限りで…。 僕は自助グループ系には詳しくないのですが、悪いほうに作用してしまってかえって苦しんでいる、という声を何度か聞いたことがあります。

doumodoumo 2004/07/25 03:39 バブル崩壊の影響を一番受けているのが、自助グループではないかという印象があります。参加者も減っていますし、活動を休止したり解散するところも出てきているようです。ひきこもりでない人の参加が減ったためだと思いたいですね。自助グループには参加されていないとすると、上山さんはいまどのようにケアというか援助活動に参加されていますか。逆に援助をする側なのでしょうか。というか、毎日どのようにおすごしになっているのでしょうか?原稿を書き溜めていらっしゃるのでしょうか?ひきこもりへの援助ということだと、訪問カウンセリングがむしろ好ましいのかなと思います。その次の段階としてきちんとしたデイケアがある方が良いと思いますが、デイケアはあまりないですね。意外にありそうでないといえば、電話カウンセリングですよね。時間やお金の問題をクリアすれば、訪問カウンセリングより良い場合もあると思うのですが。。ひきこもり対策本ではあんまり電話カウンセリングという話も出ていないし。その逆に自助グループを非常に良いもののように書いてあるし。ところで上山さんの回答はコメントで書かなくても良いんじゃないですか。それよりもむしろブログの本文で書いたほうが書きやすいのではないでしょうか。

2004-07-16  病み上がりエントリー

こんばんは。 昨日はご心配いただき、ありがとうございました。

眠れないので、リハビリ的に原稿書いてみます。 病み上がり的文体だったらすみません。



絶望と 絶望とを含むブックマーク

なんというか、前回の長文投稿以後(というかその前からか?)、かなり破滅的に絶望感に支配されてしまって、食事はできないしネットには接続できないし(僕は精神状態が悪くなるとパソコンの電源を立ち上げることもできなくなります)、逃避的に酒を飲んだらそれも悪いほうに出て*1、極端な不眠がまた始まり・・・・というような。

それで気付いたのですけど、これまで僕は、ずっと「絶望している」ことを自分に告知するのを避けてきたんじゃないか、と。 これ以上長生きしても、残された時間には苦痛と恐怖しか待っていない、それはお前も気付いていたはずじゃないか。 なぜ、「希望がある」ような顔をいつまでも続けている?


・・・・ここまで書いて、そのまま脱力して20分間何も書けなくなった(笑)。

ひとまず、見なかったことにして残りの記事を。




「経営」 「経営」を含むブックマーク

NHKの『21世紀ビジネス塾』という番組(中小企業の経営者が主な視聴者とか)を観たんですが、「若者にやる気を持ってもらうことに成功した会社の実例」が面白かった。

  1. 社員心得のマニュアルを作らない (各人の自由、そのかわり責任)
  2. 年齢で上下関係を作らない (ex.新入りが料理長に意見、など)
  3. 全員参加 (陰口ではなく、アルバイトも社員も全員参加の会議ではっきり言う)
  4. 表彰制度 (「褒める」という要因の重視)

解説の大学助教授によると、「うまく行っていない会社は全てこの逆」だ、と。


「経営」というのは、純粋志向の人文系の人は軽蔑したり馴染めなかったりするのかもしれないけど(僕もまったく門外漢)、実は「経営の現場で活きるアイデア」には、いろんなヒントが詰まっている気がするんですが…。




多様で等身大 多様で等身大を含むブックマーク

仕事 ・ 現実 ・ 他者(異性)に対する、肥大した恐怖感情をどうしたらいいでしょう。

1.過剰な期待を向けない、 2.小さな成功体験を重ねる、とかなんでしょうけど…。

「等身大」というのが本当に難しい。

本当はメチャクチャ多様なんだと思うけど、身近な存在や体験をすぐに絶対化(というか典型化)してしまう。 → 硬直的恐怖イメージの肥大。




「現実逃避」 「現実逃避」を含むブックマーク

「現実逃避」については、たくさんコメントいただきました。 ありがとうございます。 必ずまた考え直してみます。




「他人の文章を」 「他人の文章を」を含むブックマーク

友人と話していて、「自分で文章を書こうとする人間は、他人の文章を読まない」*2という話になり、僕もそうだよなぁ、と…。

もともとフィクションは読めなかったけど、最近はジャンルを選ばず、「本に何かを期待する」ことができなくなってしまった。 本と一定時間付き合うことで得られる効能に、まったく興味が持てないというか…。

僕はいつも、作家の口にした「フレーズ」には興味を持つが、「ストーリー」にはまったく興味がない。


ネットだと案外文章を読めるのはなぜだ…。(フィクションは無理だけど)




女性のための護身術 女性のための護身術を含むブックマーク

度重なる被害に苦しんできた id:aimee の呼びかけです。






「物語」と「幻想」 「物語」と「幻想」を含むブックマーク

すっかり遅レスですが、id:Ririka さんからもらった批判(?)、大事な話なんだけど、どう考えたら生産的になるかがよくわからなくて。 一応、いくつかメモ的に。


「ひきこもり」状態から抜け出したい男子の処方箋にはなんないよね。

性的承認(若いうちに女子から性的に全面肯定されること)が決定的に大事だという「物語」を強化して、この本を読んでる「ひきこもり」的な男子を、絶望させかねないものとして機能してる。

これは痛いところを衝かれたと思う。 たしかに、「そうか、性は大事なんだ」といくら念じたところで、「異性に相手にされない」という現実は変わらない…。 ただ、性的な要因を馬鹿にしないで考えるようにはなるかもしれない。(これはまた後述)


上山さんも、その≪感謝≫と≪恐怖≫の「物語」を共有している。 「トラウマ」になるほどに。 そう告白することで、上山さんもまた、宮台氏の説の信憑性を裏付け強化することに寄与してる。

リリカさんが「物語」(récit、story)という言葉で説明してくれたものは、僕の知っている(精神分析的な)言葉遣いでは「幻想」(fantasme、fantasy)の話にあたると思うんだけど…。 → 「物語」と「幻想」の違いは僕もよく分かっていないのです。


いちおう「幻想」の辞書的な説明を引用しておきます。

 フロイトにとっては、意識的な(夢想)、あるいは前意識的なさらには無意識的な、空想的シナリオや表象である。 一人または複数の人物が登場し多少とも変装した形で、ある人物の欲望を上演する。

 幻想は、無意識的な古い欲望の効果であると同時に現在の意識的または無意識的欲望の鋳型である。 (『精神分析事典』ISBN:4335651104 p.121。 強調は引用者。)

リリカさんが読んだという斎藤環『心理学化する社会』ISBN:4569630545 にも「心的現実」という言葉が出ていたと思うけど(p.71-)、以下はフロイト自身の発言の孫引き。

 フリースへの手紙の中で、フロイトは、自身の発見によって、幻想というものは、どんな外界における現実にも匹敵するほど現実的で重要であることが分かったと言っている。 その後、彼は折りに触れて幻想はまさに心的現実であると語っている。 (『夢・幻想・芸術』ISBN:4772404392 p.32。 強調は引用者。)


「男の子が女の子に性的に受容されて救済される」なんて、モテない男を追い詰める≪物語≫にすぎない、だからそんなものに縛られて絶望する必要はない、というのは(僕はリリカさんの指摘をそんなふうに理解した)、たしかに一定の効果のある指摘だと思う(僕自身には苦痛緩和的に効果があった)。 しかし、ではひきこもりの男性たちがこれほど強烈な(まさにトラウマになるほどの)性的絶望に苦しんでいる事実は、単に「物語に縛られているから」だとでも?

→ 僕の言いたいことは、「物語から解放されたあとにも、欲望の鋳型としての幻想は残る」となるだろうか。


「物語批判」というのは、ポストモダン系ではよく見たテーマだけど…。 物語と幻想の関係はよく分からない。

僕は以前から「フィクション親和性が低い」という話をしているけど*3、虚構への親和性が低いからといって、自分の中に巣食う「虚構的なもの(幻想)」から自由になれるわけではない…。 「20歳で恋愛していなかったら、ひきこもっていたかも」というストーリー告白にこれほどショックを受けたということは、僕の中に「そういうシチュエーションを実は切望していた、なのに出会えなかった、だからここまでこじれたのか?」という、我慢できないようなマグマがあったということ。 凡庸な体験談が僕のマグマに触れるには、やはり虚構(ストーリー)の形をとる必要があったし、ということは、僕の中のマグマも、虚構の形をしているのではないか。 それは単に「物語だからバカげてる」と言うべきものなのか。


ちなみに上記の斎藤本では、ラカンの綱領を言い換えた斎藤さんの言葉が。(p.210)

 幻想に騙されて欲望が満たされたと錯覚してはいけない

「女の子に性的に受け入れられたからといって、欲望が満たされたと錯覚するな」になるだろうか、ここまでの話で言うと。


というわけで、「物語を排除しても、性的拒絶による苦しみは残る。たとえ受容されても、それは錯覚的満足かもしれない」という、なんとも奇妙な話に…。




メッセージの文脈 メッセージの文脈を含むブックマーク

以下は、やはり id:Ririka さんの、

(「ひきこもりにとって性愛は大事だ」という主張を含む*4この対談は、なにを目的としてるんだろう。 誰に聞かせたいんだろう。

という疑問に、僕の言える範囲で答える試み。


「性の問題はひきこもりにとって大事だ」という主張は僕も自著の中でしていて(p.151-)、それを斎藤環さんに評価していただいたのですが*5、なぜ評価されたかというと、それまで*6「性」の話は、大方のひきこもり支援業界では≪タブー≫だったからです。

僕が最初に公に「ひきこもり」関連の集まりに参加させていただいたのは2000年の6月でしたが、それは50〜60代の親世代の運営する「親の会」*7で、20〜30代の息子・娘の自立問題を話し合うのに、どうしても話を「就職」「生活自立」に限定しがち。 「私たちの子供たちをどうするか」という切迫した空気がいつもあった。

その状況では、「子供の自立問題を考える」ときに「性の話を持ち出す」のは、はっきりした立場表明にあたるわけです。 僕もある親の会で、「≪子供の自立≫は、子供さんが自分の性生活を持つということだとイメージしてください」と発言したんですが、本当に勇気が要った。


ひきこもったまま年を重ねる人はメンタリティが「閉じこもった頃」で止まっていることが多い。 僕は最近まで自覚年齢が15〜6歳だったので、大学生の男女を見るとどうしても年上に見えてしまって苦しんだのですが(今でも恋愛中のカップルを見ると混乱します)、ひきこもりの世界では「肉体年齢は38歳だが、精神年齢は18歳」ということが普通に起きてしまう。 つまりメンタリティとしては引きこもりは「思春期問題の延長」と語られることが多く、「思春期に抱える重大な葛藤」の一つとして、「進路問題」とならび、「性愛問題」をクローズアップする、という文脈がある。


