無意識日記々

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2018年02月21日のツイート

"アルバム曲タイアップ"強化提案

「宇多田が有名だからと忌避している人」は今や絶滅危惧種になっていると思うのだが、今後の立ち位置如何ではまた若い層からそのように思われる機会が増えないとも限らない。今は昔と違ってYouTubeが手元にあるから気になればすぐ聴いて貰えるとは期待しているのだが。

「どちらをとるか」と言われればヒカルはPop Musicianだ、大衆/多数派の方を取るだろう。しかしヒカルの性格は常に「どちらもとる」である。多数派も少数派も。根本的に欲張りなのだ。

すぐに考えつくのは「アルバム曲のタイアップ」である。ワイドショーで取り上げられる、駅の広告でみかける、CMが至る所で流れる…というのは昔でいえばCDシングル曲、今でいえば先行単独配信曲である。その「マスな雰囲気」に違和感を感じるそうが「宇多田なんか聴くまでもない」と切り捨てる。そうではなくて、「アルバムのタイアップ」というのはシングルカットもしない、大々的に宣伝も流さない、しかしタイアップ先のコンテンツ消費者は確実に触れる、というものだ。

近いイメージとしては『人魚』の取り扱いである。美術館展とのコラボレーションではあったが、どうやら地味にCMが日テレで流れるくらいで、シングルカットもなくレーベルのプッシュも殆どなかった。せっかくタイアップが決まったんだからミュージックビデオでも作ればいいのにと思うか思わないかで何故か『忘却 feat.KOH』の方のビデオが作られた。何だろうこの事態は、と思ったものだ。

しかし、これでよかったのである。美術館展を巡るような人の中には「マスな雰囲気を嫌う」層が幾らか存在する。そんな人たちが油断をした所でとても邦楽市場で話題になりそうにない曲調の『人魚』で不意打ちをかける。「あれ、日本語詞でこんなトラディショナル・スコティッシュ・フォーク・ロックみたいな曲歌う人居るんだ…って宇多田ヒカルかよ!?」―そう思って貰えれば御の字である。偏見の無い状態でまず歌を聴いて貰って「こんな歌も歌うんだ」とニッチな人たちに知ってもらえる。悪い事じゃない。

こういったタイアップをアルバム曲全曲で行えばヒカルの「どっちも」イズムをかなり満足させる事ができるだろう。シングルカットもしない、ビデオも作らないとなれば予算も必要ないしな。しかしそうやって細かく分け入る事で全体の雰囲気がヒカルをより受け入れる方向に進んでいく。決して無駄な事ではないのである。

宇多田ヒカルさんは怖いのです。

さて、目下の最新曲『誓い』の話に戻ろう。歌詞がゲームの中でどのような効果を発揮するか、いかなる存在感を示すか、という話は実際にプレイした皆さんからの評判が上がってくるのを待つとして。いつになるやらだが。

こちらではシンプルに「宇多田ヒカルの新曲」として歌詞をみてみよう。

『あなた』の歌詞の何が秀逸だったかって、映画のエンドロールにピタリと収まった事だ。本編の余韻を引き摺る1番の間の歌詞は本編に準ずる内容で、そこからスタッフロールが続き観客が少し冷静になった頃合を見計らったように2番の歌詞が歌われる。それはまるで、映画に没頭していた観客をそのまま自然な流れで「宇多田ヒカルの世界」に引き込んだかのような手腕の巧みさを感じさせた。

これは、誰が考えた事なのか。恐らく、主題歌を受け取った監督が尺に合わせてエンディングロールを組んだのではないかと思うが、それにしたって見事だ。ヒカルの方もある程度、歌がエンディングに流れる事を想像しながら歌詞の構成を考えたのではないか。

という卑近な前例を踏まえると、ひとつの疑問が浮かぶ。果たして、今公開されているワンコーラスは『誓い』の何番の歌詞なのかという点だ。1番なのか2番なのか3番なのか。いやピアノのイントロから続いているんだから1番に決まっているじゃないかという意見、恐らく正しい。多分、本当にそれ以上考える必要はないと思う。しかし、それでもついつい妄想してしまうのだ。この曲が編集されていて、イントロと2番を無理矢理繋げてあるのではないか、或いは、そもそもこれが楽曲の真ん中のパートなのではないか、などなど、と。

最後の視点は妄想がより膨らむ。実際は『誓い』はもっとアップテンポで、中間部に差し掛かるとテンポダウンしてバラードのような曲調に変化する、なんていう曲展開を持っていたりしたら、と。勿論さっき言ったように考え過ぎなのだが、宇多田ヒカルさんはこういう所本当に怖いのだ。『真夏の通り雨』というタイトルが発表された時、誰が直前の歌詞に『降り止まぬ』が来ると看破していたか。皆が思う「通り雨」のイメージを利用してタイトルだけを先に発表し期待感を一定の方向に揃えた上でフルコーラスでがつんと頭を殴ってくる。もう一度言おう。宇多田ヒカルさんは本当に怖いのだ。

その知性に対しては「考え過ぎる」位で丁度いい。私としては、でも、『誓い』はストレートな名曲であって欲しいという願望があったりすんだけど、あのリズムを聴くとなかなかそうはなってくれそうもないのだった。取り敢えず、いつものように、「全貌を知らないからこそ言える」事を綴っていきますよ。