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[語句説明]

2014-02-25 「神武革命論」は、形式的禁止の提案に見える このエントリーを含むブックマーク

千坂恭二氏のツイートに、「神武革命論」とあった(参照)。

そこで問われているのが、社会における《形式的禁止》であるように思われ、さかのぼって昨年9月からの氏のツイート(おそらく2500個あまり)を通読した。以下に引用するのは、その一部。




私が必要とした形式的禁止は、象徴天皇制と関係がある


集団や個人は、つねに正当化の熱狂に陥る。つまり、

    • 自分の正当化を「100%正しい」と思い込んだり、
    • 「さらにもっと、決定的で真実の正当化があるはず」と思い込んで、際限なく《さらに真実の、さらに必然的な》正当化を求め、収拾がつかなくなる。

これは、正当化の努力それ自体における依存症といえる。*1


完全な正当化はいかなる瞬間にも不可能である以上、

必要なのは、「本当に真実の、必然的な正当化」をもういちど考えたり、それを僭称したりすることではなくて――いまの正当化が限界つきであることを前提に、マネジメントを続けることだ。


嚆矢としては、ジジェクが1992年に指摘している:

 王の役割についてのヘーゲルの問題構成をいま解釈しなおしているところなのですが、その発想というのは、民主主義の保障として必要なのは、空虚な点であって、権力をもたず、純粋な象徴的権威であるような君主であるというものです。おそらくこれは日本において機能しているものでしょう。(ジジェクの発言より、『批評空間 (第1期第6号) 共同インタヴュースターリンからラカンへ』p.25、強調は引用者)*2

これを読んだときは、

「ジジェクは天皇制を肯定するのか」と驚いたのだったが。


私がたどりついた《形式的禁止》は、ジジェクのイデオロギー論をきっかけにしていた。正当化が陥る、集団的な虚偽の熱狂。そこで、「ほんとうの正当化」を探すと、その探求作業そのものが固着してしまう――個人の依存症と、集団における正当化(陶酔に満ちた享楽)は、通底する。そして、個人が自分を「どうやって正当化するか」は、集団の正当化のありようと、無縁ではありえない。


これまでは、そのたびごとの今上天皇を無時間的に考えることしかできていなかったのだが、千坂氏の神武革命論は、新しいヒントをもたらした。



今上天皇の言葉大御心(おおみごころ、陛下のお考え)は、それ自体としては無視される。今上天皇への忠誠でしかない「天皇陛下万歳」は、禁止される(参照。そのつどの陛下はあくまで存在として、神武天皇の機能を継承・体現する。


初代・神武天皇は、既存体制(大和)に対しては革命であり、しかも天孫降臨神話において、コミュニティ内部からは「素性不明」と位置づけられる(参照)。ここには、制度内部的に合理化の不能な、徹底的な外部性がある。これのみが、いっさいを私物化するグローバリゼーションに対し、外部性として屹立する(参照)―― 千坂氏は大意、このように説く。


    • 神武天皇の存在が、歴史的事実よりも神話的「位置づけ」で重視される
    • その機能は、意味づけ不能の外部性にある

――これは私が、《形式的禁止》に求めたことに重なる。



現時点で感じる疑問は二つ。

  • 神武天皇は、《意味づけ不能》それ自体の措定として、革命であり、維新である。しかし、その神武への「忠誠を誓え」だけでは、既存社会への外部性は保てても、自己検証が生じにくい。
    • これは私なりに言えば、形式的禁止と動詞的当事化の関係の難しさにあたる。形式的禁止は、分析的な当事化を保証しない。
  • 形式的禁止の機能は、日本の文脈では「天皇」と呼ばれるが*3、同様の機能を果たす存在は、どういう国や場所にも必要なはず。
    • 千坂恭二氏は、神武革命の消息を「日本にしかない」とおっしゃるのだが参照1】【参照2、機能的に等価な存在は、世界中のあらゆる場所に必要なのでは。*4