親は自分の子供の性愛問題は語りたがりません(「ひきこもりの子供を抱える家は性愛価値観が保守的なことが多い」という言い方はここでは避けます)。 ところが、引きこもっているご本人(特に男性)は、ほぼ間違いなく極めて深刻な「性愛危機」を抱えていて、この間にものすごいギャップがあった。 僕は最初(今でも部分的にはそうですが)、「当事者の心情を代弁してくれ」という「翻訳者」の役割を期待されたので(つまり当事者たちは親に対しては自分の本心を何も喋らないので)、「性的挫折感は本当に深刻な苦痛です」というのは、どうしても必要なメッセージだった。


リリカさんの苦言は、「性愛が大事だと言っても、挫折するしかない人たちを絶望させるだけ」という意味だと思うが、恋愛至上主義みたいな一般的風潮には僕もウンザリしているとして、しかし「性愛なんか重要ではないから、話題として無視しておけばいい」とは、やっぱり言えないのでは…。

繰り返しになるが、僕に「女友達がいる」というだけで当事者からものすごく嫉妬されることがあったし(それは僕にもじゅうぶん想像できる心の動き)、目の前で女性と楽しげに会話しているだけでものすごい目で睨まれたこともある。 横浜のシンポジウムでパネラーだった女性当事者(経験者)が僕を「仲良しです」と形容したら、僕が2次会で男性から首を絞められた(かなりマジで)。 → 「あいつもヒキのくせに、なんで女と仲良くしてるんだ?」という殺意(みたいな強烈な感情)をあまりに繰り返し向けられるので、仮に今の僕にとって「性愛的受容」の問題地位が変化しているとしても(自分でもよく分からないがそれはあり得る)、「引きこもりというテーマにとってこの話題はどうでもいい」とは、どうしても思えない。 あまりに多くの人にとってトラウマ的な話題になっている。


ちなみに、「恋愛やセックスなんてしてないでスポーツしろ、スポーツ」とか、「とにかく他にやりたいこと見つけろ」みたいな勧めは、僕も年配男性から直接聞かされたことがあるし、先日拝見した小谷野敦氏の論考「昭和恋愛思想史 最終回 自由恋愛の中の不自由」*8には、リリカさんと似た危惧が書かれている。

 だが、そのような恋人を作ることさえできない者たちがいるという事実には、ほとんどの人が見てみぬふりをしていた。 (p.229) (中略)

 理想と現実の間に大きな間隙が生まれたわけで、ただその理想は、セックスを経験するということよりも、せめて「恋人」と呼べるものを大学生くらいの年齢で持っていたい、いるのが普通だ、という強迫になったのである。 (p.231)

単純な話、世の中の価値観によって「性愛的拒絶の苦しさ」も変わってくるということか…。



というわけで、「性愛は大事だ」というメッセージには、ひきこもりに関連して様々な戦略が込められ得るのではないか、というのが、今の僕の理解です。




変なハイ状態 変なハイ状態を含むブックマーク

リハビリで書き出したのにいつもより筆が滑ってるってどういうことだ。

けっきょく完徹。 丸2日間(48時間)眠れないまま、これから大阪までデビューネットに出かけてきます…。




*1:胃液のあとに赤黒い粘液をたくさん吐いたんですが、血?

*2:何かの座談会でも、「最近の新人作家の傾向」としてそういう指摘があった。以前なら小説家志望者なら必ず読んでいたような古典作品をまったく読まずに自分の作品を書き始める人が多い、と。

*3:上の検索ボックスで「フィクション親和性」で検索してみてください。

*4:上山による注記

*5:たとえば『博士の奇妙な思春期』ISBN:4535561974、p.187

*6:僕の本の出版は2001年暮れ

*7:ひきこもり状態にある子供を抱えるご家族が定期的に例会を開き、お互いの事情を話し合うことで「ウチだけではないんだ」と安堵したり、お互いに相談しあったり、勉強会を開いたり。 大阪での例会に九州から来られるかたもあった(当時九州にはそういう集まりがなかった)。 余談だが、大阪はおそらく日本でいちばん自然発生的な「親の会」活動が活発だった(2000〜2001年当時で五団体も六団体もあり、その時点で既に「発足5年以上」という会も)。 団体のカラーも様々。

*8:雑誌『文学界』2004年7月号、p.228-

anhedoniaanhedonia 2004/07/17 07:30 《女の子に性的に受け入れられる》ってどういうことだろう? ◆sexなんかしたくないって言う女の子はたくさんいるから、もし相手の女の子がそういう人であったとして、では《性的に受け容れられる》って、どういうこと? なんて考えるとさらに泥沼に嵌りそう・・・

BonvoyageBonvoyage 2004/07/17 09:08 僕も昨日の夜は無性に酒が飲みたくて缶ビールをがばがば飲んでしまいました。うぇ。 上山さんもお体お大事に。◆性愛が大事だ、というのには異論はないのですが(ひきこもりに限らず)、同時に人生の一ファクターに過ぎないとも思います。◆僕が思うのは、ひきこもりは「フィクション親和性が低い」なんてウソだ! ということ。言ってしまえば、「フィクション親和性が低い」というそれ自体がフィクションなんじゃないかなあ、と。むしろ「ある1つのフィクションから別のフィクションに移行することが難しくなっている状態像」と見たほうがいいような気がしています。これも別にひきこもりに限ったものではなくて、「俺はこんなもんだから」と言って才能を開花させようとしないサラリーマンなんて大勢いるわけで。そうすると、フィクションからフィクションへと乗り継いで自分を駆動させていくノウハウが必要なのかなあ。洗脳になっちゃうのかもしれませんけど。

jounojouno 2004/07/17 09:32 ひきこもりの女子はどうなんでしょうか。単に無知なのですが、女子率はひくいんでしょうか。うーん、それと、拒絶と承認に性愛的は関係ないような。社会的な恋愛圧力はあるでしょうけど、それと性愛固有の問題は違うような気がします。男子が自己承認のための媒介として女子を必要とする、っていう構図だとまずいような気が。

temaritemari 2004/07/17 10:36 やはり、ひきこもりの女子率は低いようですよ。少なくとも世間一般ではそう思われているようです。 女性の場合、仮に就職も進学もしないで家庭内にいたとしても、その状態を世間では、「家事見習い中」とか「花嫁修行中」というような形で容認してくれる素地ができあがっているからではないか?という話を以前聞いたことがあります。 また、女性にひきこもりが少ないのは、身近に「母親」という、自分の性的役割みたいなもののモデルが存在するからではないか、という話もありますね。・・・じゃあ、男性はどうなのか?というと、今の時代の父親では、男性にとって自分のあるべき将来像のモデルにはなれないんだそうで・・・。その辺の理由はイマイチよくはわからないのですが・・・。 それから、性愛的承認の問題ですが、ここで白状しちゃうと、私の家は、上山氏が指摘された「ひきこもり当事者を抱えた家」の典型像にくしくもピッタリと当てはまりますね。私の家では、性愛の話は、”忌むべき、汚いもの、汚れた話”として、ずっとタブー視されてきましたし、私自身もそういう教育をずっと受けてきましたので、「性とは汚いもの。触れては行けないもの。」という認識がずっとありました。・・・・だからこそ、初めて男性に性的に受け入れてもらえた時は、「自分は汚くはなかったんだ!」という思いと、自分が丸ごと受け入れられたという思いが交錯しました。それは無上の喜びだったと言っても言い過ぎではないかとも思います。たとえ、他者には滑稽に聞こえたとしてもね。 <男子が自己承認のための媒介として女子を必要とするという構図はまずい>とおっしゃるのならば、逆の構図も存在することもあるのだということも、ぜひご一考ください。 長々と失礼しました(^^;

ojahumojahum 2004/07/17 10:49 異性に承認されるという受動的な側面が話題になりますけど、逆に、自分の異性に対するキャパ(この人ならつきあいたい、この人とならOKみたいな)って、恋愛経験がないという引け目で話題にしにくかったりして、でも、好みの範囲って厳然とあって、その範囲が異様に厳しいのに自覚がなかったりして、選別が厳しいと当然、恋愛に至る機会も狭まるわけで。異性とはつきあいたいとは思っていても、もちろん、女なら、男なら誰でもいいとは思っていない人が多いと思う(思い込み?)。選別されることへの怖れや萎縮や敗北感だけでなく、意外に、自分が無自覚に、冷酷なまでにあっさりと、選別もしていて、そのときの理想の異性観みたいなのが、実在する固有多様な異性と、ずいぶん、乖離している、っていうことがあったりするのではないか、と。

ojahumojahum 2004/07/17 10:56 あと、実際の異性関係は、ひきこもりやひきこもり的な人でなくても苦労するわけで、個別ケースでひとりひとりが試行錯誤、四苦八苦だと思うんですけど、ぼく的には、実際の性愛以前に、性妄想のほうが、ステレオタイプな異性像や萎縮したセルフイメージと深くかかわりがあると思うんですが。。

aimeeaimee 2004/07/17 12:37 リンクありがとう!とにかく、寝て食べてウンチ出すことだ、基本。「会社の実例」妙に納得。ウチの会社は、天下りがいっぱいやってきて彼らが総て権限握っている、まあサル山みたいなとこだから、こういう会社だとやる気以前の問題です。女性の引きこもりの場合、ぜんぜん知識も無く単に感覚で言っているんですが、「ならざるを得なくてなった」というケースが多いのかなぁ。特に、上山さんも指摘しているけれど、ダイエット。過食・拒食などを繰り返して、がりがりになって外に出られないケース、または、太ってこんな自分じゃ外に出られない、と思い込んだり。あと、私のサイトなどでは、やはり犯罪の被害にあって、その恐怖心から一歩も外に出られなくなった人も多いようです。

sivadsivad 2004/07/17 13:17 ストレスとか酒とかバテはまず胃腸がやられるので、胃腸薬を常備しとくといいかもしれません。僕は大正のをつかってます。性的「承認」が必要かどうかは怪しいですね。今の60代以上はそんなもの経験していない人が大多数なのではないでしょうか。性的「経験」は持っていても。

jounojouno 2004/07/17 20:42 なるほど。ただ、性的な身体としての自己を肯定する経験と、社会的承認の一端としての「一人前」記号としての異性の承認、そして対幻想的な鏡像的な相互肯定の経験はそれぞれわけたほうがいいんじゃないかと。で、モテナイとか「童貞」への社会的圧迫とかって、かなりの部分、ラカンとかをもちだして心理学的、精神分析的普遍性において見るよりも、現代日本という特定の社会の価値観の歴史性の問題じゃないかなあと思います。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/17 21:38 ただいま〜。 連続不眠時間が61時間を超え、シャワーも夕食も済ませた上山です。 妙に覚醒してるけどヘトヘト。 死ぬ前兆か? ★ ここまでの皆さんの議論、とっても興味深く(そしてうれしく)拝見しました。 ありがとうございます。 一言ずつ僕の意見を書いてみますが、それを放置するのも当然だし、皆さん同士のやり取りも読んでみたいです。 ◆ anhedonia さん、「性的受容」を、「相手の幻想世界における素敵さ」みたいに考えれば、「肉体関係を持たないがゆえの素敵さ」もあるのでは。 ◆ Bonvoyage さん、「フィクション乗り継ぎ(移行)能力の低さ」は、僕的にはヒットかも! オタクの人たちの「フィクション親和性の高さ」は、実は「乗り換え能力の高さ」だったのかな?

