Hatena::ブログ(Diary)

無意識日記々

2017-10-20-Fri

失われた恭しさ

『Eternally Drama Mix』発売から9年ねぇ。後にコンピレーションに収録される事でCD化を果たしているとはいえ基本は配信限定だった。その前の『Prisoner Of Love』まではフィジカルシングルが出ていた訳だから、ヒカルの新曲が配信限定になってちょうど9年という事になるのか。Drama Mixを新曲と呼んでいいかはわからないが。

良し悪しは当然ある。そもそもフィジカルを買わなくなったリスナーが"悪い"訳で、なのにフィジカル発売したくなった途端に「CDで欲しい」と言い出すから始末が"悪い"。…こう書く事も出来るし、「時代に合わせてフィジカルを値下げしなかったレコード会社が悪い」とも言える。しかし悪者探しは私たちには関係ない。

やはり、まず店頭で買うというのは高揚感を助長する。店内のレイアウトをみて、今回の新曲は力入ってるなーと何となく思うだけで歌の伝わり方が変わってくる。アナログレコード時代はもっとサイズが大きかったし再生行為も恭しかったから、更に高揚感が増していた。儀式の力で音楽の価値が上がっていたのだ。自然と聴く耳にも力が入った。

配信時代はあっさりし過ぎているほどあっさりしている。その軽さに合う音楽ならいいのだが、例えばヒカルの『Be My Last』などはアナログレコードで買った方が評価が高かったのではないか。音質の問題ではなく、リスナー側の心構えの違いで。

本来なら、だから配信限定シングルは気楽に聴けるタイプの曲を選ぶべきだ、と話が続くのだがヒカルは全くその点に関して頓着していない。『真夏の通り雨』なんて12インチシングルに針を落として聴くような重厚さだ。それに見合ったフォーマットを考えたい所なんだが現実はまだいい案が思い浮かばない。できればリスナーの心理を誘い込める"聴かせ方"を見つけたい所なんだがな。

[]2017年10月19日のツイート

2017-10-19-Thu

「歌を見せる」方法を色々妄想中

歌詞可視化サイトの立ち上げは様々な可能性を秘めている。「歌を見せる」方法論の試行の一つ。これがベストなのか、ベターであるかすら定かではないが、こういう方向への模索は大いに歓迎したい。

例えば歌詞可視化をミュージック・アプリと結びつけるのはどうだろう。今だとサイトにアクセスしないと人々のフィードバックが見れないが、ミュージック・アプリでヒカルの曲を再生すると自動的に歌詞可視化サイトが表示されるようにするのだ。ツイートは特定の歌詞のパートと結び付いているから、その歌詞が再生されているタイミングでツイートが(例えばフキダシのように)表示される、なんてのはどうだろう。ニコニコ動画(及びニコニコ生放送)に10年親しんでわかったが、人間、流れる字幕を読む能力は上がるものだ。慣れたら結構頭に入ってくる。なんとか実現出来ないものかねぇ。というか、歌詞可視化まで来ている以上当然この発想はあっただろうから、恐らく技術的な問題や権利上の問題で座礁したのではないだろうか。何とも勿体無い話である。

ミュージックアプリTwitterとも連動すれば、歌詞に関しての感想をワンタップでいいねする事も出来るだろう。わざわざツイートを歌詞可視化サイトまで見に行く人は少なくても、ヒカルの歌をスマートフォンで聴く人は多い。今より格段にツイートにいいねが集まり、投稿者のモチベーションは上がるだろう。当然投稿自体も増える。

更に、ミュージックアプリだけでなくYouTubeとも連携出来るようにならないか。YouTube本体の字幕機能もどんどん上がっているが、歌詞と共に歌詞へのツイートまでスーパーインポーズできればかなりスリリングになりそうだ。配信音源を購入してスマートフォンで聴く人間の何十倍もYouTubeでヒカルの曲を聴く人は居るだろう。歌詞可視化アプリYouTubeTwitter両方と連携すればかなりバズるぞ。