*1:(1)「これでいい」という思い込みと、(2)「これではダメだ」の探求努力の固着――この二つの場合に分かれる。

*2:「共同インタビュー スラヴォイ・ジジェク氏に聞く:スターリンからラカンヘ」(聞き手:柄谷行人・岩井克人・浅田彰、田崎英明・訳)

*3:第二次大戦の敗戦とアメリカ(という外部)がなければ、象徴天皇制と呼ばれるあり方は(少なくともあのタイミングでは)なかっただろう。▼私は、「日本に内発的革命はない」と言った三島由紀夫を思い出していた。cf.『三島由紀夫 最後の言葉 [新潮CD] (新潮CD 講演)

*4→《神武創業による建国は、民族国家ではなく、民族の外の国家(神武帝は、外部からの来訪者の子孫ですから)であり、世界国家です。その生起の場が地理的に日本だったにすぎないと考える必要があると思います。》(2013-12-18

2014-02-13 学問言説それ自体ゆえの疎外 このエントリーを含むブックマーク

↓こちらの呟きをヒントにしながら。


社会という語とそれへの「学問的あつかい」は、

単語側もあつかい側も変わる必要がないとされている。

しかし語としての「当事者」とそれへの扱いは違う。*1

いずれも変化を要求される。


その場合の変化は、私たちがぴったり即しながら生きるしかない時間にかかわっている。

私たちは、病棟の時間を生きるように生活の時間を生きる。数十年単位で病棟運営が変化してゆくのは当たり前だが*2、この意識だけでは病棟運営はできない。目の前の時間とともに容態や雰囲気が変化する、そこから離れない注意が要る。*3


学問を口実に病棟の時間から離れることはできない。*4

「教科書に書いてあった」は口実にならないが、かといって、「本人がそう言っている」も単に肯定できない。患者やスタッフの主体化に、その場で最初からやり直すモチーフが要る。*5


「学問」ではなく、技法を話題にせざるを得ないのはこういう理由。


学問言説の置きどころや役割を間違うと、疎外が生じる*6。――こうした条件と付き合いながら、主体化のありようそのものが(技法レベルで)問われている。



2014年2月13日 【追記】

《語としての「当事者」とそれへの扱い》と書いたことの意味が分からない、という声をいただきましたので(参照)、少し敷衍してみます。詳細は、もちろんあらためて扱っていきます。

    • (1)いまの日本語圏で、「当事者」という名詞が使われる。私は現状の使い方を、そのまま受け容れることはできない。
    • (2)語としての「当事者」の使われ方を描きとって、それをそのままレポートするだけのような記述が、この語の現状の使われ方を補強しかねない。
    • (3)対象を描き取ろうとする学問言説のふるまいが、検証もされずに棚上げになることは認められない。学問を標榜する言説は、言葉の環境を悪化させている重要な因子かもしれない。
    • (4)「当事者」という語は、日常の言葉づかいだけでなく、理論とされる言説の構造化にも大いに影響している。それを受け止めた上で、具体的に変えたい。
    • (5)「研究対象」と「研究言説」の両極を温存してしまう問題意識しかないなら――そのような言説事業がのさばってしまうことには同意できない。私は、対象と言説のどちらをも常に問い直しながら、組みなおしながら、の時間を生きたいので。
    • (6)私は、学問事業が生きる時間と、私たちの生活圏が生きる時間との乖離を問題にしている。たとえば「現象学的還元」は、生活圏での防衛反応ですらあり得る。



*1:《当事者》という名詞形に不都合を感じて、それを何とか動詞形に変えようとするのは、言葉遊びや語感の問題ではない。「本人たちが当事者という語を採用している」と、観察して終わるわけにはいかない。