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/17 21:38 jouno さん、ひきこもりの女子率はどんな統計でも2割前後のようです(詳しくはtemari さんのご発言をどうぞ)。・「承認と性愛」ですが、≪異性からの承認≫にも、「体への承認」と、「社会的承認」がある?…(これだと「固有名詞的=単独性承認」が抜けているような)。 「鏡像的な相互肯定」は、ひきこもり界隈でよく話題にのぼる「共依存」でしょうか。 ・「自己承認の媒介として相手を利用する」は、僕が以前書いた「エゴと愛」の話を思い出しました。 ・ 「日本という特定の社会の価値観」や「日本語」そのものには、当のラカン自身が興味を向けていたみたいですね。 ◆ temari さん、女性のかたでしたか! 失礼かもしれませんがうれしいです。 ジェンダー的なお話を含め、わかりやすく正直な解説をありがとうございます(「性愛的に抑圧的な家庭が典型的」についてのみは、ちょっと難しい判断かも)。 お書きくださった「女性の側からの視点」、僕にはすごく新鮮でした。 どうも僕の中には、「女性に好意を持ち、承認を欲する」ことに≪罪悪感≫があるのかも(Ririka さんに喝破されたように、それが「エゴと愛」の論点にすり替わっていた?)。 ・こんなに貴重な書き込みであれば、この程度の長文は大歓迎です。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/17 21:39 ojahum さん、そう、「モテない自分だってこっそり異性を選んでいる」んだよね。 鋭いツッコミ…。 ◆ aimee、こっちこそコメントありがとう! しかしマジで寝られへんぞ。 ・君の会社、なんかスゴイな(以下略)。 ・「ならざるを得なくてなった」は男もそうなんだけど、「ひきこもりの男女差」については、統計的なデータ以外の研究って見たことない…(今日もジュンク堂で立ち読みしてきたんだけど → あったらどなたか教えてほしい)。 社会参加のメカニズムが男女で違っているのかなぁ…わからん。 ・「イジメも犯罪」と考えれば、すでに立派な「原因」として知られているし(これは斎藤環氏はPTSDと判断されていたと思う)、もっと普通の意味での「犯罪被害」をきっかけとしたひきこもり事例は、実は思われているより多いのかな…これもわかんない。 これまでの議論の文脈では、性愛や自立の話を出しているように、「思春期問題の延長」と見なされている面が大きいけど。 ・ところでそちらの企画、ぜひ頑張ってください。 ◆ sivad さん、胃腸薬があまりに高価で、「常備」ってないんですよね。 荒れると買いにいく、という感じで。 ・性的「経験」はあっても性的「承認」はない事例、というのは、昔の「強制的な結婚」とか? 僕は逆に今の「不特定多数とやりまくる自由恋愛」を連想してしまった。 (つまり肉体的承認「だけ」では、僕にとって「性愛的承認」ではないということか。)

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/17 21:39 長文を一気に書き上げたので、なんかお馬鹿なこと言ってたらごめんなさい…。

jounojouno 2004/07/17 21:55 ぼくもききかじりなのでたしかなことはいえないのですが、フランスの知識人が日本を話題にするときは多分にモデル化というかあちらの文脈での話っぽいので、距離を置いたほうがいいなじゃないかなあと思います。鏡像的な相互承認というのは、共依存までいかなくても、まあ、普通にラブラブな状態みたいな。二人の世界というか。そういうものって死を約束された短期的な幸せで冷静に見れば幻想でしかないわけですが、まったくもって、少なくとも一度は必要な経験だろうと思う、という程度のことです。あと、異性を自己肯定の媒介にすること云々というのは、まったくもってエゴイズム云々の「私の側の倫理性」を問題にするべきはなしじゃないんです。そうじゃなくて、相手的にどーよ、という話で、利用する側が罪悪感を持っていようとなかろうと関係ないわけです。あくまで、相手にとって、どうか。だから、問題は、そこに相互性というか対等性があるか、という話ではと。

jounojouno 2004/07/17 22:02 それと単独性承認というのは非常に危うい話だと思います。むしろそれは対幻想的なもの、想像的な現象ではないか。単独性は承認されえないんで、承認されうるのは、つまり交換されうるのは、やはり何らかの一般性だと思います。ただひとは単独性を承認されているという感じを必要として、それは別に悪いことじゃないので、その意味で対幻想は必要かなと。じゃあ、単独性はどこに、というと、それはもう、どういう場面どういう関係性の相手だろうと、不意にやってくるようなものでしかないのでは。すくなくとも、関係の性質として単独的というのは無理な感じがします。単独的なものは一般性としての「関係性」ではなく、個別のそのときどきの「交渉」の効果じゃないでしょうか。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/17 22:59 ラカン派の「日本語研究」?みたいな会議報告の原書をチラと見たことがあるんですけど、「てにをは」の話とか、日本人も参加してやってて、でもそれも「モデル化された」話なんでしょうか… って内容知らないんですが(笑)、「日本の特質」を「日本語」レベルで考えてるのかと、気になってて(本居宣長も前から気になってるんですが、「ひきこもり」とは関係ないか、というか何を論じればいいかよくわからない…)。 僕は日本語以外はほとんどできませんけど、たとえば英語で無理に会話しようとすると、ちょっと精神的に楽になったように感じることがある。 それは、「日本語の」問題というより、「できない言語を使った」からなんでしょうかね。 ★ 「ラブラブな状態」かぁ。 経験ないなぁ(泣)。 ★ 「君が罪悪感を感じていても僕は構わない!」みたいな…?

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/17 22:59 「単独性承認」の話は、元はといえば僕が Ririka さんちの「モテ」論で思い出した柄谷氏の話(単独性/特殊性) http://d.hatena.ne.jp/Ririka/20040525#p3 のつもりだったのですが、jouno さんはマルクス商品論を参照しつつ、「それはおかしい」とおっしゃってるわけでしょうか。 ★ (ご発言を引用します)「単独性は承認されえないんで、承認されうるのは、つまり交換されうるのは、やはり何らかの一般性だと思います」 → 「特殊性承認=交換」、つまり「承認可能性=代替可能性」(宮台真司氏の自意識的絶望論を思い出します)。 僕は「単独性承認」(ひとまずこう呼びます)を「固有名の循環」(「おおロミオ、どうしてあなたはロミオなの!」)と読んで、そこにいわば「至上の愛」みたいな「代替不能性」を見たのですが、その「感覚」自身が「対幻想」だと…(すみません、僕は吉本隆明氏は読んでません)。 「単独性は、関係ではなく交渉の効果だ」という jouno さんの一節が、ものすごく気になるのですがよく理解できませんでした。 ★ うーん、≪性愛的承認論≫がこんな形で原点回帰できるとは! 【しかし、急に極端に抽象度が上がったので、jouno さんに対してではなく自分に対して不安かも。】

jounojouno 2004/07/17 23:23 僕が誰かに肯定される。あるいは肯定する。でもそれが二人の関係の性質だ、というとき、あるいは、恒常的にそういうことがおきてるんだ、というとき、それは、安定して起きる現象なわけですよね。ということは、二人の関係が、そういう承認、承認の感覚を、恒常的、安定的に生み出すような性質を持っている、ということになる。それは、二人という社会にける制度だと思うんです。で、制度である限りで、やっぱりそれは、イメージを媒介にしたものになるんじゃないか。ざっくりいうと、固有名の循環「おお、ロミオ」は、そのことによって、ある一般性を運んでいる。なんといったらいいか、ロミオという言葉にはそこで社会的に説明できるような概念は込められていないとお見ますが、そこには、二人という「対」の社会における「イメージ」がこめられているんじゃないか。そして、このようなイメージは、その「魂」「至上の愛」ゆえに、目の前の単独性とは、どこまでもずれざるをえない。一度目、おおロミオ、といったとき、それはある単独性の現前かもしれません。それが個別の交渉の効果ということです。しかしもう一度、ロミオといったとき、そこにはもはや、ロミオのイメージが現前してるんじゃないか。そしてそこに愛のイメージを見るからこそ、代替不可能性が感動的になる。もしもロミオということで常に感動が喚起されるなら、それはイメージが媒介としてすでにあるからです。単なる代替不可能性は別に感動的じゃないんですよ。かけがえのないあなた、とひとはいう。しかし、たんにかけがえのないことは感動的じゃない。そうではなくて、かけがえが理屈の上ではあるのに、あなたしかいない、から感動的なんです。かけがえのないことがある単独性として「美しい」のは、その単独性がすでにある「類」との相関関係にあるからじゃないか。六十億の人間のうちの二人が出会った奇跡という。このとき、これが奇跡的であり、感動的な偶然としてたち表れるのは、それが、六十億という数の類が背景にあるからです。つまり、これは、「数字」の単独性なわけです。5番と345番が出会ったのは感動的だ! なぜなら五番も345番もひとりしかいない! 単独的! でもこれは数字という反復可能性、一般性をメタレベルの基礎として持っている。(というのがうろおぼえのデリダだったりしますが) すいません、なんか僕もまとまらず混乱してきましたが、固有名論的なところでの単独性が、一般性と対立関係にあるというのは性格ではなくて、とくに、性愛的関係における単独性の感覚「どんな属性でもあなたが好き」は、二人における想像的制度じゃないかと思うわけです。「どんな属性でもあなたが好き」という単独性言明は、解決不可能なアポリアがあるんですよ。だって、どんな属性でもいいんなら、相手が特定できないじゃないですか。どれが「あなた」なのか区別できないですよ。それが意味をなすのは、相手が一人しかいない閉じた世界、対幻想的鏡像関係の内部だけです。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/18 00:05 ひとまず(ネット上の大事な長文を読むときにいつも僕がそうするように)、空のHTMLメールに投稿をコピペし、下線を引いたり色を変えたりしながら読ませていただいたのですが(そして保存しました)、僕が「おおロミオ」の話を持ち出したときに読みたかったかもしれないようなクリティカルな論点が散在している気がしていて、しかしそれもまだ確定できないので、どうか今すぐのお返事はご勘弁ください。 でも、このような真摯で核心的な長文投稿、本当にありがとうございます>jouno さん

