「弱者の声」と、抗議倫理

東京シューレ「見解」に掲載された「手記」を読む限り、彼ら2名は、事前に貴戸氏から出版原稿の全体を渡されながら、読まないままに出版にGOサインを出しており、「解釈」に取り組むことへの極端な脆弱性が見て取れる。またこの2名は現在、「シューレ大学」に籍を置いて不登校の研究をしているのだが、支援団体内部の力関係を考えれば、被支援者が団体内部の見解に抵抗するのは困難であることが容易に想像される。
ここでは、「判断主体の独立性」と、現実的な力関係が問われている。
シューレは、みずからの団体内部の「当事者」を、あのような政治的見解表明の場に登場させてよかったのだろうか。しかもその抗議行動は、貴戸氏が手続き上の対処を終えた後にまで継続されている。
「調査倫理」と同様に、「抗議倫理」が問われるべきではないか。