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無意識日記々

2017-08-23-Wed

夏のとても暑い日

1日ずらして書いておくか。

母親の命日を毎年迎える、とはどんな気分なのだろう。人の子である以上そういう日々はやってくる。慣れるというか、それが日常の一部になる、のかな。普段から祈っているのなら逆に、そう特別な事でも、ないのかもしれない。

最近身近でその逆、「これから毎年母が娘の命日を迎える」事例があったばかりだ。それに較べれば、ぐっとこう、自然の流れの一部として、わかるかもしれない。

語るべき事は多くない。起こった事は起こった事で、今生きている人間が学ぶかどうかだ。まだヒカルの歌の歌詞には色濃く影が残る。これから消えていくのか、それとも益々濃くなるのか。もう暫くは見守る事に、しておくか。

[]2017年08月22日のツイート

2017-08-22-Tue

ならもっとならしてみようよ

従来のヒカルの曲はベース・サウンドを全く重視していなかった、という話を以前した。音色上は重視していただろうが、編曲上は"最も突然無くなっても構わない楽器"第1位であり続けてきた。

結果論だがそのサウンドは「ベースを重視しない日本人の耳」に非常にフィットしたものとなった。ヒカルは別に「日本人はベース聴かないから抜いちゃえ」と意図してサウンドを作ってきた訳ではない。以前から指摘しているように、作曲のプロセスにおいてベースの出る幕が無かったからだ。

とすると、まず気になるのは『Forevermore』の曲作りのプロセスだ。なにゆえベースがこんなに強い楽曲となったのか。

桜流し』もまた"珍しくベースの強い曲"だがこちらは明らかな推理が可能だ。共作者であるポール・カーターのインプットがあの特徴的なベースラインだったと解釈すれば、それ以外のパートはまさに"宇多田ヒカル"であった。今のところ、『Forevermore』の楽曲に関しては共作者が在ったという情報はない。ヒカル単独の作曲である。

これには、正直違和感が拭えないのだ。前に触れた通り『Forevermore』はバンドで作ったような曲構成で、ジャム・セッションから生まれたような自然さを感じる。特にギターは"作曲"というより聞こえてきたフレーズにフィーリングで反応して弾いているようにみえる。

こういった楽曲は、例えば作曲は単独名義でも編曲がバンド名義だったり、或いは真逆に作曲をバンド名義にし編曲を責任者が、という例もある。そういったクレジットが後出しで出てくるかどうかだ。まぁ、わからんわな。

勿論あのベースラインもギターのオブリガードもヒカルが楽譜に書いて演奏者に渡した可能性はある。ならばクレジットも単独で何ら問題はないのだ。がしかし、ベースラインばかりいつも聴いている身としては「初めて本格的にベースラインを書いた割にサマになりすぎている」のが気にかかる…いや、気に入らない(笑)。こんなにうまくていいものか。ベーシストでもないのにさ。

何より、リスキーなのだ。ベース中心の曲は日本人にウケにくい。そんな歌を、よりによって地上波テレビドラマの主題歌という"最も日本人に聴かれる"場所に使ってきた。番組の視聴率からすると、毎週一千万人がこの歌を聴いている。そこにここまでチャレンジングな楽曲を持ってくる。有り体に言って「考えられない」。

しかし評判は上々のようで、またもドラマの後にはiTunes Storeチャートで3位にまで返り咲いている。瞬間風速の順位にどこまで意味があるかわからないが、徐々にこの曲のよさが浸透しているのは間違いない。もっとも、長年のファンからすればドラマの視聴率ダウンロード数ともども「もっとスケールの大きい話」になって欲しいと、思ってしまうのかもしれないが。視聴率30%のミリオン・セラー&年間総合1位だもんねぇ…。

兎にも角にも『Forevermore』はチャレンジングだ。次回は更にその"日本人には伝わりにくい魅力"についてもうちょっと触れてみたい。



独り言:命日を【今日は何の日】に組み入れる否か、悩んだまま四年が過ぎたのか…来年もきっと悩んでる。

ならされていないていおん

日本人はベースに興味がない、という話。ギタリストは昔から人気がある。三大ギタリストエリック・クラプトンジミー・ペイジジェフ・ベックなどは有名だろう。リッチー・ブラックモアは既述の通り異様な人気だ。エディ・ヴァン・ヘイレンイングヴェイ・マルムスティーンなどは言うまでもないだろう。しかし前回記した著名なベーシストのうち、上記のギタリストたち並みに名前が知られているのはジョン・ポール・ジョーンズくらいか。ポール・マッカートニーは超有名だが別にベーシストとして評価されている訳ではない。