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/18 01:07 不眠、65時間突破…

BonvoyageBonvoyage 2004/07/18 01:26 す、すごい。僕は64時間起き続けたことはありません… どんな感じなんだろ。◆オタクについては僕はまったく知らないのでコメントできませぬ。◆↑の話、面白いんですけど元のテーマとずれてきてる感もなきにしもあらず。sivadさんの「性的『承認』が必要かどうかは怪しいですね」という発言に戻ると、確かに理屈の上では必ずしも必要ではないんでしょうけど、それにも関わらず「性的『承認』が必要な俺(必要だと思ってる俺)が間違いなくいる」という実感もある、と。その裏側には、タブー・しつけ・抑圧への両義的な思い(守りたい⇔破りたい)があるんじゃないだろか。タブーとかしつけとかって、「〜してはならない」という自己否定的な言葉じゃないですか。しかも、これは外部からの規範が内部化した性質のものなんですよね。 …うまく言えないけど、この辺に何か発見がありそうな感じがします。

ojahumojahum 2004/07/18 10:14 で、眠れました?>不眠、65時間突破…

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/18 10:49 Bonvoyage さん、「性愛的承認を得てはならない」という「タブー」があるからこそそれを得たくなる、というのは、(精神分析的にはよく聞く話だけど)どうなのかな…。 あるいは「得ても構わない」けど、「あまりに獲得が困難」だから得たくなるのか、それとも「解禁かつ安易」であってさえも得たくなるものか(宮台氏や小谷野氏は、「これだけフリーセックスの時代に、お前は恋愛すらできないのか?」というプレッシャーについて書いていたっけ)。 ―― とりあえず、個人的には(あるいはひきこもり的には?)性愛は「タブーかつ絶無」でしかないので、ほとんど絵に描いた餅ですが。 ◆ ojahum さん、67時間達成前には眠れて、断続的に6時間ほど眠れた!

BonvoyageBonvoyage 2004/07/18 13:32 「自分は〜してはならない」「自分は〜できない」というのと、「いや、でも、〜してもいいじゃないか」「自分にも〜できるはずだ」というのは、僕の中では常に粘っこく葛藤してます。恋愛に関しては別にないんですが、コミュニケーションの問題として。◆僕は割とずけずけものを言うほうだと思うし、割と聞いてもらえるほうだとも思うのですが、本当に伝えたいと思うことほど(それは聞き手にとっても重要で面白いと思ってもらえる情報だという確信もあるのに)、「お前の言ってることはわからない」「お前の言うことを聞いている時間はない」と扱われてしまう経験の蓄積があります。それでも何とか工夫して伝わるようにと粘っこい努力を続けてきたつもりなんですが、やっぱりうまくいかない。工夫すればするほど期待感が高まるだけに、「ああ、これだけやってもダメか」という失望感も大きくて、徒労感だけが募る。ついには物事に取り組む前から失敗のイメージが付きまとってしまうようになって恐くなっちゃうんですけど、でも言いたいことは言いたいという気持ちも強くて、結局身動きがとりにくくなってしまう。これは今ブログを書いていてもそうで、本当に書きたかったことを書いたときは読者の反応がよくないみたいな傾向もあるし、そうすると、書きたいことほど筆が進まなくなってしまったりもするんですよね。

ojahumojahum 2004/07/18 13:51 すいみんお祝い、もうしあげまする。>断続的に6時間ほど眠れた!

2004-07-15 このエントリーを含むブックマーク

お返事や更新できなくてごめんなさい。

心身の調子崩して、参ってます…。

temaritemari 2004/07/16 10:24 どうかお大事に。ゆっくり休んでくださいね。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/16 11:34 ありがとうー。 素でうれしい…

nonakanonaka 2004/07/16 13:58 これだけ暑いとですねー。おいしいもの食べてください。

doumodoumo 2004/07/16 14:15 重箱の隅を突っつくようなコメント着けてごめんなさいでした。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/16 16:09 nonaka さん、ありがとうございまーす(弱ってる時には本当にうれしい)。 さっき食事をちゃんと摂ったら、少し持ち直しました。 ◆ doumo さん、「重箱の隅」だなんて思ってないですよ。 一方的な中傷みたいな書き込みでもないかぎり、批判的なものも含めて参考にさせていただいてます。 ただ、納得いただけるお返事は難しいですが…。

aimeeaimee 2004/07/17 01:12 大丈夫?ちゃんと食べること。そして、日が照っている間は、猫のようにプロテインを食べて生活すること。炭水化物やアルコールの過剰摂取は、運動した後のみにしましょう。とにかく、身体が一番なので、お大事にです。ちゃんと食べろよー。うちのげんきだって、食べ物たべて大きくなったんだから。

seijotcpseijotcp 2004/07/17 01:18 ゆっくり養生してくださいね〜♪ 関係ないけど、夏ばてには粘りモノがグー(・∀-)b

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/17 02:48 aimee、さっきかけた電話の会話でだいぶ元気になりました(笑)。 ◆ chiki(seijotcp)さん、お久しぶり! ね、粘りモノですか・・・オクラとか納豆とか?φ(.. ) メモメモ というか、精神に粘りモノを補給したい気が…(泣)

2004-07-09  ≪現実逃避≫メモ

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こんにちは。 お久しぶりです。

7日は、三脇康生氏のお招きで仁愛大学(福井県)の授業内講演にお邪魔してきました。

授業の前後、おいしい食事をご馳走になりながら三脇氏といろいろお話させていただいたのですが、「労働と消費の区別の曖昧さ」(労働のような消費、消費のような労働)など、興味深いテーマがたくさん。 また追い追い考えてみます。

本当に、楽しくて有意義な小旅行でした。


4日の本文およびコメント欄、いただいたトラックバックなどを読むうちに、≪現実逃避≫周辺でいろんなテーマが形になってきたように思います。 まだ乱雑なスケッチにすぎませんが、備忘録的なメモとして記しておきます。

章分けはあるものの、「長すぎるので便宜的に区切った」だけで、断片的なメモの羅列です。



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  • 「現実逃避とは何か」という問いは、自己検証的(自己言及的)に機能しなければならない。 その問い自身が逃避行動であり得る。
    • 柄谷行人氏の表現を借りれば、「現実逃避的ではない」(=批評的である?)ためにはフットワークが要る。 ある固定的立場や理論的態度が無条件に「現実逃避ではない」を保証するわけではない。 「現実逃避であるかどうか」は、リアルタイム検証の射程圏から逃げられない。
    • 「何が逃避と見なされるか」は、極めて(いわば)政治的。 歴史的・地理的・文脈依存的、など。
    • 自分の使っている≪現実≫概念について検証する必要。 たぶん、無自覚に硬直している。

 私にとっては言葉の外部は存在しますし、すべてはそこから出発しているのです。 それを安易に現実的なものと呼ぶのは差し控えます。 と言いますのは、現実という概念には多数の形而上学的な前提がまといついているからです。 (デリダ『ジャック・デリダのモスクワ』ISBN:4931391214 p.145)

    • 「現実逃避」を思想史的・社会的に検証する必要がある? 「現実逃避」という概念そのものの社会的命運?



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  • ひきこもりが精神科において最も受けやすいレイベリングは「回避性人格障害」。 つまり「常軌を逸するほど(病的なほど)現実逃避的である」と見なされている。 → 「現実逃避」は、ひきこもり当事者(経験者)が受ける差別や悪罵の核心に位置している。
    • ひきこもりの無能力は「現実に対処(直面)できない」であり、いわば「逃避しかできない」という障害を抱えた状態。 命懸けの「逃避=無力」。 有力化(empowerment)は「直面能力」に関わる。
    • 僕が当事者(経験者)として「現実逃避」(とされるもの)の擁護に回っても、「それはお前が現実逃避的だからだろう」となる。 例えば「フーコーは同性愛者だから、彼が同性愛を擁護するのは当たりまえじゃん」と言われてしまうように。 → 「ゲイめ!」という罵倒発言を引き受けるようにして、「現実逃避者め!」という罵倒語を引き受けてみる。 → 「お前は自分がひきこもり(経験者)だからひきこもりを擁護してるだけだろ」と言われるしかないのか? それとも「利己的な自己擁護」以上の正当性を主張できるか?
    • 「病気(精神障害)」は、「逃避」とは言われない(差別や排除の対象にはなり得るが)。 「病気ではない人間の逃避」は、道徳的に糾弾される。 → ハード(器質)レベルの問題とソフト(思想)レベルの問題? 「病気か葛藤か」。 「葛藤なのに、病気のように苦しい」というよじれた状態。



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  • 「自分が人生で為すべき最高のミッションをないがしろにしたくない」という強迫観念が、僕を逃避的に硬直させる。
    • 「自分にとって最も大事な課題」を無視し、それから「逃げている」ような罪悪感・焦燥感・強迫観念。
    • 「何をもっとも大切にすればいいのか」がわからない。


  • 現実逃避をめぐる攻防は、往々にして宗教戦争の様相を呈する。 「現実逃避するな!」は、「わが神を無視するな!」、つまり異教徒糾弾や宗教的審問に見えることがある。
    • ≪現実逃避してはならない≫は、思想的立場に関係なく共有された綱領なのか?
    • 「現実」という(否定神学的な?)神。 「あいつは現実逃避している」という安易な指摘には、指摘している者自身の信仰告白がある。
    • 安易なレイベリングで満足したがるのはまさに逃避的。 自分にも他人にも、「フォローの余地を残す」必要がある。 (真に開放的な姿勢は稀だから、たいていは「安易なレイベリングで充分」という程度の人物に見えるが。)



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 現代において決定的に重要な問いかけは、おそらくたった一つしかない。

 「リアルとは何か」という問いかけである。 (斎藤環『フレーム憑き』ISBN:4791761189 p.7)*1

  • 彼は≪「リアルとは何か」という問いかけ≫こそが(自分にとって)最もリアルなのである、と言っている。 しかし言うまでもなく、「リアルとは何か」以上に(本人にとって)リアルな問いを抱えた人はたくさんいる。 【メタとベタ、か。】
    • フロイトは「心的現実」を扱った。 しかし一方で、「人間社会を動かす動機は、究極的には経済的なものだ」とも語っている*2


