無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

眩しい、眩い、目映い、日差し

ヒカルが命日に呟きをね。今東京に居んのね。いや、昨日の時点で、か。

何も特別な事は言っていない。だからか、ヒカルにとって特別な事を言っている風になる。普遍的、と言ってもいいか。自らが生まれてきた事実を覆せないように、母の死もまたひっくり返る事はない。それに対して、何が出来る訳でもない。受け入れる必要すらない。どちらにしろ変わらない。

それでも、時は癒やす。忘れる、と言ってしまえばそれまでだが、事実との距離は変わらなくても事件は幾らでも遠くなってくれる。どちらに目を向けるかで、感じ方は変わる。母の居ない人生にかわりはない。しかし、母を亡くした日は、日々遠くなる。『長くて短い3年』もまた、そういう風に見えている。

3年の蓄積で得た景色は、今目の前にある。そこに距離はない。3年間の日々あった事の記憶は遠ざかる。次々と重なっていく。重い。適切に忘れるのも、無理はない。

前を向こう、というのは、今在る事と向き合う事だ。もう無いものが後ろ向きで、まだ在るものが前向きで。

なら横に在るものは何かというと、気づかれていない時間、誰かの人生。ものを拾えるのは、そうやって人生の横道に逸れているから。あったかもしれない時の流れを見いだして、それだけじゃなかったと後悔できる。前だけを向いていれば、時はあっという間に過ぎる。残った現実しか、目に見えていないのだから。


ふぁぁ。リオデジャネイロオリンピックの閉会式、東京のパートは椎名林檎がプロデュースしたんだとか。なら本番はHikkiかな、となるのが人情だが、こういうのは菅野よう子に任せるべきだろうな。てか、今回彼女じゃなかったんかい。宇多田さんは、式典向きじゃない。君が代を歌うかもという話が持ち上がってはなかった事になってゆく。そもそも、ヒカルはこの歌好きなのかねぇ?

勿論4年後になってみないとわからないが、こちらとしては、難事業に手を出すなら一曲書いてくれた方がという見方もできて。『Fantome』の後も継続的に活動してくれるって保証も無いのにな。これからも、色んな展望が視界に入るが、どちらが前なのかは、それこそ自分で決めるしかない。棚引く時の軌跡を振り切っ…それをしないから、宇多田ヒカルなのか。まぶいな。