無意識日記々

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ま、そんな事ないと思うけどね。

ヒカルが2017年に個人名義で発表した3曲はいずれも"キャッチーなポップス"とは言い難かった。なのにあれだけ売れたのは特筆に値する。中でも最もストレートな『あなた』が結果的にいちばん売れそうなのは当然といえば当然かもしれないが、にしたって3曲ともキッチリ結果を残すというのは尋常ではなかった。

これで、前作の『道』や『花束を君に』や『荒野の狼』のような得意技或いは十八番と言った方がいいかな、宇多田ヒカルの最も得意とするメロディーラインを今年投げ込んできたら一体どれだけ売れるのだろう?と期待が高まる。昨年書いたように、私の解釈では『大空で抱きしめて』『Forevermore』『あなた』の3曲は12年前の『Be My Last』『Passion』『Keep Tryin'』のような"実験3部作"なのだから。売れればよし、売れなくてもそれはそれでという感触だった。売れたけど。

12年前の『ULTRA BLUE』の時は件の実験3部作に続いて『This Is Love』『BLUE』『Making Love』というドキャッチーな楽曲が表れた。ああいう展開になる予想はしてみたくなる。

しかし、売れるだろうか? 日本における『Pops』が形骸化しているのは、ひとえに「別に期待してなかったけど聴いてみたら気に入ったので買ったよ」という層が激減しているからだ。今は「気に入ったので」に続くのは「買ったよ」ではなく例えば「YouTubeをブクマしたよ」とかそういうのになる。なかなか「買ったよ」に辿り着かない。だから、シングルヒットがなかなか生まれない。

アルバムは売れるだろう。中古盤もレンタルもある。シングルは配信だけで、本当に買った人しか数値に反映されない。従ってダウンロード販売は数字さえ出れば大変参考になるものだ。秋元康一派の楽曲は握手券や投票券としてCDが売れているだけで曲を聴いてるヤツなんて居ない、という人は彼女たちの配信販売実績を知らないのだろう。相当売れている。彼女たちが(あるんだかないんだかわかんないので"相対的に"、でしかないが)邦楽市場で有数のヒットメイカーであり続けたのは紛れもない事実なのだ。

話が脱線した。ヒカルの楽曲が待たれているのは昨年一年で思い知らされたが、このあと、たとえ「老若男女に受け入れられるわかりやすい曲」が配信限定でリリースされても、どういう数値になるか未知数なのではないか、従って、アルバムがリリースされるまではある程度評価を保留した方がいいのではないか、とふと思ったのだ。

逆に、アルバムの売上はシビアに数値を見て評価すべき、となる。問題なのはアルバム発売日までにどれだけ日本で定額サービスが普及するか、である。プレイリストが跳梁跋扈する中、「アルバム」という単位はダウンロード販売以上にあやふやになっていくだろう。市場の推移、即ち我々のサービスの選び方によっては、宇多田ヒカルのCDシングルが10年前に『Prisoner Of Love』で途絶えたように、アルバムという単位もあと数枚で無くなってしまうかもわからない。どれだけ我々"旧世代"が踏ん張るかが鍵だわな。