  • 経済に関する議論は、「自意識の想像的きらめき」を生まないし、「政策立案に関わるわけでもなく、株をやるわけでもない」自分には勉強のモチベーションがよく見えない。 しかし、現実について考えるためには必要な議論のはず。
    • 経済学者の宇沢弘文氏は、10代のころ医者を目指していたらしい。 しかし「経済学者は社会の医者だ」という言葉を聞き、経済学部に進路変更したとのこと。 → 「苦痛緩和」を至上命題とする僕にはとても興味深いエピソード。
    • インテリが趣味として量子論を勉強することはあっても、量子論の発展そのものに貢献することは絶対に不可能。 それと同じように、「趣味としての経済学」はあり得ても、政策立案に貢献できるほどの専門的習熟は不可能に思える。
    • 解説書や入門書はあふれているが、「勉強を動機づける」ことがいちばん難しく喫緊の課題ではないか。 ―― そう語っている僕自身にも、「ひきこもりの苦痛緩和」のために経済学の勉強がどんな内的必然性を持ち得るのか、いまだによく見えていない。 つまり「勉強のリアリティ」が見えていない。 同じことは他の学問にも言える。



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メモはまだたくさんあるのですが、いっぺんにたくさんアップしても誰も読まないので(笑)、今日はこれで店じまい。

上記≪現実逃避≫について何か批判やアドバイスがあったら、ぜひご指摘を…。 (うまくお応えできないかもしれませんが)




*1:斎藤環氏より最新著書を贈呈いただきました。 ありがとうございます。 しかし映画・アニメ・漫画に愛着を持たない僕には、ほとんど読めないかも…(泣)。

*2:『精神分析入門』ISBN:4102038051、p.401

BonvoyageBonvoyage 2004/07/10 05:48 <「あいつは現実逃避している」という安易な指摘には、指摘している者自身の信仰告白がある。> これ、おもしろいですね。もしかすると(誰しも)、「逃げることから逃れられない」という形で現実が構成されていくのでしょうか。

doumodoumo 2004/07/10 10:20 逃避って言うのも、一応正常な自己防衛なんですよ。問題はそれの程度と講師方法なんかが、社会的に受容される範囲かどうかです。

aimeeaimee 2004/07/11 00:14 私には、世間的に一番「現実逃避」していないといわれる、一般的なサラリーマンが一番現実逃避しているように思うのです。もちろん、サラリーマンが、仕事が大好きで、それを望んで会社員になっているという人は当てはまりません。しかし、居たくもない会社で、やりたくもない仕事をしている人達は、とりあえず「生活のため」「お金のため」と言いながら仕事をして、自分の気持ちに蓋をしながら、ただ忙しくしている。それこそ、現実逃避なのでは?いざ首切りにあったりしたら、彼らには全く何も無い。気がついたら、仕事して忙しくしている自分に逃げていた、それを口実にしていた。そんな人も(自分を含めて)多いように思います。かえって、ひきこもって、一番ダメな自分と嫌でも向き合わなくてはならない、引きこもりの方というのは、現実逃避というより、現実という責任の重さとリアルさに押しつぶされているような、そんな気がしました。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/11 02:35 Bonvoyage さんの「逃げることから逃れられない」、doumo さん(はじめまして)の「逃避は正常な自己防衛」、いずれも「ひきこもり」との関連で含みのある大事なお話だと思います。 ありがとうございます。 ★ 死ぬほど忙しく働いている aimee からそんなふうに言われると、考え込んでしまう…。 ★ それにしても、「現実逃避」という、ひきこもりにとって核心的ではあっても「きつい」テーマが、これほどいろんな含みを持ち得るとは思わなかった。 そういえば20年程前のニューアカ・ブームでは、『逃走論』(浅田彰)という本がすごく売れて、「逃走」が積極的に語られていたのだった(「逃避」も「逃走」も英語では「escape」)。 うーん…

anhedoniaanhedonia 2004/07/11 15:11 ◆闘争と逃走は対立するものではありません。しばしば同義であることさえありますから。 ◆ そして、逃げることすら出来ない人は、闘うこともできません。

nonakanonaka 2004/07/12 08:01 上山さんが紹介されている回避性人格障害の説明を読むと、これって多かれ少なかれ誰でもあるじゃん、と思ってしまいます。嫌な人とか嫌な状況を避けるのは、当り前ですよ。なんか精神科の先生のコメント類を読んでいると、いったいあんたたちは人間をスーパーマンか何かと勘違いしているのか、と思うことがあります。正直言って、僕は「去勢」なんて概念もそうありがたがるようなもんじゃないと思いますよ。

sivadsivad 2004/07/12 13:48 そうですね。過度に現実逃避を責めるのもまた現実逃避と。

anhedoniaanhedonia 2004/07/12 20:10 ああ、そういえば、政界とか経済界とか官界とか、逃げ足の速くて責任逃れが上手い奴だけが生き残れるんだよな。 ◆現実逃避と言う奴は信じるな。そう言う奴は“ババ”を引かせたいからそう言っているんだ。間違いない。

doumodoumo 2004/07/13 19:36 山上さんの御説だと

doumodoumo 2004/07/13 19:37   「ひきこもり」≒「回避性人格障害」と精神医学はみなしている

doumodoumo 2004/07/13 19:38 ような印象を受けますが、最近出た「人格障害の時代」 岡田尊司 平凡社新書p.128では「どの人格障害も引きこもりを引き起こす要因となる。」と書かれていますね。

2004-07-04  退役を望んでいたのか

3日のコメント欄はまた極めて示唆的でした。 ありがとうございます。 どこまで活かせるかわかりませんが…。



逃避 逃避を含むブックマーク

id:Ririka さんがくれた見事な指摘(赤字強調は引用者)。

 答えが出ない、または、どんな答えもありうる、「問い」ばかり探して、そういう、終わりのない「問い」に現在進行形で取り組みつづけることによって、目をそらしたい何かから目をそらしていられる。 そういうふうに、「問い」を問うこと自体が目的化しているような印象をうけたのです。

この問いかけは、僕のブログ活動そのものにも突きつけられていると思う。 今日のエントリーも逃避行動そのものかもしれないが、「何から目をそらしているか」について、ここまでの考えを記しておく。


  • 「性愛の正当性」を問い続けることで、≪無能力≫(できない)を、≪選ばない≫(あえてしない)に置き換え、安堵することができる。(id:sivad さんの発言参照)
    • 性愛に関する具体的な有力化(empowerment)が必要 → これまでの挫折経験(全敗)から、とても恋愛できるとは思えないため、チャレンジそのものを回避する。 「参加しない言い訳」としての恋愛論。
    • 「女性一般」(絶対的女性)はないのだから、「無能力一般」(絶対的無能力)もない。 相対的無能力でしかないのだから、個別的チャレンジを繰り返すしかない。
    • 「恋愛できない」=「人間として価値がない」ではない。 「必ず恋愛しなければならない」ではないし、「恋愛乞食」になる必要もない。 ただ、「本当に性愛的承認は不必要なのか」は微妙。


  • 承認について、≪価値評価≫のレベルと、≪必要≫のレベルを分けるべき。
    • 積極的承認(「素敵!」)と、消極的承認(「それでもかまわない」)がある。
    • 自分の存在価値すべてを「承認」に頼る必要はないが、だからといって承認される「必要」が消えるわけではない。 性愛的承認のみがもたらす成長もある。
    • 「職業的承認の不在」(無職)は、自分の存在価値すべてを損ねるわけではないが、経済的困窮を脱するためには職業的承認は必要。 精神的にも、「自分は求められている」は必要かもしれない。


  • 恋愛やセックスを望んだとき、「相手を傷つける」「自分が恥をかく」 の2つしか経験したことがない。
    • ≪私を望んでくれてありがとう!≫という返答のあり得なさ(への確信)。
    • 「この人と付き合ってゆきたい」という積極的な気持ちや努力のすべてが「加害」になってしまう → 加害感情という名の被害意識に打ちひしがれている。
    • 「相手のためになる」という経験がなく、可能性も信じられない。 → 自分自身が、すでに自分に期待していないのではないか。 というより、「可能性があっ」ては、困るのではないか。
    • 自分の欲望と他人の欲望をともに封印し、問題を「なかったこと」にすることで、(自分と他人が)傷つく可能性を回避していたのではないか。



「降りたことにする」 「降りたことにする」を含むブックマーク

僕が性愛論を最も多く交わした女性は id:aimee なのだが、彼女は度重なるレイプ被害、上司による監禁(絞殺未遂・レイプ)・ストーキング、前夫による二股・DV・財産巻き上げ*1、など、「男のエゴによる被害」にひたすら痛めつけられてきた。 そこで交わされる恋愛論は当然「男が女を痛めつける」という図式であり、バイアスがあったかもしれない。

こう書くと「彼女のせいで僕の恋愛観がゆがんだ」みたいだが、そうではない。 大事なのは、僕がそのような恋愛観を持つ女性を恋愛論のパートナーとして選んでいるという点だ。 「男が女に欲望を向けると、それは必ず加害行為になる」という僕の防衛的信念(それゆえに恋愛市場からの脱落を正当化してくれる)を、彼女は全面的に擁護してくれる*2


僕がいちばん恐れているのは、≪自分もまだ現役なのかもしれない≫ではないか。

そう思った途端、試練がなだれ込んでくる…。




*1:以上の被害については、id:aimee の本サイトや個人的会話を参照した(「実名と勤務先以外は、会話内容を含め何を公開しても構わない」とのこと)。 全ての被害事実について、彼女は刑事告訴を断念している。

*2:実は彼女は、僕に恋愛を勧めてくれてもいる。 「降りたことにする」責任はあくまで僕にある。

nonakanonaka 2004/07/05 09:29 えーと、参考になるかどうか分かりませんがお喋りとして。僕が最近行っていた国では(ステレオタイプ化になるとよくないので国名は伏せますが)、中年であろうと老年であろうと町で見かけただけの女性に声をかけ(ただし紳士的に)電話番号を聞いたりするのだそうです。僕が、「日本だと若者ならともかく、中年くらいの人がそれやったらかなり変な目で見られるでしょうね」と(これまたステレオタイプ的な)反応をしたら、その話をしてくれた女性は「いや、若者よりある程度年が行った人が声をかけてくれるほうがいい。いろんな意味で安全だ」と説明してくれました。ちなみにその女性は70歳をすぎて声をかけられたと言って、「記録更新だ!」とよろこんでいました。日本でもいつまでも現役みたいなのがよくはないでしょうか。

じゅんじゅん 2004/07/05 11:38 今日の日記の文章について、ちょっと気になったことを短いメールで出させていただいたので読んでください。

yucoyuco 2004/07/05 17:08 こんにちは。「恋人を持つべきだ」「恋愛こそが人を成長させる」的な考え方を、ロマンチック・ラブ・イデオロギー(恋愛至上主義)と呼び、一種のプロパガンダとして批判する人もいます。たとえば、小谷野敦『恋愛の超克』は「恋愛なんて絶対にしなけりゃいけないものではない。恋愛的コミュニケーションに向いてない人もいるし、そういう人は別にしなくてもいい」と言っている本です。(同様の主張をしている人はほかにもいると思いますが、私は不勉強ゆえ知りません)▼宮台真司にとって恋愛は大事なのかもしれませんが、そうではない考え方の人もいるので、そっちも読んでバランスをとってみては?