技術的な困難や権利上の難儀は素人には想像し難いので更に好き勝手言おうか。ミュージックアプリが歌詞を表示させるのは当然として、様々な拡張機能が期待出来ないか。例えば、歌詞を総てひらがなで、或いは総てカタカナで表示させる。ローマ字もいいな。そして例えばア段の字だけハイライトしたりア行の字だけハイライトしたりする。ヒカルの歌詞の音韻構造が一瞬にして明らかになる。こことここは韻を踏んでいるのか、と初めて気づく。一字だけでなく2文字以上でも共通の構造が浮かび上がるようにしたい。子音の並びが同じ箇所や母音の並びが同じ箇所も指し示せるようになればしめたものだ。ニーズはニッチだが物珍しさもまた大事だろう。

ついでに、と言っては何だが辞書・翻訳機能とも連携をお願いしたい。単語をつつけばたちどころに語句の解説が表示される。『Addicted To You』ってどういう意味だろ?と思った新しいファンがすぐに日本語訳にアクセスできる。『EXODUS』や『This Is The One』なら対訳をそのまま埋め込んでも構わない。嗚呼そんなアプリ出来たら私スマートフォン買ってしまいそうだよ。


まぁ素人の妄想なので実現可能性については勘弁うただきたい。無料にするか有料にするかといった現実的な問題も考えてないし。しかし、スマホユーザーの暇潰し体験の中に歌が歌手が音楽が組み入れられる為には、何か一工夫が必要なのは意見が一致する所ではないか。なんとかしてイヤホンを取り出して耳につけて貰わないと話にならない。その為にまずは「歌を見せる」ところから始めよう―基幹となる発想はなんら間違っちゃいない。ここからアルバム発売更にコンサートツアーへと歩を進める中で更なる革新を期待したい所だ。

show me your face at new phase

ヒカルは新作を作る度毎度判を捺したように「今回は自分をさらけ出した」「今までは遠慮して言わなかったような事も言ってる」とインタビューで答えている。嘘をついている訳ではないんだが、毎度字面通りに捉えていたのなら今頃宇多田ヒカルという人は丸裸にされている筈だが全くそんな事はなく。最近は発言自体が少ない事もあって寧ろ「何を考えているのかわからない」割合が増えているんじゃないかとすら思えてくる。

初期のファンには音楽がどうのという前にヒカルの人柄に惚れ込んで追い掛けているという人が少なくなかった。普通、優れたミュージシャンというのは庶民には取り付き難い気難しい性格だったりというケースが多く、スーパーウルトラエキセントリックグレイテストミュージシャンである宇多田ヒカルはどんなに難しい人なんだろうと思いきや気さくで優しい人だったという事実は多くの人々の心を捉えた。いやもうミュージシャンかどうかすら関係なかった。「この人は魅力的だ」と思わせた。その大元の原因が毎日のように更新されていた『Message from Hikki』であった事は言うまでもない。

復帰後もヒカルは着実にファンを増やしているが、果たしてその人間性は伝わっているのだろうか? キンタマがキレイだとか屁が臭いとか言われて「この人は魅力的だ、追っ掛けよう!」となっているのだろうか? わからん。でも、何となくだが、若いファンの皆さんも「Hikkiファン特有のノリ」みたいなものを持っているようにもみえて不思議だ。何というか、ちゃんと伝わっているものなのだな。

これが、曲を聴いて通じているというのなら、今やヒカルは『Message from Hikki』に頼らずとも自分自身のノリを伝える事に成功している訳で、なら確かに、冒頭で触れた通り「より自分をさらけ出していく」方法論が着実に実を結んでいるのだとも言える。『Message from Hikki』に慣れ親しんできた世代からすれば「今更かよ」となってしまうのは仕方がないが、何を書いても炎上案件にばかりなる今の風潮を考えると、これでよかったというか、こうするしかなかったのかな、とも思えてくる。

『あなた』を聴けば歌詞の面での新境地、"母親目線"を体感できるが、これは別に今まで隠していた自分の内面をさらけ出したとかではなく、シンプルに「新しい自分」の表現である。母親になった私はこんな風に思うようになった、それを素直に歌にした。であるならばヒカルはもうそんなに力んで自分の殻を破ろうとしなくていいのかも、しれない。ここから作風が安定していく時期に入るのだろうか。それはわからないけど新しいフェイズに入りつつあるのは間違いなさそうだ。

