岸政彦さん:「社会に関する初歩の初歩」

科学者たちのミクロな実践を科学という社会現象と同一視してしまえば、「初歩的な数学や物理学もわからん文系の連中が何を偉そうに」という反発を食らうのは当然なのだが、他方で理系の人が社会についてものすごく素朴なイメージをもって語っているのをみると、からかいたくもなる。どちらも不毛だ。

「科学のミクロな実践」と、「社会現象としての科学」とを分けて考えること。
これは見れていなかった。

下の方で書いた、日本摂食障害学会のシンポジウムは、まあ頭から否定・批判するつもりもないけど、いろいろ勉強になった。シンポジウムのテーマは、いやひょっとしたら学会そのもののテーマも、医学にはできないこともあるから、心理やソーシャルワーカーや行政や親や、そして当事者たちが、ゆるやかなネットワークを作ってこの問題に立ち向かっていきましょう、そういうものだったはずなんだが、当事者に発言の機会を設けたまではよかったが、そこで医者への反発が出るとは計算外だったようだ。ネットワークは必ずコンフリクト*1を含む。社会に関するこうした初歩の初歩を、どうもまったく予測していなかったみたいだ。結果としてどうだったかというと、あっという間にそこは非常にソフトで柔らかくて温かい抑圧空間に変わってしまって、大人しい当事者、協力的な当事者、発言しない当事者、治療のことだけを考える当事者、ココロとカラダ以外のことに興味を持たない当事者だけが、受容され歓迎され評価されていた。

なるほど…。 【関連:「トラブルのない仕事はない」】

科学、この場合は医学だけど、科学という名のもとにソフトで抑圧的な空間が形成され維持されたり、あるいは逆に、当事者の立場をよく理解するお医者さんもいたりして、誰がどの立場から行動し語るか、結果的にその「場」がどのように構築されていくか、この社会的ゲームに巻き込まれたプレイヤーたちは、各々の手札や資本を駆使してどうやってポイントを勝ち取っていくか、そこから排除された者たちはどのように抵抗していくのか、ゲームを支配する者たちは、どのようにして自らの地位を維持していくのか。

  • ≪当事者=プレイヤー≫
    • 「当事者意識を持て!」と言うときのニュアンス。「お前もすでに巻き込まれているんだぞ!」 ▼「巻き込まれ方」の創意工夫。




*1:「conflict」:衝突、闘争、葛藤