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無意識日記々

2018-06-08-Fri

『初恋』の歌詞構成5.5

『初恋』は知る物語である。『Goodbye Happiness』でも描かれた無知と無垢からの相転移であり、それを恋と結びつけるのが大衆音楽家たる宇多田ヒカルの面目躍如だ。

お浚いをしておこう。第2期宇多田ヒカルの到達点である『Goodbye Happiness』と『Can't Wait 'Til Christmas』は、相反する志向2つを融合させた歌詞として名高い―って書きたかったんだけど、これ語ってるのおいら以外に見た事ないかもしれない。ここから更にもう一段進化して第3期宇多田ヒカルは『真夏の通り雨』を皮切りとするのだが…そういえば『花束を君に』はわかりやすかったからか、話題にする人が多かったな。『普段からメイクしない君が薄化粧した朝』はお洒落する女の子ともとれるし、死化粧ともとれる、という話。ダブルミーニングというとちょって違うかもしれないが、"一文一意"ではなく"一文複意"或いは"一文他意"がヒカルの歌詞の(今や大きな)特徴である。

真夏の通り雨』は"母への弔い"と、"若い頃の恋愛を思い出す中年女性の歌"の二つが重なり合った歌である。あたしゃ最初、思い出す相手と現在進行形だと思ったので"不倫の歌"と言ったのだが、のちにヒカルから"若い頃の恋を思い出して"と修正が入った。時期がズレてりゃ不倫じゃないわね。"心の不倫"と強弁する事も出来るけど。いずれにせよ美しい歌であるが、この歌の真髄は、その異なる2つの物語が同じ精神的概形を帯びている、即ち「だからそういうことをするのだ」という"秘奥の暴露"になっている点である。

これに較べれば、最高の高みに至ったキャンクリやグッハピさえ可愛く見えてくる。キャンクリはクリスマス好きの人とクリスマス嫌いの人どちらからも共感を得るという離れ業、グッハピは過去を懐かしむノスタルジー主義と現状を圧倒的に肯定するリアリスティックロマンティストの両者の溜飲を下げる。もうこの時点でこの2曲は奇跡としか言いようがなかったのにそれが可愛く見えるほど『真夏の通り雨』は圧倒的だった。

『初恋』は、更にその上を行く。前に進んでいる。もう今ここがどこかわからない位に圧倒的だ。このヒカルの作詞力の歴史を知れば知るほど、此処に至った力量が、刻んできた言葉の河が、深く雄大に流れ出でてきているのを感じ取る事が出来る。その、生涯を注ぎ込んだ高みの更に上、向こう側にある歌を、たぶん初めて聴く人もまた感動する。それが歌の不思議であり、20年経った今『初恋』を歌える理由でもある。ヒカルの凄味を知らなくても、この歌を『いいな』と口にする人は絶えない。これは奇跡を超えた何かであり、既に私の手に負えるものではなくなっている。知っている。だから無責任に語っているのだ。この歌は知る物語である。歌の主人公も、我々リスナーも皆『初恋』を、『初恋』という歌を知る。それは二度と戻れない道筋を辿る時の巡り合わせであり、ただひたすら見つめるだけなのだ。

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