[]2017年10月18日のツイート

2017-10-18-Wed

よくわからないけど説得してみる

最初の最初はシンプルで構わないのだ。「なんだかよくわからないけどライブがやりたい!」と叫べばいい。やりたくなった理由がどうのとか具体的にどんなライブをやりたいとか細かい事はどうでもいい。ヒカルがライブをやりたいと言えば総てが始まる。

そもそも宇多田ヒカルがライブをやりたいと言い出して反対する人はこの世に1人も居ないのではないか。誰もが「そうかそれは楽しみだ」となるだろう。全く興味の無い人も「ふーん、やりたきゃやりゃいいんでないの」と言ってくれる。文句があるとすればプロモーション戦略上のタイミングがどうのとか、ヒカルのキャリアを真剣に考えている人たち、つまりSONYに移籍したチーム宇多田の面々だ。勿論、彼らこそが「いちばんヒカルのライブを観たい」人たちなのは言うまでもない。ヒカルがライブをやりたいと言って真っ先に相談されそれを少なくとも内心では大喜びできる人たち。ライブに反対するとしても、誰よりもヒカルの事を考えている彼ら位のものなのだ。照實さん? ファン歴世界最長の人ですよ言うまでもないがな。

でまぁ。最初は衝動的に始めたとしても具体的に話を詰めていくうちにライブの概要が固まってくる。今やヒカルは座長だから大きな決断は自ら下す立場だ。その選択と決定によってライブ、コンサートツアーが「ヒカルの情熱を表現した作品」として我々の前に顕現していく。そのプロセスを経てヒカルも自らの情熱の詳細を知るのだ。

したがって、「なぜヒカルはライブをやりたがったか?」の答を知るのはツアーが終わった後かもしれない。そこで振り返って初めて、何があったのか理解ができる。そして「やってよかったかどうか」の価値判断はしばしば最初の情熱と関係ない視点で為されるのだ。

「あたしはただステージに出て思いっ切り歌いたかっただけなんだけど、思ってた以上にみんなが喜んでくれてよかった」とか「気がついたら身体が鍛えられててツアー前より健康になっててよかった」とか「地方の経済の活性化に一役買えたみたいでよかった」とか、事前には想定していなかった「よかった」が次から次へと出てくる。それは、最初の情熱や欲望が報われるという本筋から離れた「望外の成果」である。いつのまにか倒産寸前の中小企業を救っているかもしれないし、離婚寸前だった夫婦が仲直りしているかもしれない。寧ろ、「自分が事前にやりたいと思ってた事は全然できなかったけど、やりくりしてるうちに喜んでくれる人たちが増えてった。これはこれでよかったのかな」と思えるようになっているかもしれない。事前にはわからんのだそんな事。自分の最初の情熱を信じてあげる所から総ては始まるのだし、求めていたものが得られなくて求めてなかったものが得られても「これでよかったのかも」と思えたら正解である。特にヒカルが人前に出ればそれだけで世界の

笑顔の総量がちょっぴり増えるのだから、何も躊躇う必要はない。人前に出る仕事をしたいとなったら遠慮は要らない。きっと何かの実を結ぶ筈だから。

家業を継いだんだぜ

こういう風に突き詰めていくと、会場選びも音造りも人選も選曲も何もかも、「ヒカルがどういうライブをやりたいか」という話に行き着くし、それはつまり「ヒカルはなにゆえライブをやりたいのか」を問い続ける作業ともいえる。そこから総てが始まるのだ。

スタジオで宿題をしスタジオで昼寝をする生活からしてヒカルは根っからの「工房で職人」タイプで、間違っても(?)人前に出たいタイプではない。そこらへんからして母親譲りで、目立ちたい訳ではないのに美貌と美声で否が応でも人々を惹き付けてしまう。そして、毎度お馴染み『家業を継いだ』発言からわかる通り、運命を受け入れながら生きてきている。2人とも「小さい頃の夢を叶えた」というよりは「目の前の現実に対処し続けていたらこんな事になってしまった」感。

