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[語句説明]

2015-02-03 論者たちじしんの、労働の技法は? このエントリーを含むブックマーク

先日の拙エントリが参照されているのですが、

通りすがりにひどく罵倒されています。

 このブログの人は、「思想研究」の対語を「実学」などと言っているので、その時点で話にならないのですけど、


私が引用した議論の場には「実学」「実定法学」「経営学」の語が出ていますよ。

そしてこれを言った稲葉振一郎氏は、これらの語を「思想」にぶつけています。


濱口桂一郎氏の側に、ジャンル区分をめぐってのバイアスがあるようです。



既存ディシプリンでは扱えない問題状況があること

私は先日のエントリで、

  • 身体医学のような意味での「実学」を目指すこと
  • 指標とされるさまざまなデータを調べること
  • 重大な影響力をもった過去の文献を調べる「思想研究」

――こうした区切りへの安住を自明視することはできない、と言ったのです。


既存のディシプリンを自明視しては、労働を論じる側が、

《みずからの労働のあり方》について、論じなおすことができません。


これでは、論じる側も、論じられる側も、《技法》の試行錯誤ができません。


集団的に陥っている《働きかた》――それは、濱口氏ご自身のおっしゃる「メンバーシップ」*1にとっても、重要な要因でしょう。


私の議論には、

 メンバーシップの現状を分析し、そのつど組み替えながら集団を営む

という、技法論的な趣旨が含まれています。*2


逆にいうと、議論のジャンル分けや、一つ一つのディシプリンをあまりに自明視しては、言説の生産様式が固定されることの有害性も、見えてきません。*3


私の議論をバカにした濱口氏は、

思想研究にも実証科学にも、ありきたりな精神医学にも対応できていない、《働くことができずにいる人たち》について、どんな議論を提出できるのでしょう。



「思想研究の外に出る」という思想

先日の論争で、「思想系」のおひとりである佐々木隆治氏の反応:


たしかにマルクスは、当時ドイツで隆盛を誇っていた哲学的な思想潮流について、

「思想研究をすることで思想に反論する」という形を採らずに、

端的に経済研究にのめりこんだのでした。


佐々木氏が「hamachan も指摘しているような皮肉」とおっしゃるのは、↓これですね。

 私の目からは、ここで思想系をdisっているようにみえる稲葉振一郎氏こそ、一番現実社会の「思想」よりも思想家の「思想」にばかりかまけている人に見えるからで、ここでの稲葉氏の発言自体、一種の近親憎悪というか、同じ思想系同士の「そのブドウは酸っぱいぞ」に響くところがあります。(濱口桂一郎『労働と「思想」』)


思想系を批判する稲葉氏じしんが、現実社会を無視しているじゃないか、と。

「学説オタクではダメだ」ぐらいの意味でしょうか。


カール・マルクスは、「思想家の思想」を研究して終わらせるつもりがなかった、という意味では、「思想研究をしていた」とは言えません。しかし、経済学説に現れた思想については、しつこく問題にしていた――とは言えそうです。


関連して、濱口氏の発言で興味深いのは以下の部分でしょう。

 私にとって思想家の「思想」が興味をそそるのは、それがケインズの言う意味で、後代の現実社会のプレイヤーをその思想の奴隷とし、現実社会を動かしてしまうことがあり得るからです。労働の世界はとりわけそれが顕著であるだけに、思想家の「思想」抜きに現実社会研究もあり得ないのですが、その限りということになります。「本当に正しいマルクス解釈」なるものに関心が持てないゆえんでもあります。


数理科学のようにテクニカルな学問に見える経済学も、

その基礎づけにおいて、何らかの《思想》を生きている。


であれば、稲葉振一郎氏を《思想家の「思想」にばかりかまけている》と批判する濱口氏も、すでに何らかの「思想」に毒され、それに気づかないまま、自分の正当性を構築しているはずですから――そこを分析する必要がある。


そういう分析を目の前で共有する技法が、労働参加において《臨床的に》機能するのです。少なくとも、そういうことを話題にできる言説環境が要ります。



結論より前に、議論の方針そのものの問題

ある議論が、

  • 状況の悪化に加担している努力なのか、それとも、
  • 状況を改善するほうに回っているのか。

それが、議論の結論部分ばかりでなく、議論方針そのものの問題だとしたら。

――このモチーフに気付けている人が、今のところほとんど居ません。



【2月4日の追記】

自分たちのディシプリンに凝り固まって、それをやっていれば「業績も雇用も確保できる」「大事なことはこれですべて」と思い込んだ人たちは、それでは対応できない現実については、まったく考えようとしません。――この人たちにとっては、実際に生じている事態というのは、存在しないことになっている。

労働を専門に研究している人たちですら、こんな状態となると――どこに攻め込むべきか。ふつうに議論を続けても、誰も聞いていません。



*1:cf.『日本の雇用と労働法 (日経文庫)

*2:技法論的な趣旨は、たんなる実学でも、たんなる思想研究でもありません。むしろ実証科学まで含めて、すべての議論には技法論的な前提や実態があるので、それを分析しなおす必要があります。

*3:ディシプリンを「無視しろ」とは言っていません。議論のフレームを固定すべき場面はあります。

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