Hatena::ブログ(Diary)

Freezing Point このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

トラックバックは受信しておりません。また、メール・リンクには基本的にお返事しません
が、無視しているわけではありません。 いつも励まされています。
いただいたメールは、公開する可能性があります。
コメントを書き込むことはできませんが、過去のコメントは読めます。
[語句説明]

2014-11-16 「反日」という概念の位置づけは、「反ユダヤ」と完全に同じです。 このエントリーを含むブックマーク

左派は、名詞形の当事者概念を強固に信仰しており、

それがゆえに、名詞形の分類(民族など)を要因として含んだ党派性を分析することを許さない。この「許さない」が欺瞞になる。


左派の議論じたいが、人の分類を前提にした、差別の実行行為になっている。


そもそも左派は、自分たちの党派性(至近距離の実態)を分析する能力を持たず*1、「当事者」のレッテルで誰を擁護するかを決めているので、すみからすみまで、欺瞞的なアリバイ作りになる。


名詞形の民族概念が、党派性の形成に現に力を振るっているなら、

それを要因として見据えた上での分析が要る。

ところが左派は、それを許さない。


そして、「民族を差別してはならない」という左派が、「日本はダメ」と言い続ける*2。彼らは、こんなレベルの自己矛盾すら理解できない。


「日本を批判する限り、100%正しい」「日本人への憎悪こそ、Politically Correct」――この発想の問題を指摘されても、決して改善しない。概念操作そのものにおける差別を、やめる気配がない。



文脈における党派性の分析と、当事者概念の位置づけ

当事者を崇拝して党派を形作るのではなく(マイノリティ擁護の前衛党)、

党派性そのものにおける自分や周囲の当事者性を論じなければならない(当事化)。



*1:「あいつは誰と味方か」ばかり考えていて、そういう党派性そのものがどういう条件に規定されているかを全く考えない。内ゲバはあっても、超越論的な党派論がない。

*2:「女性を差別してはならない」という男が、「俺は男だからダメ」と悦に入る差別と同じ。

2014-11-02 自分を問い直すことが出来るという意味での専門性 このエントリーを含むブックマーク

私のツイートより:


「わかりやすく説明してほしい」という声をいただきました。

いわば研究テーマに当たるようなことなのですが、

その前提の上で、いま可能なことを少し書いてみます。


これは自己検証のモチーフなので、冷静な視点の模索が要らないということではありませんし、必要に応じてデータ等を参照する場面があるのは、当たり前です。ここで問題にしているのは、「客観性」を自称し、そう論じる自分の方針そのものを不問にするようなスタンスです。


たとえば引きこもりや発達障害では、主観性のスタンスや関係性のありかたが大きく事情を左右するのですが、「客観性」を口実にする人たちは、《論じる自分がどうやって正当性や関係性を作っているか》を論じません。ひきこもりや発達障害では、それこそがネックだというのに――そういう論者は、自分は「正常」「ふつう」と思い込んでいるわけです。


「正常」「ふつう」――これをこそ問わねばならないのですが*1、それを論じることは、多くの場面で許されません。なぜかというと、プライドや関与責任を問い直すことになってしまうから。主観性や関係性をめぐって、論者の当事者性がむき出しになるのです。*2


論じる自分が、どういう手口で親密な関係を作ったか。

そのとき自分は、どういう主観性のスタイルを生きているか。

――こういう核心部分が、「客観性」の口実のもとに隠蔽されます。


《自分を正当化する方針》は、いちど勝ちパターンを覚えると、なかなか抜けられません。その回路に基づいて仲間や信頼もできますし、何よりそのスタイルで、プライドとお金(雇用)が回っていますので。


「なぜそんなことを問う必要があるのか」といえば、社会参加の問題をあつかう、その研究のあり方が、すでに問題を悪化させる事情を生きているからです。(差別問題においても同様の事情があります)


社会参加をめぐっては、論者じしんの主観性や関係性がどういう手口か、なにが《ふつう》とされているかを、問わざるを得ません。まさにそこで、硬直や排除が起こるのですから。(そこをメタ化≒観念論化することを、私は絶対に認めません。つまり問題になっているのは、客観性を口実にする観念論です。)


そう論じる私も、ここで説明している論点によって「メタで客観的なアリバイ」を得るわけではなくて、いつも検証とやり直しを問われる――ところが「客観性」を口実にする者は、うまくいかない事情のディテールや*3みずからの加担責任を「なかったこと」にします。ここには、恣意性と利益誘導の当事者性がある。


つまり「客観性」という口実には、最初から欺瞞があります。専門家というなら、この欺瞞や恣意性についても、距離をとって論じられなければなりません。


社会参加をめぐる専門性は、自らの当事者性(関与実態)を問い直す能力を不可欠の要素として含みます*4たんにメタな言説を振りかざすことは、専門性の欠如でしかありません。ところがいまは「専門家」と言えば、自分の当事者性を棚に上げ、むしろそれを捨象したような言説を繰り出す存在でしかない。――そしてこれとセットになるのが、名詞形カテゴリに囲われた《当事者≒マイノリティ》です。