そしてヒカルは「どんなに裏で喧嘩してても泣いていてもひとたびステージに上がれば完璧に歌う」母の背中をみてプロの何たるかを幼少の頃から叩き込んで育んだ。自分の状態がどうであれ、引き受けた仕事は遂行する能力もまた、母を受け継いだものだろう。

しかし、仕事を引き受ける事と自ら仕事を作り出す事とは違う。ライブの細かいコンセプトを決めるには「ヒカルがどうしたいか、何がしたいか」にいちいち戻らなければならない。そしてそれを逐一周囲に伝えなくてはならない。高いモチベーションが必要になる。

そのモチベーションが如何に高かったかの証明こそがコンサートそのものなのだと言い切ってしまいたい所だが現実はもうちょい複雑だ。次回へ続く。

[]2017年10月17日のツイート

2017-10-17-Tue

私何でライブの話なんかしてんだろ

デビューから18年も経てば大抵はファンの間で「ライブでの定番曲」という共通認識が出来上がっていて、ライブに詣でるというのはベテランにとっては確認作業、御新規さんにとっては「ファンの間の共通認識の初体験」になる…筈なのだが、ヒカルのファンは長くやっていてもそういうのが物凄く少ない。「『Automatic』ではサビで拳を4回突き上げるんやで〜」とかそういうの? ないよねぇ。DVDを観てても、ヒカルの想定する最大多数は「はじめまして」のお客さんだ。

そりゃまぁそうなのだ。ツアーになれば緩和されはしたけれど、デビュー直後の宇多田ヒカルのライブといえばプラチナチケット。抽選で当たって行くものだったから、そもそも常連になろうと言っても無理だった。その中でも何十回と行ってる人も居るのだが、ぶっちゃけ同じツアーを何回行っても選曲はほぼ同じなので今話している話題には余り関係なかったりもする。兎に角、ヒカルのライブのお客さんは「はじめまして」の人がメインだから、今後初めてヒカルのライブに行く読者さんは緊張する必要がありません。あなたの方が多数派です。

その分、「内輪ノリ」というのは極端に少ない。『ぼくはくま』くらいじゃないかちゃんと歌詞を覚えていった方がいいとかは。それでもプロンプト出ちゃうし。

で前回触れた通り選曲も、今までのツアーやライブ云々よりまず「たくさんメディアに出てた曲」を気にかけられる。はじめましてさんを相手にするから当然だ。テレビやラジオYouTubeから流れてきた"あの名曲たち"を聴く場なのだそこは。遠慮なく盛り上がってください。


さてそんな中で、復帰後の楽曲の扱いがどうなるか、である。『桜流し』以降の楽曲と言った方がいいかな、この曲抜きに『Fantome』は語れないので。更にそこに加えて『大空で抱きしめて』『Forevermore』『あなた』を含む次のアルバムの楽曲たちが加わる訳だ。アルバム2枚分。結構分厚い。

花束を君に』を外す訳にはいかないだろう。大型タイアップがついたとはいえ、宇多田ヒカルが今でも国民的に親しまれるヒット曲を出す事が出来るのだと証明したのだから。寧ろこれを歌わないなら『WILD LIFE』の再現に過ぎなくなる。…あそれでも十二分に嬉しいな。別にそれでもいいや(笑)。

そう言い切れる楽曲があるのは幸せな事だ。同時期にデビューした人たちは、今まで何枚ベストアルバムを出しているのだろう。ヒカルが次に出すとしても『Single Collection Vol.3』なのだから…と言い切るのはちょっと難しいんだよねという話は脱線になるのでまたいつか。

話を戻すと、ヒカルが次に出すとしても桜流し以降の曲に絞ったコンピレーションにしても全然大丈夫な位に、知名度のある楽曲を連発しているという事だ。事実、今、こうやって書きながら「また次に出す曲がヒットしたら情勢が変化して今書いてる話最初から書き直しになるなぁ」と思いながら書いているのだ。何というか、デビュー19年目(18周年イヤー中)で何とも贅沢…ってこのフレーズ今年何回使ったんだろ。

