無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

シンプルネーム、シンプルインターフェイス

「アプリ」という呼び方は、つくづく新しい文化だなぁ、と思う。そういう略し方がなかった訳ではなかったが、"公式な略称"として定着させた手腕は凄い。

PC世代はプログラムとかソフトウェアとかアプリケーションとか呼んでいた。ソフトやアプリという略し方もないではなかったが、スマートフォン世代のポップな"アイコン"を指す感覚は、なかった。フィジカルと連動している訳ではないので若干わかりにくいが、ファミコンのROMカセットに匹敵するインターフェースメソッドだと感じる。

ファミコンのカセットか。それまでのコンピューターのソフトウェアだって、フロッピーディスクやカセットテープといった"単位"は存在していた。しかし、ファミコンは「ROMカセットを抜き差しして入れ替える」というイメージで次々とゲームを楽しめる、というシステムを構築したのが大きかった。今の"アプリ"も「アイコンをタップする」というわかりやすい動作と連動したポップな呼称である。全体のイメージと親しみやすい呼称。原因と結果を考えると難しいが、事実としてそうなっている。


音楽ソフトも「CD」というフォーマットと呼称を手に入れて80年代末から大いに飛躍した。それ以前もアナログレコードやカセットテープは存在したが、あのキラキラとした薄い円盤は象徴的に光り輝いていたのだ。カセットテープの不便さや鈍重さとは一線を画すイメージと使い勝手。それこそ、ゲームだって94年にPlayStationが登場するが、CD-ROMが受け入れられ易かったのも音楽CDの普及が大きかった。

今の音楽ソフトは、どうにもその"入口"が不明瞭、不透明に思える。ファミコンカセットや音楽CD、そしてアプリアイコンのような一次的な接触機構が確立されていない。勿論ミュージックアプリを立ち上げて選べばいいだけなんだけど、ログインしたり検索したりとどうにも一手間二手間かかる。

配信のブランドとして一番定着したのはiTunesだが、CD並みに普及したとは言い難い。Androidユーザーだって多いしねぇ。今必要なのは、パッと聴いてパッと見て、すぐにアクセスできる親しみやすい何かなのだ。アプリアイコンをタップしたらもう何かが始まるその手軽さで音楽が始まるような。今のストリーミングにはその"最初の一歩"が足りないように思う。が、その話について語り始めると路頭に迷う気がするので、余り踏み込まないようにしておきますかね。悩みは尽きない。