ojahumojahum 2004/07/05 20:56 他人の承認が問題に見えて、実際には、自分がその時点ごとの等身大の自分を承認、受容できていないのが本当の問題で、実際に他人の拒絶的、嘲笑的な言動に合うと、自分が自分に下していた否定を、他人を通じて確認してしまうから、決定的に心をえぐられてしまう。もし、自分でそのままの自分を承認できてたら、実際に拒絶的、嘲笑的な言動に遭っても、その相手はそういう価値観や嗜好をもっているだけ、と割り切れるし、自分のことを嫌いだからといってその人に別に左右される理由なんてないことがわかる。自分を承認できてるときは、ただ、自分を承認してくれる他者を通じて、自分の承認を確認していれば快適なわけで、社会は快適な場所ばかりでなくても、とりあえず自分の居場所はつくれると思う。・・・当たり前のようで、それができないんだけど、本質的に、現時点でのありのままの自分を自分で受容できないことが、デフォルトになってる、ってことを自覚しないといけないんだと思う。自分がダメな理由や条件は『後から』見出され、捏造されてさえいて、実際のところ、条件や理由に関係なく、『無根拠に』自分がダメで、無価値感や無能感がフィーリングとしてしみついてしまっている。それに気づくまで、果てしなくあれやこれやとつきることのない条件への合致度に目を奪われ、疲弊し続ける、そんなふうに思います。

RirikaRirika 2004/07/05 21:13 はろ〜。けっこう反射的に、ありがちな指摘をしてしまった…と自分ではおもって、「汗;」って感じです(目をそらしつづけることが可能な状況ならそのままでもいいじゃん、て気持ちもある。…ごめんね)。id:Ririka:20040703#c の Bonvoyage さんのコメントでほとんど言い尽くされてるというか。「それを話すことで何をしたかったのか、」については、びみょーな話になりそうで、たぶん自分の日記で書きます。ともかくこっちのそんな都合とは関係なく、上山さんがうまく役立ててくださるのならとてもうれしいです。

RirikaRirika 2004/07/05 21:25 いま、トラックバックから id:flurryさんのところを読みました(ひとさまのトラックバックならなぜ気楽に読みに行けるんだ(笑))。 「罠」かぁ…なるほど。でも上に書いたように、上山さんならうまく処理してくれると信じてる。
「ヘルシー化」のほうはよくわかんないけど(笑)、「リリカの中の人」を詮索するのっておもしろい?日曜社会学のひとから「何人いますか?」って聞かれたときは笑った。(あ、ひとんちでスマヌ)

LPitLPit 2004/07/06 03:14 リアルな性愛関係ってそんなに大切なものなんでしょうか。ギャルゲーじゃダメですか? (ふざけている訳ではなく、真面目な話です

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/06 14:45 みなさん、うれしい書き込み本当にありがとうございます。 昨晩から体調悪くて寝込んでたんですが、今日はこれから泊まりがけの出張で…。 お返事はまた改めて(ごめんなさい)。 【性愛や「現実逃避」について、また考えてみたいです。】 ★ Ririka さん、今回はいい指摘もらったと思ってます(うまく役立てられるかどうかはわからないけど)。 文系にも理系にも縦横無尽の多才ぶりにみんな驚いてるんでしょうね>「中の人を詮索する」

2004-07-03  暫定的な、お返事とメモ

「愛情とエゴ」など 「愛情とエゴ」などを含むブックマーク

昨日のコメント欄へのお返事です(こういう場合、「id:」をつけてリンク張らないほうがいいんでしょうか…)。

  • id:anhedonia さん、「愛ではなくて情」かぁ。 「情念の泥沼」とか考えてしまいますが(笑)。 「愛」だと理念的すぎるのかな。 あ、励まし本当にありがとうございます。
  • id:dokusha さん、「自然に振る舞う」というのは、ひきこもりの人が最も不得意とするところです(笑)。 それこそ先日の「中枢的身体論」で言えば、全身の毛細血管の一本一本まで意識的に統御しなければならない、というような強迫観念。 「自然に振る舞わなければならない」という意識は、人を最も不自然にする…。
  • id:yodaka(旧 hachisuzume)さん、性的に承認される可能性がゼロに近くなった(主観的にそう思い込まれた)とき、「他者(異性)を意識することは、すなわち自己否定」になるのでは。 だから、他者のいない場所で自分を空しく温存するしかなくなる → 守るべき自己すら消えていく、というような。
  • id:sivad さん、「ギブアンドテイクのバランス」というのは新機軸…。 愛情関係にも「決済」感覚?
  • id:Bonvoyage さん、「下心」に関する絶望が問題なのかも…。
  • rr さん、はじめまして。


「問う努力自体が、目をそらすことだ」 「問う努力自体が、目をそらすことだ」を含むブックマーク

以上、男性の方々だと思うんですが、異論はお持ちでも、僕がなぜ≪愛情とエゴ≫という問題設定をするか、その内実は、いつの間にか共有している気がします(「俺もそれは悩んだことがあるよ」というような)。

いっぽう、昨日の本文で触れた id:Ririka さんが、唯一女性として真摯に応えてくださってるんですが、これがすごく辛辣。 「問い自体が目をそらすことだ」と。 僕としては「図星……絶句」と、「なぜ??」とが交錯してるんですが(あちらにも少しコメントしてきました)、この戸惑いは「男性と女性のちがい」ゆえなのか、それとも他の問題なのか、僕にはよくわからない。 わからないけど、すごく興味深い。

ひょっとして、昨日の僕のエントリーは、女性が読んだら「バカじゃないの?」と思うような内容なんでしょうか…。 できれば他の女性のかたのご意見と、あと id:Ririka さんの見解を他の男性のかたはどう思われるのか、ぜひうかがってみたいです。

【「男女差別する気か」とか「同性愛者は排除か」とか、僕自身にはそういうつもりはないんですが、もし苦情があればそれもお聞かせくださるとうれしいです。 あと、当然ですが、Ririka さんには(真摯にレスをくれたことを)感謝しているのであって、攻撃しようなどというつもりは毛頭ありませんので念のため。 僕自身が成長したいだけです。】




リアルに指摘されることへの恐怖 リアルに指摘されることへの恐怖を含むブックマーク

miyagi さん、こんにちは( → 昨日のコメント欄)。 性的承認の話からは離れているんですが、「『ひきこもり救出マニュアル』ISBN:4569621147 を怖くて一部しか見ていない」 「ちゃんと読むのが怖い」 というのは極めてリアルですね…。 僕も、公的な活動との関連が見えてくるまでは、斎藤環さんの『社会的ひきこもり』という本を(怖くて)読めませんでした。 「希望がないままに、あまりにも的確に自分の足場の実情を指摘されるのが怖い」という感じでしょうか。

今の僕は、「いつまでも幻想に浸っているほうが怖い」と思うようになって、自虐的なまでに「幻想破壊的」にやろうと努めていますが。 肝腎なのは、「幻想を破壊されたあとにも何かあり得るかもしれない」という希望感だと思うのです。 それが持てなければ、「幻想と心中」するしかなくなる…(防衛反応として)。 「幻想の破壊」=「自己の破壊」になってしまうから。




「自慢」?… 「自慢」?…を含むブックマーク

僕が引用した宮台真司氏の発言は、「自慢だ」という指摘があまりに意外だったので、同じ話に触れた宮台氏の発言を引用してみますね。

『OK?ひきこもりOK!』ISBN:4838714394 p.75‐6(強調は引用者)。

 僕自身そうだったのですが、中学から高校にかけて突然他人とうまくコミュニケーションできなくなることがあります。 他人が自分をどう見ているか、この人はなぜ笑っているか全部分からなくなっちゃう(笑)。 僕の場合は仕方ないから本を読んでいた。 そんな状態が中学2年から5年間続きました。 僕の場合、女の子との性愛を通じて包括的に受容されることで回復したんですが、いま振り返っても、ありそうもない希有なことだったという気がします。 あそこでボタンを掛け違えていたら、もっと長い間あの状態でいたのかなと想像します。

コミュニケート不能の自意識の牢獄の中で苦しんでいた男が、「ありそうもない希有な」出会いをくれた女の子によって救われた、そのことへの≪感謝≫と、「彼女と出会っていなければ引きこもっていたかもしれない」という≪恐怖≫ ――僕はそれ以外感じなかったし、だからこそショックを受けたのですが…。 (僕が変なのか?)



yucoyuco 2004/07/04 07:12 はじめまして、一応女です(笑)。去年から日記を読ませてもらってまして、『「ひきこもり」だった僕から』も買わせてもらいました。▼宮台氏の発言ですが、ueyamakzkさんが引用された部分だけ読めば素直な感謝と取れると思います。ただ、この人は実際にほかの場で自分の女性経験の豊富さについて自慢としかとれない表現をしているので、それを知っていると「また自慢か」と思えたりするかもしれないですね。

dokushadokusha 2004/07/04 12:22 「目をそらすこと」ということではこういった言説というのは、すべて本当の問題解決からは「目をそらす」ことなのかもしれない。やはり実際に問題を解決するのは日々の行動なわけで、議論とはその行動のためのものでなければ逃避にしかならないだろう。ただ、結論の出ない、出せない問題に関して、いたずらに行動を起こすよりは、議論の俎上に載せて保留を続ける。そしてやがては「諦める」という結論を自分自身に納得させる。という作業の流れもあるかもしれない。(そりゃあ、さっさと見切っちゃった方が良いけどね)
ちょっと前に「ムカデ」の喩えがあったけれど。ムカデがなぜ歩くのかといえば、その先に餌があったりするからだろうから、餌が何処にあるかって議論はそれなりの価値があるんだろう。ところがムカデがどのように足を運べば歩けるか。という議論をしてみれば足がもつれて歩けない。たまには「自分はどうやって足を動かしてるんだ?」という疑問を考えるのも面白いかもしれないけど、とりあえずお腹がすいたら餌のある方に(どうやって歩いているかという議論は棚に上げて)実際に歩き出す必要があるんだろうな、と