兎に角、少なくとも『花束を君に』と『真夏の通り雨』は一部の日本人にとってコンサートで「毎日テレビから流れていたあの曲が遂に生で!」と期待される楽曲になっているんじゃないかという話。この曲への反応如何で、「初めまして」さんの中でも更に「復帰後ファンなった人たち」がどれ位の割合居るかがわかる。長年のファンは、幾ら最近の曲も気に入っているとは言っても、積年の思い入れの深さが違う。特に、抽選に外れ続けた人(涙)にとっては感慨深い事この上ないので歓声が違いすぎても勘弁して下さいw

「皆さんお馴染みの名曲披露

そして「音の良さ」以上にライブの成否を決める重要な要素がある。「曲の知名度」だ。

有名な曲を披露する。ライブの盛り上がりはほぼこれにかかっている。これに較べれば音が悪かろうが歌が下手だろうが演奏や照明がグダグダだろうがものの数ではない。口パクだって構わない。「皆さんお馴染みの名曲披露」こそがライブの要諦であってこれより大事な事といえば本人が舞台の上に出てくる事くらいなものだ。

その点宇多田ヒカルは鬼のように強い。どれだけ調子が悪くても『First Love』さえ歌い切れれば聴衆は大体納得して帰る。もし歌わないのなら、幾ら音がよくてパフォーマンスが最高でも観客は不服を申し立てるだろう。

…と言ってたのは、今は昔、なのだろうか? 今までそこまで影響のなかった「聴衆の世代交代」について考えなければならない時が来ているのかもしれない。

我々の若い頃と違って「過去の名曲」はすぐにYouTubeで聴ける。思っているほどギャップは無いのかもしれない。それ以上に影響力が強いのは地上波テレビで、事ある毎に流れてくるのが『First Love』である事を考えると、リアルタイムであの頃を知らない世代も反応は似たようなものになっているかもしれない。

問題は他の曲か。『Can You Keep A Secret?』は年間1位曲だが、普段触れる機会は余り無い。ドラマ「HERO」との紐付きが弱いからか。もしかしたら「新劇場版ヱヴァンゲリヲン」が取り上げられる度に流れるBeautiful World』の方がお馴染みかもしれない。

実際、本来は逆の話なのだ。ツアーの度に演奏される事によって楽曲はファンにとってお馴染みとなっていく。しかしヒカルの場合平均ツアー周期が長い為その理屈が使えない。『In The Flesh 2010』に行ってるかどうかで大分印象が違うのだがそれは言っても仕方ない。

自力というより、メディアの力を借りて醸成された「お馴染みラインナップ」が現実のライブでどう出るか。それとともに『桜流し』以降の曲についても考慮に入れねばなるまい。次はそこら辺の話から。

[]2017年10月16日のツイート

2017-10-16-Mon

"音の良さ"は現実のナマモノの要

フェスティバルで沢山のバンドを一度に同じ会場で観て痛感するのは、サウンド・クォリティーはやはりどれだけチームとして拘るかでかなり違ってくるという事だ。同じ舞台に立ってても「音の良さ」はバンドによって驚くほど異なる。

ライブコンサート会場で「音の良さ」は文字通り生命線だ。幾ら素晴らしい歌唱、素晴らしい演奏を披露しても音が良くなかったら全く伝わらない。兎に角オーディエンスの耳に出来るだけクリアーな音で届ける事。コンサートはそれが総てだと言ってもいい。

歌の上手さ、演奏の上手さといった「技術の評価」は難しい。コンサート会場にライブを観に来るような熱心なお客さんでも「私、ギターが上手いとか下手とかよくわからないから」と言う人は多い。寧ろ最大多数派だろう。だから、バカテクの演奏者を揃えたからといってウケるとは限らない。しかし、サウンドがキレイかどうかは皆ちゃんと自分の感想を持つのだ。「うわぁ、キレイな音だね。」「なんだこれ、音が悪いなぁ」というのはコンサート会場に来たほぼ全員が言う事だ。

何が言いたいのかといえば、もしヒカルがライブコンサートを開くなら、ツアーに繰り出すなら真っ先に決めるべきは実はバンドメンバーじゃない、サウンドメイクのエンジニアさんなんじゃないかという話。もっと踏み込んで言えば、ヒカル以外で最高のギャランティを支払うべきなのはサウンド・エンジニアさん、或いは自分で機器を操れる音響監督さんだろうと。

