金田耕一 『メルロ=ポンティの政治哲学―政治の現象学 (政治思想研究叢書)』(1996)

 メルロ=ポンティの言語概念のきわめて独創的な点は、身体のもつ表現機能の延長線上に言語が捉えられていることである。「身体的志向性」(intentionnalité corporelle)が知覚野を形成している諸要素を構造化することによってゲシュタルトとして現出せしめ、暗黙のうちに自然的空間を意味づけられた空間へと変えるのと同じように、意味志向はひとりでに語や言い廻しを組織化しながらその内的配置によってある意味を分泌する表現にまで導かれる。換言すれば、言語表現はいかなる主題化も表象も必要としないままにある「スタイル」(style)を呼び起こすのである。あるいは知覚もまた、世界の諸要素に力線・ヴェクトル・水準を与えることによって一つのスタイルを与える表現にほかならない。知覚と言語のみならず身体を使用する一切の行動にはあるスタイルが住みついているのであって、実存はすべて表現なのである(『知覚の現象学 2』p.374)。
 したがって、表現はけっして無から(ex nihilo)おこなわれる絶対的「創造」ではないし、また、表現によって獲得された意味も主観性に閉じ込められたものではない。メルロ=ポンティは、表現行為を、意味を創造する「構成」(constitution)としてではなく、意味を沈殿してゆく「制度化」(institution)として捉えることによって、主観的なものと客観的なもの、個人的なものと社会的なもの、過去と現在とが互いに包摂し交流しあう弁証法として描き出す。知覚の主体は、過去の投企が沈殿して状況となった意味(=「世界の土着の意味」)の世界に位置づけられている。それと同様に、語る主体もまた、過去になされた表現行為によって獲得された意味が沈殿して「すでに意味しつつある用具、またはすでに語りつつある意味(形態論的・統辞論的・語彙論的用具、文学ジャンル、物語の類型、出来事の提示の様式など)」として制度化された世界を生きている。意味志向が受肉された表現にまでもたらされるのは、「私の語っている言語体系、私の継承している文書や文化の総体が表している自由に使用しうる意味の体系」に、みずからに身体を与えてくれ象徴へと変容してくれるような「ある等価物」(équivalent)を探り当てたときである(『シーニュ〈1〉』p.423)。つまり表現とは、既存の意味体系の諸要素に「首尾一貫した変形」(déformation cohérente)(マルロー)を加えることによってそれを再組織化し、制度化された意味体系の〈地〉の上に新しい意味作用を〈図〉として描き出す作業である。 (p.183-4)

 歴史とは、人間と人間の相互関係および人間が自然と取り結ぶ関係とその組織化から生み出された〈意味〉が沈殿し、制度となった場である。この〈意味〉は、単なる〈観念〉でも〈物質〉でもない一つの象徴体系を形成している。この意味は、われわれの「共存の論理」となって、さまざまな社会的・文化的空間のみならず物理的空間にまで転調されながら浸透し、一切の制度や人間的交渉の様式(政治的・宗教的諸制度、血縁関係、施設、風景、生産など)を貫いている。その一方で、われわれはそれを自分自身の活動のスタイル、「行動の論理」として暗黙のうちに受けとり、それをつうじて自分自身を諸制度のなかに組み入れるのである。 (p.185-6)

 ところで、知覚、歴史、表現の問題を結びつけるメルロ=ポンティの「新しい歴史哲学」の構想において鍵概念となっているのが「制度化」の概念であることは言うまでもないだろう。この概念が、後期フッサールの「創設」(Urstiftung)を転用したものであることはよく知られているが、注目すべきことは、メルロ=ポンティが「沈殿、つまり後で気づきうる(nachvollsichtbar)ような意味の Stiftung の事実」(『世界の散文』p.63)と述べていること、したがって institution をむしろ Stiftung*1 と等置していることである。 「幾何学の起源」において、幾何学のような、その最初の「創設」においては個人の意識領域で産出された文化的形成体がいかにして相互主観的存在となるのかという問題をみずから提出したフッサールは、それを、同じ言語共同体に属する他の主観が「追理解する」(nachverstehen)ことをとおして、精神的形成体が同一であるという明証的意識が生じるがゆえにであると説明する。ここでフッサールが強調するのは、「追理解」が単なる受動的理解ではなく、「以前の産出活動の沈殿物」を意のままにして新たな意味形成作用を遂行する能動的で生産的な活動であることである。もしも「沈殿した伝統に繰り返し働きかける」ことによってそれを再活性化する働きかけがないとすれば、幾何学は「意味のない伝統」になるだろう。それゆえ「歴史」(Geschichte)とは、「根源的な意味形成と意味沈殿が相互に共存し合い、相互に含み合う生き生きした運動」にほかならない。メルロ=ポンティが Stiftung=institution として概念化しようとしたのは、歴史の起源にある最初の意味の「創設」よりも、むしろ能動的「追理解」が孕む再創造と意味沈殿であった。
 この点でメルロ=ポンティは、制度化の概念が、意味構成に拘泥する「意識哲学」の治療薬になると考えている。すなわち、構成された意味は私の主観性と現在に閉じ込められた意味であり、そこには私と他者、現在の私と過去の私とが共に帰入しうるような共通の意味は存在しえない。これに対して、制度化された意味は、主体の活動を直接に反映する意味ではなく、後になってその主体自身によってであれ他者によってであれ捉え直され「追理解」されうるものである。 制度化の概念を導入するとき、過去の経験は、意識の意味付与によってはじめて思考可能になるようなそれ自体では無意味な出来事の系列ではなくなり、一連の諸事実を思考可能にするような意味を沈殿させてゆく出来事の系列であることになる。それは、過去の出来事のなかにすでに沈殿している意味を捉え直し、変形することによって新たな意味を設立するが、この意味もまた沈殿して、後続する世代によってふたたび捉え直されることになるのである。歴史とは、このような意味の設立、「ある後続への呼びかけ、ある未来への希求としての一つの意味の沈殿」*2としての出来事の秩序にほかならない。そして制度化された意味は、私と他者、現在の私と過去の私の間を結びつけている「蝶番」(charnière)であり、われわれが世界へと内属しており、歴史のなかで共存していることの「帰結」でありまた「保証」なのである。 (p.186-8)

 歴史的・人間的・文化的世界を形成する行動がヘーゲル的意味での《労働》としてではなく《表現》として捉え返されるとき、歴史はさまざまな表現の意味が物によって媒介され制度化された場、つまり「象徴的環境」として考えられることになる。 (p.192)

 言語行為が原テクストを翻訳するのではなくみずからテクストを書きつける行為であるように、《合理化》とは、隠された意味の「顕現」ではなくして、まさしく意味の「到来」であると言わねばならない。 そして、生活の場に到来した《合理化》という意味がひとたび制度化されるや、以後それは、生活の諸要素を組織化する体系的原理、歴史のあらゆる次元に見出される構造の「象徴的母型」(matrice symbolique)となって、さまざまな領域における人間行動にその刻印を押し続けることになる。すなわち、生活の諸領域の隅々にまで《合理化》の原理が浸透し、それに適合しない生活態度を淘汰するようになるのである。 (p.201)






*1:(1)基金・財団、 (2)設立・創設、 (3)寄付・寄贈

*2:言語と自然―コレージュ・ドゥ・フランス講義要録 1952ー60』p.44