「ひきこもり本」

書き手は、精神科医であれカウンセラーであれ民間支援者であれ、要するに「思想家」として振る舞うことを余儀なくされている。 親を指導し、「人として生きるとは」みたいな話をいつの間にかしている。 医療枠組みに押し込んで理解することはできないし。 ▼彼らは医師やカウンセラーとしては専門教育を受けただろうが、「思想家」としてはそうではないから、要するに非常に凡庸な「人生論」に終わっていることが多い。 少し社会的な観点から論じる必要があっても、非常に心もとない。
読み手は、「これは思想書なのだ」と思って選択するべきだと思う。 「これは思想的提案をされる本なのだ」と。 ▼医療や薬物も、一定の思想的枠組みにおける選択肢の一つにすぎない*1。 重要なのは、「思想のユーザーになる」ということか。 そのために、思想の主体になる必要がある。





*1:ツールとして役に立つなら、もちろん私も使うつもり。

『「ひきこもり」がなおるとき (講談社+α新書)』(磯部潮)

「なおるとき」という直截なネーミングの時点で姿勢の選択があるが、そういう細かい議論はほとんどない。 ただ、それも「精神科医」という役割を引き受けているだけとも言える*1。 ユーザーは、情報やインフラの使い手として賢明になるべきなのだと思う。


同書に登場する、統計資料への言及から。

 ひきこもるようになったきっかけは、「ひきこもり」の数だけあると考えられます。 【中略】
 その出来事として多いのは、やはり不登校から「ひきこもり」へと至ったものです。 不登校児童のうち「ひきこもり」へと至るのは約三割といわれています。 「ひきこもり」側から見ても、きっかけとなる出来事のうち、不登校は約三割程度と考えられます。
 不登校生徒の中学卒業後には、八割弱の人が、就学、就労というかたちで社会とつながっていくことが最近厚生労働省から発表されましたが、社会参加できないままでいるケースが「ひきこもり」になっていくと思われます。

「中学卒業後には、八割弱の人が社会とつながっていく」というのはこちらの資料だと思うが*2、「不登校のうち引きこもりに至るのは約三割」というのは、どういう資料なんだろう。 ▼「ひきこもり側から見ても、きっかけの三割は不登校」というのは、非常に不思議な数字。 たとえば斎藤環氏の『社会的ひきこもり』には、次の記述がある(p.33)。

 最初のきっかけとしては、「不登校」が 68・8% ともっとも多い*3

斎藤氏の資料は「私の所属する研究室の関連機関を受診した患者さんのうち」とある。 ▼90年代半ばから日本全国の相談・支援窓口を取材し続けている永冨奈津恵氏によると、「窓口を選んでいる時点で、おのずと当事者のタイプが振り分けられている」(大意)とのことだが、そういう事情もあるのだろうか。 親の会の全国ネットワーク「KHJ親の会」には、こういう資料も出ている。 ▼うーん、統計的数値については、どうも混乱気味・・・。


同じように、磯部氏の次の記述(p.84)も謎。

 「死にたい。もう生きていても仕方がない」
 「一生自分はこのままなのか。まわりに迷惑をかけているだけだ」
 という絶望感に「ひきこもり」の人はとらわれていることが多く、約半数の「ひきこもり」の人が自殺衝動、自殺念慮を訴えます。 実際に、自殺企図をする「ひきこもり」の人はその三分の一程度です。

これは、磯部氏のクリニックでの数値なのだろうか。



*1:そういうタイトルの本が並んでしまうことの政治的影響は、別枠で考える必要があるが・・・

*2:井出草平id:iDES)さんの示唆

*3:「きっかけ」にとどまらず、「ひきこもり事例の中で、不登校を経験したことのある人」の割合としては、「90%」という数字がある(p.39)。