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[語句説明]

2014-12-30 作品活動と侵犯(メモ) このエントリーを含むブックマーク

論争の焦点となっているのは、以下のくだりです。

大橋仁:〔…〕2005年くらいからプライベートでタイの売春宿に通い、撮影を始めたんです。とはいえ、金魚鉢での撮影はそうそう簡単にはいかないわけですよ。だって、文字が読めない人にでも撮影禁止であることが分かるように、カメラのイラストの上に大きく"ばってん"を記したシールがそこかしこに貼ってあるんだから。

 でも俺はそこにカメラを持ち込んでぱちぱち撮るわけ。しかも暗いからフラッシュたいちゃってね。もちろん、女の子はそれに気付くとパニック状態。しかも、何枚も何枚も撮り続けるから逃げ出しちゃうし。


タイのセックスワーカーを、相手の同意を得ずに撮影したとしか読めません。

さらにこの「作品」は、東京都写真美術館で展示されています。


当時の説明文より:

大橋 仁 「SEA」 2007年(写真作品)

 イノセントな笑顔、夜をうろつく野良犬たち。見ようとする視線と対決するかのようにこちらを睨みかえし、カメラに撮られていることに気がついた途端に顔を背け逃れようとします。被写体の女たちはタイの風俗嬢たち。

美術館も、「合意なしに撮影された写真」であることを理解しています。



【メモ】

    • 紛争的な問題提起を行うときには、合意なしの撮影は避けられないはず*1。しかし実際のところ、強引に作品化される対象は、「反論して来なさそうな相手」が多くないか?
    • セックスワーカーという、相手の領域でいちばん弱そうな人を撮影して、その領域を管理する強者は写さない、など。▼裏社会の住人を合意なしに撮影して美術館で展示すれば、どうなるか。――「芸術」を口実にしつつ、ちゃんと計算しているように見える。
    • ある理念で他人への侵犯を行なう者は、《その理念によって確保された自分の領土》を侵犯されることに敏感で、むしろ排他的になる。多くの場合、この自己矛盾は放置される*2。▼芸術や正義を口実にする人たちの、悪い意味でのナイーブさ(言動の硬直、全体主義、ダブル・スタンダード)。要するに官僚的。
    • ていねいな議論は集団的動員になりにくいので、その都度のディテールに入り込むだけでは被害回復ができない、というのが難しい。▼逆にいうと、「人権」「正義」「芸術」等をナイーブに言い過ぎる人たちは、扇情的にしか議論できていない。
    • 侵犯性をともなう作品活動は、相手を傷つけるだけでなく、逮捕されたり、襲われたりするリスクを伴う(その意味でこそ侵犯的と言える)。自分の活動が引き起こすトラブルについて、どこまで予見でき、どこまで引き受けられるか。▼自分の《安全圏≒領土》だと思っていたものまで、紛争で破壊されるかもしれない。
    • 芸術に侵犯が伴うにしても、「侵犯ならば芸術になる」わけではない*3。→侵犯に対して人権を立てたり、人権に対して侵犯を立てたりするだけではなくて、《そもそもどういう侵犯が、活動として必要なのか》についての議論が要る。ここが欠けている。


    • 《侵犯》をかこつ芸術活動そのものが、官僚的反復になっている可能性。
    • 何かを守ろうとする活動は、創造的であると同時に、侵犯的にならざるを得ない。



*1:相手に都合の悪い物証を用意するのに、いちいち相手の合意を取り付けるのはあり得ない。

*2:芸術の大義を万能にしてしまうと、今度は自分も、その同じ大義のもとに酷い目に遭わされる。自分が相手に要求した「合意なき作品化」の試練は、自分のプライバシーにも襲ってくる。▼同様に、正義の名のもとに出版物への検閲を行なう者は、自分の言動が検閲されるリスクを高める。――自分だけは超越的・絶対的な正義でいられると思うところに、観念論的自閉の傲慢さがある。

*3:侵犯だけで芸術になるなら、犯罪や不法行為のすべてが芸術になってしまう。

2014-12-21 疑似科学の傲慢さと、「不可逆の時間」を扱えない科学の傲慢さ このエントリーを含むブックマーク

話題になっていたツイートより:


ある学問領域で実績があり、科学論については穏当な見解をもつ論者が、政治経済や差別問題では唖然とするような議論をしていることからして*1、実は「科学か科学でないか」というのは、知的態度にかんする部分的論点にすぎないことが分かります。



↑この本の邦訳者の1人である田崎晴明氏が、イリヤ・プリゴジン『確実性の終焉―時間と量子論、二つのパラドクスの解決』の書評をされているのですが――プリゴジンを露骨に批判しています。

