無意識日記々

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はちゃめちゃないちゃもん

この間公式アカウントからもリツイートされていたロッキンオンのコラム、まず最初に感じたのは「もう全曲聴いたのか羨ましい」という事。まぁそれは当然だが、次に感じたのは「あれ?この人そんなにニューアルバムを高く評価してないよね?」という点だった。

直接書いてある訳ではない。寧ろ文章全体から漂ってくる「雰囲気」や「感じ」といったあやふやなものからの推論だ。だからそれは事実ではないかもしれない。執筆者にきいたら「そんな事ない。高く評価してるよ」と返事をしてくれるかもしれない。あクマで私の感想に過ぎず、真偽云々以前の話だ。

それを前提で暴論を吐こう。なんか妙に冷静だよね。私は多分新譜『初恋』を聴いたらまず自分自身を落ち着かせる必要があると思う。いやそれはほぼ確定だ。というのも、今まで出ている音源を並べて聴いただけで「なんじゃこら。とんでもないな。」という感想が出来上がっているからだ。未聴の5曲が総て「4分33秒」のカバーだとしても名盤間違い無しの7曲が既に目の前に並んでいる。何ならこれでフルアルバムでもいいよと言いたくなる位の密度で。

確かに前作の『花束を君に』や『道』のようなヒットシングルは出していない。いや勿論今のところ出してきた5曲総て1位をとっているのだから売れてないなんてとてもじゃないが言えたものではないけれど、それはそう、メディアの人間からすれば「宇多田ヒカルに期待するヒット規模はこんなもんじゃない」のだろう。そして、まだ未発表の曲の中には大ヒットになりそうな曲が無かったのだろう。それで全12曲を聴いてもテンションが上がりきらなかった、というのであれば幾らかは納得できる話である。

こちらもある程度数字の行方は気にかけてはいるものの、流石に歌を聴く時にそんなものは持ち出さない。持ち出すとしても後から、だ。歴史に名を残す偉大なミュージシャンの新曲・新譜をリアルタイムで聴けているという興奮も勿論あるが、しかし、それ以上に音楽そのもの、曲と歌の持っている力自体が凄まじく、それに触れれている"今"という時間がどこまでも突き抜けるようにPreciousだ。その事実の前では、何だろう、色んな歴史の注釈はトッピング程度のものでしかないだろう。

で。このテンションの差を以てして、私は多分そのロッキンオンのコラムとはまるで違う結論を出すだろうと予想している。私から見れば、『初恋』に漲るのは今現在に対する自信と確信だ。「過去の栄光に縋る気か」と謗られるリスクを容易に想定できるのに敢えて『初恋』というタイトルをつける気になれたのは、それだけ新作の内容に自信があるからだろう。たとえ過去の宇多田ヒカル作品と比較されたとしても何ら恥じる事はないばかりか大きく成長と前進を成し遂げている確信があるのだろう。今更ヒカルが「宇多田ヒカルであること」に対して音を上げたり距離をとったりする必要もない。リラックスしてより客観的にみても、きっと『初恋』は『First Love』の二番煎じという評価に陥らないだけの内容があるのだろう。

勿論、いつも通り全力で作り上げただろうからリリースして本当にリアクションを貰うまでは不安を払拭する事はできない。それは常に際(瀬戸際の際な)で戦っている人間の特権だ。それでも『初恋』を『初恋』として世に問うたのだから、宇多田ヒカル宇多田ヒカルである事から逃げたハズがないのだ。

今日は、ヒカルが地上波で初めて『First Love』を披露した日だ。あれから19年、その音源や映像を振り返りつつ今の『初恋』の収録曲達も聴いてみればよい。より遠い、より高い場所迄来ていると実感できる筈である。