hallcinhallcin 2004/07/04 14:02 不謹慎ですが、ひきこもりじゃなく摂食障害の問題を扱ったら、上山さんモテそう。。。

ojahumojahum 2004/07/04 20:42 こんにちは、一応男です(寒)。なんとなく、ぼくの場合、「女性とは、こういうもの」みたいな一般化された女性像の方がリアルで、スペックというのも、「女性は一般的にこういうことを恋愛の条件にしているだろう」みたいな発想があったと思う。でももちろん、一般的な女性なんていないわけで、実際に顔を合わせる女性は、みな固有で、多様で、「その人」なわけで、スペックというものがあるとしても、みなそれぞれ、ほとんど想像もつかないようなスペックを求める人もいるかもしれなくて。でも、自分的には、スペックに合わない否定的な要素だと思っている部分を、たいして気にしない人がいたり、逆に、そこに共感したりして、距離が狭まったりすることもあって、結局、スペックというよりも、「縁」かな、とは思います。スペックを気にしすぎることで、傷つかないように自分を守ろうとするので、「好きです」という、関係を作るために一度は必要なこの気持ちの告白も、一番自分が無防備になるせいで、無理っぽかったりして、なかなか。。関係を維持していくっていう点では、スペックのすりあわせだけではなく、スペックを諦めるというか、許すというか、この人はこういう人でしかない、と受容する、みたいな、そういうものが必要だったりして、いちがいにスペックという観点だけでは、ひとの関係は測れないかなぁ、男女関係にかぎらず。。

ojahumojahum 2004/07/04 21:14 異性という以前に、評価する視線一般に、めちゃめちに脆弱だっていうのは、あるなぁ、、て、ぼくだけど。。

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/05 06:09 yuco さん、はじめまして。 女性からの書き込みはいつもうれしいんですけど、今回はとりわけありがたいです。 ところで、そうでしたか・・・>「自慢としかとれない表現」。(本を買ってくださってありがとう) ◆ dokusha さん、「行動のための議論」「あきらめる」「餌に向けて実際に歩き出す」、いずれも示唆的です。 以後の議論に活かしてみたいと思います。 ◆ hallcin さん、お久しぶり。 そんなこと言われちゃったら、今後摂食障害の話やれないじゃないか(笑)。 ◆ ojahum さん、「女性一般 → 拒絶一般」のおかしさ、「許す」という要因の大事さ、「評価する視線」への弱さ ―― いずれも本当に示唆的です。 ありがとう。

2004-07-02  スペックと愛

すくすく

画面をスクロールしにくくなってますが、どうもうちだけじゃないようです。 なぜだろ…。


右の写真は、先日紹介した「げんき」君。 目、見えるようになったかな。

ご主人様の、「怖いのが恐い」という指摘は、ひきこもりに深く関わるメカニズムかも…。



危険な話題 危険な話題を含むブックマーク

ひきこもり業界においては、「性愛」の話は、ひょっとしたら「天皇制」の話より危険なのかもしれない。 ものすごくいろんな人の傷に触ってしまう。

昨日のエントリーについては、性的承認を得ているかたは冷静に反応し、性的承認経験のなさに傷ついている人ほど、肯定・否定の針の揺れ方が激しかったみたい。


僕は恋愛論というのは、あまりにも自分の傷にさわる話だし、「恋愛論をしたって恋愛はできない」と思って、避けてきた。 さらに最近では「恋愛も結婚もなくていい」と本気で考えるようになって、ますます遠ざかってたんだけど、どうもやっぱり性愛の話というのは「なかったこと」にはできないのかもしれない。 そもそもたったあれだけの文章に打ちのめされている時点で、ぜんぜん「過去の話」になってない。 いや、僕がショックを受けたのは、「20歳で出会いがあれば、その後の地獄のような展開はなかったかもしれない」と思ったから・・・・ぶつぶつ・・・・


――卑怯なエクスキューズめくが、性愛について語り始めた途端、僕の文章は支離滅裂になる。 何度推敲を試みても、その作業自体がひどく苦痛。 端的に、話題として「熱すぎる」。

そもそも、「性的承認の不在」は、どうしてこれほど深い傷になっているのだろう。 これほどまでに性から排除されているのだから、「もう性愛はなくていい」というのも個人の選択としてあっていいと思うのだが、心のメカニズムがそれを許さないということか。




「下心」 「下心」を含むブックマーク

やっかいなのは、性愛の問題を心の中心に据えた途端、ぎゃくに性愛からの排除は強まる、ということ。 女性の場合どうだか分からないが、男性の場合、「女性以上に価値のあること」への取り組みがないと、女性には相手にされないし、人間関係として適切な距離を保つのも無理だと思う。


性的に承認された経験の豊かな人は、「承認されるかどうか」をあまり気にかけないので、より魅力的に映る。 経験のない人は、頭の中が「承認をめぐる傷」で一杯になっている → ますます排除される。


これは性愛に限らず、社会的(職業的)承認についても言えるか。 承認ばかり気にしている人は、…




「性愛的チェック」 「性愛的チェック」を含むブックマーク

ひきこもりは圧倒的に男性に多いが、摂食障害は圧倒的に女性。

僕は、摂食障害(とくに拒食症)の女性に過剰に感情移入してしまうところがあるのだが、どうやら僕はそこに「自分を性愛化することへの拒絶」を読み取って共感しているらしい。


僕が最も苦手とする女性は、「すべての男を性愛的にしか見ない」タイプ。 初対面でいきなり「チェック」が入り、「好みではない」と判断した瞬間に信じられないぐらい冷たい態度に出る。 → もちろん男性にも同様のタイプはいて、僕はそれも苦手。

自分に対しても、他者に対しても、「性愛的チェック」よりは「人間的チェック」を優先させたいのだが、それは「偽善」というものなのだろうか。




スペック スペックを含むブックマーク

以前に「モテと愛のちがい」について考えたとき、「相手のスペックは愛情に関係ない」という話になったわけだけど…。

本当にそう言えるだろうか。


以下は、「loveless zero」さんのリンクをたどって見つけた「恋愛ができない原因」。

  1. 顔の造形がヤバい。 肥満。 髪が薄い。(ただし、男性の場合は容姿が致命的な原因になることはほとんどない。 むしろ、容姿が原因で周囲からいじめに遭ったり、自信を持てなかったりする方が問題。)
  2. 勘違い男(女)。 相手は全くその気がないのに、少し親切にされただけで自分に気があるのではと思い込んでしまう。 電波。 ストーカー。
  3. 不潔。 服装にこだわらなさ過ぎる。 もしくは、こだわっているらしいのだが一般的なファッションセンスからズレ過ぎていて理解不能。 眼鏡。
  4. マザコン。 幼児的万能感。 自己中心的。 人の気持ちが分からない。 分かろうとしない。
  5. オタク。 特定の話題になると途端に饒舌になるが、他の話題には全く関心を示さない。 その特定の話題を理解してくれる相手には「仲間」だと思って馴れ馴れしくなるが、そうでないと壁を作って閉じこもる。
  6. 対人恐怖症。 コミュニケーション不全。 引きこもり。 仮にそうでなくとも、暗い。 無口。 話下手。 自意識過剰。
  7. 童貞。 性的魅力、あるいは、性的自信に欠ける。 「下手」。 「小さい」。
  8. 理屈っぽい。 哲学かぶれ。 プライド高過ぎ。 (行動を起こすまでの)敷居高過ぎ。 相手に対する理想高過ぎ。

「童貞」って悪いこと?とか、ツッコミどころはあるにせよ、ここに列記された「スペック」を、完全に他人事として嗤える引きこもり当事者(経験者)はいるだろうか。


ここで問いたいのは、一つ一つの項目の是非の一歩手前、つまり「愛情生活を営むためには、相応のスペックが必要不可欠だ」という事実。

人を好きになるとき、僕らはふつう相手の美質に反応している。 「ひたむきだ」「やさしい」「誠実だ」など → それも「スペック」ではないか。


さらには、結婚して長年連れ添った2人が、「価値観の相違」などで別れることがある → 長くいっしょに暮らし、「固有名の循環」を生じたあとにも、スペック面への不満から「愛が冷める」ことがあるのではないか。




「年齢相応」? 「年齢相応」?を含むブックマーク

昨日の僕は、こう書いている。

 35歳にもなってこんな文章に全身を震わせている自分を爆笑したくもあるがw

成熟についての「年齢相応」、あるいは「平均値」を問題にしたわけだが、そこで問われているのは「精神面でのスペック」、つまり「35歳であれば、この程度のメンタル・スペックに到達していなければ駄目」という話。 → ≪年齢≫という枠組みが、「要求される社会的・性愛的スペック」を強制的に決めつける。 (それを決めるのは「世間」か?)

その固定を、僕らは甘受すべきだろうか。 「そんな基準は無視すればいい」と言い切れるかどうか、僕には分からなくなっている。


今の自分が未熟であるなら、その事実を受け容れて、そこから出発するしかないわけだが。




「順応」ではなく、「掘り進む」 「順応」ではなく、「掘り進む」を含むブックマーク

脱落者ほど、「ふつう」に憧れがち。 「働くのが当たりまえ」、「恋人がいるのが当たりまえ」、「結婚するのが当たりまえ」、「子供がいるのが当たりまえ」。

「働かなくてもいい」という価値観を獲得しても、お金がなくなれば生きていられない。

「恋愛なんかいらない」と思っていても、いつの間にか傷ついている。


「価値観面での克服」を強弁する人ほど、あやしく見えてしまう。

受験偏差値そのものに意味があるとは思わないが、「東大なんて意味がない」とかの話を強調しすぎる人がどうも・・・・なように。


「○○はいらない」「○○はダメ」のように、自分が評価できないものを否定形で語り続けていても、そこからは何も生まれない。 本当に難しいのは、「評価すべき鉱脈」を見つけ出すことなんだと思う。 そこから何かを掘り出すために努力している人間は、その難しさも痛感しているから、「罵倒しかできない」ことの空しさにも気付く。


端的に言えば、僕はもう「この世界そのものに興味を持てない」の崖っぷちまで来ている。 否定形を重ねていけば、自分と世界とを共に否定して終わってしまう…。




弱い者がさらに弱い者を… 弱い者がさらに弱い者を…を含むブックマーク

2ちゃんねるヒキ板を見ている人は知っていると思うし、当ブログでも何度か触れたが、「高齢ヒキ」を最も過激に罵倒するのは「若年ヒキ」だ。 → 「年齢相応のあるべき姿」による差別は、実は引きこもり当事者同士においてこそ最も激しい。 若年者は高齢者を侮辱し、高齢者自身もそれを甘受する。

「弱者が、自分を弱者に追いやっている価値観に乗じてさらに弱い者を叩く」というイタイ構図があって、やりきれない。 高齢者を罵倒すればするほど、若年者自身が追い詰められてゆくというのに。




「愛情なのか、エゴなのか」 「愛情なのか、エゴなのか」を含むブックマーク

僕は当ブログで繰り返し「年齢差別はひきこもり当事者を苦しめている」という話をしていて、これは「就労」に関する話だったわけだが、「性愛」についても、「年齢差別反対」を愚直に主張すべきだろうか。 「年齢」というスペックは、愛情にとって決定的か。


高齢者が恋愛市場から排除されるのは、「仕方のないこと」か。

若い相手を好きになるときに味わう後ろめたさは、「必要のない自責の念」と言えるか。(後ろめたい気持ちを味わうということは、好きになりきれていないということか。)


id:Ririka さんから以前受けた指摘

 エゴと愛って峻別できますか?というか分けたいですか? 分ける場合、「本当の愛」ってなんなのかなぁ?

