自意識が疎外であることと、システムダウン

震災直後の、日常が機能しない状況でのコミュニケーションは、非モテ談義や、自意識修行系のナンパごっことは違っている。 あの状況を理想化するのは変だけど、自意識とは違うロジックでやらざるを得ない。 システムは壊れているから、「自分は○○だ」「君は○○だよ」というナルシシズムが機能しにくい(「これは非日常なんだ」というナルシシズムはあり得るけど*1)。
文化や言説のすべてが、《自意識》でゆがめられている。 自意識という疎外こそが苦しいのに。
学問であれ、制度であれ、単なる順応主義がまずいと思うのは、自意識強化の方向でしかないからだ。



*1:避難場所から帰宅して直後、懐中電灯を持ったおじさんが、全壊したわけでもない人の家にずかずかと上がり込んできたのは、なんだか微妙だった。あの人は、べつにそういう役割でもなかったと思うんだが・・・。▼逆に言うと、人の住んでる箱を「うち」と呼んでいる異様さを強烈に意識した。 マンションは、コンクリートの箱を区切ってるだけだ。 売られているのは、空間の使用権限。