その書評より:

 時間の矢の問題にしろ、観測問題にしろ、従来の議論を意識的に陳腐化しようとする態度が鼻につく。

 新理論の核心をかみ砕いてできる限りわかりやすく伝えようという姿勢よりは、むしろ華麗な表現と尊大とも取れる態度で自らの偉大さを印象づけようという姿勢


プリゴジンはどこかで、「不可逆的な時間に対する科学者の敵意」に触れていましたが、この書評における田崎氏の敵意は、まさにそれに見えます*2。逆に言うと、時間をめぐる論点は、ノーベル賞受賞者をも怪しい議論に誘い込む。*3


いっぽう、私が困惑しながら取り組まざるを得ない論点は、以下のようなものです。

    • 名詞形「当事者」への疑念と、その動詞化の必要性
    • 主観性や集団をめぐる議論が、「規範論」でしかない現状を「技法論」へ

これは考えてみれば、誤って空間化されたものに時間を導入しようとする試みになっています。


「科学的であればよい」だけでは、活動や議論に不可逆の時間を導入することが出来ません*4。しかし、「不可逆な時間を肯定すればよい」というだけでは、今度は単なる思い込みとの区別がつきません。いくらでもナイーブに、あるいはトンデモ系になり得る。


→不可逆の時間を無視せずに、それでいて妥当な議論を続けるには、

どういう焦点が必要か。私はこのあたりで考えざるを得ません。



*1:2011年3月11日の震災以後、とりわけ左翼・リベラル系の論者に、異様な言動が目立ちます。

*2:ベルクソンやドゥルーズなど、科学者から馬鹿にされる議論の多くは、時間論をしています。いっぽうアインシュタインによれば、「過去・現在・未来の区別は、それが如何に執拗なものであろうと、幻なのである」(『確実性の終焉―時間と量子論、二つのパラドクスの解決』p.138 の引用から孫引き。友人ミケーレ・ベッソにあてた手紙より)。▼科学は、科学である限りにおいて、数学的構造などの「無時間的真実」を扱うように見えます。

*3:プリゴジンは同書で、「時間に始まりはなく、時間は我々の宇宙の存在にすら先行するという可能性は、ますます強まってきている」(p.153)と述べており、ちょっと唖然とします。

*4:自分の正当性を「科学」「論理」に仮託して語る人たちの、時間的変化に対する極端な鈍感さ。――これについては、プリゴジンとも違う議論(言動の技法)が必要なはずです。

2014-12-18 紛争をめぐる生成と技法――制度分析 このエントリーを含むブックマーク

集団の生きるパターンや条件を分析し、これをタイミングごとに組み替えようとする方法論*1には、

    • 雇用やサービスをめぐる民事的契約からの逸脱

という要因があります(最初の取り決めからも逸脱し得るので)。そうすると、そういう意味での制度分析をスタッフに要求することは、それ自体が訴訟リスクとの葛藤になる。


→「そのほうが患者さんのためになるし、自分も楽になれる」と焚き付けられ、しかしいざとなったら「このスタッフが勝手にやったこと」とされるなら*2、職員としては既定路線への官僚的遵守でいたほうが安全です。


そもそも精神科系の医療・福祉では、訴訟リスクを職員個人に負わせる傾向のあることが囁かれます(参照)。職員は薄給で雇われたうえに、自動的に訴訟リスクに巻き込まれ、個人で責任を負わされる。▼医療・福祉への従事そのものが訴訟リスクなわけですが、制度分析においては、そこに不法行為の危険が加わる。


分析の大義で逸脱的な勇気を要求されるのに、

揉め事が起きると「おまえは勝手に逸脱していた、だからお前の責任だ」

――これでは、社会運動に利用されたうえに使い捨てにされるだけです。


現状では、官僚的メンタリティに徹したほうが訴訟リスクが小さいうえに、高給取りになる*3。ならば、分析のインセンティブがありません。「それでも制度分析の趣旨に従え」というのでは、革命指向の左翼が末端党員を脅しているのと同じです。*4


とはいえ、私はやはり、制度分析的な逸脱を必要としています。

その身体的必然性は、紛争のさなかでどういう位置づけを持ち得るでしょうか。

私秘的な密室で、ルサンチマンにとぐろを巻くしかないか。



技法としての制度論は、自分の紛争に取り組めるか?