自分を棚に上げた「専門家」と、カテゴリに居直る「当事者」。

これがグルになって、不当きわまりない言説環境を作り出しています。*5


たんに他罰的な口実としての「反差別」や「客観性」ではなくて、そう論じる自分じしんの事情を問うのでなければ、反差別や客観性の問題そのものを扱うことはできないだろう――といったことです。



*1:そこでこそ高い教養や訓練が必要になる

*2:怠慢で論じないのではなくて、ディシプリン上、許されないことになっている(参照)。

*3:苦しむ人が、自分をカテゴライズする権威主義的言説に加担し、それによって自らのプライドや金銭的利益を調達する場面にも、くり返し直面します。

*4:マイノリティ性は、関与実態に伴う参考情報にすぎないのですが、多くの言説で「当事者性」といえば、マイノリティ性のことでしかない。ここに最悪の欺瞞があります。

*5:ダブル・スタンダードの問題はここに集約されます。

2014-11-01 「障害-調整-生存-年(DALY、ダリー)」 このエントリーを含むブックマーク

WPA 疫学・公衆衛生セクション ミーティング -日本の参加者の方へ*1

 この度、わが国でははじめてとなる WPA 疫学・公衆衛生セクションミーティングを2014年10月16〜18日に奈良で開催することになりました。

読みやすいように少し改変して引用:

 WHO(世界保健機関)が、2013年の第66回総会(参照PDF)において、メンタルヘルス・アクションプラン2013-2020」(PDF)を採択したこと、その中心となる考え方は「No health without mental health(精神保健なくして健康なし)」であることを踏まえて、日本における公衆衛生としての精神保健の発展にも焦点を当てます。



関連して、Wikipedia -障害調整生命年*2

 disability-adjusted life year (DALY、ダリー) とは、病的状態、障害、早死により失われた年数を意味した疾病負荷を総合的に示すもの

 障害調整生命年は、早死によって失われた潜在的な年数の概念を拡張して、損なわれた健康や障害のために失われた健康的な生活の年数も含めたものである。それにより、死亡率と疾病率は単一の共通指標に統合されることになる。〔…〕 「1障害調整生命年」は、それゆえ、1年間の健康生活が失われたことと同等である。


次が重要。

 1990年のWHOの報告は、10大障害原因のうち5つまでが精神疾患によるものであることを示している。

 精神的及び神経的な病的な状態は、障害を有した生活のうちの28%を占めているが、その反面、全死亡のわずか1.4%しか占めておらず、損失生存年数の1.1%しか占めていない。それゆえ、精神疾患は、伝統的に疫学的には重要な問題と捉えられていなかったが障害年数を考慮に入れると諸国民に対して非常に大きな影響を与えていることが示されている。


意義のある議論だと思うのですが、


文化人類学者の池田光穂氏は、この「DALY」という概念をこき下ろしています。

http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090710daly.html

 障害の重み付けの恣意性ならびに障害後の余命に与える環境要因――例えば福祉制度がゆきとどいた先進国の障害者と公的で安価な福祉システムが期待できない国家・地域・時代状況とでは、余命の損失年数や重度を均質にとらえることができない――などが考慮できないアバウトな指標であることがわかる。

 このような小手先の指標が開発されてきた背景には、もともと死亡を指標にする生者の健康状態の表すという「古典的方法」――私は古典主義的方法と言い換えたい気分である――が、統計的手法の洗練化によってある種の限界、ある種の破綻を招き、かつまた健康転換という状況のなかで、生者の傷病や障害という生命の質を、余命との関連性のなかで論じようというトレンドが、国際保健の比較研究のなかで要請されてきたからである。


池田光穂氏のおっしゃることは、もっと詳細に論じる必要があると思います。



参照:カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)による解説動画(英語)

D


《障害-調整-生存-年(DALY、ダリー)》という概念は、日本語圏ではあまり見かけませんが、ひきこもり状態に関係していることは明らかですね。



*1:WPAはWorld Psychiatric Association(世界精神医学会)の略ですね。

*2:《life-year》の訳は、「生存年」と「生命年」が見られますが、厚労省は「生存年」を採用しているようです(参照)。 cf. 池田俊也, 田端航也 【研究ノート:わが国における障害調整生存年(DALY)- 簡便法による推計の試み】(PDF、厚労省サイト)

1968 | 08 |
2000 | 09 | 11 |
2003 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2004 | 01 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 10 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 07 | 08 | 10 | 11 |
2017 | 01 | 02 | 03 | 05 | 06 | 07 |
2018 | 04 | 07 |