現実には各ミュージシャンの皆さんは自分のサウンドの作り方に一家言を持っているものだから、彼らとよく摺り合わせながら会場の音を作れる人材、という事でまずはバンドメンバーを先に決めてからの人選にはなるだろうが、妄欲を言うならまずエンジニアさんを決めて「この人とだったらいい音が作れる」という人を選んでいく、なんてアクロバティックな人選をするのもいいんじゃないの、と思ってしまう。

ヒカルの体調管理、喉の調子は最優先事項だ。バンドのアンサンブルも鍛え上げなくてはいけない。しかし、それを成し遂げても聴衆一人々々に届かなければ意味がない。ヒカルの抜群の歌唱は、それを余す所なく伝える洗練されたサウンドプロダクションが伴って初めて意味があるのだ。


山下達郎などは、サウンドのクォリティーを保つ為に頑なにアリーナよりも大きな会場でライブをしない(野外は別だそうだが)。その為、毎回ホール公演を何十も打つハメになっている。それでも彼の人気からすればチケットの枚数が全く足りず毎回プラチナチケットなんだそうな。しかし、本来、「音の良さ」の為にはそれ位して当然なのである。


ここからが、ヒカルの「ツアーに対するアティテュード」が問われる場面になってくる。「音の良さ」の為には会場は小さければ小さいほどよい。最後はアンプもマイクも取り去って生演奏と生歌だけになれば音の劣化はゼロになる。電気を使って音量を増幅させるから歪むのだ。そして、音量を上げれば上げるほど歪みは大きくなっていく。大きな会場であればある程、「良い音」を出すのは難しくなっていく。

現実として、どこに落としどころがあるか、だ。ヒカルが「来たい人は全部来れるように」とドーム公演とかアリーナ3daysとか大きな会場でやればプラチナチケット化は避けられるだろうが、サウンドクォリティーを保つのは難しくなってくる。かといって山下達郎のようにホール公演に絞ったりすれば、いつまで経ってもツアーが終わらないだろう、皆にチケットが行き渡る為には仕方がない。その間のどこらへんかでバランスをとる。ここでそのバランスを決めるのは結局ヒカルのツアーに対するスタンスなのだ。そのスタンスを明確にする事でツアー規模もエンジニアリングもバンドの人選も何もかも決まっていく。だからまずはそれをハッキリさせなければならないだろう。

そして、それを伝えるのがツアータイトル、という事になる。『In The Flesh 2010』とか『Wild Life』とか妙に肉々しいタイトルが続いているが、ヒカルにとってはそれだけライブは「ナマモノ』なんだろうな。さてどんなタイトルでいつ発表になるのやら。ヒカルのスタンスとアティテュードを一発で伝える秀逸なのお願いしますよ。

まずは週の枕から。

ヒカルがライブをやりたがっているのはいいとして、さてそれをどんなものにしたいのか、というプランはあるのだろうか。それを探るには「そもそも何故ライブをやりたいのか」を掘り下げる必要があるだろう。

野暮は承知なのだが、それによって我々の体験は変化する。否、それを知る事によって我々のライブ体験は変化する。恐らく、大体いい方に。知っておいて損はない。

と言っても、実は答は「WILD LIFE」の再現、でファイナル・アンサーだ。あれの完成度は凄かった。本当に初顔合わせだったのだろうか? ウタユナん時はバンドがまとまるまで2ヶ月もかかったように。

で次はツアーになるから、「WILD LIFE」のクォリティーで全国を廻れるか?が次の課題になる。移動による体調管理の難しさ、会場の差による演出や音響の調整など、大所帯であればあるほど難しくなっていく。ただ「あのクォリティーを再現すればいい」と言っても課題は山積みなのだ。

何よりスタミナである。ヒカルの喉は保つのか? ボヘサマは一回休んだし、ウタユナはギリギリで乗り切った。インフレはかなり安定していたようだが、NY公演などはやや不調だったようだ。一応ツアーの経験は3回あるのでやり方を心得ているのは間違いないのだけれどブランクがどちらに作用するか。現場勧が衰えているか、さもなくば休止期間が喉の長期休養となってスタミナ全開で帰ってくるか。いずれにせよ楽しみにしてます。