僕は、自分のエゴでしかない執着を「愛」と呼ぶ卑怯さを警戒して悩んでいるわけだけど、id:Ririka さんはむしろ「愛に見えるものだってエゴでしょう?」と割り切っているわけか…。

でも、単に利用しているだけの関係と、そうではない関係に違いはあるように思うし。


わからん…



さっき、「否定形からは何も生まれない」と言ったように、「エゴかどうかがどうでもよくなるほど大切な鉱脈(相手)を見つける」ことが大事なのかもしれない。

って、もちろん基本的に振られるわけですが。




「愛されない子供」 「愛されない子供」を含むブックマーク

「自分には愛される資格はあるか」。 アダルトチルドレン系の人は、親との関係でいつもそういうことを考えていると思う。 「自分のスペックは、愛されるのに必要な水準を満たしているか」。

「ありのままに愛される」なんてあり得るのか。

「スペックに基づいた愛」は、「親のエゴ」と呼ばれたりするわけだが。




「国民たるもの無条件に…」 「国民たるもの無条件に…」を含むブックマーク

スペックと愛の関係は、たぶん「愛国」にも関わる。 「日本の文化や環境(スペック)が好き」だから、「国を愛する」のか。 「日本国民の義務」として、スペックとは無関係に「愛する」のか。


あるいは、「国への愛」という主張自身が、どうも「エゴの表明」にしか見えないこともあって…。

id:anhedonia さんの次の指摘を思い出す。

 いわゆる右翼が言う「社会」や「国」は、いわゆる右翼のその人の「私」の拡張したもので、そのまま「公」になるわけではないのです。




「本当に必要な話」 「本当に必要な話」を含むブックマーク

僕がここでひきこもり論をしているのは、僕のエゴでしょうか。 それともそうではないのでしょうか。

いずれにせよ、「本当に必要な話」を設定するのは難しい。 すぐ、「与太話」になってしまう…。

僕のしている話が「的外れだ」と思うかた、僕を馬鹿にするだけでなくて、どうかご自分でその「本当に必要な話」を提出してくれませんか…。



anhedoniaanhedonia 2004/07/03 11:33 私には、「情」の方が腑に落ちますね。私にとっては、「愛」って、ものすごく居心地が悪い言葉なんです

dokushadokusha 2004/07/03 11:45 先日の「武道」の話しにもありましたが、勝とうとすれば勝てない。得ようとすれば得られない。生きようとすれば生きられない。こんな武道の考え方を教えてくれた入り口は梶原一騎だったのかもしれません。彼の描いた「巨人の星」はある世代にはコモンセンスになっていて、そこで語られた「(野球でピッチャーがバッターに投球する際)打たれまい打たれまいとすると打たれる、打たれて結構、いや、一歩進んで打ってもらおう」という大リーグボール1号のドグマは、いまでも深く心に残っている気がします。
恋愛においても社会的にも、承認を求めようとすれば、承認を求める事にこだわって「下心」となる。そうではなく、「自然に振舞う」ということが大切なんでしょうね。
男女間の一線を超える作業は非常に複雑で、難しく、それでいて自然なものですが。一つだけ「良い手」があります。もちろんオールマイティーではないですが、「そんな機会」があった時にでも覚えておく価値はあるかもしれません。またこういう「乗り越え方もあるのか」という余裕が「自然に振舞う」一助になるかもしれない。
わたしはその一線を超えそうな時にはこう切り出します「恥をかくのは一回で良い、ダメなら二度は言わない。キスして良いかい?」拒否されたら、友情の為に自分の心を押さえつける作業に腐心します。

yodakayodaka 2004/07/03 14:19 「もてたい」という欲望が、「もてない<自分>がゆるせない」となったとき、自分という牢獄に囚われてしまう。牢獄にこもり、自罰的になってまで守らなければならない自己とはなんなのか、そこにはもう他者なんていないんじゃないのか、と考え込んでしまいます。

anhedoniaanhedonia 2004/07/03 15:41 ここで「ひきこもり」について考えることは、まず、上山さん自身が生きるために必要だからそうしているわけで、誰もそれを否認することはできないし、また現に多くの人に承認されてもいる。◆エゴといえば、たしかにエゴではあるけれど、このようなエゴは承認されるべきものと思う(そして現に承認されている)。

sivadsivad 2004/07/03 15:50 ソレが愛かエゴか、と悩むより、ギブアンドテイクのバランスが取れているかどうか、で判断したほうが分かりやすいですよ。愛だろうとエゴだろうと、このバランスが取れていない関係は破綻します。

miyagimiyagi 2004/07/03 19:18 ・病気でも健康でもない状態は存在すると思います。「ひきこもり」というのは、もともとは精神分裂病の1つの生活習慣を記述したものだと本を読んで知りました。・僕は、「ひきこもり救出マニュアル」(PHP研究所)を怖くて一部しか見ていないのですが、苦痛緩和という文脈において重要なことが書かれてあったような気がします。ただ、ちゃんと読むのが怖いので誰か代わりに比喩的に説明してくれると助かります。去勢という言葉は、医者のような1つ1つの言動が重要な意味を持つ人が患者のために、告知のようなショックを伴う体験を和らげるための隠喩として使うのかと考えたりもします。諦めることが必要といわれても、当事者は反発するので。でも、権力を持たない人同士では、直接的な分かりやすい表現を使ったほうが良いかもしれません。そういう意味で、上山さんの言うことは十分理解できます。

BonvoyageBonvoyage 2004/07/03 22:12 「下心も込みで」ってのが僕は好きです。ちょっとでも下心があったらダメなんてのは無理だし、粋じゃないよなあ、と。下心が出過ぎればそれはそれで粋じゃないんですが。◆愛かエゴかというよりも、粋かどうかというほうが大事な気がします。sivadさんがおっしゃっているようなバランスを取ることも含めて。

rrrr 2004/07/03 22:13 心的問題を乗り越えた先に、なにがあるのか。なにをすることが許されているのか。など。

2004-07-01  もし、20歳で・・・ このエントリーを含むブックマーク

読書体験がトラウマになることがある。

1年も前に読んで、いまだに克服できていない箇所をとりあえず抜き書き。


斎藤環氏 『OK?ひきこもりOK!』ISBN:4838714394 p.125‐7 の宮台真司氏の発言より。


 以前お話をさせていただいたときに、性の問題が出てきましたよね。 そのときにも申し上げたけれど、僕は男子校の中学に入るとすぐにひきこもり状態になった経験があります。

「6ヶ月以上、家族以外とまったく接点がない」といった意味ではなく、「心理的に閉じこもっていた」ということだろうと思う。


 僕は中学入学直前まで関西文化圏にいたので、クラス全体を笑わせるだけでなく、誰とでもボケとツッコミをやりたがったのですが、東京ではそれが異常視されました(笑)。 それで、コミュニケーションをどうとっていいか分からなくなったことがある。

僕は関西に棲んでいるにもかかわらず、「ボケとツッコミ」の文化に入れず、それで孤立した。


 中学1年にしてマルクス主義にかぶれて、マルクス主義党派の機関紙を読んだりしてたんですよ(笑)。 そうしているうちに、周囲の考えていることと僕の考えていることが乖離しているように思えて、ますますコミュニケーションの仕方が分からなくなってしまった。

 だから、はたからはひきこもっているようには見えなかったかもしれませんが、個人的には非常に苦しかったですね。周りが冗談を言って笑いあったりしていて、自分も合わせて笑っているのですが、全然意味が分からない(笑)。

僕がマルクス主義にかぶれたのは18‐9歳だったが、確かにこんな感じだった。

自分に似ているなあ、と思っていて、


次の段落を読んで全身がふるえ、変な汗が噴き出し、目の焦点が定まらなくなった。


 その後どうなったかと言うと、大学2年の後半から劇的に回復します。 それはアングラからの離脱と並行するのですが、具体的にはセックスがきっかけです。 その当時つきあい始めた女の子を通じて、初めて性的不安から解放され、性的に全面肯定されました。 あるいは、相手のロマンチックな世界観の中で、「あなたは素敵」というかたちで全面的に承認される経験を持ちました。 それは僕にとって本当に決定的なことでした。


我慢して次に向かう。

 要は、僕は「マルクス主義については分かりますが、人間関係は分かりません」という感じだったのです(笑)。 だから彼女のコミュニケーション能力に学ぶことが多く、一所懸命学ぼうとしました。 1年、2年と付きあっていくうちに、だんだん学習が進み、「観念的であるがゆえの鈍感さ」にまみれていたことを深く反省するようになると同時に、だんだん彼女のような能力が僕にもついてきて、コミュニケーションそれ自体に自信がもてるようになり、中高時代を通じたある種のひきこもり状態から、劇的に回復しました。

ふるえが止まらない。


 逆に言うと、もしその女の子と出会っていなければ、どうなっていたのだろうかと考えると、相当恐い思いがします。 だから、性的承認というのは実はとても大事ではないかと思って、前回お会いしたときに斎藤先生にうかがったわけですが、先生も「大事だ」と。


これを打ち込みながら、まだ呼吸が変。



35歳にもなってこんな文章に全身を震わせている自分を爆笑したくもあるがw



dokushadokusha 2004/07/02 12:04 自分のサイトにも書いたのですが「精神も足の裏も刺激があり、踏みつけられるから耐性を持ち強くなるのかもしれ」ない。そういう意味ではコンプレックスを吐露する事は良い事で、それを繰り返し、「馴れる事」で相対化ができるのかもしれない。「爆笑したくなる」というのは相対化が進んでいるからではないでしょうか。
しかし、同時にコンプレックスの露呈は危険も伴います。時には新たに社会的な問題を生み出したりもしますからね。そういう意味では「匿名」で吐露をしてみる事は良い事だろうと思えます。もっと匿名で自分の心がキンキンに痺れるような事を書いてみるのは、いよいよ心を足の裏のように固くする事につながるのではないでしょうか。
こういった性的なコンプレックスというのは必ずあると思うんですよね。かく言うわたしにもありましたし、あります(HN読者としてはそれを吐露するような事はしませんが)。
まったく「良く効く薬」で量を間違えなければ強力なモチベーションになるのでしょうし、量を誤ると命まで奪われかねない。まったく人間というのはリルケがどうのショーペンハウエルがかんのといってもチンコマンコなのかもしれません。(おっと、ここをわたしのところのようなカルチャーにしちゃいけないかな)

ueyamakzkueyamakzk 2004/07/03 05:58 うまくお返事できませんが、ありがとうございます…

べるべる 2004/07/03 11:35 なんで自分を宮台と比較してるんですか…?

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