今のところ制度論は、状況そのものを切り開いてゆくダイナミズムには成りきれていません。*5


先ほど書いたように、制度分析をともなう実務は、無償奉仕での分析労働を要求するのですが(参照)、たとえばそれを要求する医師が、自分の利権にだけは触らせないとしたら。――「制度分析」は、地位の高い者が無償で愚痴を聞いてもらう口実に終わりそうです。*6


生活圏に内在的に生じる分析は、「制度分析」を標榜する関係者間にすら対立を生じさせるのですが、今のところ、この敵対性は話題にできていないのです。

この状況は、《世界平和を標榜しながら、党派闘争をやめられない》という左派のダブスタに重なります。自分たちじしんは紛争への技法的対応をできていないのに、周囲には「分析」を要求し、紛争をやめろという…


紛争生成としての制度分析が、紛争処理の官僚的アルゴリズムとしての法言語に頼らないなら*7、制度分析は、自前の紛争技法を身に帯びなければなりません(語彙やロジックも自前で開発する必要があります)。*8

ここであらためて、《紛争の自治》という未解決のモチーフが現れます。昨今の左派言説が、任侠系の組織暴力と結託する(それを誇示する)のは、技法の現状に基づいた必然です。


      • 【2014年12月18日深夜の追記】: 今の私が、制度論関係者との間で、すぐに裁判を必要とするような紛争状態にあるわけではありません。むしろ制度論は私にとって、既存左派とのトラブルを言葉にするために、重要な意義を持ちました。あるいは今回エントリしたような問題意識を形にすることも、私にとっては制度論的な分析の一環であると言えます。▼概念としての《制度》は、それを標榜していれば何でも許されるといったような、あるいは、つねにそこで共有関係が成り立つような、そういう概念ではないはずです。


*1:フランスのラボルド病院が標榜する「制度論的な精神療法(psychothérapie institutionnelle)」や、それとの関連にある「制度論的な教育学(pédagogie institutionnelle)」など

*2:いわゆる「ハシゴ外し」

*3:すでに制度順応している人たちに関しては、ですが。――排除された側には制度分析の動機づけがあっても、既得権側にインセンティブがないなら、どうにもなりません。

*4:ジャン・ウリは制度分析について、「ただ働き」というのですが(参照)、逸脱的な訴訟リスクに巻き込むなら、むしろそのリスクまで織り込んだ高給が当然に思えます。

*5:あれこれの分析が依存的な親密圏を出るには、紛争そのものに動じないキモの太さが必須です(これは知的というより身体的な課題)。怯える人は、饒舌に語るすべてが防衛機制になっています。

*6:制度分析の結果、医師は資格に守られて高給取りのままですが、患者は「カテゴリ化された肩書き」を失うと、社会保障の対象から外れる。そうすると、医師は自分の利権は守ったままで、相手にだけは利権を手放せと言っていることになります。

*7制度を使うという制度論の趣旨には司法の活用も含まれるはずですが、紛争に直面して法律用語の駆使以外のことができないなら、わざわざ別建てで「制度分析」を言う必要もなくなります。たんに法律を勉強すればよいだけになる。

*8:難解なジャーゴンで語るだけでは、広い支持を得られないため、紛争対応としては失敗します。

2014-12-17 抑圧の実行行為としての分析 このエントリーを含むブックマーク

  • 思想とは、紛争導入のスタイル。愛する≒紛争する。執着のないところに説得はない。▼このテーゼ自体が自己言及的。私はこのように導入している。
  • 紛争は思い通りにならない。紛争こそ中動態であり、事件と受働に満ちている。*1
  • 昨今の言論は、情報処理のパターンを模倣する。アルゴリズムと、順応主義的な自己顕示欲があるだけ。それぞれの理論や思想家がアルゴリズムの提示。*2


過剰な《病気化》と、過剰な《心因化》

    • 病気ということにすれば専門家は業績になり、患者は免責される*3。専門家側は、アルゴリズムからの逸脱で過失責任を問われるが、「アルゴリズムしか考えていない」ことによる過失が忘却されている。
    • 心因ということにすれば専門家は免責され、患者内部の問題になる。しかし「心因」にも、専門家の言動やシステムの前提が関係している。


分析そのものが紛争性を黙殺し、抑圧行為そのものになっている。



*1:「泣き寝入り」と「被害者意識」の両極しかない。分析そのものにおけるキモの細さ。

*2:「アルゴリズムではいけない」という主張そのものが、たとえばラカン言説のアルゴリズムの反復でしかないという滑稽さ。

*3:せいぜい生活習慣病など

2014-12-01 時間との付き合いかた――映画『インターステラー』 このエントリーを含むブックマーク

ueyamakzk2014-12-01

以下、ネタバレ注意。




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