無意識日記々

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2017年12月18日のツイート

ヒカルさんの爪弾く姿を想いつつ

おやギターで曲作りを始めているとな。前回の続きはまたいつかにしよう。

ギターで作った曲といえば『Be My Last』だ。それもエレキギターだったとか。今回はアコースティックかエレクトリックかはわからないが、下手と言ってるから別にこの7年の間に猛練習を積んだとかではなさそうだ。『WILD LIFE』で「Across The Universe」で弾き語りをしていたが、あんな感じなのだろう。1人で弾き語りをしてもサマになる歌である事は間違いないので(聴いた事があるから)、純子さんに手伝って貰ったのは自分一人じゃ不安だったからだろうか。ピアノの弾き語りはするのにね〜。

という訳で、ギターで作曲をしたからといっていきなりエディ・ヴァン・ヘイレンみたいな煌びやかでテクニカルな曲調になる訳ではないだろう。シンプルに、フォークとかロックとかそんなふんわりとした寄り方になるんじゃないかと。ふと思ったが『About Me』はギターで作曲したんじゃないのかの。どこかのインタビューで答えてないかなー。

曲調自体を予想するのは難しいが、例えば編成を予想するのはアリだろうか。アコースティックギターを用いておきながらリズムが打ち込みであったり、派手なホーンセクションが嘶いたりといった事は少ない。素直にドラムス、ベースそしてギターという編成になるだろう。

ここでオルガンを入れてきたら面白いんじゃあないかというのがこちらの勝手な妄想だ。『Forevermore』でのエレピサウンドというかあれはエレクトーンと呼びたい音色だが、ストリングスとジャズのリズムセクションを従えてあの音色が活躍するのは痛快だった。ここは更に一歩踏み込んで、オルガンサウンドがメインになり響く古風な薫りのするヴィンテージ・サウンドを目指すのも悪くない。

しかし、ただロックバンドにオルガンを足しただけでは普通過ぎる。その上で何をするか。ここから先は実際の楽想と向き合って決める事だが、個人的には和楽器、それも和太鼓をフィーチャーするのが面白いんじゃないか、なんて考える。

今は和楽器バンドなんてグループがあるから、彼らが既にやっている可能性もあるけれど、オルガンと泣きのギターに普通にパーカッションを加えたらサンタナみたいなラテンサウンドになるのがオチだ。それも勿論悪くないが、パーカッションが和風だったらオルガンがどう響くかは興味がある。そんな事を勝手に考えてみたりもするのでした。

やおらくるゆるしと救いの一呟き

@utadahikaru : 久しぶりに下手くそなギターで作曲中。たのしい。


というツイートの『下手くそなギターで作曲中。』の一言に食いついたのが前回。しかし目玉はやはりその後の一言。『たのしい。』。これだ。

そうかそうか、たのしいか。この一言が聞けただけで、なんだか年を越せそうな気がする。勿論作曲中であると聞けたのだけでも相当嬉しい(何しろほんのちょっと前まではこの一言を再び耳にするのに何百日もかかっていたのだから!)のだが、その作業が『たのしい』とな。

ヒカルは『家業を継いだ』発言からもわかる通り、ミュージシャンとしての営みを職業、仕事として捉えている。日々働く人々、自分の仕事を「たのしい」と感じる事が出来ているだろうか。中にはそういう幸せな人も在る訳だが、多くの人々は日々の糧を得る為に種々のストレスに耐えて仕事をしている。

ヒカルだって仕事中には辛い事苦しい事が山ほどあるだろう。音楽を作るだなんて知らない人からみれば遊びの延長線上にあって何をそんなに苦悩する事があるのかという感じかもしれないが、宇多田ヒカルという看板に相応しいクォリティーを保つプレッシャーというのはそれはもう想像を絶する。仕事の注文は総てそのクォリティーが目当てなのだからね。

そんな中でこうやって『たのしい』と呟ける瞬間がある。珠玉であり至極である。もっともっと踏み込んで言えば、ヒカルが今ミュージシャン稼業を営む自分自身の状態を肯定してみせたのだ。それがどれだけ価値のある事か。

長年ファンをやっていると、どうしても申し訳なさの方が先に立ってくる。ヒカルはもう一生遊んで暮らせる(夫やこどもが増えようが大したことないくらいのなっ!)だけの資産を持っている。故に、上記のような尋常ならざるプレッシャーの中に身を置く動機なんてものは外からみれば脆弱だ。辛かったり苦しかったりすれば逃げればいいし辞めればいい。我々平民は仕事を辞めれば「来月からの支払いどうしよう?」とすぐに生活の危機に立たされるがヒカルにはそんなものはないのだ。いつ仕事を辞めても何の障害もない。何だったら契約に対する違約金を払っても大丈夫。恐らくビクともしないだろう。

そんな人にわざわざ種々の苦労(例えば出棺時にボンネットに人がへばりついているとか)を味わわせて、私達はヒカルが届けてくれる音楽を呑気に楽しんでいるのだ。正直、いいんでしょうかという気分になる。そういう時に「大丈夫だよ、曲作りたのしいよ。」なんて言われたとしたらまさにそれは救いの一言。あなたもたのしいのか。私達も気兼ねなく楽しんでいいのだと肩の荷がすらっと降りる。これがどれだけPreciousな事か、わかってうただけるだろうか。私達は、ヒカルの歌を遠慮なく味わう事を許されるんだ。たった四文字『たのしい』と書いて貰っただけで。

だからってそれが丸きり免罪符になる訳でもない。制作が進んでまたヒカルの精神が荒廃する時期があるかもしれない。その時にまた申し訳ない気持ちになるだろう。「いや別にあなたたちの為にやってる訳じゃないから」と言われてもこれは気分の問題なのだ。こちらが一度びそう捉えてしまったらもうそこから離れられない。そこを解き放つ魔法の言葉『たのしい』。例によって本人は何気なく入力して投稿しただけだろうがこれは御神託御託宣と呼ぶべきレベル。今年一杯噛み締めさせてうただくます。

しかしあれだね、たった一言にこんだけ反応されると、ますます気軽に呟けなくなるね…。何と言いますか、しっかり自分で自分の首を絞めてしまっているような。まぁ仕方ない。私本当にそう思ってるから。