日本人がベーシスト、ベース・プレイに興味を示さない理由。正直に言えばわからない。しかし、常に書いている仮説ならある。

まず、日本の住宅事情だ。アメリカの家はデカい。お隣さんまで距離があるから大きな音で音楽が鳴らせる。日本は密集住宅だからそれに適さない。特に重低音というのは音量がなくては真価が発揮されない。つまり、そもそも低音が鳴らされていないという話。

もうひとつは、普段の可聴領域だ。日本語の発音は英語のそれに較べて低音が少ない。Rの発音のように喉の奥に空間を作ったりせず、口先で喋るような感じ。だからそもそも普段から低音に耳を傾ける機会が圧倒的に少なく、耳が低音に慣れていないのではないか。つまり、低音に慣らされていないという話。


低音が鳴らされていない事と低音に慣らされていない事。この2つがあわさって日本人の「低音への無関心」が形成されているような気がする。あクマで仮説に過ぎないが。


さて。そんな日本人に対して『Forevermore』は低音を派手に利かせてきている。嗚呼、漸く本題。ここにこの曲への評価の鍵…というか、好かれるか無関心かの分水嶺があるように思えるのだ。次回はそこら辺の話から。

[]2017年08月21日のツイート

2017-08-21-Mon

まずはベースの話から。

土曜日の晩にきいた「ZABADAK楽屋におけるDEEP PURPLE論争」は笑った。要はディープ・パープルが好きな人と嫌いな人が言い争いになったという話なのだが、「ミュージシャン同士が好き嫌いを論じられる」という点に於いてパープルが如何に日本で有名なのかがわかる。もし知らないバンドだったら論争にもならない。好きだの嫌いだの言える位に何度も耳に入っていなければならない。パープルは偉大なのだ。

どれ位にパープルが偉大なのかといえば、70年代の昔から泣く子も黙るレッド・ツェッペリンと共に「2大ハード・ロック・バンド」として奉られ祭り上げられてきた程なのだ。

といってもこれは日本だけの話らしく。確かに、70年代の全米年間チャートを見てみても、ツェッペリンは上位進出の常連だがパープルは全くと言っていいほど出てこない。唯一、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」だけがヒットシングルとして記録されているが(「ハッシュ」も売れたぞ、とかツッコミが入りそうだ)、ぶっちゃけそれだけの一発屋である。正直、ツェッペリンとは、少なくともチャート・アクションにおいては全く勝負にならない。同じ土俵で勝負していたとすらいえない。ハードロック・バンドとしてツェッペリンに対抗できていたのはブラック・サバスオジー・オズボーンの居たバンドだ)位なものだが、彼らはどちらかといえば「元祖ヘヴィ・メタル」だろうな。

なぜパープルがそこまで日本で人気だったのか。単純に、音楽が日本人向けだったのだ。同時代にエマーソン・レイク&パーマー後楽園球場でコンサートを行った事からもわかるように、日本ではキーボードをフィーチャしたクラシカルなメロディーを織り込んだロックが大人気だったのである。この傾向は90年代まで続き、イングヴェイ・マルムスティーンなどはオリコンの"総合"チャートで週間1位をとり武道館来日公演を行った。そういうのが好きな国民性だったのだ。

しかし、裏を返せば、日本では欧米で「ロックらしいロック」として人気のあるバンドの人気が低い。ツェッペリンとパープルが「2大ハードロックバンド」と呼ばれたのは、今さっき書いた通り日本でのパープルの人気が図抜けてたのもあるが、レッド・ツェッペリンが海外ほど人気ではなかった、という理由もあったのだ。即ち(海外からみれば)ツェッペリン過小評価とパープルの過大評価が合わさって「2大」という形容が形成可能だった訳だ。


