斎藤環氏の講演より(情報ピックアップ)

私のメモに基づくもので、もちろん発言者校閲はないし、文脈によって意味も変わってしまうので注意。【黒太字の「カギ括弧内」が斎藤氏の発言】

  • 斎藤氏がブリーフ・セラピー(短期療法)*1を紹介していたのは意外。
  • 「ひきこもりは、家族対応が50%以上。本人が動き出したらあとは方向付けはしない」
    • ひとまずこのように言うしかない。▼当事者本人としては、自由な倫理的選択の環境整備をされてしまうわけで、かえって厳しくもあるはず。
  • 「放置や放任につながるので、《わかったつもりになる》のはまずい」
    • 三脇康生氏はガタリ斎藤環氏はラカンを理論的参照項にしており立場が違うはずだが、お二人とも《分析の継続》を重視する方向であり、「無限の愛による全面受容」とか「永遠に待つだけ」とかの姿勢とは一線を画している。▼「無限の愛」とか「永遠に待てばいい」とかいうのは、そのアドバイスをしている者自身のイデオロギー的自己温存に過ぎない。もし事態が悪くなっても、自分は「無条件の正しさ」の中に鎮座し、すべての責任を親などに押し付けることができる。要するにアドバイザー本人のための「アリバイ作り」だ。▼ややこしいのは、そういう提言にすら意味のある局面があることだが・・・。
  • 家族によるコミュニケーション回復のための提案として、「《挨拶・誘いかけ》、《お願い事》、《相談事》」
    • 当事者は、見下すべき存在ではなく、「親が相談事を持ちかける相手である」ということ。
  • 「当事者による親への感情は、《恨み半分、感謝半分》」
    • ここは補足が必要だと思う。▼親に感じてしまった「感謝の念」は、100%そのまま「罪悪感」に転化してしまうのだが、これが非常に支えにくい。親に感謝を感じても、自分が元気に社会生活を送っていれば「給料でプレゼントを買う」などの行動が起こせるが、ひきこもっている現状では、まったく何もできない。→ 完全な無力の中での感謝の念は、自動的に罪悪感になる。 そこで親の顔が見れなくなるのだが、それは親からすれば「無視された」となる。




*1:(1)今、うまくいってる時は何もしない。 (2)かつてうまくいったことがあれば、またそれをしてみる。 (3)今、うまくいってなければ、やめてみる。