医療の労働と、社会環境を支える労働

 例えば60人の人を大きな一部屋に入れて一人の看護者が少し高いところからみていればどの人が問題かは一目瞭然である。しかし6人部屋や4人部屋に分かれると一人では看れず、何人かで何回も巡視することになる。これが個室になればもっと必要になる。さらに地域に散ればさらに多くの人が必要になるのである。

 看護スタッフ数は一般科でも日本は先進諸外国の23.7%〜71.9%である。

 先ほどの大部屋の理論でもわかるように地域化するほど日本では多くの職員を必要とするのである。従って医療費は地域化するほど跳ね上がることになる。欧米は地域化するほど医療費が下がったが、それはもともと日本の入院費が欧米のそれのやく20〜30%であるからである。

 かねてより筆者は地域化を阻む「ないない4重奏」として、医療者、患者本人、患者家族、地域の人々の4者が退院を拒むようになってハーモニーが奏でられると言ってきた。

 精神科病院を治療に特科した医療機関とするか、療養を主とし福祉機能を主としたものにするかその混合とするかが大きな分かれ道であることに異論は無いと思う。医療に特科するとはすなわち救急医療に力を入れることであり、療養に力を入れるのは社会復帰に力を入れることである。これをきれいに分けることはむずかしく、地域によって、その病院の歴史によって選択は違っている。


    • 医療権力でヒエラルキー化してしまえば、お金に関しても配慮に関してもコストは安くつく。息をつめた緊縮財政のなか、これまで以上に医療権力が慢性化されるのを感じる。
    • 逆にいうと、採算を度外視して地域化や療養を進めようとするなら、お金とは別種の編成力を身に帯びなければならない。つまり、大きな政治力やカリスマ性を必要とする。




*1:cf. 澤温 「精神科病院におけるアメニティ」(PDF) YouTube で「精神科救急24時」で検索をかけると・・・