*2:「社会」という語の事情が数十年単位で変化してゆくように

*3:たとえば分析哲学は、この時間を決して扱わない。

*4:現象学と看護をめぐる議論の多くには、この点で大いに疑問がある。現象学という言説事業の時間と、病棟の時間は、どう掛け合わさっているのか。

*5:勉強するのは、このやり直しのレベルを上げるため。

*6:契約や実定法との付き合い方も同じ。インフラや条文は役に立つが、適切なタイミングや付き合い方が必要。

2014-02-09 動詞形と法 このエントリーを含むブックマーク

名詞形ではなく、動詞形の《当事化》を考えたとき、

政治思想や法哲学との関係はどうなるだろう。


哲学系で《動詞化》をあつかう議論はあるのですが(参照1)(参照2)、これが主権概念や民主主義との関係でどうかというと、ネグリぐらいしか思いつかない。*1


《ドゥルーズ/グアタリと法》*2 はずっと気になりつつ、既存の法理論との絡み方が掴めないままです。伝統側からはガン無視されているように見える。



以下は、あるPDF資料より:

 In Deleuze & Guattari's ontology there are two fundamental operation of nature and the social: molecular and molar.

 ドゥルーズとグアタリの存在論においては、自然と社会について、二つの基本的な操作がある。つまり、「分子的」と「モル的」。


  • Molecular processes of genesis and organisation draw upon the forces of the virtual, creating molecular emergent dissipative structures.
    • 発生と組織の分子的プロセスは、潜勢態の力に基づき、分子的・創発的・散逸的な構造を創造する。
  • By contrast, molar organisation draws upon the differentiating operation of a boundary that constitutes a division.
    • それに対し、モル的組織は、境界線の差異化の操作に基づき、この境界線は、分割を構成する。

〔・・・〕

 He then presents their theory of law : as that of a two-fold conception of, first, a transcendent molar law and, second, an immanent molecular emergent law.

 そして彼〔著者ジェイミー・マレイ〕は、彼ら〔ドゥルーズとグアタリ〕の法理論を提示する。それは二要素から成っていて、まずは「超越的でモル的な法」であり、もう一つは「内在的・分子的・創発的な法」


 Transcendent molar legality is the traditional object of legal theory. And, as explicated here, immanent molecular emergent law is the novel juridical object that Deleuze & Guattari identify.

 超越的でモル的な法は、法理論の伝統的な対象である。そして〔・・・〕内在的・分子的・創発的な法は、ドゥルーズ&グアタリが同定した、新しい法的対象である。


ちなみに、↑この本はすでに出版されているんだけど、

たった192ページで、1万2000円ぐらいする。

Deleuze & Guattari: Emergent Law (Nomikoi Critical Legal Thinkers)

Deleuze & Guattari: Emergent Law (Nomikoi Critical Legal Thinkers)


ほかの関連書籍も、異様に高額です(参照)。

重要な議論を続けるには、ものすごくお金がかかる…



2014年2月25日 【追記】

本エントリでは、Félix Guattari の姓を「グアタリ」と表記したのですが、歴史上の人物として、「グアタリ」と表記される人を見つけました。

16世紀の北米大陸東部に、スペイン人探検隊からグアタリ・マイコ」と呼ばれた女性がいて、このひとをリーダーとするインディアンの村があったらしい(グアタリ村)。ここで「グアタリ・マイコ」は Guatari Mico で、フランスの Guattari とは一字違いです。

Google翻訳を使って「Guatari」をスペイン語発音させてみると、はっきり「グアタリ」に聞こえます(参照)。



*1:ネグリの議論には、いかにも左翼的なメタ目線があって、魅力を感じません。

*2:Félix Guattari の姓「Guattari」は、日本語圏では「ガタリ」と書かれることが多いのですが、ここではより原音に近く、「グアタリ」と書いてみます。これは「Guatemala」をガテマラではなく「グアテマラ」と書くのに倣っています(参照)。▼しばらくは「グァタリ」を試みたのですが、これは日本語話者には、ものすごく発音しにくい。

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