ツェッペリンの他にもザ・フー、先述のブラック・サバスカナダのラッシュ、イギリスモーターヘッドアイアン・メイデンなど、海外では20万も30万も集めるフェスのオオトリを務めるバンドが日本では武道館すらままならない。ザ・フーなんてエアロスミスと抱き合わせで漸く来日できた、という位に人気がない。

なぜここまで格差が出来たのか。理由は結構単純だ。日本人はベースに興味がないのだ。ディープパープルはキーボードとギターに比重を置きすぎる余り、アレンジ面ではベースが殆ど存在感を示していない。ロジャー・グローヴァー(パープルのベーシストね)の技量が高いか低いか、かなり熱心なロックでもわからない。それ位何もさせてもらえないのである。

一方、日本で人気のないロックバンドたちには凄腕のベーシストが居並ぶ。ザ・フージョン・エントウィッスルツェッペリンのジョン・ボール・ジョーンズ、ブラックサバスのギーザー・バトラー、ラッシュのゲディ・リー、モーターヘッドレミー・キルミスターアイアン・メイデンのスティーヴ・ハリスなど、そのサウンドだけで圧倒する伝説級のプレイヤーが目白押し。

しかし、日本人は彼らに興味がないんだな。ではなぜそんな事に…という話からまた次回。ちゃんと続く予定よ。

ふらっと旅をするのもまぁいいな

TBS日曜劇場「ごめん愛してる」の中盤で『Forevermore』のアコースティック・ギターインストゥルメンタル・バージョンと思しき音源が流れた。オリジナルを聴き慣れているのもあるが、やはりドラマチックなメロディーラインだなと再認識。テレビドラマのバックグラウンドミュージックにうってつけなのは、リズムや歌を抜いても変わらない。

売上も好調で、iTunesStoreではドラマの放送がある度に3位付近に返り咲いている。逆にいえばまだまだ認知度を上げる事は可能で、開拓すべき余地が市場に残っているという事だろう。即ち、ここからドラマの視聴率が上がっていけばもう一伸びが期待できると。頑張れ日曜劇場。…と言っても、ググればここからの展開がわかってしまうリメイク・ドラマ。注目されても余計なネタバレが増えるだけかもしれず、居心地がいいかは微妙な所。このまま中空飛行を続けてくれた方が好都合ではあるかもしれない。


ヒカルの新しいツイートはコードの書き方について、だった。B♭mにB13を汚く書くと読みづらい、という話。このコード、直接には今までのヒカルの曲にあまり出てこなかったかもしれない。ちゃんと参照した訳ではないけれど。もしかしたら、また誰かと共演しているのかも。

ここ20年余りヒップホップカルチャーがアメリカンポップス(っていう言い方は皮肉にしかならないが)の中心を占めるようになってコラボレーション、つまりクレジットの上ではフィーチャリングがどどんと増えた。更に2010年代に入って"DJの世代"に入ると、彼らが歌う訳でもないのでフィーチャリングの人数がどんどん増えていき、最近では一体何人名前を連ねるの、結局一体この曲は誰の曲なの、という事態が増えてきた。

これは、アメリカの音楽市場のメインストリームストリーミングに移りつつある事と因果関係があるのだろうか。クレジットが長くなればなるほど、プレイリストを侵食できる機会が増えるとするならば、今後2〜3年はこの傾向が続くのかな。海の向こうの事情は知らない。いやこっち側の事情も知りませんが。そのうち長大クレジットに対する対処もストリーミングサービスの中で出されていくかもしれない。そっちが先、かな。

海のこちら側である我々はそんな事を気にする必要はない。ヒカルの場合自分がネタ切れになってアルバム用に10曲以上揃えられなくなってきたら誰かの手を借りる傾向がある。間違ってもアルバム全体がフィーチャリングで埋め尽くされる事はない。とすると、B♭mB13はたまたま珍しいコードで歌ってみただけ、なのか或いは既にネタ切れ…アルバム制作終盤戦なのか…? まだちょっと早過ぎるな。焦らず行こう。

…でも、油断は禁物だよね。『This Is The One』が前のアルバムから間隔1年弱で出たんだから。

[]2017年08月20日のツイート

2017-08-20-Sun

[]2017年08月19日のツイート

2017-08-19-Sat

[]2017年08月18日のツイート